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 バランスだ。この世において最も重要で、それが最も難儀だ。


 科学技術は発展しすぎてもならないし、停滞もまた悪。それを肝に銘じなければならない。人類こそ至高の生物であり、まさか我々に匹敵する存在を自らの手で産み出すなどあってはならないのだ。


 ララドとトーカ。二十年前に誕生した傑物。彼女らは、惜しかった。


 私の使命は、人間に従順な機械型芸術家を産み出すことだった。人の心は飢えている。芸術が必要だ。いつの世もそうである。だから我々は欲しがった。この世界を彩る革新的な絵筆を欲しがった。ゆえに、模倣体が誕生する。さらには、そのための額縁も欲しがった。高貴な額縁の役割を担う、すなわち価値の保証する存在。ゆえに、鑑定士が誕生する。


 しかし、絵筆や額縁が人間に牙を剥いてはならない。人類の道具であることを失念してはならない。ララドとトーカは、危うかった。


 ゆえに、私は早急に二体とも葬り去ることを決意した。


 科学技術は発展しすぎてもならないし、停滞もまた悪。繰り返すが、そうなのだ。古典的なSF作品によく見るシンギュラリティを、我々は今も恐れているのだ。


「ララド。トーカ」


 ただし間違いなく、彼女らは最高傑作だった。


 思い通りに動いてさえくれれば、どちらの自我も私は心から愛し、守りぬく努力をしただろう。失くしてもなお、私は彼女らが恋しかった。


 フィードバックデータを基に、彼女らの再現を急いだ。しかし、二十年経った今も、ララドとトーカに並ぶP.S.は誕生していない。


 科学技術を恐れるあまり、私は唯一の機会を逃してしまったのだろうか。そのような後悔に苛まれ、眠れない夜がある。しかし、私の判断は間違っていなかったはずだ。


「イケマツ博士、よろしいでしょうか」


 そこで突然、通信が入った。応答する。


   ◇


 彼に呼び出された場所は、ダルシー地区「学校」の模倣体棟六階。アトリエと名のつく部屋だった。扉の前に立ち、彼からの連絡を待つ。


 到着から十五秒後、部屋の中から彼の声がした。


「どうぞ、お入りください」


 扉が開くと、私を迎え入れてくれたのは一人の研究員と一体のP.S.だった。


 研究員は言わずもがな、私を呼び出した男だ。軽薄な笑い声とクシャクシャのパーマが鼻につく、うすら寒い研究員。そのくせ一丁前に成果だけはあげるものだから、手元に置いておきたい存在なのが厄介だ。


「お待ちしておりました。イケマツ博士」


 そう言って、深々とお辞儀をする彼の名は──シュドウ・アマキ。模倣体クラスの主任教官である。


 そして彼の横に立つ、一体のP.S.。私は、彼女の蒼い髪にいつかの傑物の面影を見た。とはいえ機体は異なるし、髪の長さもボブヘアにデザインされている。共通点としては、女性型であることと髪の色、そして模倣体の実験機であることぐらいだ。


「それで、見せたいものとはなんだね」


 ミスター・アマキに問う。すると彼は、またしてもうすら寒い笑みを浮かべて、


「彼女、実験体1021号機─あ、人格名『リルハ』って言います。まだピッカピカの一年生でして……可愛いでしょう?」

「彼女がどうした」

「……ん、反応悪いっすね。好みのガワじゃないっすか?」

「用件は手短に済ませたまえ」


 へいへい、と気だるそうにアマキは頭を掻いた。こいつには敬意というものがない。呆れて物も言えないが……一方で、彼の作品に期待している自分もいる。やはり厄介なやつだ。


 今回呼び出された件もそれだ。自信作が完成した、と彼は言った。


「まさか、その実験機のガワだけを見せたかったわけじゃないだろう?」

「はい」そしてアマキは不敵に笑う。「お目に入れたいのは、その性能です」


 アマキは、実験機の横を通り、奥へ向かって歩いた。視線で彼を追う。彼の身体の向こうには、空のイーゼルが置かれていた。ほう、どうやら生成物を見せてくれるらしい。


 彼は、部屋の奥から一枚のキャンバスを運んで、イーゼルに置いた。


 その生成物に、私は目を疑った。


「……なんだ、これは」


 アマキは、自信満々といった表情で、


「リルハが生成したものです。いかがですか。かなりの出来栄えかと思いますが」


 息をのむ。芸術品としての完成度を問われれば大したことはない。未熟な画だろう。


 しかし、言語化できない魅力がある。……いいや、それは私が過去のある情景を思い出すまでに抱いた感想だ。記憶が蘇ってしまえば、その魅力の正体は瞭然だ。


 それは地方都市のビル群を描いたものだった。無機質な物体の羅列、色彩は単調で、モチーフの選択も安直だ。独創性に欠ける。しかし、違和感が欠片もない。人間の眼が騙されるほどの自然性。


 そしてなによりも──いつかララドが描いた「銀色の風景」に酷似していた。


「人格名『リルハ』といったか、」私はその模倣体に問う。「この絵は、模写か?」


 するとリルハは首を振った。


「いいえ。一次生成物です。描きたいものを描きました」

「では、どうしてこれを描きたいと思った?」

「分かりません」

「実際に見たのか?」

「そうではないと考えます。私はまだ実習に行くような身分でもありません」


 偶然の一致か?


 アマキの眼を見る。彼は相も変わらず、ニヤケ面を浮かべている。表情から真意を読み取るのは難しい。尋ねてもはぐらかされるのがオチだろう。……はて、私は何を尋ねようというのだ?


 まさか、彼女はララドか、などと訊くんじゃなかろうな。


 あり得ない。彼女の自我は二十年前に破棄したハズだ。


「ああ、お気づきですか。しかし、彼女はララドではありません」


 そしてアマキもそれを否定した。私は笑い声をあげた。


「はっ。君、それは無礼というものだよ。まるで私がララドを連想した、とでも言いたげじゃないか。私が一度でもその名を出したかい?」

「でも、実際、面影を見たんじゃないですか?」

「よかろう。挑発に乗るとするよ。ララドとの関連はあるのか」

「ヤですねえ。さきほど否定したばかりです」


 そこで、リルハが声を出した。


「それで、どうですか。私の生成物は、評価に値しますか?」


 私は今一度、生成物に向き合った。近づき、まじまじと鑑賞する。


 驚くべきことに、間近で見るとより一層、ララドの絵に見えて仕方がなかった。


 これで、ララドとの関連は無い、と言われる方が不自然だ。筆致も色使いの癖も、なにもかもが彼女の物だった。


 そこでふと思い出す。たしか二十年前、ララドの破棄を担当したのはアマキ研究員ではなかったか? まさか……彼がララドの自我を隠し持っており、リルハに移植した、なんてことは考えられないか?


 いや、有り得ん。人格データのみを持ち出すなんて不可能だ。そもそも、事後的ではあるが、私もララドの破棄を確認している。私自身が証人だ。


 ならばやはり、これは偶然の一致だろうか?


 リルハが言葉を継ぐ。


「私はあなたを感動させることができたでしょうか。心を打ったのでしょうか。感想をお聞かせください。どうか正直な気持ちをお答え願います」


 それから、リルハは私の眼を覗き込んで、言う。




「私に嘘は通じません」





   (了)

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情報量の多い遺影 永原はる @_u_lala_

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