この足でどこまで行けるか

飯田太朗

学校の敷地内って?

「この足でどこまで行けるか」

 吉高よしたかの奴がそう、くうを蹴り上げる。

「きっとどこまででも行けるさ」

 俺はシンプルかつ詩的にそう応えた。

 俺は部室に備え付けの、型落ちの型落ちの型落ちの……まぁとにかく古いパソコンを使って記事を書いていた。湘南高校新聞部定期刊行誌『湘南新聞』年末号である。

「記事どう?」

 吉高がSwitchでポケモンをやりながら訊いてくる。

「順調」俺は答える。

「あっ、色違いダンバルじゃん。つっかまえてやっるぜぇー!」

「吉高うるさい」

 俺と吉高は苗字が同じ「鈴木」だから「鈴木コンビ」「ダブル鈴木」なんて言われている。特段珍しくない名前なのだがクラスや部活に鈴木が二人しかいないとこういう呼び方になってしまう。この手の話は中学校どころか跳んで小学校の頃からある話なので俺も吉高ももう何も言うことはないだろう。慣れたものだ。

 一応、俺は湘南高校の部活動実績をまとめる新聞記事「湘南の波」の編集長で、吉高はその記者という立ち位置になっている。吉高が書いてきた原稿を、いい感じに紙面に配置するのが俺の仕事なのだが……あ、記事の企画とかを考えるのも俺の仕事なのだが……あ、吉高の尻を叩いて記事を書かせるのも……吉高の原稿の誤字脱字を探す校閲も……。

「ほんでよぉ」

 吉高が部室の隅にあるソファにぼすんと沈みながら訊いてくる。

「この足でどこまで行けると思うぅ?」

「この足って?」

 カタカタとキーボードを叩きながら俺は訊き返す。吉高が笑う。

「この足って言やぁこの足よ。お前にもついているその足」

「要件」

 俺はパソコンの画面から目を離さずに続ける。吉高がため息をつく。

「湘南生って上履きで敷地内歩くじゃん?」

「歩くね」

「靴箱の外でも敷地内なら上履きで歩くじゃん?」

「歩くね」

 言われてみれば確かに奇妙だ。登校する時は靴箱まで外履きで歩き、靴を脱いで上履きに履き替えて校内に入るのに、逆向きの運動、つまり校内から靴箱の先に進む時は上履きのまま出ている。吉高の言う通り、本当に学校の敷地内なら上履きでどこへでも歩いていく。

「俺たちってこの足でどこまで行けんのかねって」

「なるほど」

 面白そうな話だ。

 吉高が俺に訊ねてくる。

辰人たつひとはどう思う? ってかお前どこまでなら上履きで行ける?」

 俺は笑う。

「校門まで」

「校門ってどこまで?」

「校門ってどこまで?」

 俺はオウム返しする。

「校門は校門だろう」

「いやさ、湘南高校って校門から出て二十メートルくらい路地進むじゃん? あそこ歩くのって実質湘南生だけじゃん?」

 なるほど。

「つまり校門から先二十メートルくらいまでは校門と言って差し支えないんじゃないかというのがお前の意見だな」

「さっすが辰人ー」

「うなむす屋はどうなる」

 うなむす屋、とは、湘南高校の校門出てすぐ……まさに二十メートルの路地を歩き、車道に出てすぐ左にあるうなぎの炊き込みご飯で作った焼きおにぎりを売っているお店である。普通に買うのだと一つ百二十円だが湘南高校生は百円で買える。カツオだしの汁と溶き卵を入れて雑炊にしてもらうこともできるし、夏はかき氷も売っている。

「うなむすはいい線攻めてるよなぁ」

 吉高は「かーっ」と叫ぶ。

「ちなみに至御しおん先輩はうなむす屋まで上履きで行ってるの見たことある」

 至御先輩。

 八組の総務長そうむちょうか。あ、総務長の説明もしないとか。

 湘南高校で一番偉い生徒は誰か? 

 生徒会長ではない。風紀委員長でもない。

 毎年各クラスの三年生から一人ずつ選出される「総務長」こそが湘南生の中で偉い人間である。

 厳密に言うと総務長の中の総務長、総務長長もいるのでその人がトップということになるのだろうか。

 では総務長とは――。

 湘南高校生活の目玉は体育祭である。この体育祭が目当てで入学してくる生徒もいるくらいである。そんな体育祭において、生徒は同じ組番号で一つのチームとなる。すなわち一年一組二年一組三年一組という「各学年の一組」が揃って一つのチームになるのである。他のクラスも同様。

 総務長とは、この三つの学年の生徒全員を引っ張って体育祭という戦場を駆け抜ける総大将、頂点に立つ存在、そして英雄なのである。

 話題の至御先輩、はそんな英雄豪傑の一人、八組の総大将なのである。

「お前八組オレンジだっけ?」

 俺が吉高に訊くとあいつはニヤッと笑った。

「そう。俺BBパート。お前は?」

「マジか。俺もBB」

 ああ、「八組オレンジ」だの「BB」だの……説明が面倒くさいので省略する。そのうち誰かが話すだろう。

 とにかく。

「至御先輩うなむす屋まで上履きで行くのか……」

 なかなか度胸があるというか。体育教官が見たらぶち切れるだろう。まぁ体育教官なんぞ怖くも何ともないと思っているのが湘南生ではあるが。この湘南高校で一番偉い存在は総務長だが、一番弱い存在は教師である。

 でもそういえば、と俺も思い至る。

「マックまで上履きで行ってる人も見たことあるな……」

 何を隠そう当代新聞部長の石巻いしまき先輩その人である。まぁ、あの人はこう、色々捨ててきている人だから……。とはいえ、マックは湘南高校からまぁまぁの距離がある。湘南高校から最寄り駅の藤沢本町に行くいくつかのルートの内の一つ、その中間地点にあるのだから。

 吉高が続ける。

「石巻先輩だろ? だからさ、結構なところまでみんな行ってるんだよ。上履きで! ところが翻ってだ」

 吉高はSwitchから顔を上げる。

「湘南生、グラウンドには上履きで行かなくね?」

 ――確かに。

「あの至御先輩ですらグラウンドに行く時は靴に履き替えるぞ」

「……そういえば石巻先輩もだな」

「だろ? どんなに怠惰な奴でもグラウンドは履き替えるんだよ」

 何故だ……何故なんだ湘南生。

「グラウンドは神聖なものとでも思ってるのか」

「逆じゃね? 不浄の間だから外履きにすんだろ」

 なるほどそうとも捉えられる。

「俺思ったんだけどさ」

 吉高がまたニヤッと笑う。

「もしかして地面のテクスチャで選んでるんじゃね?」

「地面のテクスチャ」

「そう。コンクリートやアスファルトみたいな『ザッザッ』って感じは上履きOK。逆に砂地や泥地みたいな『ザラッザラッ』は上履きNG」

「なるほど」

「理由の一つに挙げられそうなのは掃除のしやすさだな」

 吉高はニヤニヤ続ける。

「砂や土は掃除が手間だ。逆に言うと掃除の手間がさしてかからない範囲の汚れは汚れと認識しないんだ湘南生は」

「つまり砂や土じゃなければ湘南生はどこまでも上履きで行くということだな?」

「だって現にマックまで行ってる奴いるし。道中砂地ないだろ?」

 うむ。確かに。

 しかし俺は返す。

「だが校門から外に行く時だけ履き替えるという人間の方が大半じゃないか? アンケートを取った訳じゃないから分からんが……しかし、マックまで行く奴の方が少数だろ」

 俺の発言に吉高はまたSwitchに目を戻した。

「確かにな。湘南高校のほとんどの人間は校門までなら上履きで行っていいと思っている節はある」

 じゃあ話戻ってだ。そう、吉高は続ける。

「校門ってどこまでだ?」

「門扉のレールが敷かれているだろう。あの線の向こう側はもう校門じゃない」

「門扉のレールの向こう側にも校門の一部は出てるだろ」

 確かに。門柱はレールの向こうに一部……というか半分程度はみ出している。

「仮に学校の敷地を『学校施設が接している地面まで』とするのならレールの向こう、足一つ分くらいまでは校門だ」

「……しかしその理論だとなぁ」

 俺は反論する。

「水道や下水管だって湘南高校の施設の一部と言えるだろう。それも考慮したら校門から少し離れたところまで敷地ということになる」

「おお、確かに!」

 吉高は面白そうな顔をする。

「お前頭いいな辰人」

「……まぁ、恐らく、『その建物の敷地とみなしていい範囲』は法律で決まっているだろうがな。推測するに、敷地の端から二メートルから五メートルくらいの範囲内は法的な占有権を持つんじゃないか。排他的経済水域みたいな感じで」

「じゃあ校門から五メートルまでは上履きOKだ!」

 そうはならんと思うがな……。

 しかし、校門から二十メートル離れた先にあるうなむす屋まで上履きで行くことは……湘南生の中でもある程度の常識力を持っているという自負のある俺でさえ、あまり抵抗はない。

 そして依然と残る「砂地上履き禁止説」……。

「砂地とアスファルトの境界線はどうだ」

 俺は一転、攻めてみる。

「校門から続く坂道の横、ちょっとした脇道あるだろ。あそこ地面のテクスチャはアスファルトだがグラウンドの砂が吹き被さるから砂地っぽくもある」

「ああ、そこか……体育祭実行委員の奴らは上履きで歩いてた気がするなぁ」

 ……マジか。体育祭実行委員なんて(湘南高校の目玉たる)体育祭の実行委員だ。湘南生の中で一番公正さを求められる集団じゃないか。

「つまり砂地とアスファルトの境界線上は上履きが勝つと」

 俺の問いに吉高が頷く。

「そうなるな」

 駄目だ。ますます分からん……。

「おい、記事進んでるか?」

 吉高に声をかけられ俺は再び画面に目をやる。

「もうすぐ終わる」

 と、いきなり部室の窓が開けられた。俺たち新聞部室のドアは随分前に誰かが鍵をかけたままその鍵を紛失したとかで、開かずのドア状態である。室内への出入りは窓から泥棒のようにして行う。

「よォ」

 ひょっこり顔を出したのはリシューだった。成瀬なりせ利秋としあき。通称リシュー。何でリシューなのかは知らない。

「うなむす食いに行かねぇ?」

 外は冷える。ぐるぐる巻かれたマフラーの中に口元を隠したリシューがそう提案してくる。俺と吉高は顔を見合わせる。こいつ、上履きと外履きどっちで行くんだろうな。

 俺はパソコンの画面を見る。作業もほとんど終わり。後は次期部長の岩田に見せるだけだ。

「食いに行くか」

 俺が立ち上がると、吉高も後に続いた。そして泥棒よろしく、俺たちは部室から外に出た。リシューの足下を見る……。

 ――これが終わったら企画会議だな。

〈俺たちはこの足でどこまで行けるか?〉

 これはきっと、いい記事になる。


 了

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この足でどこまで行けるか 飯田太朗 @taroIda

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