異世界召喚された勇者ですがトイレがなくて困っています
夏空蝉丸
第1話 トイレがない!
「そなたが、異世界より呼ばれし勇者か。契約に従い魔王を討ち滅ぼしてこい」
修斗は王のことを睨みつける。だが、何も言わない。どうして異世界に召喚されたのか。とか、どうして言葉が通じるのか。とか、どのような理由で魔王を倒さねばならないのか。とか、何故、命令に従わなければならないのか。とか、色々と考えることがあったが、そんなことはどうでも良かった。どのような要求であろうとも、この場から離れることができるのならば、すぐさまにでも受け入れる気持ちになっていた。
だから、修斗は頷く。黙って頷く。できるだけ小さく無駄のない動きで同意を示し、呼吸数を減らそうとしていた。何故ならば、謁見の間が臭かったからだ。野生動物を押し込めていた小屋のような獣臭さに加え、汗や糞尿、さらには、奇妙な香水の臭いが混じり合って、吐き気をもよおしていた。おええぇ。
なんでも良いからさっさと終わってくれ。修斗が心の中で強く願っていると、王は嬉しそうな笑みを浮かべて立ち上がる。
「もし、そなたが、魔王を倒したあかつきには、姫を娶ることを許そう」
王が手のひらを差し出した先に、美しい女性が立っていた。見た目は二十歳前後であろうか。アラサーの修斗から見れば少し年下すぎるようにも感じられたが、悪くはない。修斗は、ハッとして大きく呼吸をしてしまいむせかえりそうになるのを我慢する。
「折角であるから、姫に部屋を案内させよう。旅立ちは明日からするがよい」
「御意」
なんとか空気の消費の少ない言葉を選択した修斗は、姫が近づいてきたのを見て立ち上がる。どうせ、護衛はつくだろうが、案内されるなら護衛だけより姫がいた方が良い。テンションがあがりかけた修斗は、姫が近づいてくるのを見てあることに気付いた。
「鼻毛……」
修斗は、思わず呟いてしまった。ありえないと叫びたくなった。姫の鼻から、一本、いや左右の鼻から計二本の鼻毛がピヨーン。とはみ出している。まるでこれがこの国のマナーです。と言わんばかりに姫の顔の中央で主張している。
失礼。と言って引っこ抜きたくなる鼻毛だが、抜けるはずがない。姫の顔に手を近づけることですら許されないだろう。当たり前だが、鼻毛が出ていますね。などとも言えるはずもない。
修斗は姫が近づいてきて、反射的に顔を伏せる。礼儀ではない。勿論、鼻毛を見て笑わないようにするためでもない。単に姫が近づいてきて、アンモニア臭が強くなったからだ。視線を躱せば臭いが消えるわけでもないのに、直視ができなくなったのだ。
「おお、こたびの勇者殿は謙虚だ」
修斗はそんな声を聞いたような気がしたが、どうでも良かった。まず、この場所から脱出したい。次にこの姫から離れたい。頭の中がその二つで占有されていたからだ。
「それでは、勇者殿こちらへ」
修斗はエスコートされて謁見の間からでて一息つく。王宮の廊下は、謁見の間よりひんやりしていて風通しが良い。変な臭いはするものの謁見の間ほどではない。もし、晩夏でなく真夏であれば、卒倒していただろうな。と修斗は考えながら案内された部屋に入る。
部屋は豪奢だった。白を基調とした円形の部屋で床には赤と白の植物の葉であろう模様が描かれた絨毯が敷き詰められている。奥には一人で眠るには十分のサイズのベッドが置かれ、部屋の中央には凝った模様が描かれたクロスが敷かれたテーブルと数脚の椅子が置かれている。
「ここが……」
「はい、私の部屋です」
突如、姫の部屋に招き入れられた修斗は、不埒な展開を想像するが、部屋の中に二人の女性が一緒に入ってくる。この二人の服装は、姫より豪奢ではないが、明らかに質が良い。メイドではなく、お付きの女性だと判断した修斗は、姫に言われるままに椅子に座る。
外には衛兵が立っている。何もする気はないが、姫の不興をこうむるような発言もできないな。と、修斗は冷静になって考える。
「姫さま、どうして、こちらへ?」
「異世界の方のお話をお伺いしたくて。ほら、私たちは王宮から出る機会があまりありませんの。ですから、数十年ぶりの勇者様のお話を是非、お聞かせ願えないでしょうか?」
本当ならば、是非とも。と答えたい修斗であったが、この部屋も奇妙な臭いが充満している。これでは息苦しくて無理。そう言うのを我慢しながら立ち上がり、部屋の奥へと行く。
「姫さま、これは美しい庭園が見えますね。是非、この庭園を見ながらお話をさせてください」
修斗は、姫の許可が出る前に窓を勝手に開ける。しかも複数。もし、これで何らかの処罰をされても構わない。この異臭の中にいるよりマシだ。覚悟を決めていたが、姫は修斗の行動に対して、何も言い出さない。その代わりに、話を始めるように促される。
祖父の葬式からの帰りに、突如、異世界召喚された修斗は、何を話せばよいのか迷った。異世界に来る準備なんかしていないし、ネタだって無い。そもそも、歴史の共通認識がない人間にどんな話ができるのか。悩んでいると、部屋の中に複数のメイドが入ってきた。
「勇者様、遅くなり失礼いたしました。飲むものが無ければ、舌も回らない。とも言います。ワインとケーキをご用意いたしました」
メイドからグラスに入れられた赤ワインを修斗は受け取る。姫はワインと言っていたが、本当に異世界にもワインがあるのだろうか。修斗は考えながら、姫の許可を得て赤ワインを口にした。
芳醇な果実味が漂ってくる。ただ、渋みがちょっと強い。マズイ訳では無いが、修斗の好みではない。それでも、飲めなくはないな。と考えながら、現代日本の話を始めた。途中で、どうせわからないだろ。とありえない話も付け加えていると、姫が更にワインを勧めてくる。
まだ残っているから。とか、異世界ではゆっくり飲むのがマナーです。などと修斗が飲むペースを抑制している横で、姫と二人の女性はどんどんとワインを消費していく。時々、ケーキにも口をつけるが、水を飲むようにワインを飲み干していく三人を見て、修斗は嫌な予感に苛まれる。だが、余計なことは口にせずに自分のペースを守っていると、突如、姫が立ち上がる。
「本日は、飲みすぎてしまいましたわ。ちょっと、失礼いたします」
そう言うと姫はフラフラと千鳥足で、修斗の傍に近寄ってくる。何事? と修斗は身構えるものの、アルコールで色々な感覚は鈍くなっている。臭さも鼻毛も今の状態ではあまり気にならない。それより、美しくスタイルの良い姫の行動に脈拍数が早くなる。
このまま自分の隣に来るのか? と思いきや、姫は、修斗が腰掛けている場所の別の窓の手前に置かれている穴が空いた椅子に座る。大きくふくらんだ釣鐘型のドレスを確認するように座り直した姫を見て、修斗はとても嫌な予感がした。あまり見てはいけないのか。と思いきや、姫は何事もないかのように、女性たちと会話を続けている。
修斗は、良かった。嫌な予感は当たらなかったんだ。単に飲み過ぎて風に当たりたくなっただけなんだ。内心ホッとしてメイドから新しいワインを貰って口をつけた瞬間、じゃーーーーという音がした。犬だって電柱にかける時にこんな音しないよ。と言いたくなる音量に、修斗は飲みかけたワインを吹き出しそうになる。
両肩をブルっと振るわせてから恍惚の表情を浮かべる姫の顔を見た修斗は、何も考えずにグラスに入っていたワインを飲み干す。なんて声をかければ良いのだろうか。修斗が悩んでいることなど気にしない姫は立ち上がると、自分の座っていた席に何事もなかったかのごとく戻っていく。
「次、よろしいですか?」
修斗は目を大きく見開いてぐるぐると動かす。二人の女性が姫に許可を取って、同じようにその穴開きの椅子を順番に使ったのだ。
何が起こったのかわからない。いや、わかりたくもない修斗が、これは異世界だ。異世界だ。と念じていると、最後に穴開き椅子を使用した女性が立ち上がる。
「姫様、もう捨ててしまってよろしいですか?」
「ええ、構いませんわ」
姫の許可を得た女性は、メイドに命令をした。すると、メイドは何事でもないかのように、穴開き椅子の下から四角い陶器を取り出し重そうに持ち上げる。そして、修斗が開けた窓から中身を捨てる。
修斗が呆然として固まっていると、陶器を片付けたメイドが近づいてくる。
「追加のワインはいかがですか?」
「いや、遠慮しておくよ」
メイドに対して修斗は拒否をしながら、せめて手を洗ってこい。と怒鳴りつけなかった自分自身を褒めたい気分になっていた。
「先程から、ご機嫌がすぐれないようですが、いかがなさいましたか勇者様」
「異世界召喚で疲れているから、酔いが回ったようです。本日はそろそろお暇をいただけないでしょうか?」
姫に問われた修斗は言外に部屋に戻りたいと強く主張する。不満そうな姫たちであったが、勇者は自分たちの暇つぶしのために召喚されたわけではない。渋々だが戻ることを許可した姫は、衛兵に付き添いを命令した。
修斗は、衛兵に連れられて勇者が宿泊するために用意された部屋に入り一つのことに気づいた。すぐに部屋から出て姫の部屋へと戻ろうとする衛兵を捕まえる。
「済まないが、トイレの場所を教えてくれないか?」
「トイレとは?」
衛兵に逆に質問されて修斗は戸惑う。先程飲んだワインが膀胱に溜まっている。暴発は時間の問題だ。
「人間の生理現象を満たすためのものがトイレだ」
「何を言っているかわからん」
「小便は何処でしているんだ?」
苛ついた修斗は直球で質問をする。と、衛兵は眉間を寄せる。
「お前、男なんだろ」
衛兵は、そう言うと、修斗の手を振りほどいて戻っていく。
追いかけようかと考えた修斗だが、これ以上の回答は帰ってこないと判断してうなだれながら溜息をつくと、廊下の柱の色が黒く滲んでいて、アンモニア臭を発していることに気づいた。
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