空気を読むことを強要する言葉は苦手だ
西しまこ
「ヤバい!」とはどのような意味なのだろう?
何でもかんでも「ヤバい」と言う。
「ヤバい」は万能語のように使われる。
「ねえ、転スラの第三期、ヤバいよね?」
例えば、こう言われたとき、わたしの脳内はいろいろな感情が駆け巡る。
転スラの第三期をいいと思っているのだろうか? それとも悪いと思っているのだろうか? わたしは正直、絵柄もエンディングも微妙だと思った。なんとなく雑な感じがする。特にエンディングのあれは誰だっ!? 漫画の方がおもしろいじゃないか! あ、でも、なんとなくこれは「いいよね、すっごくおもしろいよね」って言っているような気がする。
……ああ、どう反応すればいいのだろう……!!
その人と親しくない場合、わたしはこのように困る。
親しい場合は、「そのヤバいってどういう意味?」と訊いてしまう。むろん、訊ける相手なんて、ごく少数だ。大半は訊けない。
すると、わたしは曖昧に笑ってやり過ごす。
曖昧に笑っているうちに、相手が何事か言う。
それを聞いてから反応すればいい。
だけど、話がそこで終わりの場合、わたしは「返事をしなかった人」の烙印を押される。
たぶん、正解は「そうだね、ヤバいよね!」と返すことなのだ。
しかしわたしはどうしても、そういうふうに「ヤバい」を使えない。わたしはわたしが使える語彙でしか会話が出来ないのである。例えば、この間短歌のお題としてXで流れてきた「メタ」という言葉も、意味は理解出来ているが、未だ「使えない」語彙に分類されている。
わたしが「ヤバい」を使う場合、それは「よくない」という意味に限定される。「よくない、まずい場合」だけだ。ゆえに、「ヤバいよね」に対してむやみに「ヤバいね!」と賛同はしない。
そして、相手の「ヤバい」がどういう意味での「ヤバい」かも知りたいので、「そうだね。あんまりおもしろくないよね」とか「そうだね。すごくおもしろね」とか、別の言葉で言い換えて答えることもしている。しかし、相手との心理的距離が遠い場合、変に違う回答をするのもめんどくさいので、相手の真意を確かめるような返しもしたくない。ゆえに、とりあえず笑うのである。
わたしは心理的距離が遠い相手と議論出来るほど、若くないのである。
人間関係において「完全に分かり合える」という幻想を捨て去るほどには老成している。そして「完全に分かり合えることなどない」と思っているからこそ、出来るだけ丁寧に言葉を使い、出来るだけ正確に相手に気持ちを伝えたいとも思っている。
だから「ヤバい」一語で、あらゆることを表すような会話は、実に苦手なのである。スタバでコーヒーを飲んでいると、隣のグループが「ヤバい」「超〇〇」「無理」「きっしょ」「ウケる」「エグい」あたりで、会話していてここは異世界かと思う。わたしはあの中に入っていけないのである。どうしても。
「言葉の消失と感情の平板化」https://kakuyomu.jp/works/16818093085514939790へのコメントに平安貴族は「『をかし』と『あはれ』を多用していたと聞きます」とのコメントをいただいた(ありがとうございます!)。そう、確かにそうだ。『枕草子』はすぐに「をかし」で締めくくる。
しかし、どうして「をかし」なのかきちんと説明している。「春は明け方がいいわ。だんだん白んでいく山際がちょっと明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのが、いい感じ」みたいに。
今の「ヤバい」は、「ヤバい」一語だけなのである。そこに係る修飾語は存在しない。前述した「超〇〇」も「無理」も「きっしょ」も「ウケる」も「エグい」もそう。みんな、単語で会話している。驚きである。
そこに存在するのは、空気を読んで、曖昧で幅広い意味で使用される語句の応酬であって、細やかな感情の動きは存在しない。曖昧で揺らぎがあり、でも誰もそれを特定しようなどとは思っていない。どのような意味の「ヤバい」なのかはどうでもいいのである。そこで、笑いながら「ヤバい」と言い合えればいいのである。誰一人、「正確にはどう思っているか」などとは考えていない。なんとなく楽しければいいのである。そして相手に同調できればいいのである。……少なくとも、わたしの目にはそのように映る。
わたしは空気が読めないし、だから空気を読むことを強要する言語は苦手だ。
もっときちんと言葉で説明してよ、と思う。
だけど最近の言語はどうも「雰囲気で、空気を読んで会話するもの」が多いように感じる。そしてその言葉が同時に同調圧力を生んでいるようにも見える。
どうもその中に入り込むことが出来ない。
だからわたしはいつも曖昧に微笑むのである。
了
空気を読むことを強要する言葉は苦手だ 西しまこ @nishi-shima
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