終末世界を、理由もなくサソリと

林きつね

終末世界を、理由もなくサソリと

「あ、サソリだ。なんでこんなところに。ここ砂漠でもないのに」


 砂漠でなくともサソリはいるぞ、という言葉を飲み込んだ。なにせこの子は中学校を卒業していない。つまり、義務教育を終えてない。

 多少の知識不足には目をつぶるべきだろう。


「おい、ツノ」


 呼びかける。ツノはこちらを向いて「どしたの、兄ちゃん」と笑いかける。俺は言葉ではなく顎を使ってもう行くぞ、と示した。

 俺が歩き始めると、ツノも横に並んでくる。


「……っておい待て、なんだそれは」


 とてとてと俺の横を歩くツノは、体の前に掲げた腕の上にサソリを乗せていた。

 乗せられたサソリはシッポと腕を振り上げてカチカチと威嚇の姿勢をとっている。


「直ぐに捨てなさい」

「嫌だ」

「危険だ」

「大丈夫」

「大丈夫じゃない」

「この子、大人しいよ」

「めちゃくちゃ威嚇してるじゃねえか」

「喜んでるんだよ」

「お前にサソリのなにがわかる」

「ガレキはもうわたしの友達になったの」

「サソリと友達になんてなれ……なんだって?」


「ね、わたしたち友達だよね、ガレキ」とサソリに話しかけるツノ。あ、撫でた。

 そして驚くことに、ツノに撫でられたサソリは爪とシッポをゆっくり下ろした。


「腕疲れた」


 とそう言ってツノはサソリを頭の上へ乗せる。サソリは少しだけ身動ぎして、そのままツノの癖毛の中に大人しく収まった。


「3人になった、ね」

「2人と1匹だろ」


 俺たち二人は孤独だ。俺とツノは従兄妹同士。たまたま世界が終わった日、たまたま二人一緒にいて、たまたま二人生き残った。

 なにが起こったのかはわからない。あの日、全ての人々は消え去り全ての建物は崩れ、テレビもラジオも当然ネットも動かなくなった。

 地球は瓦礫の星になった。けれど海はそのままだったから、きっとまだ宇宙から見たら青いのだろう。

 なにもわからないまま地球が終わったあの日から、俺とツノはたった二人で旅を続けている。生きている人間に出会ったことは一度もない。

 そして今、サソリと出会った。


「そのサソリ……」

「ガレキ、だよ。ガレキの下にいたからガレキ。そう呼んであげて。兄ちゃんがわたしのことツノって呼ぶみたいに」

「……」


 そういえばツノは、名前で呼ばれないことに関しては唯一明確に怒りを顕にするのだった。

 俺がまだ小学生ぐらいだった頃、3つほどしか変わらない親戚の女の子の相手が恥ずかしくて、『お前』だの『おい』だの呼び続けて、とんでもなく泣かれたことを思い出した。

 そのくせ俺のことは名前で呼ばない。


「サソ……そいつ、ガレキってなにを食べるんだ」

「わからない。わたし達の明日のご飯もどこにあるかわからないのにね」

「それがわかってるなら……」


 と、その続きを言おうとして口をつぐむ。正論を言うことが正しいわけじゃない。ましてや世界が滅んでしまっているのならなおさらだ。

 なぜ世界は滅んでしまったのか、一体何が起こったのか。そんなことを解明しようとは思わない。

 俺はただ、俺とツノが安心して生きていけるような場所を見つけるために旅をしている。


「さあ、ガレキ! わたし達3人でこの世界の謎を解き明かすの!」


 ツノは、違うようだ。


「あのなあ、ツノいつも言っているだろう。そんなたいそうな目標を掲げたって俺たちはなにも出来ないんだ。今までだって運良く、それこそ無数の瓦礫の下から僅かな食料が出てきたから生き残っているにすぎない。俺たちはまず、生きるための保証を探さなければならないんだ」

「いつも言い返しているけど、この世界がなんで滅んだかそういう謎を解き明かせばきっとわたし達の安全は保証されるよ」

「それは理想論だ。ツノ、お前はもっと絵本より教科書を読むべきだったんだ。だからこんな状況でも現実が見えていない」

「あ、見て。あそこ凄いよ。残骸が山みたいだ。兄ちゃん、きっとあそこはショップモールかなにかだったんだよ。食べ物が……残ってるかもしれないね」


 とツノは走り出す。どんな危険があるのかもわからない荒れた道を。

 ツノの頭に乗っかったままのサソリ……ガレキは振り落とされそうになりながらも器用にハサミをツノの髪の毛に引っ掛けて落ちないようにしている。健気だ。不覚にも少し可愛いと思ってしまった。


「おい、ツノ!」


 追いかける。歩みは遅いがツノは瓦礫の山を軽やかな足取りで進んでいく。

 慣れたものだ。数ヶ月前までは家の外にさえ出なかった奴が。


「ツノ、ツノー!」

「おーい、兄ちゃんこっちこっちー!」


 ツノが手を振っている。ツノの頭の上から落ちまいとするガレキはハサミを大きく振り回している。見ようによっては、まるで俺に手を振っているようだった。


 足元に気をつけながら歩みを進める。

 ツノがあんなにも明るくなったのは、世界が滅んだその日からだった。


『ねえ兄ちゃん、もし本当に世界から誰もいなくなったのならさ、私はもう孤独じゃないんだよね?』


 一瞬にして崩れ去った一軒家から二人で這い出た後、ツノが口にした言葉がそれだった。

 それまで俺は、数える程しかツノの喋った声を聞いたことがなかった。けれどその日からツノは明るくなった。

 突然世界が滅んだおかげで、ツノは外され続けた人の輪というものが消えた。

 小学校・中学校とツノが属すのに失敗し続けた集団というものが消え去った。

 きっと世界が滅んだことは、ツノにとってはなによりの幸福だったのだろう。

 ツノはいま無邪気な子供のように、滅びた世界を楽しんでいる。


「はーやーくー!」


 急かされて、一人と一匹の元へと急ぐ。ツノは瓦礫の山の上にある、ブルーシートを手で持って、もう片方の空いた手で俺に手を振っている。


「待て、なんだそれは」


 ブルーシート? こんな瓦礫の上に? 人が消え、建物は崩れ、物は消えてなくなっている。

 そんな世界で、一枚のブルーシートがあんな場所に綺麗に残っているだなんて有り得るのか?

 ……まさか、人為的に?


 そう思った瞬間、足に力が入る。俺はツノほど身軽ではないから、3回ほど足を取られそうになったが、なんとかたどり着いた。


「大っ発見〜」


 そう言って飛び跳ねるツノの足元には、少量の缶詰と、一枚の紙。


「あっ」


 飛び跳ねるツノの頭から、ついにガレキが落ちた。器用に着地をすると、ハサミをカチャカチャと動かしながら積み上げられている缶詰の上に乗った。

 ひとまず、ガレキの乗っていない缶詰を手に取って確認してみる。


「えーっと、魚に果物、肉まである……。しかも未開封で。一体誰が……」

「えーっと、"私は北へ向かう。もしまだこの世界で生きている人間がいるのならば、是非これを糧に進んで欲しい。あなたは一人じゃない" だってさ」


 いつの間にか、ツノが紙を拾って書かれている内容を読み上げていた。


「驚いたなツノ、そこまで漢字が読めたのか」

「ふりがながついてた」

「そうか。配慮の行き届いた生き残りだな」


 缶詰の上では、ガレキが缶を相手に爪とシッポを懸命に立てている。

 けれど缶が開くことはない。


「サソリって、缶つま食えるのか」


 そんな俺の孤独な問いに対する返答は、この寂しい世界ではどこからもなかった。

 ツノは手紙を読み終えて、その手紙を真っ直ぐに見つめたまま、固まっている。何かを考えているのか、考えていないのか、まるで生きていない彫像のように固まっていた。

 俺はツノの頭にポンと手を置く。あんな小さな虫には決して出せない温かみのある手で、小さなツノの頭を包み、そのまま動かし撫でる。

 ツノは言葉こそ発さなかったが、目をぱちくりとさせて俺を見た。


「なあに、兄ちゃん」


 俺は、言葉を選ばずに聞いた。


「なあ、ツノ。残念か? ……生き残りがいて、残念か?」


 俺はいま、泣きそうになっている。わけのわからないまま滅んでしまった世界で、俺たち以外の全てが消えてしまったかのようなこの世界で、まだ生きている人がいるという事実に。

 けれど、ツノは違うかもしれない。営みに苦しめられてきたこいつにとっては……。

 ツノはゆっくりと俺の手を掴み下ろして、そのまま握る。

 そして答えた。


「ううん、嬉しいよ。ねえ、兄ちゃん。兄ちゃんはなにか勘違いしているだろうけど、わたしは別に世界が憎いんじゃないよ。むしろ愛おしい。滅んじゃって悲しいんだよ。だからわたしは兄ちゃんと旅を続けているし、せっかくだからすべての真相を解き明かしたいとさえ思っている」


 ツノは手を伸ばす。手を向けられたガレキは、そこを器用によじ登って、またツノの頭の上に納まった。


「この子の仲間も、どこかにいるのかもしれないね」

「……ああ、そうだな」

「ガレキはね、あんな暗いところに一匹でいたんだよ。暗いところが好きなのかもしれない。でも、わたし達と出会ってからはわたし達と離れようとしないんだ。……わたしも一緒だと思う」

「なにを言ってるのか、よくわからないな」


 俺はこれまでの人生でなまじ勉強をこなしてきた。だから、感傷に塗れたような言葉はよくわからない。


「……俺にも懐くのかコイツは」


 ゆっくりとツノの頭の上に、人差し指を伸ばした。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い」


 そのままゆっくりと爪で挟まれた。一通り大きい声を出して痛がると解放された。


「兄ちゃん、大丈夫? もしかしてポイズン?」

「いや、サソリの毒があるのはしっぽの方だ。やっぱり勉強不足だなお前は」


 なんとか強がりながら、挟まれた人差し指をさする。痛い。痛すぎる。

 怪我をしたらかかる病院もないんだぞここには。


「……わからないな。わからないよ俺には。寂しい奴らの気持ちなんて」

「――でも、兄ちゃんはわたし達と一緒にいてくれたじゃん」

「その出会ったばかりのサソリと過ごした覚えは俺にはないぞ」

「ガレキ、ね」

「ああ、そうだったな。……はぁ」


 ツノは少量の缶詰を抱えて歩き始める。

 終末世界で頭にサソリを乗せて缶詰を抱えて歩く少女、世が世なら映画にでもなりそうだ。

 その世がなくなってしまったのだが。


「ねえ、兄ちゃん」


 小さな背中越しに声が聞こえる。ガレキの曲がったシッポも見える。そういえば、サソリはなにを食べるんだっけ。

 俺も少し、勉強不足かもしれない。


「兄ちゃんはさ、なんでずっとあたしの傍にいてくれたの?」

「……理由なんてないよ。ただお前が親戚で、なんだか寂しそうで、俺は暇……余裕があったから、ただなんとなく、理由なんてない。そうこうしているうちに本当に俺たち2人きりになってしまっただけで」

「いまは3人だけどね」

「2人と1匹だ」


 すべてのことに理由はなく、ただ寂しい奴らが集まっただけ。

 これからも理由もなく増えるかもしれないし減るかもしれない。理由もなく世界がいきなり元通りになるかもしれない。


「……さっきの、あの手紙を残した奴も寂しいのかな」


 ポツリと俺らしくないことを言ってみる。歩みを止めないまま、ツノは答える。


「わからないけど、そっちの方がわたしはいいな」


 ツノに追いついて横に並ぶと、眩しいものを見るような笑顔をしていた。

 ガレキの方は、うん、よくわからない。

 とりあえず、北へ向かおうと思う。何もわからないままに、なにかが変わってしまうまで、北へ。北へ。

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