エピローグ 雪女の私とキスしたあなた
愛とはいったいなんですか。
私の雪女という身体は、きっと他の誰より、それを直接的に感じることができるけど、それでもうまく言葉にすることはできません。
想いとはいったいなんですか。
眼に見えなくて、言葉にするのも難しくて、触れることも、確かめることもできないそれをよすがに私達は隣にいて。
だからこのかちゃんとはたくさんたくさん話しました。
愛してるってどういうことだろ、想ってるってどういうことだろ。
答えはその時々で違ってて、具体的だったり曖昧だったり、一瞬のことだったりずっと続くもののように想えたり。
長い長い人生を歩いていくその過程で、結局答えらしい答えは得られなかったようにすら思えます。
時々不安になって、あなたを試すようなこともしました。喧嘩もしたし、ちょっとしたすれ違いもたくさんあった。言葉にしなきゃいけないのに、言葉にできなくて、ずっとずっと長い時間をかけてようやく、小さな想いを一つ零すようなこともあった。
だって、私、口下手で、恥ずかしがり屋で、強情だから。
信じたいけど、信じれなくて、伝えたいけれど、伝えられなくて。
一緒に居るのって難しいなってちょっとぼやいて、でもそれで離れちゃうのも嫌だから、かけた迷惑と同じくらいごめんなさいと仲直りを繰り返したんだ。
嫌われるのは怖くって、憎まれるのも嫌だったから、せめてそうならないようにいっぱいっぱい言葉を重ねた。わかりきったことだしても、何度も、何度も。
そうやって、このかちゃんには命だけじゃなくて、きっとたくさん迷惑もかけました。
いっぱい素敵なことをしてもらって、ありがとうも沢山伝えました。きっと伝えたごめんなさいと同じくらい。一杯一杯繰り返しました。
それから、私達は隙を見ては旅行に出かけて、色んな所でストリートピアノを演奏するのがいつしか趣味になっていました。このかちゃんのコーラスも一緒に添えて。二人揃って、気分は旅の音楽一座。
動画を投稿していた頃の知り合いやファンの人にも巡りあえて、ちょっとだけ名前を付けて活動していた時期もありました。もう随分と昔のことになっちゃったけど。
その過程で、沢山の人から、愛を、想いを受け取りました。
みんな事情を説明して頼んだら、喜んで折り紙の花を私にくれて。
部屋の中に一つ一つ飾っていたら、いつしか部屋が一杯になってしまっていたから。今は押し入れの中に大事に大事にしまってあります。
でもやっぱり私に一番、愛を、想いを、この身体が満たされるほどの熱をくれたのはずっとこのかちゃんでした。
一か月とか、飽きるまでとか言っていたけど、結局、このかちゃんが私のそばを離れることはありませんでした。
都度、都度、飽きてないか、いつでも離れていいからね、なんて心にもないことを言っていたんですけれど。このかちゃんさっぱり離れる様子がないので、いつしかただの定型句になっていたっけ。
「まだ、飽きないの?」「ええ、もうちょっとだけ」
随分長いもうちょっとだねって、思わず笑ってしまったのはいつだっけ。
貰った記憶は数えきれなくて、返せたものは一体いくつあったのだろう。
このかちゃんは私の傍にいると、自分らしくいられるって言ってたけれど、私としてはこのかちゃんはいつでもこのかちゃんだから、さっぱりなんだけれど。
十年も経つ頃にはまあ、そういうことなのでしょうって受け入れてしまってた。
「私ちゃんと返せてる?」って聞いてみたら。
「ええ、十分すぎるほど」って君はいつも笑ってた。ほんとかな、ほんとだといいな。
27で終るはずだった私の命は、たくさんの人とこのかちゃんから貰った愛と、たかはな先生や看護師さんたちのお陰様で、想っていたより随分と長く伸びた。
気づけば雪女として終わりを決めて歩いた時間より、それから先の時間の方が長くなっていたくらい。
長い。
永い、人生だったね。
こんなに生きれるなんて想ってなかった。
「ねえ、このか」
「なに、ましろ」
「もう声も枯れたよ、指もうまく動かない、歌だって掠れてちゃんと歌えない。それでも―――一緒に居てくれる?」
君は黙ってうなずいて、そっとピアノに乗せた私の手にゆっくりと指を重ねた。
二人暮らしの小さな部屋の小さなピアノ前で並んで。
ゆっくりとゆっくりと、鍵盤を一つ一つ確かめるみたいに。
歌を唄おう。
高い音はもう出ないけど、声も掠れて変だけど。
それでも君と一緒に声を重ねて。
上手く伝えられない想いも、歌にすればきっとうまく言えるから。
特別なことは、要らないの。
観衆も、声援も、要らないの。
あなたが隣で笑ってくれるなら、それでいいから。
だからどうか、一緒に居てね。
だからどうか、離れないでね。
だから、どうか――――どうか。
いつからかな。
私と一緒にキスすると、あなたの体温まで上がっちゃうようになったのは。
いつからかな。
引き留めてくれていたはずの君の手を、私の方が強く握るようになったのは。
いつからかな。
一杯貰った愛してるを、私の方が一杯一杯言うようになったのは。君の方も一杯一杯言ってくれているのにね。
いつからかな。
君の中の残りの命を感じられるようになったのは。
その灯が少し陰りが見えたなら、私の中の熱を君に送って。
私の熱が少し陰りを見せたなら、君の中の灯を少し貰って。
二つの蝋燭を隣り合わせにするみたいに、ゆっくりとゆっくりと灯が途切れないように、そっと命をくべ合って。
いつかの日、おばあちゃんは、パートナーの人と同じ日に亡くなったんだって。まるで二人揃って息を引き取るみたいに。
その理由が今ならわかる。
きっとこうやってお互いの命分け合っていたんだね。
だって、遺していくのは寂しいし。
遺していかれるのも寂しいから。
置いていったら、きっとこのかは泣いちゃうし。
置いていかれたら、私も絶対泣いちゃうから。
だからこうしているんだよ。
終わりの日まで二人でずっと一緒にいるために。
そうして命の旅を終えたその先で。
もしまた出会うことができたなら。
もしまた一緒に居られることができたなら、なんて。
そんなことを時々、こっそり願っていました。
最後にゆっくりピアノを止めた。
それから私の肩で、眼を閉じて静かに眠る君に向けて。
そっと優しくキスをして。
愛してる、って。
そう囁くように言葉を告げた。
あなたが私にくれた、たくさんの命と、たくさんの時間に負けないくらいの。
溢れるほどの想いを乗せて。
目を閉じながら繰り返していた「愛してる」が。
君の口から漏れた小さな声と。
最後に小さく重なった。
おしまい
雪女のあなたとキスした私 キノハタ @kinohata
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます