暗黒騎士

マヌケ勇者

本文

「暗黒騎士」



  夜も遅く酒場のテーブルの上に立ち、大きなビールのジョッキ片手にでたらめに裏返りかけた声で金髪のシスターが叫ぶ。

「さあ祈れッ、魂よ叫べッ、天国に叩きつくまでッッ!」

もはや目がかなりイッちゃってる。

「へばってんじゃねぇぞお前ら! おかわりの時間だ!!」

赤ら顔をした中年男たちは、シスターに向かって空のジョッキを差し出す。

それに向かって彼女が自分のジョッキを傾けると、なんたることか注がれるビールは何杯分であっても尽きる事がないのだ。


このどうしようもなく堕落した聖職者風の女はカーディ。

むしろ足元に並んでいる奴の平らげた皿の山はすべて肝臓料理だ。どれだけ食うのかヴァンパイアが正しいかもしれない。

いや、あのやかましい口から放つニンニク臭からするとそれは無いのか。

しかしこの女、そろそろ話の内容が下品になり、そしてループし始める。

テーブルの上で、ふらり、ふらりーー――遂に目を回しながらどたんと床に落ちて倒れ込んだ。


そこへ鈍い金属の音をずしりと立てながら、床のカーディへと近付くのはくすんだ白色のマントに包まれた白鉄の甲冑である。

いつものように彼が抱き上げると、鎧に負けず頑丈なことだ、女は大したケガもせずに寝入っていた。

「……邪魔をした」

ただそれだけを言うと、同じように鈍い音を立てながら彼らは店を出ていった。

店主はそれを目立たぬように見ながら、飲み代無請求だけで突然の厄介者が去ってくれて良かったと胸をなでおろしたのだった。




 彼女がわめいた酒場から何本かの通りを挟んだ路地。

「あ”あ”ーー、うめぇ。酒と脂モンの後の水が一番うめぇ」

歩きながらガラスボトルの水をがぶ飲みするカーディ。鎧は黙ったまま横に並ぶ。

彼女は路の真ん中に何かが転がっているのを見つけた。

「……なんだよ、死んでんのかボウズ」

言いながら、人の心など無いのか彼女はそれをしたたかに蹴り上げた。


「うぐっっ!」

うめいた。少年はまだ生きていた。

「なんだよテメー生きてんじゃねぇか」

そういって彼女はげっぷをした。

道に転がっていた彼はノヴァ。

ごろつきたちに袋叩きにされたからなのだが、それには彼の幼なじみの少女が関係していた。


彼を慕う少女は昨夜、この町の子供が好きで好きで好きな裏の顔を持つ町長に売られたのだ。

それを連れ戻そうとした結果だった。

「ボウズよぉ、神様っていると思うか?」

一通りノヴァの話を聞いて、酒臭い女はシスターらしからぬことを言った。

「祈って、使える全部の方向の力を使うんだ。暴力に限らず悪知恵も悪意もな。魂を売ってこそ、神様はほほえんでくれるんだぞ」

聞いたことの無い神様だ。

「それで、やっぱりお前が転がってた後ろの家が町長の趣味の隠れ家ってわけか」

ヒヒッと彼女は汚く笑った。

「いいじゃないか。ちょうど私もそいつに聞きたいことが――用があったんだ!」




 カーディは、飾り気こそないが丈夫そうな作りの隠れ家のドアの前にふらりと立った。

「行けよ! クズ鉄!」

彼女は甲冑にそう指図した。

甲冑は黙ったまま、静かに彼の佩いた剣を外し、彼女に鞘を示した。

それはマントと同じ汚れた白色をしていたが、下の方二分目ぐらいまでが生々しい赤に塗られていた。


「なんだよガス欠かよ、面倒だな」

呆れたかのように言いながら、シスターは自分の黒い服の胸に左手を持っていった。

そして――その手を歪めるかのように身を握り、思わず右手を口元に当てた。

彼女の目は見開かれ、咳き込み、嗚咽(おえつ)とともに石畳の路上に赤い血が吐き出された。

助け起こされて壁にもたれかかっていたノヴァは、思わず彼女へ手を伸ばし、立ち上がろうとした。

「気にすんなボウズ、いつもの“作業”だ」

路上の血へどに甲冑は鞘の先をあてがう。呪われた草が突如に生い茂るかのような禍々しい軌道で血は鞘に吸い込まれていった。鞘の色は真っ赤に変わる。



「さあ、行け! 舞踏会の始まりだ!」

カーディの声に応じるかのように、甲冑は黒朱の鞘から長剣を真っ直ぐにすらりと抜き払った。

そして――ヒュッと空気の音を鳴らすとともに、振り下ろされた剣は縦に重厚な扉を両断していた。

彼は轟音とともに扉を蹴り飛ばして中へ躍り込んだ。勢いのまま右に立つ巨漢の用心棒を斜めに切り上げ吹き飛ばし、左の男の胸につるぎをどぶりと奥深く突き入れる。

ぶつとその剣を引き抜くと、光景を見たまだ若いメイド姿の女が絶叫を上げた。

だがその声がすぐに止んだ。

たとえ身体が叫びの息を送り込み続けていても、それを鳴らす喉と頭が宙を飛んでいたからだ。


甲冑が叩き開けたドアの向こう、寝室の豪奢なベッドには大きな大きなお包みが――なぁに、高価な布団に包まってガキのように怯え震えている醜い町長のことだ。

甲冑がいまいましげに、ガァンと床を蹴りつけると、町長はヒィィ!と怯えた声を上げた。

遅れてカーディが部屋に入ってくる。

「おっさん。用事の前にお遊びだ! お前のイカれた趣味を味わわせてやるよ!」

甲冑がガチャリ、ガチャリとベッドに近づく。

町長は被り込んでいた布団をばっと振り払って姿を現した。

「くたばれクソが!!」

そう言って布団の中で握りしめていた拳銃を、真っ青な顔で甲冑に向けて乱射した。

鈍く硬い金属音がいくつも響いたが―― ずぐり、とつるぎは町長の肥えた腹に突き立った。

声にならない声が張り裂ける。


「黙りなブタ」

言いながらカーディは町長が取り落とした拳銃を拾い上げた。

「楽になりたいだろ? 一つ答えろ」

彼女は銃口を町長の脳天に向ける。

「ハザン候はどこに隠れてる? 言え」

「サ……サン・トルルボンヌの城だ」

やっぱりか、と彼女はつぶやいた。

そして、

「よく言えた。御冥福をだ――かくあれよ」

銃声とともに血と脳症が散った。



さて――、問題は寝室の隠し戸の奥にある、町長の趣味の部屋だ。

精肉屋の動かない豚を見たことがあるだろうか。

天井から吊り下げられている無表情のそれを。

部屋の真ん中、きしんでキィとも――言わない、圧倒的な存在感。

「等しく、死と絶望を与えたまえ、か――そのようにあれ」

カーディはそうつぶやくともう一度引き金を引いた。





 この街並みをいくつの物語が舞台にしただろう。恋の都と称されるサン・トルルボンヌ。

シスターは時計塔のてっぺんの、大掛かりな鐘つき台から街を見下ろしていた。そして、遠くに見える城をも。

街を――彼女の友、少年ユーゴは何度語って聞かせただろうか。

彼の愛する物語たちの街。そして彼の愛するふるさと。また、彼を捨てた父の別宅のあるところ。

ユーゴは――ハサン候が犯した罪によりひそりと産まれた子だった。



候は数年前、遂に待望の男児を得た。もちろん、正当な婚姻の。

候の深い深い、我が子を虚像とした自己愛は執拗な調査を行い、ユーゴの存在を知った。

ある日迎えは、来た。

町から離れた小さな教会に身を寄せるユーゴの元へ、使者として穏やかな笑顔の老紳士が。

「カーディ、向こうについたら手紙を送るからね。それと、君が話を聞いて食べたがってた故郷の下町料理……ただのレバー料理だけど、作り方覚えてきてきっとこっちで作るからね」

そんな言葉を交わして、ユーゴを乗せた馬車は遠く小さく消えていった。

消えていった。

迎えなど来なかったことになっていた。

頼みの綱の神父様でさえ、両目を閉じ、カーディの問いに何も答えなかった。


そんなことがあっては、カーディには人生も信仰も何も残らないじゃないか!!



 彼女が自身の内に秘めた攻撃性に気づいたのは、夜に一人飲酒し狂乱し、教会の礼拝堂の太く大きな十字架に、鉄の火かき棒をふりおろした時だった。

十字架は石膏でできたかのようにぼろぼろと崩れたのだ。

いくつかのかたまりに崩れて落ち、十字の中には何かが収められていた。


その、姿を現したのは古びた一本の白い鞘だった。

カーディは自然とその鞘を手に取った。

鞘には、彼女が火かき棒を振り回したときに摩擦でできた傷の血が意図せずにじんでしまった。

その血を鞘は啜り上げた。

そして語りかけた。

「娘よ。お前の祈りを私はずっと傾聴していた。お前の――絶望を希望に代えてやろう」

静かに興奮して鞘は断じた。

「悪とは、最も強大で、最も多数の悪こそが正義を名乗るのだ」


ずぐりと、カーディの心臓に鈍痛が走った。

どす黒い甲冑の腕が彼女の魂を掴み、その意思を包んだのだった――。



 穏やかなトルルボンヌの時計台で、ゆっくりと彼女は順番に思い出していた。

そして物陰の闇からぬっと白鉄の甲冑が産まれいでた。

彼は黙って彼女に赤い鞘の剣を渡す。


カーディは――その剣を鞘ごと構えた。

そして、力強く踏み込んで、鎧の胸を突き破った――


鎧は胸から裂け――広がり――そう、大きく彼女の全身を包括するように――

大輪の華のように開いた。だがそのひれの一つ一つには、鋭く長い棘が幾本も茂っていた。

彼女が鉄に包まれてゆく。鋭い血を流し続けながら。

甲冑は燃える。その身をくろがねに焦がしながら。



それは甲冑か、彼女なのか。黒い存在は右手の剣で時計塔の大鐘を叩き切った。

ひどい破れ鐘の音が街中に響き渡る。

喜びの知らせだ。

そしてその黒は塔から自身の五体を放るように飛び降りた。

身体はダイブしてゆく。

ばくんと、背から大きな呪われた翼が広がった。

滑空するような軌道で舞い上がる。そしてそのまま悪魔は城へと、街を飛び越えていった。

そして、戻らなかった。

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