第7話

「別に……俺の用事のついでだから気にすんな。茨城、冷めないうちに風呂入れよ。熱下がったところだから無理はすんな。あと脱衣所にあるメイク落としは使っていいから」


そう言って彼はリビングに向かった。その背中にありがとうと声をかけると、彼の右手が上がる。百子はメイク落としまで用意されてるとは思わず、彼の気遣いにひたすら感謝した。


「痛っ……」


だがそんな思いも頭痛が遮った。百子は15歳の頃から頭痛持ちで、片頭痛や肩こりからくる頭痛によく悩まされるのだ。今回は単に風邪由来の頭痛だろうと思うが、お風呂に浸かって痛くなるようならすぐに上がらなければならない。


(東雲くん、本当にありがとう)


百子は新品のメイク落としを手に取り、顔をしっかり洗い流してから湯船に浸かる。芯から徐々に温まるお湯に浸かっていても、頭痛はそれほど和らぐことはなかったが、体をさっぱりできるのは嬉しかった。病み上がりで長く浸かると良くないと思ったので、5分ほどで湯船から上がり、頭と体を洗う。このまま自分の心に巣食う昨日の生々しい光景も洗い流せたら良いのに、と思いながら、体についた泡を淡々と流したら、鼻がつんとして目の奥が熱くなり始めた。

洗い場にぽつぽつと落ちるのは、シャワーから出たお湯だけでは無かったのだ。


(うっ……)


あの忌まわしい光景を振り払おうとすればするほど、かえってそれがまとわりつくような気がして、胃の腑がぐるりと回った。百子は慌ててシャワーを止めて、息を整えて胃液が鎮まるのを待つ。流石に人様の家で吐きたくは無い。


(……気持ち悪い……)


シャワーから蛇口に切り替えて水を出し、その水を両手を皿にして少しだけ飲む。これでいくらかは落ち着く筈だ。あまり暑いところにいるのも良くないのかもしれない。百子は風呂桶と椅子を洗ってからドアを開けたが、お風呂マットへ足を乗せようとしたら湯垢に足を取られて派手に転んでしまった。風呂椅子を巻き込んでしまったようで、乾いた音が風呂場に反響して思ったよりも大きな音になる。


(痛っ……!)


頭は打たなかったが、肩をぶつけて呻く羽目になり、その痛みが収まるまでは立てそうにもない。じんじんと主張するそれに耐えていると、脱衣所のドアが大きく開く。


「おい、大丈夫か!」

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