第9話

「お茶ごちそうさま。おかげで少し気分が楽になったよ。泊めてくれたり看病してくれたり、こうしてお茶まで……何から何までありがとう。明日か明後日にはここを出るようにするね」


百子は深く頭を下げて感謝の意を述べたが、陽翔の顔は強張ったままだった。


「駄目だ。あんまり具合が良さそうにも見えないし、家に帰りたくないとか言ってたのにどうするつもりなんだよ。しかも不審者をお前の家にのさばらせたままなら、お前一人で太刀打ちできるのか?」


百子の顔から血の気がさっと引くのが分かった。それと同時にカップを持つ両手が震え、残ったハーブティーも小刻みに波を立てる。陽翔は明らかに様子がおかしい百子を見て、思わず彼女の隣に座った。


「悪い……何か気に触ったか? それとも嫌なことでも思い出したのか? もしかしてそいつに何かされたのか?」


百子はカップをテーブルに置いて首を振った。嫌なことを思い出したのも何かされたのも事実だが、その詳細を話そうとするとどういう訳か震えが止まらないのだ。


(でも……黙ってちゃだめ。東雲くんがここまでの厚意を見せてくれたのに、私が何も言わないでいたままなんて、そんなの卑怯だわ……)


百子が唇を噛んだのは一瞬のことだった。深呼吸を二回ほど繰り返してから、温度の感じられない瞳を陽翔に向けて、抑揚のない声でボソリと呟く。


「ちょっと話が長くなるけど……嫌な話だけど……話しても、いい?」


陽翔は百子の様子を見て眉を下げたが、力強く頷く。ちょっと待ってろと言って立ち上がると、台所から急須とマグカップを持ってきて元の位置に座り直した。


「長くなるなら茶を飲みながらの方がいいだろ。時間かかってもいいから話してくれ。ひょっとしたら俺も何とか協力くらいできるだろうし。せいぜい不審者を追っ払うために通報するくらいしかできないだろうがな」


「うん……あり、がと……多分警察はいらないと思うけどね」


陽翔が訳がわからなさそうな色を目に浮かべたので、百子はぽつりぽつりと未だに残る頭痛に苛まれながら昨日の出来事の詳細を話し始めた。昨日は休日出勤で会社に行ったが熱が出たので早退したこと、家に帰ったら知らない女性の靴があったこと、弘樹の浮気現場に遭遇したこと、証拠の画像や映像も取ったこと、それらを忘れたくて繁華街に行ったこと、そこで絡まれたことを詳細に話す。

陽翔は最初こそ訝しげに眉根を寄せていたが、浮気現場を押さえた話まで差し掛かると、段々と眉を釣り上げていった。

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