ハントザライフ-鏡面のクロヤ-

@timtimkimotie

#1 鏡の向こうの楽園

「これが例の」

「そうですな」


 クロヤは松明を掲げた。

 橙色の灯りに照らされて、一枚の鏡が石造りの壁に据えられている。

 貴族の持つそれのような楕円形で、見上げるほど大きい。薄く埃がかかっている。ずいぶん長い事ここに飾られているようだ。


巨人族ジャイアントが作ったようじゃのう」


 クロヤがひとりごちて、手を伸ばす。

 浅黒い指を鏡面に触れさせると、まるで水のようにつぷんと沈んだ。しかし引き抜いても一滴ひとしずくも濡れていない。水銀でできている、というわけではないようだ。


「この先に<楽園>があるのかの」

「わかりませぬなあ。『知覚サーチ』を覚えている魔術師がいれば話は別になりますが、あいにくこの老骨めにはそのような力はなく」

「仕方なかろうよ。儂もお前も攻撃系の魔術のみ覚えるように言われてきたのだ」

「で、行くのですかな?」

「無論だ。儂らは軍を脱走してはぐれ者になった身。今更迷宮の外に出ようと捕まって見せしめに吊るされるがオチであろうよ」


 迷宮の最奥にある『大鏡』をくぐった者は、<楽園>にたどり着けるという。

 どこの迷宮に現れるかはわからない。ただ、迷宮の最奥に挑んだ冒険者がそのまま行方を絶つことはよくあることだった。

 おとぎ話にも残っている有名な伝説であるが、実際にどうであるかはわからない。

 戻ってきた人間が誰もいないからである。

 たいがいの者は、彼らは楽園でなく魔物に食われて死んだのだろうと見当をつける。

 まあ、こんな世の中じゃ行き先が楽園だろうと地獄だろうと喜んで飛び込むじゃろうて、とクロヤは思う。


 二人は被差別種族だ。


 ダークエルフのクロヤは、有用なギフトを持っていたことから無理やり従軍させられたし、コボルトのナナは“余ったから”、ただそれだけの理由で叩き売られ、今までひどい扱いを受けてきた。

 この世界では、亜人は奪う側になるか奪われる側になるかしかない。

 お互い偶然巡り会って意気投合し、この世に生きる希望がないのなら他所よその世界に賭けようと命がけで軍を抜け出し、わずかな可能性にすがって迷宮に潜った。

 どの道、夢にまで見た楽園へのきざはしが眼前にあるのだから今更怖気づいて逃げるという選択肢は最初からない。

 クロヤは助走をつけて鏡に飛び込んだ。

 ナナも続いた。

 二人の飛び込んだ波紋はやがて鎮まり、あとは、ありふれた暗闇が残った。



 口の中がじゃりじゃりする。

 自分が仰向けになっていることに気づいたクロヤは、うめきながら顔を上げた。

 さらさらっと頭から水ではないなめらかななにかが頭からこぼれた。

 咳をすると、湿った砂が口の中から吐き出された。

 ベルトに挿した小さな水筒に手が伸びたが、状況を認めるとそれはよくないことを察した。

 砂漠だ。

 クロヤの目の前には砂漠が広がっている。

 黄土色の砂がいくつもの丘をつくり、熱砂混じりの風が吹いている。太陽の光が肌を焦がす。

 ナナはどこにいる? 影も形も無い。

 クロヤは混乱しつつもフードを被り、背嚢から手拭いを取り出し、口に巻き付けた。水で口の中を洗い流したいが、人里がどこなのかもわからないこの状況では水は節約せねばならない。

 びょお、と強く風が吹いた。焼けるようだった。


(これが楽園じゃと)

(冗談は休み休み言うものであろうが)


 クロヤは笑うしかなかった。


 ・・・きゃああ───・・・!


 くぐもった甲高い悲鳴が聞こえた。

 クロヤははじかれたようにそちらへ駆け出していた。同時に、無意識に呪文スペルを唱え始めていた。


「【アグロ】」「【強化フェイルン】」


 詠唱、詠唱。口の中でスペルを成立させ、魔力で構成された獣の足をイメージする。両足に茨が巻きついたような疼痛の直後、足運びがぐんと速くなった。

 スペルが使える。魔力が反応する。この世界にも魔法は存在するのだ。

 人影はすぐ見えた。マスクをつけた子どもが、うずくまる騎獣らしい獣を庇って、魔物に向けて槍を振り回しているが、まったく届いていない。

 無数の複眼を持つ、巨大な芋虫に似た魔物は、平べったい口から涎をだらだらと垂らして金属音のような不快な鳴き声を上げている。

 駆けつけてくるクロヤを見た子どもは、怯えた目に一瞬安堵を浮かべて力を抜いた。

 それを隙とみなした魔物が、あぎとを大きく開いて子どもに襲い掛かろうとする。


「【ネル】」「【アルストラズ】」「【放つルマーレ】」


 クロヤは走りながら詠唱し、両手を合わせた。

 その隙間に燐光が収束していき、純粋な魔力の矢となって発射される。

 力矢エネルギー・ボルトは空を駆け、芋虫の胴体に突き刺さった。


【ミッギャアアアアアア!】


 側面から白い粘液をまきちらして絶叫する魔物を睨みながら、クロヤは内心舌打ちしていた。

 魔力は反応するがその反応が弱い。

 クロヤの腕前以前に、待機中に含まれる魔力が弱いのだ。

 剣を抜き、空高く掲げて反射した太陽の光を魔物の複眼に当てる。

 魔物が方向転換して迫ってくる。

 どうやら元の世界の虫型魔物と同じように、光に反応するらしい。

 こちらを敵認定したのなら引き付けながら逃げればいい。


「お前の相手は儂じゃ!」


 クロヤは怒鳴り、剣をかざしたまま来た道を戻り始めた。

 芋虫はムカデめいた挙動でついてくる。

 クロヤは走りだそうとしたが、動かした足が鈍く痛みつんのめった。

 強化魔法が切れた時特有の痛みだ。

 おかしい。

 加速アクセラの効果切れが早すぎる。

 それでも二人分の命が懸かっているのだから無視して駆け出し、子どもからじゅうぶんに距離を置いてから砂丘を蹴って飛び上がった。

 剣を逆手に持ち、芋虫の脳天めがけて突き立てた。

 が、芋虫の皮の強度は並外れていた。

 剣は中程でたわみ、ぼきっと嫌な音を立てて折れ飛んだ。


(なんと)


 クロヤは驚いたが、次の行動は早かった。

 スペルを唱えつつ芋虫から振り落とされないように両足でしっかりとその頭を挟み込み、両手を押し当てた。

 詠唱成功───力の矢が芋虫の頭を射抜き、地面を抉る。

 芋虫は一層激しく暴れてクロヤをはじき落とした。

 はじき落とされたクロヤは砂まみれになって、顔だけ上げて芋虫を見た。

 芋虫は身をよじり、びくんびくんと痙攣を起こしている。

 それがだんだん弱くなっていき、やがて魔物は死んだ。

 スペルを途中まで唱えて、魔術をいつでも演算できるようにしながら、同時にクロヤは十数えていた。

 魔物の生命力は人間のそれを超えている。例え頭を吹き飛ばされても、イタチの最後っ屁で若手の冒険者を殺したという話をいくつも聞いた。

 十数え終わり、魔物が完全に死んだことを確認したクロヤは、ほうと息をついてうなだれた。

 水筒を取り出して一口飲む。ぬるかったが、一仕事終えたクロヤにはこの上ない甘露に思えた。あの子はどこだろう? 汗を拭い、立ち上がる。


「あ、の」


 その時、後ろから声がかかった。振り返ると、そこにさっきの子どもが立っていた。ほっとして、クロヤの表情が緩む。


「どうかしたか」

「ええと、た、助けてくれてありがとうございます」

「例には及ばんわい」


 ぺこっと頭を下げた子どもは、ふらついてるがしっかりとした足取りで魔物の死骸に近づき、その体に手を当てた。


「一人でワイアームを倒してしまうなんて・・・ まるで本物の狩人みたい」


 感激がにじみ出ている声を聞きながら、クロヤは人里はどこにあるか聞いた。


「え、地図とかは持っていらっしゃられないんですか?」

「あ? うんむ、あればよいのだがのう・・・ なんというか、まあわけは後で話すわい」

「それなら、是非わたしの里にお越しください。命を救っていただいたお礼をしなくては」

「ほんとうか。ならば案内を頼むぞい」


 転移の際にはぐれたナナのことが気がかりだったが、情報がなにもない時点で気を揉んだところで無意味だということをクロヤはよく知っていた。今は町か村にたどり着くのが先決だ。

 ところで、と、その子はとても不思議そうな声色で尋ねてきた。


「お若い人とお見受けしますが、その口調はクセなんですか?」


 クロヤは───浅黒い肌の青年は一瞬黙り、次の瞬間呵々大笑した。

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