ハロウィン特別編 同僚がヴァンパイアだった件について

真衣 優夢

ハロウィンの夜に、小さな事件


 オレは朝霧 令一(あさぎり れいいち)。

 私立アヤザワ高等学校の生物教師だ。

 なりたくて教師になったわけじゃない。

 研究職を狙っての就職活動に軒並み失敗し、父親の伝手で縁故採用された。

 この高校の素晴らしいところは、専門の臨時職員が部活顧問のほとんどを担ってくれていて、教師が定時で帰れること。



「ハロウィンの起源は、古代ケルトの収穫祭なんだってね。

 今のアイルランドあたりかな。

 本来は、日本のお盆みたいなものだったらしいよ」



 紅茶の蒸らし時間をスマホタイマーでチェックしつつ、長身で無駄にイケメンの男がうんちくを語る。

 こいつは小宮山 桐生(こみやま きりゅう)。

 オレと同い年で、私立アヤザワ高等学校の国語教師だ。

 人づきあいの悪いオレと仲がいいのは、教員ではこいつくらいしかいない。

 教員以外では、……。

 オレは無駄な付き合いが嫌いなだけだ。



「盆とは似ても似つかんな。

 大の大人が仮装して乱痴気騒ぎする日だ。

 もはや『ジャパニーズハロウィン』と固有名詞化したほうがいい」


「楽しいことはいいことだと思うけど、怪我や喧嘩とかは、確かにね」



 桐生はタイマーを切り、丁寧にカップに紅茶を注いだ。

 甘い匂いがオレの自宅マンションに漂う。

 キャラメルティーという紅茶らしく、桐生談、茶葉の香りそのものが甘いとのこと。

 甘党のオレは、香りだけでは物足りないのでミルクも砂糖も入れるつもりだ。



 テーブルには、桐生が買ってきたハロウィンケーキ。

 茶葉とケーキ持参でハロウィンを祝いにくるとは、まったく、まめな奴だ。



「昨日は宿直お疲れ様、朝霧。

 ケーキで疲れを癒してね」


「ああ、遠慮なく。

 しかし、なぜ同じケーキなんだ?

 二つ買うなら、違う種類にすればよかったんじゃないか」



 マジパンのジャックランタンが乗った、可愛いパンプキンケーキ。

 買ってきてもらって文句があるわけではないが、この時期のケーキは多種多様のデコレーションがあると知っている。



「これ以外のケーキには全部、コウモリの形のチョコが乗ってて……」


「別にいいだろう」


「共食い感覚がします!」



 割と本気でNOサインを出している桐生に、オレは笑ってしまった。



 ヴァンパイア体質、というものがこの世に存在すると、ほとんどの人間は知らない。

 この体質持ちの人間が誇張されて、ホラーな吸血鬼が創作で出来上がったらしい。

 人間から生まれる劣性遺伝。基本的には人間だ。

 老いるし、病気になるし、一定以上の怪我であっさり死ぬ。

 身体能力が人間よりちょっと高い程度で、怪力とまではいかない。

 月に一回5cc、採血程度の血を摂取しなければ飢餓状態になる。ただの生きづらい体質だ。



「朝霧、ハッピーハロウィーン!」


「ハッピーハロウィン」



 桐生を生粋のヴァンパイアファンが見たら、烈火のごとく怒るだろう。

 どちらかというとヘタレ系の優男。ケーキを嬉しそうに食べ、紅茶に火傷しかかっているコレがヴァンパイアなのだから。

 ホラーでダークな雰囲気のヴァンパイアは、オレの前には存在しない。



 ケーキを口に運ぶ。うむ、美味しい。これは駅前のあの店で買ったな。

 美味い。これならもう一個くらい食べられる。



「僕のもいる?」


「お前のはお前が食べろ」



 すかさず拒否する。

 ヴァンパイア体質は、人間離れした部分もある。

 吸血という行為があるからか、食料をあまり必要としない。

 水分はいるが、食事をとらなくても生命維持が可能らしい。

 空腹は感じるらしいから、オレはいつも、無理やりにでも桐生に食事をとらせるようにしている。



 桐生は生まれてすぐに母を失い、父がおらず、養護施設で育った。

 自分の体質におびえ、自らに恐怖した。

 そんな精神状態で育った桐生は、誰かに優しくすることが当然で、見返りを求めず、自己犠牲を普通にやってしまう。

 オレは毎回それを察知し、不要な自己犠牲をすっぱり断つ。

 フィクションのヴァンパイアは俺様系だったり覇王系だったり、ふんぞり返っているイメージなんだがな……。



「暗くなってきたね」



 明日から11月。すっかり空気は冷え込んだ。

 日が落ちるのも早くなった。

 カーテンの隙間からわずかに月が見えて、風流だなと思った。

 ハロウィンに風流か。和洋折衷だな。



 桐生といると落ち着く。もう、六年も同じ職場で働いているせいか。

 互いに協力し合うのも、トラブルに対応するのも、二人で動くことが多い。

 ドラマのバディものに例えたいところだが、教師の仕事は地味だ。派手で格好いいことなんてひとつもない。



 オレのスマホが鳴った。

 名前が表示されているが、誰だこれは。記憶にない。

 とりあえず通話してみた。



『朝霧先生! よかった、電話つながった!

 助けて! ウサギちゃんが、ウサギちゃんが死んじゃう!!』



 生徒の声……?

 もしかして、幽霊顧問であるオレの部活、生物部の生徒か。

 オレはそっとスピーカーホンにし、桐生と内容を共有することにした。



「なにがあった。落ち着いて話せ」


『小屋の掃除してたら、ウサギちゃんが何匹か逃げちゃって、ほとんど捕まえたんだけど、一匹だけすごく逃げて、帰る子の自転車にぶつかって、血が、出てて』


「下手に動かすなよ。そっと寝かせるんだ。

 接触した自転車の側は無事か?」


『うん、ブレーキかけてくれたし、転ばなかったよ。

 その子も心配して横にいてくれてる。

 先生どうしよう、ウサギちゃんぐったりして、息してるけど苦しそうでっ』


「落ち着け。焦ってもどうにもならん。

 オレがすぐに行く。顧問が同伴すれば動物病院に連れていける。

 お前らは、安全な場所でウサギを見守っていろ。いいな」



 通話を置く。

 オレが桐生を見ると、桐生は無言で頷いた。



「悪いな桐生。車、出してもらえるか」


「緊急事態なのに遠慮はなしだよ」



 オレは車を持っていない。通勤には原付を使っている。

 維持費がかかるだけで無駄だと思っていたが、こういう時には車が頼りになる。

 桐生がうちにいてくれてよかった。

 ウサギと生徒を乗せて、動物病院に連れていける。



「最短距離を調べるね」



 スマホでマップ検索していた桐生の手がぴたりと止まった。

 桐生はベランダに近づき、カーテンをめくって外を確認し、青ざめた。



「朝霧……。

 車、無理だ」


「何故!?」


「ハロウィンの仮装が始まってる。

 ネットで、交通情報の注意喚起が出てるんだ。

 車道を仮装の人が歩いてて、車が動けなくなるみたい」



 ベランダから見える夜景は、普段の数倍は明るく見えた。

 オレンジやパープルのイルミネーション。人々が持つライトや仮装道具。

 祭りを制御する存在がいないから、奴らがどこに向かい、とこで集まるのかは想像もつかない。

 好き勝手に騒いで楽しみ始める、それが今夜。くるったモンスターパーティー。



「じゃあ、オレだけでも原付で」


「普段通ってる道が人で溢れてたら、安全運転する自信はある?」


「…………」



 オレは歯噛みした。

 なんで、よりによって今日なんだ。

 小動物はか弱い生き物だ。早く駆けつけて、容体を見て、動物病院に連れて行ってやらないと。

 人間の馬鹿騒ぎのせいで、助かる命が助からなくなるだろうが!



「ハロウィンなんぞクソ食らえだ、畜生!!

 オレが間に合わなかったらどうしてくれる!!」



 車も原付もダメなら、走るしかない。あるいはどこかで自転車でも借りられないか。

 オレは乱雑にコート掛けの上着をむしり取った。



「朝霧。待って」


「待てるか! 時間がないんだ!!」


「最速の手段がある。車より早いよ」


「何!?」



 振り返ったオレの目の前で、桐生はいきなり上着をすべて脱ぎ捨てた。引き締まった上半身を顕わにする。

 ただの教師にするにはもったいない、端正な肉体。

 その背に、ばさり、と黒い布のような両翼があらわれた。




 ヴァンパイアの翼……!



 ヴァンパイア体質には、大きく人間離れした部分もある。

 そのひとつがメタモルフォーゼだ。

 10cm程度のコウモリになれたり、こうやって、人間の姿で翼だけを出すことができる。



「僕が朝霧を抱えて屋上まで飛ぶよ。

 急ぎだから、靴はいたままでいこう。

 僕の服と荷物はお願い。

 部屋の電気は消して。明るいと丸見えだから」


「あ、ああ」



 桐生は地頭がいい。こういった緊急時の行動力は目を見張る。

 背中に翼が生えた人間など、見つかったらこいつは……

 いや。今日なら。今日だから。

 誤魔化せるかもしれないのか?



 手早く支度をし、桐生の服をリュックに詰め込むと、月だけの光に桐生が照らされていた。

 裸体の半身をさらし、ベルベットのような黒い皮膜が、呼吸に合わせてゆらゆら動いている。




「準備いいね?

 窓の鍵はかけられないけど、仕方ないよね。

 それじゃ、よいしょっ」


「うわあ!?」




 桐生は軽々とオレを抱き上げた。胸の前で。

 つまりはお姫様抱っこだ。

 何故って、背中に翼があるのだから、おんぶができない訳で。

 安定して抱えるにはこれしかない訳で。



「僕の首につかまって。全力でしがみついて。

 行くよ!」



 桐生は何の躊躇もなく、ベランダから飛び降りた。

 自由落下。内臓がひきつる感覚。

 し、死ぬ、落ちる落ちる落ち……!!



 ばさっ。



 風を切り裂き、黒い翼が闇に広がる。

 パラシュートを開いたように、落下速度は急速に緩まった。

 ばさり、ばさりと桐生が羽ばたくたびに、今度は上昇してゆく。



「うっ、うぐっ、胃が、回転、っ……!

 桐生っ! 上下揺れ、激し……!

 気持ち悪っ、は、吐く!

 このヘタクソ! もっとしっかり飛べ!」


「そんなこと言われたって!

 人間ひとりの体重プラスで飛ぶの初めてだから!

 高度が安定しなくて、今、必死で上昇してる。

 もう少し上に行ったら風にのれる、それまで我慢して」



 初めて、とか。おい。

 ダイブの瞬間に失敗していたら、こいつはオレと投身自殺する気だったのか。

 ああダメだ。考えられない、頭が揺さぶられてグラグラする……!



 突如。

 ふわっと自分の体重が消えたような感覚がした。

 かたく閉じていた目を開いてみる。



 空を飛んでいた。

 桐生の翼は風にうまく乗り、ハンググライダーのように大きく広げられている。

 月夜に空を飛ぶヴァンパイア。

 なんて幻想的で、きれいなんだろう。




 はるか眼下に夜景が見えた。知らないうちに高度が上がっている。オレたちを目視できるものはいないだろう。

 さっきまで、祭り共々呪われろと思っていた馬鹿騒ぎが遠く、小さく見えた。

 きらきらしている。街が輝いている。

 今日という夜を遊ぶ光たち。



「ライトアップすごいね。さすがハロウィンナイト。

 たまにひとりで飛ぶけど、こんな綺麗な景色、なかなか見れないな」


「そうか」




 桐生は夜、たまに飛ぶんだなと思った。

 ふと顔を上げると、桐生の顔が近かった。

 離れたら落下する。しがみつくしかない。半裸の桐生に。

 なんだこの状態は!?!?



「朝霧どうしたの? 高いの怖い?」


「怖くないから急げ」



 お前はずるいな。

 顔も身長も、なにもかも完璧なのに。

 オレのほうがすべて劣っているのに。

 そうやって平気そうに、普段通りに微笑んでいるのだから。



「そろそろだ、降りるよ。覚悟決めて!」



 叫んだと同時、再び桐生は急降下した。

 ヒモ無しバンジージャンプ状態……!!

 桐生、人間の三半規管は、そこまで丈夫じゃ、ない……。



 着地前に数回羽ばたき、桐生は緩やかに屋上へ降り立った。

 へろへろ、とよろめくオレを桐生が支える。

 桐生はオレと、こつんと額を合わせた。



「移動に10分もかかってない。ウサギさん、きっと助かる。

 しっかりして朝霧。もう足は地面にある。

 これからが本番だ。

 せっかく一緒に来たんだし、僕もサポートするからね」



 桐生が笑う。

 一瞬でオレに、ここへ来た理由の全てを思い出させてくれる笑顔。



「行くぞ、桐生。

 早く上着を着ろ。今のままだと変態だ」


「うん、リュック借りるね……へっくちん!

 夜風、寒かった。さすがに半裸は堪えたなあ」


「お前、ヴァンパイアだから平気だろ」


「平気だけど、ちょっとは心配してよ!?」




 ウサギ一羽の命はぎりぎり助かった。

 ヴァンパイアの唾液には治癒効果がある。

 生徒に隠れながら摂取し、ウサギにスポイトで飲ませたことで、内臓損傷が多少は癒えたらしかった。

 動物病院で手術になったが、後遺症が残ることはないと言われ、生徒もオレも桐生も胸をなでおろした。

 自転車でウサギを轢いてしまった生徒は号泣していた。

 ウサギの命だけでなく、人間の心も救われた。



「その子、朝霧の家で世話するの?」


「ああ。包帯や傷跡は、他のウサギに警戒されて攻撃されることがある。

 元気になったら飼育小屋に戻すつもりだ」



 動物病院で買ったケージで眠るウサギを抱え、オレは小声で「ありがとう」と告げた。

 桐生の耳には届いていたようだ。桐生がにっこり笑う。



「ヴァンパイアでよかった、って思う時もあるんだね。

 しかも、ハロウィンの夜になんて。

 なんだか可笑しいよ」


「それはただの体質だ。お前は人間だ。

 体質が役に立つことくらい、あってもいいんじゃないか」



 ハロウィンの夜は更け、どんどん騒ぎが激しくなった。

 ウサギのケージにブランケットをかけ、人の少ない道を選んで、オレたちは並んで帰った。



 今宵はハロウィン。化け物達が踊る夜。

 オレたちは、祭りの灯りに背を向けて歩く。




 オレと桐生は、これからもずっと、人間の側を歩いていくのだから。






   おわり

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