秋風

真衣 優夢

木枯らしに抱かれて



 わたしがすきになったひとは、

 先生でした。



「おー、篠田。調子どうだ?」


 

 私を見ると声をかけてくる、中年で、無精髭で、格好つかないおとこのひとは。

 私のクラスの担任教師。一年生の時も担任だったひと。


 

「普通です」


 

 淡々と返すと、「そうか」とにかっと笑ってくれる。

 それ以上の会話はない。

 その笑顔が、好きだった。



 わたしがすきになったひとは、

 既婚者でした。



「先生な、明日休みます。自習サボるなよ。

 つーか今からすぐ帰る、お前らちゃんとしろよ、いいな!?」


「せんせー、ちょっと早くない?だいじょぶ?」


「だから心配なんだよ!

 こここここんなに早く陣痛くるとか、くみちゃん、赤ちゃん、無事でいてくれ……!

 そんじゃな!」



 周囲に隠さない愛妻家。

 4歳の娘がひとり。職員室の机には、奥さんと娘の写真立てがある。

 どうやら今日か明日、二人目の子供ができるらしい。


 

 時折、写真立てをじっと眺める姿はおとこのひとの顔で、その顔が、好きだった。



 わたしがすきになったひとは、

 好きになってはいけないひとでした。



 一年生の時、いじめに遭っていて。

 体育の授業中、制服と鞄が生ゴミの中に放り込まれていて。

 声をあげる気力もなく泣いている私の制服を先生は引っ張り出し、制服店にクリーニングに出して、代わりの制服を用意してくれた。

 鞄は丁寧に拭いてくれた。


 

 先生の行動力はすごかった。

 学校の監視カメラを何日分も早送りで見て、いじめっ子の犯行現場をいくつも保存しては、保護者も呼び出して一人ずつ三者面談したらしい。


 

 決定的証拠の効果は強くて、いじめはなくなった。

 先生は勝手に監視カメラのデータを使用したせいで、半年間、減給処分になったと聞いた。


 

 今年、私は卒業する。

 先生は今でも、私を見つけるたびに声をかけてくれる。

 それも、卒業で終わってしまう。

 あの日からずっと好きだった、あなた。



 わたしがすきになったひとは、

 急に消えてしまいました。



 元気な息子が産まれたと、男泣きで喜んでいた数日後。

 先生は亡くなった。

 まだ車椅子の奥さんが、階段から落ちかけて、身を呈して庇ったんだと聞いた。



 枯れ葉が地面を覆う道を通って、斎場に向かう。

 クラスメイトはみんな泣いていた。

 私は泣いていなかった。



 私の大好きな笑顔が、遺影の中にそのままあって。



『おー、篠田。調子どうだ?』



 という声が、聞こえてくる気がした。


 

 ドラマみたいに現実味のない場所で、花がたくさんあって。

 みんな泣いていて。

 いつもの学校の顔ぶれなのに、その中に、どうしてあなたはいないの。



 写真でしか知らなかった奥さんと娘さんがいた。

 奥さんは車椅子で、アップの髪型がぼろぼろほつれていて、写真のような、明るさもはつらつさもなかった。


 

 私は心で思った。

 あなたのせいで、私の好きなあの人は。

 だから一生許さない。

 あの人の分まで、二倍、三倍、幸せに生きなきゃ許さない。

 あの人の笑顔を一生覚えてなきゃ許さない。



 さく、さく、さく。

 落ち葉を踏む。

 帰り道は、少し風が強かった。



「先生。

 ずっと好きでいていいですか」



 空に向かって尋ねても、返事はない。



「僕……じゃなくて、

 私のこと、理解してくれた、たったひとりの人だったんです。

 私には、あなただけだったんです。

 想うだけでよかったのに、どうして、いなくなってしまうんですか」


 

 わたしがすきになったひとは、

 わたしの心と性別が一致しないことを、認めてくれたひとでした。


 

 人前で、僕、と言わなければいけないわたしに、俺の前では好きにしていいぞ、と言ってくれた人でした。


 

 これから、わたしはいつ、私になれるんですか。



 わたしがすきになったひとは、

 秋風なんて似合わない人でした。



 いつまでも、いつまでも、

 わたしの中で、終わらない夏のようだった人。


 

 風が吹く。

 枯れ葉が地面を走る。

 朽ちた落ち葉に、夏色はどこにもなかった。



 わたしがすきになったひとは、

 ……………

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秋風 真衣 優夢 @yurayurahituji

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