エピローグ 諦めた先に手にしたもの

 結局、日曜日はこのかちゃんの家でゆっくりして、たかはな先生やお母さんに報告しに行ったのは月曜日のことだった。


 私としては正直、多少気が重い。


 なにせ、このまま死ぬとか啖呵切ってたくせに、結局説得されて、生きながらえることを選んでしまったわけでして。


 今更、命が惜しくなったのかとか、恋なんぞ一過性の症状だとか、正直、色々言われることを覚悟しながら、このかちゃんと病院に赴いた次第です。


 そう、赴いたわけなのですが。


 「―――いいんじゃないか?」


 先生の反応は存外あっさりとしたものだった。お母さんの病室でまとめて話すことになったから、お母さんの方は両手をあげてなんか固まっているけれど。


 なんだろう、あれ、喜びを表現してるのかな。


 「え…………ましろ、うそ、じゃない?」


 そ、そんなに反応されると、こっちとしては若干いたたまれないのだけれど。あれだけ啖呵切った手前、正直、恥ずかしいのですが。


 頬が熱くなって思わず2人から目を逸らしたら、チラッとこっちを見ていたこのかちゃんと目があった。そして、とても微笑ましそうな笑みをいただいた。はあ、まあ、これは正直私の自業自得かな。


 「ましろ!!! かもん!!」


 若干暴走気味のお母さんが、半分涙をこぼしながら、両手を広げてこっちにめいっぱいのハグを促してくる。このかちゃんも先生も見てるから、ちょっと恥ずかしいけれど、そう言って収まる感じでもない。諦めて、その手に身体を預けてそのままなされるがままにハグされる。


 ぎゅうっぎゅうっと、私の身体を絞るのかなってくらいにハグされる。耳元で本当にわんわんと声を上げるお母さんを、私は少し恥ずかしさを抱えたまま受け入れる。


 「で、このか。どうやって、この強情娘を説得したんだ?」


 「えー……と、説得ってほど大したことできなくて……なんだろ泣き落としっすかね?」


 「私が根負けしただけです……。一応、まだ期限付きで」


 とりあえず一か月、それからこのかちゃんが飽きるまでとは言ったけれど。じゃあ一か月後に手を離してくれるかって言ったら、多分離してくれはしなさそう。


 私の正直な意思としては、やっぱりこのかちゃんの命を犠牲にしてまで、生きるのはどうかと想うけど。これだけ泣かれてしまうと、そう口にするのも若干憚られる。


 はあ、なんだかなあ。


 なんて軽くため息をついている間も、お母さんは髪を振り乱すような勢いで、ずっと私の肩にぐりぐりと顔を押し付けていた。


 「ねえ、お母さん、そろそろ泣き止んでよ…………」


 「ムッ”リッ”!!!」


 軽くお願いしてみるけれど、さっぱり収まりそうにない。ちらっと先生とこのかちゃんに助け舟を期待してみるけれど、二人はけらけら楽しそうに笑ってるだけだった。


 「しばらく、そのまま抱きしめられときな。それだけの心配は掛けたんだ、お前が中学の時にあの宣言してからずっとな」


 「まあ、私お母さん居ないんでわかんないですけど、もうちょっとだけいいんじゃないですか? ましろさん」


 「…………まあ、そうかな。……そうかも」


 よくよく考えれば、私の選択がお母さんに心配と同時に、罪悪感を植え付けてきたのも事実だろうから。まあ、その分の親不孝分と考えれば妥当……かな。いや、それでも恥ずかしいけど。


 そうやってお母さんに抱きしめられながら、一息ついている間に、このかちゃんはふと想い出しようたに先生を見た。


 「ていうか、たかはな先生はいいんっすか?」 


 「ん? 私は、検診の時にでも、改めてもみくちゃにしてやるさ」


 「……勘弁してください」


 そう言うと、お母さんはようやく私の肩で、くすくす笑い出した。まあ、涙に声が滲んだ笑い声だけど。


 ただ、このかちゃんはきょとんとしたように首を傾げる。


 「いや、正直、完全に愛とか想いとかを理由にして引き留めちゃったんで。怒られるかと、……ほら言ってたじゃないですか愛とか想いは一過性だって」


 「あー……それは私も想ってた……」


 実際、数年後にこの想いがどうなってるかわからない以上、改めて先生にお尻を蹴られる覚悟はしてたわけだけど。


 ただ先生は少し不思議そうに首をかしげると、再びけらけらと笑い出すだけだった。


 「あー、あれはな。恋とか想い『だけ』を頼りにして妄信してる奴への戒めだから。一時的なよすがとして使う分には、別に構わないさ。もう君らはその想いを過信はしてないだろうし。それに、どんな一生のパートナーも初めは熱病のような恋から始まるものだよ」


 それから先生はそう言って、ポケットからキャンディーを出して口に含んだ。


 私とこのかちゃんは、ちょっと目を見合わせて、なんだそりゃって肩をすくめる。


 「「先生、一生のパートナーいないじゃん」」


 「はっはっは、うるせえ」


 そう言って、三人と、いや泣き止んだお母さんも合わせて四人で、くすくすと笑い合う。



 相変わらず問題は何も解決してない。



 私の身体は命の危機を常に抱えてて、それをこのかちゃんと分け合うことで延命してる。ただそれだけ。



 そこに至る罪悪感は尽きないけれど、今はまだこのかちゃんの言葉に手を引っ張られて、とりあえず踏みとどまってる。ただそれだけ。



 こうやって笑い合うことが、本当に正しいのかは結局何も―――。




 「あ、そうだ。言い損ねてたけど、ましろ。寿





 何も――――。







 何―――。






 な―。



 














 「「はぁぁぁっぁぁっぁ??????????」」



 え?



 「とりあえず、はいこれ」



 え? 何? 何言ってんのこの人?



 訳も分からないまま、このかちゃんと二人で呆然と口を開いていたら、ぱっと何かを手渡された。



 思わず大慌てで、お母さんの背中に手を回したまま、落とさないように受け取る。




 ふっと手に乗せられたのは、拭けば飛んでしまいそうな重さの―――。



 「……折り紙……ですか? …………花?」



 「そ、ましろ、前言ってたろ? 演奏した後に子どもから貰った折り紙が暖かかったって。一応、体温測るけど……まあ、0.2~0.3度は上がってるか。上出来だな」



 「え? え? ちょっと待って、追いつけない。何も追いつけてないです、私」



 言われる通り、手渡されたのは確かに折り紙、ただの変哲もない花の折り紙。だけど、確かに言われると少しどうしてか暖かいような…………。



 「理屈は……今のところわかってない。他のお手製の品ではあんまり効果がなかったから、丁寧に折る、想いを籠めるっていう行程が重要なのかね。対象への想いがどれくらいあればいいのかもわからんが。まあ、実際の所、効果が出てるんだから大丈夫だろ。粘膜接触みたいに、受け渡す側のリスクもほとんどないし。


 ―――っていうわけで、入っていいぞー」


 

 思考は整理できてない、何にも出来てないわけだけど。



 先生の声と同時に、ガラッと勢いよくドアが開いて、雪崩れる様に入り込んできたのはたくさんの看護師さん。今まで私が十年以上病院に通う中で関わってきたたくさんの人たち。



 え、どうして―――。



 なんて考えている間に。



 ばさって頭の上から何かをかけらた。



 たくさんの、軽いような、ちくちくしてるような。





 それでいて、どうしてか、あったかい―――ような。






 慌てて少しお母さんに抱き着いたまま目を閉じて。



 眼を開いた私の視界に飛び込んできたのは。






 たくさんの――――。




 溢れるほどの――――。




 色とりどりの―――――。




 一つ一つ丁寧に折られた――――――。








 折り紙の―――花束。






 「というわけで、看護師一同に加えて、ましろさんの知人一同で作った折り紙の花束でーす!!」


 「ましろちゃんのこと知ってる、もう転勤したり、退職した看護師や先生にも声かけて目一杯集めてきましたー!!」


 「しかもね、ましろさんの同僚や知人、音楽関係のころの知り合いさんにも声かけて集めてきたよ!! 大変だった!!」


 「折りたたんだ紙の中に、それぞれメッセージも入っているから、できたら読んでね―――!!」




 そんな声に包まれて。



 触れる折り紙の花は全部どこかしら温かくって。



 え、こんなことで?



 たったこれだけのことで、今まで悩んでた全部?



 こんな、こんな。



 こんな簡単に幸せになっていいの?



 全部諦めたはずなのに。



 それなのに。



 こんなに、こんなにたくさんの、たくさんの想いを貰って―――。



 ほんとにいいの?



 わからない、何もわからない。



 でもたくさんの人と声と花束に埋め尽くされる中。



 私はただ茫然と何かを零していて。



 それを感じとったお母さんに、ただぎゅっと包まれるように抱きしめられていた。



 













 ※


 「ねえ、たかはな先生。もっと前に、これ言ってればよかったんじゃないっすか?」


 「うーん……。でもな、結局これも対処療法だ。あの花束がどれだけ持つか、常にあれだけの想いを集められるか。色々と課題は山積みだよ。まあ、ましろの場合は、ピアノのファンがそこそこいるから、集めるのは意外と簡単かもしれないがね。それに―――」


 「それに?」


 「どれだけ療法を積み重ねても、肝心のましろが生きようとする前提じゃないと意味がない」

 

 「………………」


 「仮に私が世界一の名医でも、生きる意志のない患者は救えない。どんな良薬を処方しても、どんな名手術を施しても、あの子の心が、自分が生きること認められなければ、いずれどこかで限界が来る」


 「………………」


 「だから、ありがとう。このか、本当にね」


 「…………どもです」


 「……昔どこかの偉い先生が言ってたが、幸せは諦めを経ることでしか得られないそうだ」


 「…………」


 「ましろが誰も犠牲にしないという信念を諦めて、誰にも嫌われたくないというエゴを諦めて、―――そして、何より死ぬことを諦めたから。私達はこうやって手を伸ばすことができたんだよ」


 「………………壮大っすね。私、もうちょっと軽く考えてたんですけど」


 「……それでいいさ、気楽に生きな。長い人生だ、ゆっくりゆっくり何でもない日を積み重ねていけばいい」


 「なるほど、ま、飽きるまでは頑張ります」


 「ああ、それくらいでいい。―――それくらいがいい」



 そんなことを騒ぎの輪から少し離れたところで二人ぼやいてた。



 雪のように降り注ぐ、折り紙の花の中。



 溢れるほどに降り注ぐ、たくさんの人の想いの中。



 泣きながら、困惑しながら、まだ信じられないような顔をするましろさんを眺めながら。



 こっそり、ふっと微笑んだ。



 それから、そっとあなたに向かって歩み寄った。



 あなたは私を見ると、ちょっと助けを求めるように手を広げて。



 あなたと一緒に抱き締め合っていたお母さんまで、一緒に手を広げてて。



 笑いながら、沢山の人に見守られながら、その手の中に飛び込んだ。



 何でもない今の瞬間を、大事に大事に味わいながら。

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