3. 地導異技

「一つ目はこの場所についてだ。儂ら地導使いはそれこそハルが生まれるずっと前からこの聖域を調べてきた。この場所は誰がどのようにして作ったのか。この気味の悪い巨像は何なのか。地導に呼応して開くあの石扉は一体どういう理屈なのか。しかしどれだけ古い文献を漁り精査しても、この地は地導使いにとっての聖域である、という以上の情報を得ることは出来なかった。シャルが言及しておったこの黒石についても同様じゃ。先代達はここを形作るこれらの石を何とか活用出来ないかとあの手この手を使って切り出そうとした。しかしどれだけ上等な石切り刀を用いても、どれほど強い衝撃を与えても切り出すどころか僅かでも削ることは叶わなかった」

「でも、ここの石達は皆傷だらけよ」

「そうじゃ。この地が何時作られたのか、ということすら定かにはなっておらぬ。しかし、この石を傷つけるだけの術と、傷塗れにするだけの何かが、儂らが生まれる遥か前に存在していたことは確かじゃ。そして像と対をなすこの壁画―」

トルクは改めて壁画を指さす。

「お主らも分かるであろうが、この絵は炎槌の様を表したもので間違いないじゃろう。この絵が掟と同じ戒めであるとするのならそれ以上のことは無いが、もしこれを歴史と見るのなら、一つの可能性が見えてくる。シャル、お主にはそれが分かるか?」

「それは…」

シャルは壁画をぐるっと見回す。これだけ大きな壁画、描き上げるのにはかなりの労力と時間が必要なはずだ。しかしそれらを払ってでも伝えたいものがある。これを描いた者にはその思いが必ずあるはずなのだ。

(絵を歴史と見る…はっ!)

そこでシャルはとあることに気が付く。トルクの言う通りこれを只の戒めとするのならそれが持つ意味はそれだけしか無い。しかし歴史と見るなら絵が持つ意味は二つあることになる。即ち、現実に起きた事を簡潔かつ分かりやすく伝え、そして同じことを二度と繰り返さないようにすることだ。

「まさか、炎槌はハルの罪以前にも起こっていた…?」

「…」

トルクはそれだけの結論では何も反応しない。

「その時の炎槌はここを作り上げた人達だけじゃなくその技術、それらを記したものもろとも全てを燃やし尽くしてしまった。そしてこの絵は生き残った人々が再び炎槌が起きないよう戒めとして後世に残した…?」

「流石じゃ」

そこまで聞いて、トルクは大きく頷く。

「確かな文献や物証が無い以上、儂らはそれ以上の結論を出すことは出来なかった。炎槌は地導使いの争いによって死人が出た時に初めて発動する。ここにある数多の傷は恐らくはその時の戦いの跡なのじゃろう。それが何故起こったのか、その戦いの地の中心に佇むこやつが一体何の意味を持つのかまでは結局分からずじまいじゃがの」

トルクはその言葉を最後に二人に向き合うと、足元に転がる黒石の欠片を拾い上げる。

「さて、シャルが見事にその答えを言い当ててしまった以上、この話はここまでにして二つ目に移ろう。先程儂はこの地は地導使いにとっての聖域である、という以上のことは一切分からぬと言った。しかし、その情報それ自体は何も間違いではない。この地には聖域とされるだけの力が眠っておる。それを今からお主に見せよう」

トルクは拾った欠片をシャルに良く見えるように彼の顔の近くに持ってゆく。

「…びっくりして心臓止めるんじゃないわよ」

横で見守るチェナがそう彼に忠告する。勝手に動く扉を開けて、こんなに訳の分からない場所を訪れた上でも尚、それほど驚くようなことが起こるというのか。シャルは不安と期待を込めてその欠片を見る。

「では、行くぞ」

そうトルクが告げた瞬間、彼が持つ欠片が陽炎のような淡い揺らぎに包まれる。それは地導そのものであったが、シャル達が纏う無色のものでは無く、彼らの持つ瞳と同じ緑に染まっていたのだ。

「地導に、色が…?」

しかしその次に彼の目に飛び込んで来た光景は、そんなことが些細に思える程に驚異的なものであった。地導が纏わりついたその欠片からは次第にその黒色が失われ、その代わりに透明でキラキラと輝くものに変わっていったのだ。そして石から地導が消えた瞬間、トルクが握るそれは冷たい黒紫色の石なのでは既になく、美しい光沢を放つ金剛石に変わっていた。

「これが、儂らが地導異技と呼ぶ、地導を超えた神秘の技。本来地導はその使い手だけに肉体の硬化という恩恵のみを与える。しかしこの力を得た地導使いはその地導を他の物質に与え、それによってこの世の理を捻じ曲げる現象を自在に引き起こすことが可能となる。儂の異技は今見せた通り、石や岩石と言ったものを自在に金剛石に変えることが出来る力じゃ」

「………!!!」

突如として明かされた、地導異技と呼ばれる技。チェナの忠告があったのにも関わらず、シャルは驚きの余り本当に心臓が止まったかのように身体を硬直させていた。

「大丈夫か?まぁ、そこまで驚いてくれるのならここまで勿体ぶった甲斐があったというもの」

シャルの反応を見たトルクは何処か嬉しそうであった。

「はい、大丈夫です…」

シャルは辛うじて口だけを動かす。

「そうか、良かったわい。お主らに与えたいのは正にこの力じゃ。言い伝えによれば地導異技はその使い手によって千差万別の力を見せるそうじゃ。儂のこの力では精々宝石商として大儲けするくらいじゃが、もしお主らがこれに選ばれたのなら、場合によっては火種を容易くねじ伏せるだけの力を得ることが出来るかもしれないのじゃ」

「…それは一体どうすれば?」

その声で衝撃が幾分か和らいだシャルはやっと金剛石と化した欠片から目を離す。

「これを」

トルクは懐から昨夜ルラルから預かった小箱を取り出し、それを開ける。二人でその中を覗き込むとその中には真綿の中に収められた二つの耳飾りが収められていた。しかしその内の一つは先端に奇麗な緑色の硝子細工が施されている一方、もう片方はその装飾に当たる部分が焼け焦げたようにどす黒く染まっていた。

「異技を授けるその場所は更なる重い扉に守られている。それを開ける為の鍵がこの耳飾りじゃ。さぁ、身に着けよ」

二人は小箱に手を伸ばし、それぞれ一つずつ耳飾りを手に取りそれを耳に着ける。黒く焦げたほうの飾りはシャルが選んだ。

「済んだようじゃの。では壁画に向かって今一度徴を示すのじゃ」

チェナは勿論、シャルにももう動揺の色は無かった。二人は真っすぐ壁画を見据え、ほぼ同時に徴を掲げる。しかし今度は徴を結んでも二人の身体に地導が現れることも、カチッ、という音も聞こえることも無い。

「お師匠様―」

「いや、問題無い」

トルクのその声が聞こえたその時、耳飾りを付けた耳たぶに奇妙な温もりを感じる。そしてその瞬間、飾りの硝子細工に強い緑の光が満たされた。その光は二人が驚いて徴を解くよりも早く真っすぐな細い光に変わり、壁画の中心を下から上に向かって高速でなぞる。

するとまるで光が壁を裂いたかのように、光が触れた部分を境目にして壁画が二つに開き、壁の向こうに続く新たな道を作り出した。その暗い道が口を開けた途端、鋭い冷気がそこから吹き出し、三人の全身を撫でる。

「二つ目の門も無事突破じゃ」


壁画に扮していたその巨大な石扉の先に広がっていたその部屋は石像のあった間と比較して奥行きそのものはさして変わらない反面、天井はずっと低く、そのせいかまるで細長い縦穴を覗き込んでいるかのような印象を与えた。また部屋は風化がかなり進んでおり、特に天井は今にも崩れそうな程であった。その部屋で、二人は先程浴びた冷気の正体を知る。部屋の最奥には床から天井を覆い尽くす程の巨大な氷柱が冷たい光を放っており、そしてその氷柱に根を張る一本の細い木が生えていたのだ。

「氷に木が…!?」

「あれ、トゥラグの木だわ…」

チェナがそう言う通り、それは紛れもないトゥラグの木であった。

「あの氷柱は草ノ大陸に埋没する凍土の一部が露わになったもの。そしてあの木こそ氷上に生きる神の木、『トゥラグ・モス』じゃ。…来なさい」

三人はトゥラグ・モスと呼ばれた木に歩み寄る。その幹の中ほどには地上のトゥラグの木と同じように一本の管が突き刺さっており、そこから滴り落ちる雫がその下に添えられた石の盆に貯められていた。

「シャルよ。お主はケハノの者故、行商達の扱う品々に関する知識に明るいと見た。お主は『雫』と呼ばれるトゥラグの樹液は知っておるか?」

「…はい」

「それはどのようなものかの?」

「雫はトゥラグの樹液の中でも最高の品質を誇る上質な蜜です。その甘みは何にも変えられぬ程美味で、その為に雫は西ノ国から直接買い取られたり、東ノ国、果ては海を飛び越えテルー帝国の皇帝にも献上されたりする品として高値で取引されています。しかしその流通経路は勿論、どこで採られているのかも明らかになっておらず、年に一度、突如として西ノ国の首都の市場に現れると言われている…まさか…」

「左様。その雫こそこのトゥラグ・モスから得られる樹液じゃ。この木から生まれる液は他のそれと異なり、幹から滴り落ちたその時から極上の甘味を持っており、儂ら地導使いは独自の流通路を用いて他の誰にも知られぬ事無く、この樹液の瓶を一つ年に一度売りに出す。お主の知っての通り、雫は国王達の口にも触れる品。例え一瓶であろうとも生み出す富は大きなものでありこの里を支える重要な品になっている」

「知らなかったわ。こんなところで採られていたなんて…」

トルクは石盆に近づくと、その近くに置かれている二つの盃をシャルとチェナに差し出す。

「女神は試しの泉にて地導を授ける時、同時に更なる才覚を持つ人間に地導異技を秘めたる力として与えるという。そしてこの雫こそ地導使いから内なる地導異技を引き出す鍵となる存在じゃ。シャル、チェナ。お主らがそれを望むのならこの盃を雫で満たし、それを口にせよ。お主らに地導異技が宿るのなら、雫はそれを引き出し、更なる力としてお主らをまた一つ強くするじゃろう」

二人は再度互いに顔を見合わせる。その顔に、瞳に、表情に既に迷いは無かった。二人は無言で盃をトルクから受け取り、順番に石盆から雫を掬い取る。

(これが、雫…)

かつてのシャルなら幻とも言われる品を手にした、という事実に心を躍らせていただろう。しかし今の彼の心を強く打つのは当然それでは無い。シャルは意を決し盃に口を付け、ゆっくりと雫を口に流し込む。外気に冷やされたその透明な液体はひんやりとした感触と共に、その噂に違わぬ極上の甘みをシャルにもたらした。

「…はぁ」

最後の一滴を飲み干したシャルとチェナは盃を唇から放す。だが、二人の身体には特にこれと言った変化は起こらない。

「終わったか」

トルクは先程と同じように石の欠片を足元から拾い上げ二人の前に掲げる。

「伝承では地導異技は命を持たぬ存在のみにその力を発揮するという。試しにこの石に触れて見よ。お主らに真に地導異技が宿るのなら、きっと何らかの変化を見せるはずじゃ」

「…分かりました」

先陣を切ったのはシャルであった。まるで熱いものでも触るかのようにシャルはその石に慎重に触れる。

「手に地導を纏ってみよ」

シャルが言われたようにしたその時、石が緑色の揺らぎに瞬く間に包まれる。

「!!」

そしてその力の正体が形になって現れた。シャルが地導を纏わせた石は次第にその形が溶けるように崩れ始め、終いにはドロドロの泥状になってトルクの指の隙間から零れ落ち、地面に広がる。

「もう一度この泥に地導を流して見よ」

「…はい」

震える手でシャルは地導を纏った手で泥と化した石に触れる。すると泥は再び緑に光り輝き地面に広がった形のまま元通りの硬い石になった。

「…どうやら儂の目論見は間違っていなかったようじゃの」

「これが、俺の力…?」

「シャル…!」

シャルが手にした地導異技。その力を見たトルクは満足そうに息を漏らし、チェナは目を輝かせている。

「……」

だが、当の本人のシャルは今の現象を自分で起こしたことが信じられないのか、自身の手と、泥状になって固まった石を交互に見ている。

「シャル、大丈夫…?」

「二人共、僕から離れて下さい」

突然シャルはチェナとトルクにそう告げる。

「シャル?一体…」

「言う通りにするのじゃ、チェナ」

彼の望み通り、二人はシャルから距離を取る。その瞬間、シャルは地導を纏った拳で自分の立つ床を勢いよく殴りつける。

「何を…!?」

「……」

するとシャルの足元から円状に緑の地導が広がっていった。先程よりも強い光を持った揺らぎだ。そしてその光の後、三人は足からずぶずぶと石畳に沈み始めた。シャルは先程石にしたのと同じように今度は石の床の一部を泥と化したのだ。

「シャル…!」

「案ずるな」

だがシャルは皆の足首が埋まる前に泥状になった石畳をもう一度殴る。すると地導と共に石畳は元の硬い床に戻った。

「トルクさん、突然申し訳ありません。でも、本当にありがとうございます…!」

そう言いながらトルクに振り返るシャルの顔はこれ以上ない程誇らしいものであった。

「ちょっとびっくりしたじゃない!それに私に対する謝罪は無いわけ!?」

そんなシャルにチェナは相変わらずの調子で𠮟りつける。

「ご、ごめん。夢中になっていてつい…」

「全く…!」

そんな二人にトルクは三度石の欠片を拾って見せる。

「次はチェナじゃ。お主も試してみよ」

「は、はい…!」

チェナもまた僅かに震える手で石に触れ、その手に地導を纏う。

(シャルが選ばれるなら、きっと私も…!)

しかしチェナが触れたその石は色付きの地導に包まれることも無ければ、その形が変わることも見た目が劇的に変化することも無い。

(そ、そんな…)

チェナは更に強く地導を纏う。掌全体に熱が籠ると共に指が次第に動かなくなってゆく感覚が伝わって来るが、尚も石はその表情を崩さない。

「…これまでじゃ」

トルクのその言葉は鋭くチェナの言葉に突き刺さった。自分にその力は無かった。その実感がチェナの心を蝕み始める。

「チェナよ…」

「はい…。やはり私には」

落胆を隠せないその声でチェナはそっと石から手を放す。

「そう肩を落とすな。何も地導異技は石や岩にのみに力を及ぼす訳では無い。いずれ、お主にも地導異技があると分かる時が来るかもしれん」

「はい、ありがとうございます…」

だが普段は飄々としているトルクも、今だけは流石に哀れみと罪悪感が隠しきれていなかった。あくまで賭けであることはトルクもチェナも分かっていたが、それでもあれほど火種を倒せるだけの力を得られるかもしれないと期待させておきながらのこの結果では無理も無いだろう。共に鍛えて来たシャルだけが目覚めたのだから猶更だ。

「さぁ、戻ろうか。最早ここに長居は無用じゃ」

二人から盃を受け取ったトルクはそれらを元に戻し、そのまま出口に向かって歩き始めた。

「チェナ…」

「いいの。やっぱり、私じゃダメだった。それだけよ」

「で、でも…!」

チェナは寂しそうに笑いながら首を横に振る。

「地導異技はね、その存在が伝承に残っているだけで過去にどんな能力の人がいたのか、それで何を成したとか、そういう話は一切残っていないの。きっと、それを記したものも過去の炎槌で失われてしまったのでしょうね…。だから仮に私が本当は地導異技に目覚めていたとしても、それが何にどんな作用をもたらすのか、それを調べ出すのは不可能に近いの…」

「そんな…」

「気にしないで。それよりも、本当におめでとう、シャル。貴方の言う通りその力ならきっと…」

「…くっ」

シャルはそこで踵を返すと、やりきれない表情を浮かべながら無言でトルクの後を追って行った。

(馬鹿ね。私のことなんか気にしないで素直に喜んでおけばいいのに…)

そう思いつつ、チェナも二人の後を追う。

壁画の道を抜け、石像の間に戻って来た三人。トルクは二人がそこにいることを確かめると耳飾りを外すように二人に命じる。言われた通りに耳からそれを外すと、分かれていた壁画が再び元に戻り、トゥラグ・モスのある間に続く道を完全に塞いだ。

(…)

シャルと共に耳飾りを小箱に戻した後、チェナは最後に道があった場所を一瞥する。

(皆…。私は大丈夫。地導異技なんか無くたって、私は…)

家族の事を想うチェナは無意識の内に、彼女と彼らを繋ぐトゥラグの御守りを握りしめその拳に地導を纏わせていた。まるで皆の温もりを思い出そうとしているかのように。


一つの扉も抜け祠を出た三人は久しぶりの日光を浴びる。

「はぁ、やはりあの場所はどうにも好かん。聖域とは言われるが、あそこに漂う気は陰鬱とし過ぎて息が詰まるわい」

独り言のようにトルクは呟く。そして三人の足は固い石を離れ、柔らかい土を再び踏みしめ始める。

「あっ…」

その時、温かな陽の光が彼女の心を幾分かほぐしたからせいか地導を解いたチェナの拳からトゥラグの御守りが零れ落ちる。お守りはそのままくるくると空中を回りながら地面にぽとりと転がった。その瞬間―

「え…」

突如その実が彼女の瞳と同じ、青みがかった深い緑色に光り輝いたかと思うとバキバキバキッという凄まじい音を上げながら地に根を張り、枝を伸ばし、瞬く間に大きな幹を持つトゥラグの成木に育ったのだ。

「チェナ……!?」

「こ、これは…!」

その音を聞いて後ろを振り向いたシャルは勿論、トルクでさえもその光景に仰天し、声を失った。先程まで伸び放題の雑木しか無かったその場所には立派な一本のトゥラグの木が生え、その根元にはぺたんと座り込んだチェナが二人と同じように絶句しながらその木を見上げていた。

「う、嘘でしょ…。わ、私の御守りが、木に、なっちゃった…」

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地導の使者 覚醒編 空を飛ぶジンベエザメ @kabocyanoamani

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