第6話 覚悟と殺意

「かわいそう、ふーちゃん……いたいいたいだね」


 静寂を我が物とする空夜に、小さな子供の声が浮かぶ。

 その子供は、手にボロボロのフランス人形を抱いて、慈しむように撫でていた。


「このおにいさん、ひどいねぇ」


 フランス人形に向けていた視線をそのまま落として、見下ろす形で足元に転がる青年を見る。

 転がる青年の身体にはあちこちに擦り傷のような細かな傷があり、痛々しい。


「一志、起きて」


 そのとき、寝たままの青年の身体から、青年のものとは思えない声が漏れ出る。


「? だぁれ?」


 声を聞いて不思議そうに首を傾げて、少女はしゃがんで、青年の身体をそっとあちこちつつく。つつかれた箇所から、体が少しずつ裂けて血が流れる。


環檎カンゴン


 血を流す青年の身体から、またも声。声が響く瞬間、青年の身体は薄青に光って、みるみるうちに体の傷が治る。


「えーなんで! ふしぎだね!」


 それを見た少女は目を丸くして、楽しそうにもっとつつく。

 無邪気に、悪意なんてないみたいに。


「一志、起きて」


 そんな状況下でも声色ひとつ変えず、青年の体からする声は同じことを言う。


「うふふ、おにいさんねー、たぶんねー、まだいっぱいねんねしたまんまだよ?」


 嬉しそうに楽しそうに、少女は世界の幸福全てが自分の手の内であると言わんばかりの笑顔で、青年の腹部を——軽く、ぺちと間抜けな音を響かせ叩いた。


「——っ。メイ


 無抵抗な青年、叩かれた腹部がぱっくりと大穴を開ける。そこから血が吹き出して、真っ暗な世界に血の噴水が花開く。

 咄嗟に、青年の身体からは焦ったような声で『命』と唱えられる。

 すれば青年の腹部に開いた大穴は、この常闇に眩く、光沢を放つ。

 光沢の元から傷が修復し、あたりに散った血も、まるで逆再生しているみたいに舞い戻る。


「あはは! おもしろいねぇ!」


 無邪気に笑う、それこそ天使のように、口の端を盛大に歪めて嗤った少女。青年の身体に死に至らせる傷を何度負わせても、治る。

 それが壊れないおもちゃみたいで、少女は嬉しくなって歓喜の声を上げる。


「んふふ。これならー、どお?」


 少女はしばしの思案の後、何かを閃いたみたいに手を合わせたかと思えば、足元の暗闇から突如槍のようなものを、出す。


「これで、さくってしたらー、しぬ?」


 槍を持ってパタパタと走って、青年のそばに寝転んで、青年の顔を見つめながらその可愛げな顔を、盛大に歪める。


「じゃあ、ちくってしますよー」


 寝たまま、少女は槍を青年の脇腹目掛けて、そっと、ゆっくりと、この時間を楽しむように、刺さんと——。


「壱の尾」


 瞬間、静かに、リップノイズを微塵も立てない声は世界に優しく形を成す。

 その声は、少女の耳には届かない。——だから、少女は気づかない。


「……あっれぇ?」

「あれぇ?」


 間の抜けた声が二つ、同じ意味を持った言葉、しかしはっきりとニュアンスの違う形で、双方から発せられる。

 二つの声の片方は、少女だ。その、可愛らしく小悪魔的な艶声で、云う。

 しかし、もう片方の声は青年のものでも、青年の身体からする声でもなくて——。


「……俺、なんで刺されてんのさ」


 あの暗闇の中、青年が一度爪を交わした相手の声だった。



***



 時は数分前に遡る。


「あっちゃー、逃げられちゃった。なんだあれ」


 暗闇の河川敷、川を流れる緩やかな水音など耳に入る余地もなく、ただそこには自分の草を踏む音と、涼やかな風が吹く心地よい感触がある。

 先刻、一方的に攻撃を続けるあの青年の体から、妙な気配を感じたと思えば——突如として、光を残して青年は消えた。


「……ま、妖面ではあるんだろうけどさー、なんか、変だよねぇ」


 思い返しながらぽつり、呟いても返事をしてくれる人なんて、この夜の街にはいないと、わかっていながら。


「それより、よ」

「ん……」


 そんなことを考えながら河川敷、月明かりを頼りに探し回ってようやく見つけた女を見て、俺は内心安堵する。


「勝手に出ていっちゃダメだって言ったのに」

「…………痛かったし……」


 軽く注意してやるみたいに、女の薄紫の髪を勝手に掻き分けておでこをデコピン。それをもろに食らった女は「痛い……」と、不服げだ。


「大体、なんで一方的にやられたまま……」

「だからぁ、仕事なんだって、それが」

「……ドMなの?」

「違う!」


 仕事でやむなく、青年に傷をつけてはいけない誓約を『依頼主』と結んでいたから、必死こいて攻撃しないでいたのに。

 それを無碍に返すように飛び出して、逃げられて、挙げ句の果てには俺をドM呼び。全く、ならばこの女は、ドSかなんかだろう。


「はぁー、また、探さないとかぁ……」

「…………」


 ため息をつけば、女はバツの悪そうな顔をして、トボトボとスッと落ちるように俺の影に戻ってく。こんなふうに言ったが、きっとこの女も、俺を守るために飛び出してくれたところはあるのだろうから、後で一応謝っておこう。

 ——なんて、考えていた時だった。


「……あら?」


 俺の体が、青年が消えた時みたく、眩い光を発し出したのは。



***



「あっはははははぁ! ねぇ、なんでさしてもたたいても、いたいいたいじゃないのぉ? なんでー!」

「それはっ! お嬢ちゃんがっ! 攻撃やめてくれたらっ! 教えっ! ちゃおっかなぁ!?」

「えー! むりー!あっはははぁ!」


 凶暴に、狂暴に嗤う少女が、絶え間なく槍を刺し、石を投げ、外見に無相応の華麗で俊敏な動きを見せる。

 それに防戦一方を強いられる男は、ところどころ躱しきれずに攻撃を受けてはいるが、外的損傷は見受けられない。

 ——今、目覚めたばかりの一志の頭の中は混乱が渦巻いていた。

 あの、小さく小綺麗な顔立ちをした少女と死戦を繰り広げ、隙を晒した刹那を見逃さず、一志の威奴刀イナトウが少女の首を打ち据えたはずだった。

 しかし現実問題、少女は一志と戦闘を繰り広げていた時よりタノしそうに、あの暗闇に現れた人影——否、今、明確に顔が月明かりに照らされて分かる、男と命のやり取りをしていた。


「一志」


 混乱の渦の中、頭の中に声が響く。


「あの男は、私が呼び寄せた」

「はぁ? 何勝手なこと……!」

「そうしなきゃ、一志が死んでたから」


 衝撃の告白、一志はそれに苛立ちを覚える。大体、妖面が使用者に断りも入れず能力を使うのは、あり得ない話だ。

 それを、この一夜で二度も許してしまっている。一志が許すつもりはなくとも、自然。

 それが無性に腹立たしかったし、同時に、情けない。


「一志、変だよ」


 怒りに唇を強く噛み、同時に拳を握りしめる。唇から血を流せば、体の中から懲りずに、声。


「だからうるせぇって!」


 思わず怒鳴って、寝たままで地面を叩きつける。

 強く地面を叩いた右手は、血を垂らしながら大袈裟に痛みを訴える。


「うるさいとか、知らない。だって一志、普段はこんな……」

「あ! ねえ起きてたの!? ちょっ! じゃあ助けて!」

「おにいさん! おきたんだねぇ、はやおき! このおじさんころしたらー、おにいさんもすぐにころしてあげるから、じゅんばんこね!」

「おっかねぇ!」


 愉しそうに嗤う少女はこちらを見ながら男に槍、槍、槍。

 焦りながら「助けて!」と叫ぶ男は、目の前の槍を避けるのに精一杯といった具合だ。

 ——その視界に映る両者が、一志にはノイズでしかなかった。


「るせぇよ……二人纏めて、葬ってやるよ」


 自分で壊した右手を地面について、それを支えに、一志はその場に立ち上がる。立ち上がって、右手で自分の心臓に該当する部分を、強く叩く。

 垂れていた血は勢いよく飛び散り、代わりに新たに血を流す。

 その痛みは、一志をかえって冷静にさせる。


「一志、ここは一旦引い——」

「喰らえ、妖面」

「一志!」

「——玖の尾」


 身体の中の声に、耳は貸さない。

 思ったはずだ、理解したはずだ。この暗闇の中、信じられるのは己だけと。

 だから一志は、妖面の声になど耳を貸さない。

 だから一志は、ここで全身全霊、この二人を殺すと、決めたのだ。


 

 

 

 

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