第5話 少女の癇癪
紅く光る月の下、突然のことに戸惑った一志だが、すぐに妖面のしたことに脳が追いついた。
「——。勝手なことを!」
頭に血が昇って、昂ったまま怒鳴って、自分の体を力強く殴りつける。
——妖面のしたこと、それは極端に言えばテレポート。一志のまだ使い得ない、妖面に秘めた力。
妖面には、妖面にできて使用者にできないことは、妖面の一方的な意志で使用することができる、いわばデメリットがある。
それを、この妖面はあの土壇場でやった。
「一志、今の、私がいなかったら死んでたよ」
「だからっ! あれを相殺するために捌の尾を!」
「だめ。今の一志に、それは使えない」
「るせぇ!」
言い分は、確かにこの妖面の方が正しい。救われたのも、きっと事実で。それは一志も、十二分にわかっているのに。自分の力不足を際立てて見せつけられた気がして、自分に腹が立って仕方なかった。
「けて……けて……」
言い合っていると、後方から第三者の声。
その声は苦しみを孕んだ声で、一志の耳には助けを求める声のように聞こえた。
だが——。
「誰だ?」
助けを求めているような声を背に、一志は声を低くして問う。
——この常闇の中では、信じられるのは己だけだから。己だけだと、知ったから。
だから、油断なんてないし、警戒を解いたわけでも、なかったのに。
「——おにいさんは、このこのことたすけてくれないの?」
「————」
後ろには、人の気配なんてさらさらなかった。それなのに、助けを求めるような声がしたから、警戒していた。
警戒して、問うた。——その問いに返事をしたのは、子供の声。
その、子供が立つであろう位置から、感じる。莫大な悪意と、怒気と——殺意。
「ひどーいおにいさんには、おしおきなんだからっ!」
不意に起きる子供の癇癪、普段なら可愛いと笑えるそれも、これほどの殺意を持って振るわれれば立派な脅威となる。
それにそれは、相手がただの子供ならばの話で。
「えい!」
声と同時、動けない一志の頬を、弾丸が掠めた。——否、あれは弾丸ではなく、石。子供の腕力で投げた石が、弾丸と遜色ない速度で、飛ぶ。
「——。無茶苦茶すんなよ、ガキぃ!」
叫んで、振り返りながら後退。振り返りざま、一志の視界には泣きそうな少女と、少女が抱くフランス人形が映る。
「がきとか、そういうこといっちゃいけないんだぁ!」
遂に泣きながら癇癪を起こした少女が、手に持つフランス人形を「えい!」とこちらに投げつける。無論、それを視界に収め続けることが不可能な速さで。
「
「ごっ——……」
空を切り裂いて速度を落とさず、フランス人形は一志の腹を的確に打据えた。衝撃が内臓を、脳を震わす。一志の体は衝撃で、軽々と数十メートルほど吹き飛ばされる。
弾丸と遜色ない速度を持ったフランス人形——それは本来、一志の腹を貫いて、貫かれた一志は見るも無惨に血を吐き腑を撒き散らしていただろう。
しかし、そうはならない。妖面の声が、木霊したから。
胃液を吐きながら起き上がって、シャツを捲り人形に打ち据えられた腹を見れば、打ち身程度のほんのりとした赤色に染まる程度で済んでいる。聞かずともわかる——また、救われた。
「一志、危なっかしい……」
「ちッ!」
心配そうに言う妖面に、苛立たしげに舌を打つ。
「まてー!」
そうしている間にこちらに向かって走ってくる少女、片手には人形を再装填。
「えいやっ!」
「血爪切ェ!」
カキン、音を立てて投げ飛ばされた人形と血の爪が交差する。
「い……ってぇ!」
長く、五指から伸びる血の爪。そのうちの四本が、折られる。
——だが、それは決して一方的にやられたものではない。
「け……てけてけて」
「きゃ! ふーちゃん! しっかりして!」
一志の血の爪は、交差の刹那にフランス人形の右半身を切り裂いた。見てから反応したのではなく、置いておいて。
ここに来て、あの一つ目の蛇との戦闘が生きる。
「その人形と一緒に、墓にでも入れてやるよ!」
この機を逃すまいと、すかさず一志は駆け出し少女との距離を詰める。
ボロボロになった人形を抱いて、俯いたまま動かない少女へ。
「威奴刀!」
一本限りの血の爪が生える手の反対、右手に剣を呼ぶ。
そのまま剣を引いて、少女の首を刎ね——。
「もういいや」
——言葉と同時。ぶつり、意識が断たれる。
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