最終話 永遠



「失礼しま……す」


 蒼ちゃんの病室は、カーテンで仕切られた四人部屋。いつものように奥まで進むと、そっと静かに蒼ちゃんのスペースのカーテンを開いた。


「わたしだよ、蒼ちゃん」


 当然ながら、っているのは、胃からの流動食のみ。別人のように痩せ細ってしまった、蒼ちゃん。それでも、蒼ちゃんの肌に触れると、昨日のことのようによみがえるのは、最初で最後の蒼ちゃんと二人だけの一夜。


『夢みたいだ』


 そう言って、頬をすり寄せてくれた、蒼ちゃん。


『日菜、気持ちよさそう』


 決まって、そんなふうに囁かれたときのことも思い出してしまう、自分を恥ずかしくも思うけれど。


「いいよね?」


 蒼ちゃんの手を包むように握りながら、笑って、そして、思い出した。


「そうだ」


 海老名くんが渡してくれたばかりの、蒼ちゃんのイロイッカイズツ。


「聴いていい? 蒼ちゃん」


 かつて、全く音楽がわからなかったのに、わたしが夢中になった、イロイッカイズツ。初めてのライブのときに演奏されていた曲が、全部画面に表示されていた。緊張しながら、再生ボタンを押すと、蒼ちゃんと目線を合わすために床に座り直した。


「懐かし……」


 以前聴いていたCDの演奏ほど、洗練はされていないけれど、その分、まっすぐに心に入り込んでくる。蒼ちゃんにしか作りえない、綺麗な甘い旋律。そして。


「あ……」


 蒼ちゃんの歌声に、わたしの時間がぴたりと止まる。


「蒼ちゃ……」


 海老名くんの言っていたことの意味が、わかりすぎるほどに、わかった。


 変わらないの。出会った日の蒼ちゃん、そのままなの。こんなにも ————— こんなにも、わたしは愛してもらえている。


 初めて出会ったときから、今の今まで 、変わりなく。こんなにも、愛してもらえていたのに。


「蒼、ちゃん……」


 わたしは、気づかないことばかりだった。毎年、わたしのお母さんのお墓に花を供えてくれていたのが蒼ちゃんだったことも、こんなことになって、初めて知ったの。


「お願いだから、目を覚まして」


 もう、だめだよ。限界だって、心が悲鳴を上げてるよ。


「助けて、蒼ちゃ……」


 約束なんか、守ってくれなくていい。わたしが蒼ちゃんを守ってあげるから。だから ———————。


「…………」


「蒼……ちゃん?」


 目を見張り、わたしは、静かにイヤホンを外した。


「蒼ちゃん」


 ゆっくりと、まぶたの奥から現れた、うつろな瞳。


「蒼ちゃ……わか、る? わたし、日……」


 夢? それとも、現実? それすら、認識できない。


「あ……今、先生……を……」


 まともに、言葉なんか出てこない。とにかく、ナースコールを押そうと手を伸ばしたとき。


「……な」


「え……?」


 小さな小さな、蒼ちゃんの声。蒼ちゃんの口元に耳を寄せて、次の言葉を待つ。


「蒼ちゃん……?」


 なかなか、焦点の定まらない蒼ちゃんの目に、今度は不安を覚える。わたしのことなんて、忘れていたら? 記憶が全てなくなって、今までの蒼ちゃんでなくなっていたら? でも。


「大丈夫だよ、蒼ちゃん」


 そんな問いは、思い浮かんだ瞬間に消えた。だって、受け入れる覚悟はとっくにできている。今度は、わたしが……。



「綺麗な、髪……目も」



「蒼ちゃん……」


 もう一度、ゆっくりと口を開いた蒼ちゃんの、次の言葉を待った。


「出会ったときから、変わらない……俺の大切な、日菜の……」


 …………。


 蒼ちゃんに、伝えたいことは、たくさんある。伝えなきゃいけないことも。


「蒼ちゃん」


 でも、まずはここから。


「好きだよ、蒼ちゃん。誰よりも何よりも」


 蒼ちゃんの手を、そっと握りしめた。


「どんなことがあっても、離れないからね」


 昔も今も変わらない。それは、わたしにとって、何よりも大きな勇気をもらえる、大きな温かい手。










 壊れるほどの愛を君に


       END







※ 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。初期の拙い作品ではありますが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

 

実は、この連載を終えた数年後に書いた『世界はほんの少しの闇と溢れるばかりの愛で満ちている』という作品で、日菜と海老名、蒼太のその後のようすがわかるようになっています。


https://kakuyomu.jp/works/16818093086347616110


現時点で、わたしの10年以上の小説人生の集大成といえる作品となっているので、引き続き、こちらの更新を追っていただけると嬉しいです。


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壊れるほどの愛を、君に 伊東ミヤコ @miyaco_1

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