18 闇夜の幻

 月の無い夜が、やって来た。

 人々は誰も教会に集い、静まり返った町にはただ私の足音だけが響く。

 目前の春に冬が抗っているかのようにしんと空気は冷えていて、天にはキラキラと星が冴えている。咳き込む胸を押さえながら、私は蝋燭の明かりに埋もれた通りを走る。

 見覚えのあるアーチ橋を渡り、私はゆっくりと足を止めた。

 ごめんなさい。心の中で言って、通りに飾られた蝋燭を一本貰い、路地に入った。壁にもたれ掛かり、蝋燭の火を見つめて息を落ち着かせながら、思考を纏める。

 マリーちゃんはまだ無事なはずだ。犯人は死体が出るのを嫌ってる。家出のように忽然と手掛かり無く消えて欲しい。だから、殺すとしたら、まだこれから――。今はまだ、マリーちゃんは閉じ込められてるだけ――。

 犯人も今は教会でお祈りの最中なはずだ。だから、今なら私一人でもマリーちゃんを助けられる――。

 壁を殴り付け、ついあなたを求めたがる弱気をぶっ飛ばして、私はえいと壁から背を離し、路地の奥に進んだ。

 蝋燭の飾られた表通りと違って、路地は真っ暗な闇に沈んでいる。小さな蝋燭の明かりが酷く頼り無く、心細い。ラルナは、いない。待っている時間も無い。犯人がいない、今この瞬間に、私がやるしかないんだ。

「っ……!」

 闇の中、ぼうっと何かが立ち上がって、声が出そうになった。

 落ち着いてみれば、それはただの木だった。蝋燭の薄明かりが枯れかけた梢を人の姿にでも見せたのだ。いや、見せたのは私の心だ。ありもしない物をありもしない場所に描きたがる私の想像力――。

 自嘲の笑みを浮かべ、小さく息を吐くと、私は記憶を頼りにゆっくりと大木の脇を回った。足下を確かめながら、小さな階段を上り、裏口の戸に手を掛ける。

 手応えなく扉は開いた。軋んだ扉が空気を震わすような高い音を立てる。真っ暗な廊下がその先に続いている。

 ここに、マリーちゃんはいる。この中に絶対に――。

 ゆっくりと足を踏み入れた。心臓が跳ねたのが分かった。唾を飲み込み、落ち着けと言い聞かせる。ゆっくりと足を擦るように前に進めたその瞬間――。

「――誰だっ!?」

 爆ぜるような大声と共に蝋燭の灯が向けられた。揺れる火の向こうに見え隠れする怯えた顔――。

「やっぱりあなただったんだね――。マルコ――」

 恐怖は、もう無かった。むしろ、そこにあるのは、呆気ない感慨――。

 怖がっているのはむしろマルコの方だった。狼狽した様子で捲し立てる。

「な、なんでお前が――!? ど、どうしてここ――!? な、なんで――!?」

「――あなたこそ、どうしてここに? 今日はエサタの前夜、新月の夜だ。教会でお祈りは?」

「……お、俺は、ババアの看病だ。マリーが急にいなくなっちまったもんで……。あ、ああ! マリーか? ひょっとして、マリーを探して――」

「お喋りだね。――亡霊さん」

 マルコの顔が凍り付いた。蝋燭の明かりでも分かる。血の気が引いて、顔が真っ白になる。落ち窪んだ眼がじっとこっちを見つめ、どこか粘付いた声がした。

「……な、なにを言ってるんだ? 何の話だ? 俺にはなんだかよく……」

「あの手紙を書いたのはあなただ。他にあり得ない。……だって、そうだ。こんな田舎町にゼーヴェ語が書ける奴なんていないんだよ。――司祭崩れの三男坊さんの他にはさ」

 ぴくっと眉が跳ねた。「な、なにを言ってるのか、俺にはよく……」。マルコは火傷の跡を擦りながら、黄色い眼を泳がせる。

 考えてみれば――。当たり前だった。誰もが当たり前に読み書きが出来るわけじゃない。むしろ、文字は読めなくて普通だ。言葉と違って習って教わらなくちゃ使えるようにならないんだから。おまけにゼーヴェ語なんて。神学校でくらいしか教われない。お城で教育を受けたラルナだって、ゼーヴェ語は使えない。だから、あんな古めかしい脅迫文を書いたり、おまけに聖典を引用したり、そんな真似は誰にだって出来る事じゃないんだ。つまり――。

「――私の日記を盗んだのもあなただよね」

「……っ、な、なにを……」

「テルーゾが盗むわけないんだよ。だって、意味が無い。彼には拙いレーヴェン語しか書けないんだから」

 テルーゾの詩は拙いレーヴェン語で書かれていた。どこかの貴族の執事が彼に送った手紙もやっぱりレーヴェン語だった。どんな田舎者でも貴族の執事ならベルナ語くらい書けるだろうし、そうするのが礼儀と格式ってものだ。だけど、敢えて庶民の使うレーヴェン語で書いたのは、テルーゾにはレーヴェン語しか読めないからだ。

「――そもそも、テルーゾには盗む動機がないんだよ。彼には日記は必要無いし、私達を調べる必要も無い。だって、彼は全て知っていたから」

「……さ、さっきから何を言ってるんだか俺にはさっぱり……」

 そう言いながら、マルコは飢えた野犬のような目を四囲の闇に向けている。狼狽はもう口調だけ。血走った目は不気味に据わっている。探している。ラルナとエドを――。それはつまり――。

「――さっき、言ったよね。『なんでお前が』『どうしてここに』って。それって、新月の夜だから? 明日のエサタの為に私も教会に行ってると思ったから? それとも……。――私がもう死んでると思ったから?」

「っ……!」

 血走った瞳がある場所を見つめた。意識の間隙を突いて、私はそこに突っ込んだ。

「やめろっっ!!!」

 悲鳴のような声を背後に聞きながら、私はその棚をぶち破る。

 中から出てきたのは――。

「マリーっ!!!」

 大きな棚の中には縛られたマリー――。

「てめえっ!!!」

 豹変した声に竦みかける身を奮い立たせて、私は夢中でマリーを抱き締めて駆け出した。蝋燭はもう落としてしまった。真っ暗な廊下を走り出すや、何かにぶつかって、体が倒れるのが分かった。「殺してやる。バカにしやがって! てめえも、てめえも! 殺してやる!」。体面をかなぐり捨てた剝き出しの殺意が背後から迫ってきて、私はただ夢中で必死に腕の中のマリーを抱き締めた。

「死ねっ! 死ねええっ!!!」

 ぎゅっと瞑った瞼の裏に、描いたのは――。

「――下郎がっ!!! その人に触るなっ!」

 光が、飛んできた気がした。太陽のような明るい声が下品な罵声を轟かせ、春の日差しのような熱が私の心を震わせた。

 マルコの顔を蹴っ飛ばし、すっくと立つその背中を私は感動と共に見上げた。

「ラルナ――!!!」

「……まったく、とんだじゃじゃ馬だ。だけど、ほんとに無事で良かった」

 ちらと見返った顔に一瞬苦笑を作ると、ラルナは闇に転がるマルコを睨め下ろした。

「テルーゾを餌にゴロツキ同士で殺し合わせようなんて、とっけもない野郎だよ。……だけど、当てが外れたね。あんな蠅虫、いくら集めたって、わたしは死なない、殺されない。……だって、わたし、最強だからさ」

 蹲ったままマルコは小さく呻いている。ラルナは小さな溜息に嘲りを消すと、くるりと背を向けて、一転柔和な笑みを作った。

 怯えるマリーの頭を撫でながら、その拘束を解いてあげる。

 もう安心だ。だってラルナが来てくれた。マリーは救えた。ダッド達は退けた。これで事件は全部解決――。

 なのに、何故だろう? 何だか嫌な気配がして、私はラルナの背後、闇の向こうに目を凝らした。呻き声を漏らしながら、よろよろとマルコが立ち上がる。その姿はまるで本当に亡霊のように見えた。生気の失せた頰がぴくぴくと震え、嫌に鮮やかな唇が蠢いた。

「…………君たちは何を言っているんだ? ……何の事だか分からんな」

「……はぁ?」

 ラルナが当惑の声に振り返る。ひょろ長い体から何か悍ましい気配が立ち上がり、それは徐々に体を揺すり、甲走った笑声として発せられた。

 マルコは肩を竦めて、堂々と言った。

「――分からないと言ってるんだ。テルーゾ? 殺し合わせる? 何の話だか、私にはさっぱりだ」

「……はぁ!? てめえがテルーゾを殺って、ダッド達に垂れ込んだろ! わたしたちと殺し合わせようってさ! あの家はてめえの持ってる借家だ! あそこにテルーゾを誘い込んで殺したんだ! だいたい、マリーがこうしてここにいる! 言い逃れられると思うなよ!」

「分からないと言っている。……マリーは戻ってきたと思ったら家の金を盗んで逃げようとしてたんで、閉じ込めて折檻してやっただけだ。貴様らのようなゴロツキに口出しされる謂れはないな」

「てめえ……!!!」

 吠えるようなラルナの怒声にも、マルコは飄々と構えている。私はいつの間にか自身の肌がびっしりと粟立っているのに気付いた。なんて、卑怯な男――。だけど、こんな風に言い逃れられたら、私達には――。

「――そ、そんなこと! 皆様が信じると思うんですか!? あなたが私を縛って、あの棚に押し込んだんでしょう!? エドの財宝を横取りするために! ぜんぶ分かってるんですよ!?」

 私の背に隠れながら、マリーが気丈に声を上げた。だが、マルコは軽侮の笑みに吹き飛ばす。

「信じるさ! 僕はここらで一番の秀才だ! アインゼの神学校を三番の成績で出てる! 貴様の言葉こそ誰が信じる!? 読み書きも計算も出来ない! 親もいない! 耄碌ババアの世話くらいしか出来ない賤しいみなしごなんかがよ!」

「あんたっ!!! なんて言い方っっ!!!」

「それが事実だ! てめえらだって同じだろう! どこの馬の骨とも知れぬゴロツキ風情が! 俺はランドン金物店の子だ! 祖父は参事会会員で大叔父はギルドの役員だ! 神童なんだよ! 俺はっ!」

 なんて、なんて開き直り! だけど、悔しいけれど――。こいつの言う通りだ。流れ者の私達や、孤児のマリーの言葉なんて……誰も信じない。マリーの請うような視線が痛い。だけど、こいつが醜い言い逃れを続けるなら、私達にこいつを裁く力は――。

「――だけど、だけど!」マリーが振り絞るような声で叫んだ。

「おばあさまは、おばあさまはきっと信じて下さいます! おばあさまはあなたの悪い所もちゃーんとご存じです! あちこちに借金を作ってることも! 悪い遊びをしてることも! おばあさまなら、きっと、きっと私を――!」

 擦れた声が胸を突くような心地がした。溢れる涙が蝋燭の火にきらきらと光った。だけれど、マルコはそれさえも軽侮の笑みで踏み躙った。

「――ババアなら死んだよ!!! とうにくたばったよ!!!」

 焦げ茶の瞳が見開かれ、マリーの顔から表情が消えた。「なんて、なんてこと……」。虚ろな声を残して崩れたマリーの体を私は慌てて支える。高笑いするその顔は最早人の顔をしていない。そこにあるのはただ、悍ましい怪物――。

「そうだ! ババアもそいつらが殺しちまったんだ! 皆が教会に行って誰もいないのをいい事にエドのガキと一緒に盗みに入って、ババアを殺しやがった! だから俺がぶっ殺すんだよ! そうなんだよ!!!」

 なんてやつ――! なんてやつ!!! 殺しやがったんだ! 自分の母親さえ! 自分の母親を殺して、マリーまで殺そうとして……!

「あんたっ!!! 自分が何をしたか分かってるのっ!?」

「分かってるさ! 僕だけに分かってる! あの財宝の値打ちが分かるのは僕だけだ! 僕だけが洞窟の謎を解いた!」

「あんた、あれはねっ……!」

 その時、扉の影で大きな音がした。「ちっ」ラルナの舌打ちに嫌な気配を感じたその瞬間、マルコのひょろ長い腕がその首を引っ掴んでいた。闇から引っ張り出されたその顔にマルコが蝋燭を近付ける。

「……なんだ、エド、そこに隠れてたのか」

 灯が悪魔のような顔を照らし出し、次にエドの怯えた、だけれど負けん気の強い瞳を照らした。

「――ほんとなのかよ! あんたがマリーを攫ったのか!?」

「うるせえっ、小僧っ!」

 もう言い訳もしない。罵声と拳で答えるとマルコは懐から取り出したナイフをエドの首元に突き立てた。もう破れかぶれだ。どうかしている。狂ってる。爛々と昂揚に輝いた瞳――。

 エドは恐怖に震え、マリーは我を失って泣き叫んだ。私も、きっと狼狽えてる。

「……トンマが。帰ってろっつったのに」

 そんな中、ただ一人、ラルナだけが平然としていた。瞳には何の色も無い。石ころでも見るような無感動な目が斜めにマルコを見ている。

 虚ろな目でマルコを見上げ、エドは譫言のように言った。

「……なんで、なんでだよ。なんで、ばあさん殺して、マリーを攫って……。なんでそんなこと……」

「決まってんだろ。てめえと同じだ。金だよ、金。金の為だ」

「俺と同じ……? 違う。俺は、冒険が……」

「同じだろうが。楽して金が稼ぎたかったんだろ? 俺も同じだ。だが、俺は頭を使った。てめえらに見つけさせて横から掻っ攫う事にしたのさ。お前らはここで殺す。そして、明日洞窟は開ける。邪魔者は誰もいねえ。うるせえババアも上手く消せたしな。俺の財宝、俺だけの金だ……!」

 恍惚と響くマルコの声に混じって、いつの間にかラルナの笑い声が響いていた。喉の奥を鳴らすような小さな笑い声、だけどそれはマルコの得意を崩すには十分だった。マルコが眉を跳ね上げる。燃え上がる怒りの形相、それに対して、ラルナの顔はどこまでも冷たい。

「……道化たもんだよ。滑稽だな……。ありもしないもんを追っ掛けて……」

 ラルナは顔を斜めに上向けて、マルコを見た。憫笑に歪んだ顔が半分だけ灯に照らされ、もう半分は闇に沈んだ。

「……なんだとっ?」

 怯んだ声でそれでもマルコが虚勢を張る。揺れる切っ先の行き先なんて意にも介さず、呟くようにラルナは語り出す。

「……一ヶ月前だ。悪巧みしたゴロツキ共が町からある物を運び出した。奴らは町を出ると、ひとまず手近な洞窟に行って、その品を確かめて、山分けした」

 マルコが怪訝に眉を寄せる。ラルナは一瞥もくれないで、ふらりと闇に一歩踏み出し、テーブルに近寄った。顔貌はすっかり暗くなり、ラルナは世間話でもするような口調で続ける。

「――奴らはこう言って別れたのさ。『また一ヶ月後に』。一月後に次の品が完成する見込みだったからだ。……そして、奴らは各々そいつを捌きに行った。ところが、事は上手く運ばない。奴らの悪事はまんまと見抜かれて、早速騒ぎになった。奴らは焦った、考えた。そこで今度はこう決めたのさ。『少しずつ捌くのはやめだ。今度はまとめて売り払おう』ってね。その為には買い手を見つけなきゃならない。だから、奴らは仲間を増やした」

 テーブルを撫でるようにしながら、背を向けたままラルナは更に続けた。

「……それがテルーゾだ。品の買い手には財力のある田舎貴族辺りが適当で、有名人のテルーゾはその交渉役にはぴったりだった。なんせ“朱尾羽”だからね――。狙い通り、テルーゾは早速貴族と話を纏めてみせた。……そして、後は奴らは何もしなかった。洞窟を調べる事も調べている私達を妨害する事も――。その必要はなかったからだ。奴らは待っているだけで良かったんだ。一ヶ月後を。――商品の完成する一ヶ月後をね――」

 テーブルを撫でる左手が端まで行ってすとんと落ちた。人形のように力感無く左手を持ち上げると、ラルナは勢いよくテーブルに手を突いた。腕を軸にくるりと体を翻す。再び顔貌が灯に照らされ、双眸が怪しく輝いた。

「たった、それだけ。わざわざ語って聞かすまでもない。つまんねえ悪事だったのさ。――こいつをエドが拾わなきゃね」

 きんと高い音を立てて、ラルナが何かを左手で弾く。蝋燭の薄明かりでもよく分かる。それは特別な光だ――。太古から変わらない、翳る事無い永遠の輝き――。

 その音にその輝きにこの場の誰もが目を吸い寄せられる。宙を舞うそのコインは黄金に輝いている――。

 黄金の放物線を横薙ぎに掴み取ると、ラルナは指先のコインを一人だけ無感動な目で見つめた。

「……だいたい、不思議だったんだ。あの洞窟に金貨が隠されているとして、こいつはどこをどうやって転がってきたんだ? あそこは古代の祭祀場でエサタの夜に財宝の封印が解ける? じゃあ、こいつはどうして封印されないで落っこってたんだ? ……殺されたあの男は……お前が殺したあの男は職人だった。指先のタコで分かるよ。あれはゴロツキの手じゃない。真っ当な生業を持った男の手だ。あいつはゴロツキ達とつるんであそこで何をやってんだ? あいつが何故殺されたかじゃない。あいつが何者かでもない。あいつがあそこで何をやっていて、どうしてテルーゾ達と関係するようになったのか……。お前、知ってて殺したのか? ……取り分け念入りに掃除された部屋には大きな机の跡があった。そこには妙な粉が落ちてたよ。金属を削ったような細かなカスだ。まるで――鉛みたいなさ」

 コインの向こう、琥珀の双眸が輝いた。

「ねえ、こいつはいったい、なんなんだろうね?」

 蝋燭の灯に照らされた皇帝の肖像。ぐるりとそれを取り囲む七つのアビル文字。『至高にして永遠なる不滅の皇帝が統治する』――。

 憶測と先入観を取り払ってみれば、そこにあるのは――。

「――な、何を言っている!? なんの話を、しているんだっ!?」

 マルコが朱を注いだような顔で目を剝いて怒鳴り散らす。――分かってるんだ。本当は。だけど、分かりたくない。だから、分かろうとしない。脆くて大きなプライドをラルナの嘲笑が突く。

「――オオカミ座のアルクマート、トッツェンガッタの詩――。そもそも、誰が言い出した? あの洞窟は古代の祭祀場で旧帝国の財宝が眠ってる? そんな証がどこにあるんだよ」

 そうだ。ラルナの言う通りだ。それを言い出したのは他でもない。エドなんだ――。エドは冒険者になりたかった。冒険を探して、冒険に焦がれていた。自分の人生を変えてくれる偉大な冒険を――。

「――黙れ! 黙れ! 誤魔化そうたってそうはいかないぞ! 間違い無いんだ! トッツェンガッタの詩をアスティア文字に当てはめると“ギルロイ”の文字が読める。エティカ語で新月を表す言葉だ! つまり、洞窟が開くのは新月の夜。だが、太古には月の無い夜じゃなく、その翌日初めて月が出た晩を新月としていた。つまり、明日なんだよ! 新月の翌日、明日のエサタの夜に洞窟は開くんだ!」

 必死に捲し立てるマルコは耳まで赤くして、滂沱と涙を流している。まるで子供が駄々を捏ねるように――。彼もまた信じたかった。手っ取り早く金を手に入れられる儲け話を――。いや――挫折し、燻っている自分の能力を証明する機会を――。

 皆、信じたかったんだ。果てない冒険と財宝のロマンを。そして、皆信じていた。自分だけは特別だって。自分だけは知っているって――。

 私も同じだ。ラルナと冒険がしたかった。だから、私は気づけなかった。いや、気づかないようにした。見ないようにしたんだ。つまらない現実よりも、空想の方が心地良いから――。私はその空想でラルナを救ってあげたかった。傷付いたラルナを――。

 だけど、現実はどこまでも惨く、寂しく、哀しかった。あの雪原が眼前に蘇り、差し込んだ冷気が指の先までしんしんと響いた。冷たい石の窓から覗いた雪原は果てしなく、風は蕭々と止まない。

 あの風を真正面に受けて、ラルナは煤けた笑みを浮かべている。全世界を睥睨し、嘲笑する傲岸な笑み。何物をも信じず、自分さえ信じられない哀しい笑み――。その右手はいつの間にか小さなナイフを握り込んでいた。

 見せつけるようにコインを摘まみ上げると、にやっと歯を剝いて、ラルナは獰猛に笑った。

「――やめろっ!」

 マルコの叫びが悲痛に響く。不敵に虚ろに笑いながら、ラルナはコインを噛み砕いた。

 呆気なくコインは割れて、嘲笑うように突き出した赤い舌の上で、その断片が鉛色に光っている。愕然と目を見開いたマルコに向かって、ラルナはぺっと鉛を吐き捨てる。夢の残骸、虚妄の本体――。

 悍ましい雄叫びが上がった。マルコがナイフを振り上げていた。

「黙れっ!!!! 黙れっ! どいつもこいつもぼくをバカにしやがってっ!!!」

 そして、白刃が閃き、真っ赤な血が舞った。

 死んだのは、マルコだった。

 虚ろな目が残響のように震え、半開きの口から鮮血が溢れる。マルコが突き立てたナイフはエドの頸筋に届く事無く、代わりにラルナのナイフがマルコの頸筋に深々と突き刺さっていた。ラルナがナイフを放せば、それと共にマルコのひょろ長い体も倒れた。

「……度し難いね。司祭様。神様が言うわけだ。――人間死ななきゃ救われないってさ」

 返り血に半分真っ赤に汚れた顔で、ラルナは酷く淋しく笑った。

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ノラクラホアカ 在野荒 @arinosusabi

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