第2話 トイレが無ければ窓があるじゃない
お
部屋にはろうそくの明かりが一つ。真っ暗闇ではないが、かなり暗い。それにろうそくはやけに短い。すぐに消えるぞ。さっさと寝ろ。と言わんばかりだ。間違いなく一時間ももたずにこの部屋は暗闇に包みこまれる。
修斗は真っ暗闇になる前にやることがあった。寝る前にやらなければならない重要なことだ。修斗は木窓を開けた。外からは涼し気な空気が吹き込んできて、薄っすらとかいていた汗を乾かせてくれる。
窓の外は部屋と同じくらい暗い。月は出ていないから星あかりのみ。歩くのにも苦労するほどの明るさだ。
修斗は周囲をキョロキョロと見回す。勿論、何も見えない。耳を澄ましても聞こえてくるのはチロチロチロとかキーチョンキーチョンとか虫の音だけだ。これはチャンスと判断して、礼服のズボンのベルトを緩めチャックを下ろす。室内に置かれていた椅子の上に立ち木窓に標準を据える。
「やるしかない」
修斗は自分の決意を確かめるかのように口にする。だって仕方がないじゃないか。トイレが無いなら何処かでやるしか無い。廊下の柱に向かってするよりは、窓から放尿した方が百倍は衛生的だ。それに、王女等も窓から捨てていたじゃないか。全然問題ない。
屋外に対して戦闘態勢に入った修斗だったが、すぐに発射することはできない。暴発しそうなのにストップがかかっている。
そりょそうだよな。今いる部屋は二階。こんなところから放尿するなんて現代日本では絶対に許されない。法律的にも罰則を受けることになるだろうし、道義的にもありえない。もし、そんな理由で警察に捕まってネットにでも晒された日には、人生終了のお知らせだ。遠くに引っ越したうえ、数年経って忘れ去られたと思っても、まとめサイトでーす。とかユーチューバーでーす。ってのりで
「俺はやる時はやる男だ!」
生理現象をそんな倫理観がストップさせていたが、異世界で膀胱炎になるわけにはいかない。修斗が気合を入れ直すと、今までのストッパーがなんだったのか。と言わんばかりに主砲はムクムクと動き出して攻撃を開始する。
もし、昼間だったら放物線を描きながら地面へと降り注ぎ、虹でも見れたのだろうか? などと大きく深呼吸をしながら溜まっていたものを吐き出していると、「きゃあぁ」って叫び声が聞こえる。
あれ? もしかして下に人がいた? でも、もう二十一秒は経過している。残弾は……、最後、ピュッと発射して終了だ。今更、どうすることもできない。出てしまったものを減らすことはできないのだ。
修斗は慌てつつも音を立てないように木窓を閉じる。位置関係から犯行はバレてしまうだろうと思いつつも、王女のメイドも窓から投げ捨てていたのだから問題はない。建物の近くを歩くほうが悪いのだ。そう考えることにして、ズボンとワイシャツを脱いで椅子にかける。これからどうなるのだろうか。今日は寝ることなどできそうにないな。そう考えながらベッドに横になると疲労が蓄積されていたのか、アルコールの影響か、それとも尿意からの開放感のせいか、すぐに意識が飛んでいく。
★ ★ ★
「犯人は何処だ!」
大きな声が廊下の方から聞こえてくるのと同時に、鎧が放つカシャカシャとした金属音が響き渡る。ぐっすりと眠っていた修斗だったが、あまりの騒々しさに目を開く。
部屋の中は暗闇に包みこまれていた。夜のように真っ暗ではない。ところどころ、壁の隙間を通り抜けてくる光で歩く程度には不自由しない。
修斗はもう一眠りしようかと思ったが、お腹がグウと鳴った。思い出せば、昨晩から何も食べていない。勇者扱いされているのだろうから、食事くらい用意してもらえるだろう。そう考えて、昨晩、椅子に脱ぎ捨てた礼服を着てから部屋を出る。
「何があったんだ?」
部屋から出た修斗は歩いている男に声を掛ける。
「不届き者を捕まえたのだ。今から、陛下が処罰を下す」
「盗みでもしたのか?」
「いや、部屋から小便を捨てた奴がいたんだよ」
「それは問題なのか?」
「大問題だろ。もういいか? 悪いが、忙しいんだ」
「ついて行っても大丈夫か?」
男は修斗のことをジロジロと見る。
「お前が噂の勇者か?」
「そうみたいだ」
「なら、好きにしろ」
修斗は男について行き、星の間と呼ばれる部屋に入る。部屋の奥には国王が一人だけ豪奢な椅子に座っていて、横には王女が立っている。その左右には武装した男らと年配の男らが数人いる。
その手前に、跪いている人間が二人。服装的に男。明らかに裁かれる立場の男たちと判断して修斗は近づこうとするが、先程声をかけた男に手を掴まれて止められる。
「その方が禁止をされている排泄物を窓から廃棄したのだな」
王の隣に立つ武装していない男が詰問をする。
「いえ、そのようなことは」
「だが、被害者がいるのだぞ。その方は、証言者を疑うのか?」
何を言っているのだ? 昨日、姫だって命令して窓から汚物を投げ捨てていたではないか。修斗は不思議に感じながら隣の男に小声で訊く。
「窓からってみんな捨ててるんじゃないのか?」
「みんなやってるけど、決まりでは駄目なんだよ。特に下に偉い人がいた場合は大事なんだ」
「誰か被害者が?」
「はっきりとは言わないが、王女殿下が被害者らしい」
「どうして王女が夜に王宮の外に?」
「そりゃ、花を摘みに行くことくらいあるだろ」
修斗は首を傾げてから、ポンと手を叩いた。そして、メチャクチャ長いため息をつく。
「それ、本当の話か?」
「多分な。違ってたらこんな大事にはならない。だから、あいつ死刑は免れないだろうな」
「死刑? 大げさな」
「まあ、殺されるのは従者かメイドなんだろうが、下級貴族らしいからここから追い出されるのは間違いないだろうな」
修斗は胸を抑えながら男のことを見る。
「どうしたんだ?」
「本当に死刑になるのか?」
「聞いていればわかるだろ」
もう、これ以上は黙っていろ。と言わんばかりの言い方に、修斗は黙る。ゴクリと唾を飲み込んで耳を澄ます。
「陛下、これはきっと何かの勘違いかと思われます。昨晩はいつもより暗い夜でございました」
「貴様ッ! 陛下の御前でいつ言葉を口にする許可を与えられたのだ」
頭を上げて答えていた男は、そう言われては何も反論することができない。とばかりにうなだれる。もう、すべてを受け入れるしかない。そんな態度を見て、国王は満足したように小さく頷く。
「それでは、判決をくだす」
国王が言った瞬間、修斗は一歩前に踏み出る。
「お待ち下さい!」
その場にいる全員の視線を浴びた修斗は、一瞬体が動かなくなる。余計なことを言えば、自分が処刑される可能性もある。そう思いながらも、もう一歩前に踏み出す。
「昨晩、窓から放尿をしたのは私です」
修斗は自分で言ってからその場から逃げ出したくなる。だが、それは不可能だと考えて腹をくくる。
「勇者殿、何を言われている」
陛下の横にいた男がたしなめるように言う。それと同時に、ひそひそ話が始まる。きっと、自分が死刑になるかどうかを話しているのだろう。そう修斗は考えながら話を続ける。
「聞いて下さい。昨晩、窓を開き放尿をしてしまいました。下に人がいるなどとは思っていなかったからです」
「なんと! 勇者殿、それがどのような罪になると承知されていなかったのか?」
「はい。この国の決まり事を知らなかったのです。と言いますのも、我らの国では許されていたのです。暗い夜は窓から放尿をして良いと。できれば、高い建物からしたほうが良い。そのほうが、よく飛ぶからとの理由で」
修斗は、自分が無茶苦茶なことを言っている。と理解していた。それでも、そう言うしかない。もし現代日本でそんなことしたら、デジタルタトゥとなり、永遠に語り継がれるほどの愚行である。などとは言えるはずもない。
「勇者殿は、いつも窓からしていたと言われるのか?」
「はい。もう、幼少の頃からガンガンやってました。友人より長く飛ぶのが自慢でした」
やけくそになった修斗が適当なことを答えると、更に騒がしくなる。
「流石、勇者様の出身の国は豪快だ」「我々も決まり事を変えるべきでは」
修斗は唇をキュッと結んで国王のことを見ると、王女が俯きながら国王の服をギュッと掴む。
もし、ここで死刑を宣言されたのならば、必死になって逃げてみようか? いや、そんな必要ないか。どうせならここで死のう。こんなに非衛生的な環境では、きっと長生きなどできやしない。それならば、もう一度、転移でも転生でもできる可能性に賭けたほうがマシだ。
覚悟を決めていると、王女が国王の耳元に顔を近づけている。自分に恥をかかせた男を最大の刑罰で殺そうというのか。修斗が、拷問されて殺されるのだけは絶対に嫌だと考えていると、国王が横に立っていた部下を呼びつけている。
少しの間、話し合っていたかと思うと、全員が持ち位置に戻り姿勢を正す。
「勇者殿、本来ならば、相応の処罰をくだされるところではあるが、実際の被害者がいなかったこと、まだこの国に来て日も経たず法をご存知でなかったこと、国家の使命を果たされる必要があることから、今回の件は不問とする」
男の言葉に国王が満足そうに頷くのを見た修斗は、心の中で胸を撫で下ろす。安堵の息を吐きたいところを我慢していると、男は更に話を続ける。
「但し! 即時、魔王討伐に向かうことを我らは要請する」
「ちょっと待ってください。魔王討伐と言われましても、自分は、魔王の棲家を知りませんし、武器もありません。あまりにも情報が少なすぎます」
修斗は男に向かって反論する。一度、死を覚悟したら、勇気が出てきた。討伐に失敗して魔王に殺されるとしても、放尿の件で処刑されるとしても、不衛生で病死するとしても、どれでも一緒だ。そもそも、こんな世界で長生きしたくもない。不敬罪でもなんでも受けてやる。そんな気持ちでいると、国王がニッコリと笑顔を見せる。
「勇者殿、当然のことだ」
国王が椅子から立ち上がり、自ら近づいてくる。周囲の男たちが、国王を止めようとするが、国王はそんなこと気にしない。修斗の目の前まで来て手を差し伸べてくる。
「くっ!」
修斗は反射的に頭を垂れる。強烈な威圧感……じゃなくて、異臭。プレッシャならぬ悪臭。修斗は、もうこの世界に慣れたかと思ったが、国王は並の人間とは放つ臭いが違う。くさい……。
「我が国のために頼む」
修斗は頭を下げていたのに、国王の手が見えてしまった。払いのけるわけにはいかない。もう、毒を喰らわば皿までの勢いで国王の手をがっしりと握りしめる。
すると、周囲からおおぉーという歓声が上がった。勿論、修斗を褒め称えているわけではない。王の権威に対して同調しているだけのことだ。
「監察官、勇者殿に説明を」
国王が戻っていくのを見て修斗は顔を上げる。臭いは距離に影響される。そう思いながら見ていると、監察官の男が前に出て話を始める。言い方が回りくどいが、どうやら、路銀をやるから後は自分でなんとかしろ。ってことらしい。
「ちょっと待ってください。魔王ってのは何処にいるんですか?」
「それは、魔族に案内させる」
監察官が衛兵に命令して少ししたら、頭に一本の角を生やした子供を連れてきた。角以外の見た目は人間の子供と何ら変わりない。捕まっていたのだから、さぞかし臭うのかと思いきや、近づいてきても臭いがしない。あれ? と思っていると、監察官が話を始める。
「その魔族に案内をさせる。ただ、近づきすぎるな。病気になるからな」
「変な病気でも移されたのか?」
「そうだ。魔族は信仰心が無い。我々のように神の膜がない」
「どういうことだ?」
「魔族は愚かにも体を洗う習慣がある。だから、我々と違い神の加護を毎日のように落としているのだ」
監察官が言うと、何故だか周囲の男たちが笑い始める。まるで、魔族を頭が悪いと笑いものにしているかのようだ。
「国王陛下は! なんと、生まれてこの方、手を洗ったことがないっ!」
「うむ。精進せいよ」
修斗は反射的に握手をした右手を必死にズボンで拭う。ゴシゴシと擦っていると、王女が一歩前にでて国王に向かって
「陛下、私も勇者殿とご一緒させてください」
「なっ!! なにを!」
答えたのは国王ではない。横にいた監察官だ。もう少しで不敬なことを言ってしまったところだったとばかりに口を抑えている。
「当然ですが、魔王領までは行きません。国境付近までです。その間に、勇者様にこの世界のルールをご説明いたします」
「しかし、なにも王女殿下が参られずとも」
「この国で随一の魔法の使い手たる私が力不足とでも?」
王女の言葉に逆らおうとするものはいない。国王は椅子に座ったままで深くため息をついている。
「では、勇者様、そして、そこの魔族。魔王を倒しに行きますわよ」
王女、修斗、魔族の順番で部屋を出た。護衛を断ったというより、あからさまに拒絶をした王女の後ろを少し離れて歩く修斗は、王宮から出ると思いっきり空気を吸い込んだ。その場所も無臭というわけではなかったが、王宮より遥かにマシだったからだ。
「まず、体、洗おうな」
修斗は意気揚々と先頭を歩く王女を見ながら、魔族に向かって同意を求めるかのように話しかけた。
異世界召喚された勇者ですがトイレがなくて困っています 夏空蝉丸 @2525beam
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