カヒのふしぎなゆめの家

紅戸ベニ

第1話(1話完結)

「カヒのふしぎなゆめの家」


 加藤カヒは小学四年生になったばかりです。

 今日も、公園の前にある地球の形のオブジェを見つめています。

 南のほうにある国の名前を見つけて、そこを指先でふれるのです。いつのまにか、朝のならいになっていました。

 なつかしい夢≪ゆめ≫の家が、その国にはあるはずなのです。

 その理由が、これからお話する内容です。



 カヒは二歳≪にさい≫のころ、まだ言葉を話しはじめたばかりでしたが、めきめきと新しい言葉をおぼえていく子どもでした。絵本やアニメ映画が大好きでした。

 ある日、カヒはとてもふしぎな夢を見ました。その夢の中で、カヒは自分とはちがったべつの少女の姿になり、知らない暑≪あつ≫い土地で生活しているのです。

 彼女の肌の色はカヒよりもずっと黒く、年齢≪ねんれい≫はたぶん九歳か十歳くらいでした。

 その土地では、カヒは毎日の仕事として水をくみ、家族の服を洗うのでした。水くみをする自分の中で、カヒは「水道はないのかな」と考えていました。カヒの夢ではないほうの家では水道からかんたんに水が出るのです。ここでは川から水を持ってこないといけないのでした。

 そんな夢の中で、ある日とんでもないことが発生します。


 カヒは夢の中ではムジャナという名前の少女になっていました。

 ムジャナの生活を夢で見ているうちに、この少女が九歳だとわかりました。

 まだ幼いカヒにはずいぶんお姉さんに感じられました。九歳というのはカヒの国では小学四年生。でもムジャナは学校には通っていないのです。

 ムジャナの村はまずしく、お金がないのだと、やがてカヒにもわかってきました。

水道も学校も、お金がないと作れないのです。

 そんなムジャナの村ではここ数日、畑の作物がだれかに荒らされる事件が起こっています。どこかからどろぼうが村に入ってきて、夜に畑からウリを盗んでいくのです。

 まずしい村のたいせつな食べ物をぬすまれては大変です。

 ムジャナの父や兄たちが村人と話し合いました。村人が持ち回りで、夜の見張りを立てることにしました。

「ウリをぬすんだのは動物ではない。けものはその場で食うからな」

 と父は言うのでした。

「おおかた、近くの村のあぶれもんか、遠くからやってきた食いっぱぐれだろう」

 上の兄がそう言って、手に大きな木の棒を持ちました。

 まゆを引きしめて、口をへの字にしています。

 ムジャナはそんな父や兄を見るのは初めてで、おそろしいと感じてしまいました。

 下の兄が、

「ムジャナ、不安がるな。ぬすびとを見つけて、少しこりさせて遠くに追いやるだけだ」

 ムジャナを怖がらせまいと兄たちは気づかってくれました。

 母が少しだけこわい顔になって、

「ムジャナは夜はけっして家を出ないように」

 と、言いました。

 しかし満月の夜、ムジャナは家を出てしまいます。

 あんまり明るい夜だったのでした。夜にだけ開く花のいい香りが窓から漂ってきていました。それに、ミミズクの鳴き声が、

「月光、きもちいい」

 とか、

「夜風、さわやかなここち」

 とか、

 歌っているように聞こえたのです。

 花の香りとミミズクの鳴き声にさそわれてムジャナの足は窓から外の地面に飛び降りていました。ムジャナの家は簡素なつくりのたいらな建物だったので、窓から子どもが抜け出してもけがをすることもありません。

 ムジャナは首からさげた「精霊≪せいれい≫のお守り」をにぎりしめたあと、窓をぬけました。

 窓を通るとき、空気がさあっと変わって、冷たいものがのどを通って胸に落ちてくるのを感じました。

 明るい満月の夜には、悪いぬすびとも見つかることをおそれてあらわれないだろうと父や兄が話していました。

 その会話を聞いていたせいもあり、心がゆるんでいました。

 ウリの畑とべつのほうへムジャナは足を向けました。

「あっちからミミズクの声がする。花のにおいもする」

 歌うミミズクのすがた、白い花を思い浮かべます。ずっと前に家の大人や兄たちと一度だけ見たことがあった花が、きっとこの先にあるのです。

「あの、チョウチョのような大きなふしぎな花がさいているんだ」

 悪い大人が出るのはウリ畑。だからこっちは安全なはず。そんなふうに考えていました。

 ところが、ムジャナは不運でした。

 だれもいないはずのところで、ムジャナは数人の大人の男たちに出くわしてしまいました。

 ミミズクの鳴き声がぴたっと止まり、ぴいんと空気がはりつめました。

 ほり返したばかりの土のにおいが空気にまざってきて、花の香りは消えてしまいました。

 イモの畑に黒い男たちのかげが、ありました。四人います。

 イモのツルを掘≪ほ≫っていた男たちが手を止めてムジャナを見つめています。

 貧しいムジャナの村人とは服も、顔つきもちがいます。ぶあつい布のがんじょうそな服を着ています。

「あれは軍服≪ぐんぷく≫だ」

 ムジャナにもわかりました。男たちは銃≪じゅう≫をたずさえています。軍の大人の男でした。

 でもどうして軍人が畑のイモを、夜にこっそりぬすんでいるのでしょう。

 月夜がムジャナの頭も顔も、体も青白く照≪て≫らしていました。青色を火にかけてにつめたような夜の色の中で、ムジャナは白くぼうっと光をうけて立っていました。

 彼女が男たちを見つけたとほぼ同時に、彼らからもムジャナが見えたのです。もっと暗かったなら、ムジャナが先に男たちの物音に気づいて、むこうは気づかなかったかもしれなかったのです。

 満月にうらみを言うひまもありません。 四人の軍人に見つかってしまいました。ムジャナはたったの一人です。

「おい、見られたぞ」

「脱走≪だっそう≫がばれたらオレたちが危ないんだ。つかまえろ」

 ムジャナはとっさに近くのしげみににげこみました。そして体を低くしてできるだけはやく走ります。

 村とは反対の方向になりますが、大人の足からにげるにはこちらしかなかったのです。

 あとから追ってくる男たちに、平らな場所でにげてはいけません。たちまちつかまってしまうことでしょうから。森につながるしげみをにげれば、木や葉っぱが月の明かりをさえぎり、見つからないかもしれません。

 そう考えて、ムジャナはにげます。

 なんとか男たちから遠ざかり、村へと引き返そうと考えました。

 心の中におそろしいイメージが勝手に思いうかびます。死んだ鳥や、土の上に横たわった命の消えたけもの。

 父や兄たちが銃を使ってとってきてくれた、えものの鳥やけもののイメージです。

「血を流して……つめたくなってた」

「銃でうたれたら、わたしも、あんなになっちゃうんだ」

 思い出の中で、鳥は、さかさにひもでつるされたすがたのまま固くなっていました。死んだけものの体はこわばって、冷たい石のように変わって動かなくなるのです。

「まだ、死にたくないよ」

 早く、安全な家の中に帰りたいと思いました。あのこわい大人たちも、家にまでは、入ってこないはずだと考えました。家では、ムジャナの父や兄が銃を持っているのですから。

「家に帰りたい、はやく帰りたい」

 大きな岩のところでムジャナは進む方向を変えました。ここから村へ戻ろうとしているのです。

 死んだ鳥の、そしてけものの目が思いうかびました。光のない、まばたきをしない真っ黒な目がムジャナを見ています。目のイメージがどんどん大きくなって、ムジャナの心をうめつくしました。

「こわいよ、もう足が動かないよ!」

 ひざに力が入らなくなりました。

 そのときでした。

「そこにいてはだめ」

 ムジャナの心の中で、だれかが言葉をとどけてきました。

 カヒは、夢を見ている自分の心に、言葉が浮かんできたのを感じていました。

 ムジャナの夢を見ているカヒがなにかの予感をおぼえたのです。

 ムジャナは

「頭の中に声が聞こえた気がする……だれ?」

 と、とまどいました。

 カヒはもう一度、ムジャナに話しかけようとします。心の中から出てきた言葉を、ムジャナに向かって強く伝えます。

「そこはあぶない。それに、今は村にもどるほうに行ってはだめだよ」

 ムジャナは、自分よりずっと小さい女の子の声のようだと感じました。

 わけがわからないながらも、足をふんばりました。ぐっとつまさきに力をこめて、村から遠ざかる方向へと進む向きを変えるムジャナでした。

「ここがだめなら、もっと遠くに行ってから村に帰る。もうちょっとのしんぼうだ。わたしは、家に帰れる」

 とムジャナは自分に言い聞かせました。


 銃を持った男たちは大きな岩の周辺でムジャナを探し始めます。足あとを探したり、下草のようすから、ムジャナがどちらへ走っていったか、見きわめようとしているのです。

 ところが、ここで彼らは、子どもよりずっと大きな足あとに気づきます。ムジャナのほかにだれか大人がここにはいたのです。

「大人の、はだしの足あとだ。新しいぞ」

 軍服の男たちがさけびました。

 そのとき、大岩のかげから飛び出した人のすがたがありました。みすぼらしい大人の男で、ひげもかみの毛もぼうぼうの、野で何日もすごしてきたような男でした。

 こちらも大人の男ですが、軍服を着ていません。近くの村からにげてきた人で、こっそりこのあたりに身をひそめていたのです。

 ムジャナの家のウリを取って食べていたのは、この男でした。

 見つかった男は、ムジャナの村のあるほうに手足をばたつかせながら逃げてゆきます。

「あわ、あああ、あわわわ」

 はだしで、あわてているので、ちゃんと走れていません。軍服たちが銃をかまえて、追いかけます。

 その男は、村人ではありませんから、ムジャナの村に助けを求めることもできません。

 近くを大きな川が流れていて、村のうら手はその川に面していました。

 高いがけから、はだしの男は、川に飛び込みました。その影ががけから消えてから音のしない時間があり、ちょっとしてからざんぶと音が小さく返ってきました。

 軍服たちは川を見下ろして、会話します。

「ワニもいる川だ。追うな」

「おれたち脱走兵≪だっそうへい≫がここにいることを知られてしまったな」

「人里をはなれよう。もっと山の中に入るんだ」

 と話し合って、男たちはいなくなったのでした。

 カヒはその一部始終を、夢で見ていました。それをムジャナに心の声で知らせます。

 ムジャナはふしぎな声の正体が小さな女の子だとわかりました。まだ言葉がたどたどしいので、だいぶ年がいかない子だと思いました。

 自分の中に小さな女の子がいると知り、

「お友だちができたみたい」

 とムジャナは話しかけます。

「もしかしたら精霊のお守り≪せいれいのおまもり≫のおかげであなたと出会えたのかな」

 ムジャナは精霊のお守りに目を落としました。きれいな石のペンダントが月明かりをあびて静かにかがやいていました。青と緑と光りかたを変えるふしぎな石です。生まれたときのおいわいでもらったものだと聞かされていました。

 ムジャナは精霊のお守りのペンダントを手でにぎりしめながら家に帰りました。

 家の戸口に立って見張りをしていた下の兄にすべてを話して、家に入れてもらいました。上の兄と、起きてきた母にたっぷりしかられました。

 父はムジャナの命があぶなかったと知ると、なみだが出てきてしまい、しかるどころではなかったようでした。ムジャナは父の様子を見たとき、心がとても痛みました。もうけっして家を抜け出したりしないと思うのでした。

 父と上の兄は、ムジャナに聞いたことをたしかめるために、近所の男を起こしてまわり、みんなで銃を持って夜の畑に出かけていきました。しばらくすると戻ってきて、安心していい、と言ってくれました。

「もうだれもいなかった。イモは少しむすまれたが、それだけだ」

 と父が言いました。

 朝になると、はだしのまま逃げ出した男が見つかりました。ずぶぬれでしたが、ワニには食べられることなく、助かったようです。

 仕事がきらいでなまけていたので、となり村を追い出されたという話をして、かわききっていない体をふるわせていました。

 広い村長の家のかまどの火に当たって体をかわかします。そこでウリを夜になるとぬすんで食べていたことも、正直に話します。

 ウリどろぼうは、このとなり村の男だとわかりました。軍服の男たちは、少し遠い町からきた人間だろうということになりました。町には軍がいて、逃げ出してくる兵もたまにいるのだそうです。

 となり村の男が、ワニのいる川で軍服たちの会話を聞いていたそうで、

「あいつらは見つかったから山の中まで逃げるって言っていた」

 と伝えました。

 ムジャナの村の人たちはみんな、それを知ってようやく安心しました。じっさいに見回りをしても、軍服たちはあとかたもなく消えていました。村長が、あとで町の軍に知らせる使いを出すことになりました。

 ウリどろぼうの男はかなりこわい思いをして、水びたしで一夜をすごしたことで、「悪いことをした分は、ひどい目にあった」

 とゆるされました。

 本人も

「かくれて生活するだけでも苦しかったのに、銃に追いかけられて、ワニの川に飛びこむことになった。きらいな仕事をするほうがずっといい」

 と言いました。ムジャナも、村の人間も、みんな、「ほんとうにそのとおりだ」と心から思いました。

 男はひげもそって、かみの毛も切ってもらって、身なりをととのえたうえで、ムジャナの父や村の男たちにつきそわれて自分の村に帰ってゆきました。

 ムジャナはとなり村の男と脱走兵がいなくなった村をながめます。平和な村がもどってきました。

「父さんや兄さんが軍服の男たちに出会わなくてよかった」

 と心から思いました。

「村の人も、あのウリどろぼうの男の人も、銃でうたれたりしなくてよかった」

 そして

「自分も無事でよかった」

 と思うと同時に、

「何も悪いことが起こらずにすんでよかった」

 と深く息をつきました。

「ありがとう、小さな女の子。あなたの人生に幸せがありますように」

 精霊のお守りをにぎりしめるムジャナの言葉は、カヒにとどいたでしょうか。

 そのときのカヒは、もう夢から目がさめつつあったのです。けれど、ムジャナのあたたかい思いだけはカヒの心をぽかぽかにしてくれていました。

 そのあたたかさは、夢から覚≪さ≫めても、ずっとカヒの心にのこりました。


 カヒがニ歳のときの夢のことは、本人も見たことを忘れていました。

 六歳になり、日本の小学校に上がるときに思い出すことになります。

 おばあちゃんからプレゼントをもらったのです。

 おばあちゃんの、そのまたお母さんから受けついだというペンダントでした。

 青と緑に色を変えるふしぎな石をつかったペンダントを、おばあちゃんは

「カヒのお守りになるよ」

 と首からさげてくれました。

「このペンダントをしていると、ふしぎな声が聞こえることがあるんだって」

 そのとき、カヒの心の中に、ずっと前に見た夢の家がふたたび思い出されました。ムジャナと、その家のみんな、村のけしき、ミミズクの声と、花のにおい、それから、おそろしかったあの夜のぼうけん。

 ――あのときのムジャナと、今のわたしを、このペンダントがむすびつけてくれている気がする。

 カヒはおばあちゃんにどうしても教えてほしいことがありました。

「おばあちゃんのお母さんは、外国の人だったの? 名前は?」

 おばあちゃんは、少しおどろいた顔をしていました。

「そうだよ。外国生まれだったよ。名前はムジャナっていうんだ」

 そうして、ムジャナが遠い国からカヒの国にやってきたこと、はたらいて、結婚≪けっこん≫して、おばあちゃんが生まれたこと、そんな話をしてくれました。

 カヒは、精霊のお守りをこれからもずっと大切にしようと決めました。


 カヒはお守りを大切に首からさげて、学校生活をスタートさせました。彼女は今はもう九歳、小学四年生です。

 明日から始まる春の連休をたのしみにしています。今は朝の通学時間で、近くに住む友人たちと通学班≪つうがくはん≫で登校します。

「なんとなくだけど、今日は、なにかふしぎなことに出会う気がするな」

 つぶやきながら、春カーディガンの下にさげた「精霊のお守り」を、手でたしかめます。

 通学班の人たちが集まってくるのを、待ちます。

 公園の入口にある大きなオブジェがいつもみんなが集まる場所です。

 オブジェは地球の形でした。茶色と黒のあいだくらいの色の金属≪きんぞく≫でできています。家にある地球儀≪ちきゅうぎ≫より何倍も大きくて、きっと四年生のカヒが上に横たわることだってできるでしょう。

 オブジェには地球以外の惑星も小さく並べられています。

 地球はわかりますが、カヒは七惑星の全部の名前はわかりません。

「ムジャナの国は……ここ」

 いつもここで夢の家を見つけては指でふれてみます。ふれても何もおこりませんが、なぜか安心するのです。

 国を見つけても、夢の家の場所は小さすぎてよくわかりません。けれどおばあちゃんから聞いたおばあちゃんのお母さんの国に、カヒは心の中でふれています。

「今は遠い国だけど、わたしはムジャナのこと、思いだしたよ。ムジャナの家をわすれないよ」

 小さくつぶやくと、春の風がふいてきました。カヒの切りそろえたかみの毛が風でふくらんだ気がします。

 ムジャナによく似たふわふわの髪がカヒをどこかへ連れだそうとしているようでした。


 通学班の五人の声が、遠くからカヒの名前をよびながら近づいてきました。


(おわり)



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