第一章「勝姫の結婚」
「ついにあの勝姫様が結婚するらしいぞ」
「まぁまぁ私たちのために申し訳ないねぇ」
「それも“あの”西園寺家らしいぞ。戦場で求婚したとか」
「西園寺道隆様でしょう?」
お忍びで城下町を歩いているとそんな町人たちの声が月の耳に入ってくる。町人たちが言う通り、月には先日、結婚したいという人が現れた。西園寺道隆。この彼が月に求婚をしてきたのだ。しかも、戦場で。月は今十八、道隆は十九で年齢的に釣り合いはとれている。女性はこの時代十五、六で結婚する人が多く、月は年齢的に遅い方だ。そんな月の顔はすっきりとしていて、目元は涼しげ。それに赤がよく似合う、絶世の美女なのだ。しかも、月の家は桐生家。戦国の世の大名家だ。そんな月だからこそ、これまでにも縁談話があったと思うだろう。のだが、月にはこれが初めての縁談話だった。そんな月が急に結婚など、周りの人は驚きでしかないだろう。どうしてこうなったのかというとおよそ一ヶ月前に遡る。
『あなた方。戦を今すぐ止めなさい』
敵と戦っていた武士たちは驚きのあまり、一時的に戦を止めた。なぜなら、桐生家の姫である月が戦を止めに来たからだ。呆気に取られている武士たちに月は続けて言う。
『そんなに長く戦をして、何が楽しいのかしら。私にはよく分かりません。私がこの戦、終わらせてみせましょう』
月が戦をしているど真ん中に立った。そして、素晴らしく鋭い目で敵の大名を見つめる。彼はというと、月のほうを興味津々にじっと見ていた。この人が、西園寺道隆である。
『この戦、続けるのならばまずは私を殺しなさい。私はみんなが辛くなるのは許せないの。私はみんなを守りたい。そうでしょう?兄上』
月には二つ上の兄がいる。兄の名を、忠直という。この兄が現在西園寺道隆と戦っているのだ。月と忠直の生まれの家である桐生家は、西園寺家と長らく敵対同士にある。それも、月と忠直が生まれる前からずっとだ。流石に、もうそろそろ決着をつけるべきである。相手の西園寺家もそれを分かっているはずだ。決着がつかなくとも、良い具合にまとまれば良い。月は忠直に同意を求めた。
『月、、、。そうだな。このまま戦を続けていても意味がない』
忠直は月の意見に賛成してくれたようだ。道隆はというと。
『では、桐生家の姫を俺にください』
道隆は今何と言っただろうか。しばらく、月は呆然とする。
『い、今なんとおっしゃったの!?』
月はもちろん、忠直も驚きでしかなく、その場にいた全員が電流が走ったような感覚に陥った。敵対していた家と和睦の証に婚姻するのはよくある話だ。だが、月がそれを実際に体験するとは思わなかったのだ。
『貴女と俺が夫婦になれば、もうこの戦は続かぬと思うのですが。俺は貴女を手に入れたら、もう今後一切桐生家と戦をしないと誓おう』
本当だろうか。敵であるこの男の言うことを信じても良いのだろうか。月は自分に問うた。
『それは、同盟を組むということですか?』
『そうですね。返事は一週間以内でお願いします。では皆の者、引くぞ』
意外と簡単に引き下がるらしい。忠直も驚いたふうにしていた。
『あっあの!』
相手が引き下がっていこうとするのを月は止めた。それにより、道隆は月のほうに振り向く。
『何でしょうか』
『もし私が嫁がなかった場合、どうするおつもりですか』
単純な疑問だった。わざわざ聞く必要のない質問。けれど、月は聞かずにはいられなかった。
《もし、また戦が続いてしまうのも嫌だもの》
『それは分かりません。ですが、何かはすると思いますよ。では、勝姫様、またお会いしましょう』
月の疑問に答えた道隆は口元に微笑みを浮かべ、今度こそ引き下がっていく。月は考える。自分が相手に嫁ぐことによって皆が平和になれるのであれば、自分は嫁ぐしかない、と。平和にはならないかもしれない。しかし、長年敵対していた家と和睦すれば、安心はできるはず。
『月』
一人で考え込もうとした月に、忠直が声をかけてきた。いつのまにか月の近くに来ていたのだろう。危ないことをして、怒られるだろうか。確かに危なかった。道隆がもし命令すれば、いつだって月の命をとれたのだから。もし、それで本当に月の命がなくなってしまえば、兄が心を痛めるに違いない。それこそ、戦がまた長引いてしまう。城の者たちだって、悲しみや責任を抱いてしまうかもしない。
『ご、ごめんなさい、兄上。危ないことをしました、、、』
しゅんと落ち込んだ月は、馬に乗っている忠直に向かって頭を下げた。すると、忠直がふいに目の前に現れたような気がした。乗っていた馬から降りたのだろう。家臣たちが、忠直の通る道を開ける。そして、忠直は、下を向いている月を抱きしめた。
「月。無事で良かった。本当に良かった。どこも怪我はないか?ごめん。ごめんな。ありがとう。止めに入って来てくれて」
忠直の口から紡がれたのは、月を案ずる優しい言葉だった。
『あ、兄上っ』
忠直の、月よりも大きな手が、月の背中を優しくさする。兄の手は、亡き父の優しく暖かな手を彷彿とさせた。父もこうしてよく抱きしめてくれたのだ。兄は、そんな父によく似ている。ふいにも懐かしく思いながら、月も忠直の背に手を伸ばす。
『もう危ない真似はするなよ?』
忠直の声が月の耳にすんなりと入ってくる。優しい優しい叱りだった。
『はい』
月は、こくりと頷いた。
城に帰った月は、大泣きして駆け寄ってくる侍女・お葉を抱きしめた。
『月姫様ぁ〜!お怪我はございませんか!?お医者様を呼んでいますのでお連れいたしますね!お部屋で安静にしていて下さい!!』
過保護なお葉を愛しく思い、月は微笑む。それは美しい笑みだったが、そこには翳りが滲み出ていた、と思う。自分でも分かっているが、屈託ない笑みなどできなかった。
『あなたたちを守るにはやはり、、、』
『月姫様?』
思わず口にしてしまっていた月。そんな月にお葉は不思議そうにする。幸いなことに、月がもらした言葉がはっきりと聞こえなかったようだ。
『いいえ、何でもないわ』
《あなたたちが幸せになれる一番の方法は、私が嫁ぐことなのよね。よし、決めた。あの方に嫁ぐわ。それしか方法がないんだもの》
多分、道隆の提案を受け入れなければ、また戦が起こってしまうだろう。それはもうあってはならない。月は心に決める。自分が嫁ぎみんなを安心させると。幸せにすると。絶対に守ると。
月は夕餉の後、自分の本心をそのまま忠直に告げた。忠直は終始驚いていたが、月の本心に納得してくれ、嫁ぐことを許してくれた。
『月が幸せになれなかったら、あの手この手で必ず助け出すから』
忠直は一言そう言って、月を抱きしめた。やはり、暖かい。この暖かさに、ずっと縋っていたい。けれど、今がこの暖かさから離れる時なのだ。忠直は心配してくれるだろうか。いや、きっと月を信じて待っていてくれるはず。この時、月の心の中にもう一つの決意ができた。この決意は、忠直を混乱させるかもしれない。せっかくの和睦だ。月を止めようとするかもしれない。だから忠直には、皆には言わない。
《兄上、私、あの方の首を取りますわ》
月は顔に美しい笑みを浮かべ、代わりにこう言った。
『はい、兄上。信じておりますね』
そんなこんなで、月の嫁入りが決まったのだ。明日はいよいよ婚礼の儀。だから、月は今お忍びで城下町を歩いている。
(もうこの町を見ることができないかもしれないもの)
月と忠直の父母がつくった城下町。最初はただの荒れ果てていた場所だったのに、今ではこんなに活気の良い町になった。見ていると月の心は自然に明るく、元気になる。しかし、いつもと反対に月の心は重くなるばかりだった。父母、兄、月の侍女たち、桐生家の家臣たち、町人たち、、、。みんな月に対してとても優しかった。月が辛く悲しい時はみんな月を慰めてくれ、守ってくれた。ずっとそばにいてくれた。そんな皆だからこそ、月は守りたいのだ。幸せにしたいのだ。しかし、月が相手に嫁げばもうこの城下町を見ることができない。桐生家の家臣たちや、町人たちにも会えないかもしれない。元気で明るい様子も見れなくなるだろう。そう考えると、次第に月の視界はぼやけていった。
(ここで泣きたくない。最後の最後までみんなを不安にさせたくない)
そう思った月は、お忍びを早く切り上げ城に帰ろうと思い、転ばぬように走って行く。
「さようなら」
別れの言葉を一言残して。
本日、いよいよ婚礼の儀になった。婚礼の儀の時間になる前、忠直は月の部屋に訪れた。
「月、とても綺麗だよ。兄よりも妹が先に結婚するとはなぁ〜。思ってもみなかったよ」
わざと明るく言う兄。月には分かってしまった。それが、彼なりの落ち着く方法なのだと。月を安心させる方法なのだと。そんな忠直の気遣いで月の目に涙が溜まる。
「あ、兄上っ」
月は忠直に呼びかける。
「月、泣いてはいけないよ。おめでたいのだから」
忠直は月に近寄り、月の頭や頬を優しく撫でてくれた。あぁ暖かいな、と思う。月よりも一回り大きい忠直の手。大人になった今、その手はやはり父の手に似てきたようだ。父が今も生きていたら、このような感じだったのだろうか。その隣にはいつも母がいて。母もとても暖かい人だった。
「はい。兄上、今までありがとうございました」
(父上、母上も、ありがとうございました)
月は心の中で、両親に礼を言った。届いてほしいと願いながら。
「幸せにな。では、挨拶してくるから、待っていて」
そう言い残して歩いていく忠直。月は見逃さなかった。忠直の目にも涙が溜まっているのを。
(兄上、今まで本当にありがとうございました)
月は今度は心の中で忠直にお礼を言った。なぜか、今は忠直に話しかけない方が良いような気がしたからだ。気がつけば、先程挨拶に行った忠直が目の前に現れ、月を連れていこうとした。
(いよいよなのね)
月は一度自分の顔を叩き、気合いを入れた後、忠直の手をとったのであった。
婚礼の儀は何事もなく、無事に始まっていく。
(この方、よく見れば美男子ね)
月は隣に座る道隆をじっと見つめる。それに気づいた彼は月の方を一瞬だけ見た。道隆はなぜか照れている。
(なぜ、顔がほんのり赤いのかしら、この方。まぁ、私の目的は結婚によってこの方を斬ることですけれども)
月は不思議に思いながらも、まっすぐ前に向き直した。目の前には、ずらっと多くの親戚たちが座っている。そこに、忠直の姿もあった。緊張はしなかった。なんといっても、月は戦場に乗り込んでいったのだ。これくらいでは緊張しない。気づくと、月たちの前には豪華な料理が運ばれ始めていた。大きな赤い鯛が、一番に目に留まる。美味しそうだと思いながら、最後の人にまで運ばれるのを待つ。
「失礼いたしました」
給仕係のその一言を合図に、全員がいただきます、と言って目の前にある料理に手をつけた。月はさっそく、大きな鯛の真ん中に箸を入れた。身を口にゆっくり入れると、ほくほくとしており、すぐにとろけた。出来立てなのか、熱々で美味しい。こんな美味しいものを食べれるだなんて、結婚も良いものだと錯覚してしまう。
(みんなにも、食べさせてあげたいわ)
いつか本当に食べさせてあげられるようにしたい。今だけは、幸せな気持ちに浸って箸を進めた。一方の道隆はというと。
(美しいという噂が多々あったが、これほど美しいとは。顔が整っていて綺麗すぎる。顔の中でも目が一番印象深いな。深い赤がよく似合いそうだ。だが、それと逆に鋭い目。冷酷だとかいう噂。面白い)
月が前を向き直した時、道隆はそのようなことを思っていた。月は道隆に興味を持たれ始めていることに気づかないまま、祝言は進んでいった。
「これにて、終了致します」
約数時間経ったのち、やっと婚礼の儀は終わりを告げたようだ。
(ふぅ。疲れたわ。あぁ、私はもうこれで桐生家に帰ることはないのね、、、)
これからは、月の家が西園寺家となる。新しい環境にすぐ慣れることはできなさそうだが、できるだけ早く慣れたいとは思っている。
(少し憂鬱だけれどね、、、)
少ししょんぼりした月にお葉がやって来た。
「月姫様!」
「お、お葉?どうしたの?」
「聞いてくださいませ!私、これからも月姫様に侍女として仕えられることになったのです!」
驚きの発言である。月はてっきり誰もついて来ないと思っていたのだが、違ったようだ。
「月姫様の兄上様に恐れ多くもお願いをしてみたのです。これからも月姫様のおそばにいたいと。そうしたら、なんと許可をしてくださったのです!本当に感謝しかありません!ということで、月姫様、これからもおそばで仕えさせていただいてもよろしいですか?」
突然のことで月は驚いたが、とても嬉しかった。“あの計画”のためとはいえ、見知らぬところに一人で行くのがとても不安だったからだ。
「えぇ、もちろん!嬉しいわ、ありがとう!!あ、兄上」
いつの間にかお葉の斜め後ろにいた兄に、月は声をかけた。
「兄上、ありがとうございます」
忠直は何も言わずに微笑みながら目で会釈をしてどこかへ行ってしまった。城に帰るのだろう。残された月は、幸せになれ、と忠直に言われたような気がした。これも忠直の気遣いなのだと月は悟る。忠直はきっと、話しかければ月に里心がつくと考えたのだろう。
(最後まで兄上は私を守ってくださるのね、兄上、、、)
月の心は自然と温かくなる。
「月姫様、そろそろ行きましょうか」
道隆が月に声をかける。
「はい」
月は返事をした後、道隆に手を取られながら、用意された西園寺家の輿に乗った。
「出発!」
その合図と共に、月を乗せた輿が動き出す。輿に揺られながら月はどう道隆を倒そうか、今夜の計画を立てるのであった。
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