真実の愛
ずっと、この一撃に賭けてきた。
生まれた瞬間から憎まれていた。命を狙われ続けてきた。
彼女の悲嘆は理解できる。婚約者として愛し慕った男に裏切られた。
名門侯爵家に生まれ、正妃として周囲に望まれ恋をした。
だが婚約者が愛したのは自分ではなく別の女だった。自分の家格の足元にも及ばぬ子爵家の娘。
婚約者は裏切りを真実の愛と呼び、女の物になるはずだった地位も名誉も取り上げ、愛する娘に与えた。
せめて側室……いや、愛妾で充分だ。性を処理するだけの存在として遇していれば女のプライドを守れたのに。
娘は正妃として迎え入れられ、女は男の側妃にされた。
予備の存在として扱われ、子を宿した。王家の血を引く予備の子が必要だったから。
そして男の最愛の娘は死んだ。空けることのできない正妃の座は、ようやく女のものになった。
娘は死んだが、男が女を愛することはなかった。
愛する娘が遺した子を男は愛した。女は一人で子を産んだ。
愛しい子。血の繋がった子。私と同じ、男に愛されない子。
なら私が愛そう。この子を次代の王にする。必ず。
娘に向けていた憎しみは残された子に向け、男へと向けていた愛をすべて我が子へと向ける――。
父王からの愛だけで彼は育った。
愛しい娘の忘れ形見と慈しまれた。おまえも愛しているよと可愛がられた。
だが、それが何になる?
父王以外、周囲のすべてが敵だった。実母の生家は正妃に怯え、何の役にも立たなかった。
異母弟は何故か彼を慕っているように見えた。だがその手は取れなかった。
近づけば正妃からの報復がある。近寄らないでくれと告げたが、伝わらなかった。
父と一緒だ。己が唯一正しいのだと信じている。
その後、彼が被る被害を考えず。
やがて父王が婚約者を定めた。彼に良かれとようやく選んだ後ろ盾。
顔合わせの瞬間から、無理だと理解した。
けっして彼を見ようとしない婚約者。最初から距離を取られ、彼女は異母弟へと近づいていった。
異母弟は、兄の婚約者と知りながら彼女に恋をした。
真実の愛だと、道ならぬ恋に落ちていく二人を放置した。
一線を超えたと伝えられた時には
ああ、やはり父王の子だ。二代続いて真実の愛に生きるとは。
真実の愛ならばすべてが許されると信じているとは。
だから彼は、セドリック・レイクウッドは、すべてが終わった後に義母に祝福の言葉を送った。
真実の愛だから当然なのだと、兄の婚約者を寝取ってみせた息子の所業を、
正妃殿下。
あなたの産んだ子はたしかに陛下の子でいらっしゃいます。
真実の愛に落ちたのだから許されると、異母兄の婚約者と関係を持った。
貴族子女ならば理性で身を慎むべき婚約期間中に誘い、純潔を散らしてみせた。
――本当に、あの陛下の子だ。
令嬢も神に誓った婚約者がいながら不貞を行った。
真実の愛が相手なら、婚約者などいないも同じと考えたのでしょうか。愛しあっている二人が結ばれることこそが、当然なのだと。
あなたの息子と義理の娘となる令嬢は同じ価値観を持つ、似合いの二人です。
彼らの真実の愛を、真実の愛で結ばれた二人を、どうぞ心から祝福してあげてください――。
「セディ様、こちらを」
執務室で書類を確認していたセドリックに、新しく側近筆頭となったヒューバートが入れたての紅茶を差し出した。
紅茶のカップの横に置かれた、一月遅れで王都から取り寄せている新聞。その折りたたまれた紙面の記事に付箋が貼られているのを見て取り、彼は金色の瞳を細める。
紅茶で唇を湿らせ、書類に構わず机の上に新聞を広げる。
記事はごく小さなものだった。
正妃殿下、療養のために王城を辞して、生家の侯爵領の保養施設に入る。
「……一月遅れの記事ですので、彼の方は既に侯爵領に戻られ、毒杯を
「託したイアンはやってくれたか」
「最後の御奉公だと申していましたから。
無理を重ねてくれた甲斐があり、先手が打てました」
役人と神官、元婚約者の公爵令嬢と異母弟がレイクウッドを訪れたあの日。
すべてのピースが用意できたセドリックは、行動に移った。
三枚の純潔判定紙と、セドリックが記した正妃宛ての親書を携え、イアンが王都へと向かう。
山を下りるまでは単騎馬を走らせ、麓の町に着けば休む間もなく待機していた車に乗り込む。昼夜休みを取ることなく、町ごとに新しい車に乗り継いで王都に到着したイアンは、まず新聞社に向かった。
王家の慶事を、匿名でリークする。
新しく王位継承者になった第二王子が、元第一王子の婚約者と真実の愛で結ばれ婚姻するだろうと。
父王と同じく真実の愛で結ばれた、祝福されるべき結婚だと。
何社もある新聞社や出版社は、リークを快く受け入れ記事にした。
王家の”真実の愛”は庶民に受けがいい。
現王と子爵令嬢のロマンスのように、王家は二代続けて真実の愛に生きるのだと絶賛し、祝福した。
記事の内容が広がってから、イアンは身を整えて王城に上がった。
世間には公表しないと誓約した証拠も添え、セドリックからの親書を手渡す。
そして、正妃は親書に目を通した。
「……彼の方は神の加護が無くなるということがどういうことが、ご理解されていませんでした。
ですから簡単に狂った」
戻ってきた第二王子と公爵令嬢に、『おまえたちもか!』と叫びながら短剣を手に襲い掛かったそうです。
呪いの言葉を吐きながら短剣をふるい、止めようとした陛下にも切りかかった。
「――それでおしまいです。
王に刃を向けた女が赦されるはずもない。
彼の方がセドリック様に対して結んだ魔法契約を破ったことも貴族間では知れ渡っていましたから、生家でさえ庇うことはしませんでした。
次に届く新聞には、正妃の訃報が載っていることでしょう」
「――アレクが読まなくてもいい記事だ。気づく前に処分してくれ」
「御意」
セドリックは、畳んだ新聞を脇に置いた。ヒューバートがすぐに回収する。
「イアンは?」
「レイクマウンテンの麓の町に戻りました。
今後は家族と共に、あちらでセディ様をお支えするとのことです」
本来、イアンの立場をもっと早く受け継ぐはずのヒューバートだった。
だがセドリックは彼に別の役割を振った。
ピンク色の髪の少年の側に置いて、守らせる。
正妃が彼の気持ちに気づいても対処できるように。少年にどんな困難が降りかかっても助ける者を配置した。
視線を執務室の大窓から見える外に向ける。
森へと続く広い庭で、ピンク色の髪の少年が白い仔竜の相手をしていた。
フリスビーと呼ぶ手製の小さな木皿を、空に放り投げている。
回転しながら浮くように飛ぶ皿を、仔竜が飛んで近づき、口でキャッチして戻る。
飽きないらしく、少年と仔竜は笑いながらフリスビーで遊び続けていた。
その様子を眺めながら、セドリックは自分の口元が緩むのを自覚する。
あの城の中ではずっと笑えなかったけれど、最近は良く笑うようになった。
身も心を傷つけばいいと、正妃の気まぐれで誘拐され貧民街に放り出された。
なぶる様に暴力を振るわれ、やっとの思いで逃げだしたがもう体が動かなかった。
このまま道の隅に転がって死ぬのかと絶望した。
そんな自分を助けてくれた、ピンク色の髪の少年。
愛しいアレク。
孤児院にいると知り、下位貴族の家に引き取らせた。なぜか暗部のアーヴィング家の人間になっていたが。
だがそのおかげで近くに置くことが出来た。
自分は婚約者のいる身だから、側にいてくれるだけで、それだけで満足するつもりだった。
だが婚約者は自分を裏切った。
真実の愛に生きるのだと言っていた二人。
ならこちらも、真実の愛に生きてもいいだろう――?
ヒューバートに休憩する旨を告げて、開けた大窓から執務室の外に出る。
名を呼ぶと、ピンク髪の少年がこちらを見てうれしそうに笑った。
さようなら義母上。
貴女の夫も、息子も、俺も。貴女が一番嫌っていた真実の愛に生きましょう。
乙女ゲームの世界にモブ転生したようですが、始まる前に王子がドロップアウトしました 藤原チワ子 @Chi-hua-ko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます