あめ

奔埜しおり

棒付きキャンディ、コーラ味

 飴は、嫌いだ。


「なんて顔しとるん。ほら、飴ちゃん、やろか?」

「いらない」

「えー、美味しいのにー」


 目の前の男が、唇を尖らせて、私に渡そうとしていた棒付きキャンディのビニールをはがす。

 そのまま一舐めして、嬉しそうに微笑んだ。


「やっぱコーラやな」

「そ」


 ベンチに腰かけたまま、彼から目をそらす。

 落ちている影は一つ。

 その事実に、胸が苦しくなる。

 

「ねえ」


 現実から目をそらすように、顔をあげて彼を見上げる。

 んー? と、間延びした返事をした彼は、こちらを見て、首を傾げた。

 一緒に真っ黒な前髪が、サラサラと動く。

 

「私のこと、好き?」


 答えはわかっている。

 

「なんや、難しい顔しとるなあ思ったら、そんなこと考えとったんか」


 カラカラと笑う彼。

 

 わかっている。

 これは、私の記憶で、願望だ。

 

「決まっとるやん。好きやで」


 胸が軋んだ音を立てる。


「ん、ありがと」

「なに泣きそうな顔しとるん、笑ってえや」


 手が伸びてくる。

 何度も何度もつないだ手が。

 がっしりとした手が。

 温かな温度を持っていた手が。

 

 もう、二度とつなげない手が。

 

「笑ってるよ、ちゃんと」


 伸びてきた手をさりげなくかわしながら、笑みを浮かべる。

 触れられることはないと、理解はしている。

 でも、触れられないことを、実感したくなかったから。

 代わりにぬるい風が、頬を撫でた。

 

 彼は、思い出だ。

 一か月半前に死んでしまった彼との、思い出と、私の妄想の産物だ。

 幽霊ですら、ない。


 いる、と思い込んでいるだけ。

 きっと彼がいたら、こうする、こうなる、を、なぞっているだけ。

 わかっている、でも、いいじゃないか。

 妄想に浸るくらい。すがるくらい。

 

 中学二年生のときにこちらへ引っ越してきた彼の関西弁は、なんというか、壊滅的だった。

 それこそ、中学一年生の頃にこちらへ越してきた私が聞いてもわかるくらい。

 私は、いまだに関西弁を話すことはできない。

 いい加減なイントネーションで話すのは、なんとなく、私が許せなかったから。

 対する彼は、最初から見様見真似で関西弁をしゃべっていた。


「同じ言葉しゃべっとると、仲間にいれてもらいやすなるかな、おもてな」


 どうしてそんなことをするのって訊いたときの返答がそれだった。

 カラカラと笑った彼の、一人は嫌だしな、というつぶやきは、今でも忘れられずにいる。

 

 実際、彼の近くにはいつも誰かがいた。

 中学での二年間、そして高校の二年間。

 いつも、クラスメイト、部活仲間、そして、私や公園のこどもたち。

 

 彼とは家が近所だった。

 だから、なのか、気づけばよく一緒に帰っていた。

 

 帰り道の途中には公園があって、彼はそこで、よく小学生くらいのこどもたちと遊んでいた。

 最初のきっかけは些細なもので。

 私と会話しているときの彼のイントネーションに、変なの、とこどもたちが声をかけてきたのだ。

 

「俺、関西弁まだまだ勉強中やさかい、よかったら教えてや」


 不審者だ、と怖がられなかったのはきっと、不思議と人を惹きつける彼だからこそ、なのだろう。

 その日のうちに、彼はこどもたちから兄ちゃん、と呼ばれて懐かれていた。

 そんなこどもたちに、彼はよく飴をあげていた。

 袋にたくさん入った棒付きキャンディを、いつも鞄に入れていたのだ。

 

「いつも楽しそうだね」


 バイバイ、といつまでも手を振るこどもたちに手を振り返しながら歩く彼を横目に、私は角を曲がる。

 一緒に曲がった彼は、まばたきしたのち、申し訳なさそうに頬を掻いて笑った。

 

「なんか、ごめんな。俺ばっかり楽しんでもうて」

「あー、違う。嫌味じゃなくて」


 彼と比べて、私の声にはあまり抑揚がないのだと思う。

 元々の愛想のなさも加わって、私には友人と呼べる人はそんなにいない。

 だからときどき、どうしてこの人は、私のそばにいるのだろう、と思っていた。

 

「嫌味じゃないならよかったわあ。……なに、俺のことじっと見て。なんかついとる?」

「にぎやかな目と鼻と口がついてる」

「今のは流石に嫌味やろー」

「ねえ」


 もしも、帰り道が一緒だからとか、それ以外でも、なにかしらの理由で気をつかわせているのだとしたら、それは、嫌だと思ったから。

 切るつもりで言ったのだ。

 

「どうして、大して仲良くもない私と一緒にいるの」


 彼の目が、これでもかというくらい大きく見開かれる。

 二人して足はとうに止まっていた。

 

「ど、え、あー……」


 彼の目が泳ぐのを、じっと見つめる。

 しばらくして、わかりやすくうなだれた彼が、私よりも背が高い癖に上目遣いでこちらを見てきた。

 

「俺、勝手に仲ええと思っとった」

「……悪くはないと思う。でも、もっと仲いい人、いるでしょ」

「そうやけど、そうやのうて……別に、誰でもええわけやのうてなああ……」


 ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、ああでもない、こうでもない、と言った挙げ句、最後はその場にうずくまってしまった。

 

「ちょっと」


 人通りがそこまで多くはないとは言え、流石に迷惑だと思い、立ち上がらせようとしたら、あんなあ、と細い声が彼の腕の隙間から聞こえてきた。

 

「なに」

「好きやねん」

「……え」

「いや、引かんといてえや」

「引いてないけど、なにいきなり」


 組んだ腕から彼は顔を上げてこちらを見上げた。

 

「最初はな、いっつも一人やし、誰かと話してても、笑ったとこ見いひんかったから、あの子どないな笑い方するんやろうなあ思って見とってん。気づいたらな、いつも目で追ってたし、帰り道見つけて、ああ一緒なんやなあ思って。でもこのままこそこそついてったらいくら道同じ言うても気持ち悪いやろし、なら声かけて、許可もらえたら一緒に帰ろ思って。あかんかったら、まあ、おとなしく諦めて、時間ずらして帰ればええやって」


 そこまで勢いよく続けてから、あ! と大きな声を出す。

 

「高校同じとこなったんは、わざとちゃうで! これは本当にたまたまやし、ずっと同じクラスなんも俺、細工とかしてへんからな!」

「いや、それは流石にわかってるけど」


 そこで細工していました、とか言われたら、先生まで含めて色々問題だと思う。


「それであの、非常に、誠に、この上なく! ……その、ダサいというか、あれな告白でかっこがつかないんやけど……俺と付き合うてくれませんか?」


 こういうときに例えに使われる林檎やタコと同じか、下手したらそれ以上に肌という肌を赤くして、上目遣いに彼が言う。

 きっと、今言うつもりはなかったんだろう。

 もしかしたら、今後も言うつもりはなかったかもしれない。

 更に時間が経てば、その気持ちが、いつの間にか私以外の誰かに向けるものに変わっていたかもしれない。

 

 そう思うと申し訳なくなって、胸が痛む。

 

「私は、恋愛感情を持ってあなたを見たことがないから、今すぐには返事はできない」


 ずるいな、と思う。我ながら。

 でも、彼と一緒にいる時間は、嫌じゃなかったから。

 そもそも嫌だったら、一緒には返っていない。

 もしかしたら、私の感じている居心地の良さは、彼のそれとは違うのかもしれないけれども。

 でも、だからこそ、それをちゃんと掴む時間は欲しいと思ったから。

 

「だから、ちゃんとした返事を用意できるまで、時間をください」


 それが、半年前の出来事。

 高校二年生の夏ごろの記憶。

 

 その一か月後。

 付き合いたい、と返せば、大げさなくらい喜んでくれた彼は、今はもういない。

 笑えー、なんて頬に触れてきた指は、もう、私に触れることはない。

 

 今から一か月半前。

 高校二年生の終わりごろ。

 追いかけっこに夢中になって車道に飛び出したこどもを車から庇って、帰らぬ人になった。

 

 頬に触れた水滴に、ハッと我に返る。

 さっきまで柔らかな橙色に包まれていた空は、気づけば紫色の雲に覆われていて、ポツポツと雨粒をこぼしていた。

 帰らないと。

 そう思って立ち上がると同時に、音を立ててなにかが落ちる。

 スマホでも落としただろうか。それにしては、やけに軽い音だった。

 不思議に思いながらかがんで足元を探る。

 

「あ」


 それは、よく彼が配っていた棒付きキャンディだった。

 でも、どこから。

 

 雨が、やむ。

 違う。雨粒はまだ、目の前の砂利を濡らしている。

 傘が、さされている。

 顔を上げれば、見覚えのあるこどもが、今にも泣きだしそうな顔をして、私に傘をさしてくれていた。

 そのうしろには、そっくりな顔をした女性、おそらくはこどもの母親なのだろう人が、自分とこども用の傘を二つ、さしている。

 

「ごめんなさい」


 こどもの小さな手には、大きな袋が握られている。

 彼が持ち歩いていたのと同じ、袋が。

 この公園の出入り口に、お花と一緒に棒付きキャンディがよく供えられているのを知っていた。

 それの味が、定期的に入れ替えられているのも。

 

 ああ、この子が。

 

 手の中の棒付きキャンディを、そっと握りしめる。

 絞り出すような謝罪の声に、私はどう返せばいいのかわからず、ただただそのこどもを見上げていた。

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あめ 奔埜しおり @bookmarkhonno

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