二限が始まる前に

@suiyo_eki07

第1話 最近は四季じゃなくて二季

子供の頃。具体的に言えば、小学二、三年生くらいまで。

あなたの将来の夢はなんだった?

そもそも、小さい頃の夢を覚えているだろうか?

きっと、本気で夢見ていた人ほど、鮮明に覚えているのではないだろうか。

宇宙飛行士、パイロット、警察官、お花屋さん、ケーキ屋さん…

今例として挙げた職業は、もちろんすべて素晴らしい職業である。

しかし、成長するにつれて気づくのだ。

厳しいと。

宇宙飛行士になれる人はごく少数。パイロットも同じく難しい職業である。花屋、ケーキ屋、これらは宇宙飛行士等と比べると簡単ではあるが、自ら店を出すならさまざま苦労をするであろうし、雇われて働くにしても、手取りなど現実的に無視できない側面が残る。

そして、実現可能であったはずの職業も、若い時に友達などと遊んだり、部活に打ち込んでいるうちに不可能になっていく。

そうやって、僕らはそんな子供の頃の夢に、いつの間にか蓋をして忘れてしまうのだ。

本人が納得できるならそれでいい。でも、納得していないのに納得したふりをして、自分を騙して生きる人生は楽しいだろうか?


「ぁあっつ…」

いまだセミが鳴いたりはしていないものの、地球温暖化の進んだ現代の五月。二十分も歩いて学校に来れば、当然額に汗がびっしょりである。

その上、僕の席は光が強く差し込む窓側の席。青々、というより緑々とした木々の色を眺めながら、一限が始まる前にカーテンを閉めなかったのは失敗だったなぁ…なんてことを考える。

生い茂る木の葉の間から覗く青空と真っ白な雲。今日は一日中快晴であろう。

ちなみに、全国の学校は、大抵教室の西側が黒板、北側が廊下、南側が窓になっている。

それは午前、午後に関係なく教室内に強く光が当たり、かつ右利きの生徒が多いため、手が影になって邪魔になることがないようにしているから、らしい。

これは昨日テレビで見た豆知識だ。多分これからの人生、そんなに役に立つことはない。

人生そんなもんだ。高校で習ったことは将来半分も使わないし、スマホゲームをすることも意味なんてない。

だけど普通は高校に行くし、スマホでゲームをするのだ。だから僕も普通に高校に行って、普通にスマホでゲームをする。

そんな自分が面白くないと、最近思う。きっとこのまま変わらなければ、僕の将来は多分やりたくもない仕事に仕方なく就いて、特別何かをするわけでもない面白くない人生になるのだろう。かと言って、やりたいこと、なりたい職業もない。

いや、確かに昔はあったのだ。やりたいことも、なりたい職業も。だけどいつしか自分の本当の気持ちに蓋をして、身の丈にあった目標ばかりを設定して、つまらない生活を送っている。

ただ生きている。そんな今と、そして未来を変えたいと、漠然と思っていた。

キーンコーンカーンコーン。

一限終了のチャイムが鳴った。こんな暑さじゃやってられない。僕は先生が教室を出て行くなり、机の横の床に置いてあるカバンの内側面のポケットからマジックテープ式の財布を取り出し、立ち上がってカーテンを閉め、流れるように教室の外に出て行った。

向かったのは学校敷地の北側にある食堂棟。二つ並んだ自動販売機を前に、僕は頭を悩ませた。

「昨日はコーラ。一昨日はサイダー。となると…」

誰もいない食堂棟でベリベリ音を余ったスペースに響かせながら財布を開き、百円玉を二枚取り出し、右側の青い自動販売機に入れる。

そうして人差し指が上段にあるカルピスに伸びる。が、そこで重大な事実に気づく。

カルピスのボタンが「売切」と書かれているのだ。

僕は心底がっかりした。別に特段カルピスが好きとかではない。しかし、ルーティン通りなら今日はカルピスを飲むはずだったのだ。できるだけいつも通りの毎日を送りたい俺にとって、こういうイレギュラーはどうにも形容しがたい不愉快な気分にさせてくるものなのである。

「はあぁ~~~」

思わず大きなため息が出る。それなら今日はサイダーにしようかと思ったその時、右手にある階段から女の子が一人降りてきた。

僕は風にたなびく光沢のある金色の髪に目を奪われた。

小走りで駆けるように降りてきた彼女は、最後に一段飛ばしで階段を降り切った。そしてスカートのポケットから小銭を三つほど取り出しながら僕の方に近づいてきて、僕に正対して立ち止まった。

なぜか目が離せなかった。近くで見るとよくわかる。真っ白の雪のような肌。宝石のように赤く光る瞳。少し折っているのであろう短めながら上品さのある長さのスカート。

まさに、美少女である。

「あの~、自販機使いたいんだけど…」

「あっ、すいません」

僕は急いで自動販売機の前から離れた。

「これ、使ってもいいのかな?」

彼女は自動販売機のデジタル液晶を指さしながら言った。

「あっ…」

僕は言葉に詰まった。なんとかすぐに言葉をひねり出さなければならないと思う焦りと、早めの夏の暑さで頭がおかしくなってしまったのだろう。

「どうぞ」

右の手のひらを表に向け、軽く会釈をしながら、僕はそう言った。

数秒の沈黙。無限にも思えるほど気まずい時間が流れる。しかし、突然その沈黙が勢いよく破られた。

「ふふっ…あはははははは!」

大爆笑。ウケたらしい。笑った顔もとても可愛いかった。少し上体を前に倒しながら、お腹を抱えて大笑いしている。

「こっ…これ、使っていいんだ?」

笑いが収まらないうちに、もう一度液晶を指さし、彼女はそう言った。

「じゃ…じゃあ、ふふっ、遠慮なく、つ、使わせてもらうね」

相当ツボに入ったようで、いまだに笑い続けている。

ボタンを押して、ガコン、と落ちてきたポカリを取り出し口から左手で取った。と思うと、右手に握りしめていた小銭を片手で上手に自販機に投入しながら、僕に質問してきた。

「私も奢ってあげるよ。何にする?」

「え」

突然の質問でこれまた言葉に詰まってしまった。もうすでに僕の頭はオーバーヒートしていたので、普通の受け答えなんてできなかった。

「えぇっと…お、おまかせで」

「おまかせ~?じゃあ、おんなじのね」

そう言って持っていたポカリを僕に手渡して、もう一度しゃがんで取り出し口に手を伸ばした。僕はそうしている彼女をただ眺めているだけだった。

彼女は立ち上がり、「じゃあ」とだけ言って階段に向かって駆け出し始めてしまった。

その背中を見た瞬間に、さっきまで受け答えもまともにできなかった僕は、突然彼女に向かって声をかけてしまった。

「あの!」

階段の一段目に片足を置いたところで、彼女は振り返った。

なびいた髪に、僕はまた目を奪われてしまった。

「僕、一年の三宅です。お名前、教えてください」

「二年の福原楓です。三宅くん、またね」

優しそうに柔らかく微笑んで返答した後、彼女は階段を上って行った。

僕はその後ろ姿を見送ったあと、走ってその階段を上り始めた。

二階の廊下を走り始める。と同時に二年生の教室は三階だったと気づく。

振り返ってまた階段に向かって走る。僕は焦っていた。

それがなぜなのか、その時の僕にはわからなかった。だけど、今になって考えるとわかる。

釣り合っていない。レベルが違う。高嶺の花。そんなことは関係ない。身の丈に合っていないことは僕が一番わかっている。だけど、落ち着いてこの気持ちに蓋をする暇が僕にはなかった。

三階に着いた。廊下に彼女がいた。

「楓さん!」

僕は今日変わるのだ。今日変わらなければ、昨日と同じ明日を繰り返すだけ。

だから。

「僕と、付き合ってくだ―――」

キーンコーンカーンコーン

二限の始まりを告げるチャイムは、無慈悲にも僕の言葉を遮った。

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