第一二編
パワハラ夫にざまぁ
「離婚するだと⁉」
「ええ、その通りよ。あたしはもう決めたの。これ以上、あなたの横暴に我慢したりしない。もう二度と、誰かのオモチャになったりしないってね」
あたしは堂々と胸を反らして言ってやった。
思いっきり挑戦的な表情を浮かべて。
目をつりあげ、髪を振り乱して汗を流しているその表情はまるで鬼みたいだったけど……いまのあたしには、ただただ滑稽なものにしか見えなかった。
「ふざけるな! お前みたいな高校にも行ってなくて、かわいくもない女がひとりでなんて生きていけるわけないだろ!」
でも、おあいにく。もう、あんたなんか怖くないわ。あたしはもう決めたんだから。あんたと別れて今度こそ自分の人生を生きるんだって。そう覚悟を決めたからにはもう怖いものなんてない。それに――。
助けてくれる人だっている。
あたしは、あんなに
「『お前』なんて呼ばないで。あたしには
あたしはあえて、結婚前のもともとの名前を名乗ってやった。もう、こいつの妻じゃないんだから『
あたしはつづけて言ってやった。
「ええ、その通りね。あたしは家が貧しくて高校にも行けなかった。中学を出てコンビニバイトで暮らすのが精一杯。一生、結婚もできないし、子供も産めない。ずっとずっと社会の底辺を這いずって生きていくしかない。そう思っていた。だから、店の常連客でエリート会社員のあなたにプロポーズされたときは嬉しかった。天にものぼる心地だった。これでもうお金に困らずにすむ。人並みの暮らしができる。そう思ったわ」
あたしの言葉に、
「なんだ。わかってるんじゃないか。そうさ。お前は、おれのおかげでまともな暮らしができてるんだ。おれと別れたら、お前なんてなんの価値もない。せいぜい、ろくでもない男たちに体を売って稼ぐぐらいしかない。それだってお前みたいなブス、まともな客に相手にされるわけがない。おれと別れたらお前なんて一生、世の中の底辺を這いずってみじめに生きていくことしかできないんだ!
それがわかっているなら二度と生意気、抜かすな! いままで通り、おとなしくおれに従え。おれの言うことにはなんでも『はい』って答えて、言いなりになっていればいいんだ! そうしていれば、これからも人並みの生活をさせてやる」
そう思っているんだろう。
でも、おあいにく。あたしはもう、あんたのペットじゃないの。
あたしは
「でも、それがまちがいだった。相談に乗ってくれた人にもはっきり言われたわ。
『他人に頼って、幸せにしてもらおうと思ったのがそもそものまちがいだ。自分を幸せにできるのは自分しかいない』ってね。
本当、その通りだったわ。あんたは妻や恋人がほしかったんじゃない。ただ、自分のストレスをぶつけられるオモチャがほしかっただけ。だから、あたしに目をつけた。学歴も特技もなければ、美人でもない。そんな小娘なら自分に逆らえるはずがない。いくらでもオモチャとして扱ってやれる。そう思っていたんでしょう。
そんなこともわからずに、大喜びで結婚したあたしがバカだったわ。本当、反省してる。だから、慰謝料は請求しないであげる。この一年、あんたがあたしに投げつけてきた暴言と暴力を考えたら全財産ふんだくってやってもいいぐらいだけど、自分のバカさかげんの代償として納得しておくわ。
でも、だからこそ決めたの。今度こそ、他人に幸せにしてもらうんじゃない。自分の力で幸せをつかみとるんだってね」
「ふん。ずいぶんと偉そうなことを言うようになったじゃないか。中卒の能なしの分際で。お前なんか誰が相手にするものか。就職も結婚もできやしない。おれからはなれたらたちまち飢え死にだぞ。自分の甘さを思い知って、おれのもとに帰ってきて、泣きつくことになるんだ。
『あたしがバカでした。もう一度、お世話してください』ってな。
どうせ、そうなるんだからいまのうちに謝っておけ。そうしたら許してやる。おれは強くて優しい男だからな。いままでどおり、おれの言うことに従うなら養ってやる」
「偉そうなのはそっちじゃない。よくもまあ、そんなにふんぞり返って、ろくでもないことばかり言えるものね。あたしがあんたの母親だったら恥ずかしくて死んじゃうわ」
「なんだと⁉」
「ずいぶんと、あたしのことをバカにしてくれてるみたいだけどね。でも、おあいにく。ちゃんとあてはあるの。プロ嫁として契約したんだから」
「プロ嫁だと? なんだ、それは」
「あたしみたいな貧困女子とキャリア系のシングルマザーを結びつける制度よ。あたしたちには学歴も収入もない。でも、労働力を提供することはできる。キャリア系のシングルマザーは地位と収入はあるけど家事や育児といった役割を分担してくれる人を必要としている。
だから、お互いに契約して住み込みの家政婦として働く。その間に仕事について教えてもらい、社会に出る準備をする。仕事先の人とも出会えるし、就職先も紹介してもらえる。そういう制度よ」
あたしの言葉に
「そんな都合のいい制度があるもんか。詐欺に決まってる。だまされてるんだよ。お前みたいなバカな女はカモにするにはピッタリだからな。そんなものを信じて、のこのこ出かけていったら骨の髄までしゃぶられるぞ」
「詐欺なんかじゃないわ。契約相手にはもう会っているし、その人の会社にも行った。その人はいままでにふたりのプロ嫁と契約していて、そのふたりとも会って話を聞いてきたわ。ふたりとも、あたしと似た境遇だったけど、いまではちゃんと正社員として会社に勤めて自分の足で人生を歩いている。それを見てわかったの。あたしにだって同じことができる。ただ、最初の一歩を踏み出す勇気さえあればいいんだってね」
「この……!」
今日からはちがう。
いまのあたしには勇気がある。
これまでに出会った何人もの人から勇気をもらってきたんだから。
無力な女相手に威張り散らすことしかできない卑怯者なんか、二度と怖がるもんか!
あたしが怯えないのを見て
「この恩知らず! 裏切りもの! 誰のおかげでこの一年、働きもせずに食っちゃ寝していられたと思ってるんだ⁉ おれが養ってやっていたおかげなんだぞ!」
「なに威張ってるのよ。あたしが自分からはなれられないように、経済力を奪っただけでしょ。第一、あたしはこの一年、家の仕事をちゃんとしてきた。あたしがやって来たこと全部、家政婦を頼んでやってもらったらいったいいくらの出費になるか、思い知るといいわ。あたしは離婚して出ていくんだからいい機会でしょ」
「そんなことは許さないぞ! おれは離婚なんて絶対に認めないからな。お前はずっとおれのものでいるんだ!」
「いいえ。離婚してもらうわ。言ったとおり、この一年間のことを問題にする気はないし、慰謝料を請求するもつもりもない。おとなしく離婚に応じるなら、それ以外はなにも要求しないであげるわ。でも、子どもみたいに駄々をこねるようなら裁判沙汰よ。こっちこそ骨の髄までしゃぶり尽くしてやるわ」
「この……!」
今後こそ――。
――ざまあみなさい。
あたしは心のなかで勝ち誇った。
――これで、あんたは終わりよ。
あたしが内心でほくそ笑んだそのとき――。
「そこまでだ」
その声と共に、その人は表れた。とくに目立つ外見ではないけれど、そのなかに狂気染みた危険な気配を感じさせる男の人。
「な、なんだ、お前は⁉ ここはおれの家だぞ! なにを勝手に……」
それは、厳しい表情を浮かべた制服姿の女性警官だった。
「け、警官……」
さすがに、自分がいかにマズい状況に追い込まれたかわかったんだろう。
いい気味だわ。せいぜい、今後の自分の運命に怯えるがいいのよ。
そんな
「地球進化史上最強の知性。またの名を
その名乗りに――。
一瞬、場が静まりかえった。
……いや、まあ、あたしも正直、この趣味はどうかと思うんだけどね。
わかってやっているんだと思いたい。
そう……だよね?
本気じゃないよね?
でも、とにかく、
「お前が
「普通ならば、暴行の現行犯で逮捕するところだ。だが、そんなことは
その視線、はっきり言って夜に生きるダークヒーローそのもの。もう、まちがいなくハリウッド映画で主役を張れる。いったい、どんな人生を送ってきたらこんな迫力をもてるのか想像もつかないけど……とにかく、普通の人じゃない。
「このまま逮捕だ。なんなら、もっと効果的な『おとなの解決方法』も用意してあるがな」
「お、おとなの解決方法だと……」
その言葉の不吉な響きに
無理もないわよね。あたしだって怖くなったぐらいなんだから。でも、
「……そうか。わかったぞ。お前、
その叫びに――。
「やかましい」
「な、なに……?」
「お前のたわごとにつきあう趣味はない。お前に選べるのは、おとなしく離婚に応じるか、それとも逮捕されるかだ。もし、浮気として訴えるというのであればそれは、この
その一言で――。
勝負はついた。
こうして、あたしは晴れて
いまでは、プロ嫁として元気に暮らしている。
契約相手の
息子の
とにかく、あたしはいま、
それに、生意気ではあっても意地悪じゃないし、家事の手伝いもしてくれる良い子だしね。
そして、あたしは、家事と
「挨拶は忘れないこと! 挨拶はすべての基本よ!」
「会った人の顔と名前は一度で覚えなさい。人の顔と名前を覚えるのが苦手なら、頂いた名刺の裏に特徴を書き込んでおきなさい」
「さっきの電話の応対はなに⁉ 社会人として常識あるしゃべり方もできないの? 社会人としてやっていくつもりなら、正しいしゃべり方を身につけなさい!」
「なに、この文章? なにが言いたいのかわからない文章をダラダラと読んでいられるほど暇じゃないの。文章は常に結論から書く。説明はそのあと。それを徹底しなさい!」
……こんな感じで、仕事以前の社会人としての基礎のきそから徹底的に叩き込まれている。普通に会社勤めしている人にとっては本当にただの常識なんだろうけど、コンビニバイトしかしたことのないあたしには、はじめてのことだらけ。とまどうことも多いし、うまくできないことはもっと多い。
ときには、
あたしはそれが楽しい。
充実している。
それに、お給料だってちゃんと出るしね。
でも、ここではちがう。
「はい、今月分。いつも、よくがんばってくれてるわね。ありがとう」
そう言って、優しく微笑みながら渡してくれるのだ。
そうして渡されるお金の重み。
その嬉しいこと!
自分の足で立っている。
自分の力で生きている。
そう実感できる。
こうして、仕事を覚えていけば、成果次第で正社員として採用されることもあるって言うんだからますますがんばろうって思える。
秘密だけど、とっておきの楽しみもあるしね。
そのせいか、
「戻ってきてくれ、謝るから!」
って、悲鳴染みたメールがしょっちゅう来る。
『おとなの解決法』の一言がよほど効いているのかあたしの前に直接、表れることはないけどメールはしょっちゅう。ブロックすることもできるけど、泣き言を言ってくるのがおもしろくてそのままにしている。もちろん、
「もう遅い」
ニンマリ笑って、そう言いながらスマホをしまったそのとき、チャイムが鳴った。
「は~い!」
って、あたしは喜び勇んで玄関に向かう。鍵を開いてドアを開け、
「お帰りなさい、
「ただいま~、
って、まるでふにゃふにゃの軟体動物みたいになった
見た目はいかにも『バリバリのキャリアウーマン』っていう感じの
あたしは、そんな
そのときの
「ああ~。
そう言って、おいしそうに食べてくれるのが本当に嬉しい。
そして、なにより、このあとにはとっておきの楽しみが……。
ケーキを前にした小さい女の子みたいに、嬉しそうに夜食を食べ終えると
「
「はいはい」
って、あたしは床に座り、膝枕しながら
「ああ、
って、
これが、
――あたしの前のふたりのプロ嫁さんも、
そう思って、心のなかで嫉妬の炎がメラメラ燃え出しちゃうぐらい。
プロ嫁の契約期間は三年だけど……その間に、イケない愛に走ってしまいそう。聞いたところによると、
そう。この三年の間にちゃんと実力を身につけて、就職して、一人前のおとなになって、今後こそ自分の足で歩いてみせる。そうしたら――。
それが、いまのあたしの目標。
ざまぁ回だけ並べちゃいました 藍条森也 @1316826612
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