第12話 継ぎ接ぎナルシシズム

 さいごに見たのは、月光に光るナイフだった。


 ……。


 季節は廻った。そもそも、この地球に季節と呼べるものがあるのかすら、怪しいけれど。寒くなったり暖かくなったり、風が吹いて、花が咲いて散って、種子を残して。変わらない変化があるのだから、きっと季節と呼んでいいのだろう。

 ユキノには友達ができた。ケンちゃんとホタル。家族もできた。××。同じ細胞ではあったけれど。どれも大切で、どれも大好きで、どれ一つだってかけがえのないもの。ユキノが本来、手に入れるはずのなかったもの。何かを手に入れるたびに、失わなければならないんだと自分に刻み込んだ。そうすることで、今、この瞬間を大切だと思うことができるから。

「……あっという間だったな」

季節は廻った。ユキノは沢山の思い出を抱えた。買い物に行ったし、水族館に行ったし、ホタルのリハビリを手伝ったり、季節ごとのイベントをやったり。ケンの誕生日が来て、ホタルの誕生日が来た。次は、××の誕生日だった。

「ユキノ?」

「××……」

「眠れないのか」

「うん」

 窓から差し込む月が眩しくて、なんて言い訳をした。本当は、月を見るたびに生きていたいと思ってしまう。本当に大昔に、月は地球から剥がされた。それでもまだ空に存在していて、自分とはまるで違うと感じてしまうのだった。そんなことを言ったら、××を落胆させてしまうと必死に口を紡いだ。

「あと、一カ月だね」

「……え」

「××の誕生日。今年もちゃんと、プレゼント用意しておくね」

「頼むから、去年みたいな意地の悪いプレゼントはやめてくれよ」

「えー?」

 渡すものはとっくの昔に決めてあった。それを渡すためにこの一年、生きていたようなものだから。

 きっと大人たちは、ユキノと××とケンの生活で、この一年間で良いデータが取れただろう。きっとユキノがいなくなった後に、外に出られるスペアが増えるだろう。けれど、それはあまりにも残酷なことだともユキノには感じられた。スペアの子供たちは自分が死ぬことを知っている。それを知りつつ、外の世界の楽しみも幸せも辛さも苦しさも、十分すぎる快楽を享受しなければならない。多くの外の世界の大人たちは、スペアは人間でないと思っている。感情がなく、優秀な機械のようなものだと。だから何してもいいと思っている。そうでなければ、こんな実験などするはずがない。

ユキノには、生きて施設の人間になる手段もまだ残されている。けれどそれは、非人道的な実験を行う立場になるというものだ。実験に協力する人間たちからは、スペアだと思われるだろう。実験材料の子供たちからは、人間だと思われるわけで。そんな気まずい立場を貰ってまで、生きたいとは思えなかった。何よりも、大切な××の身体で倫理に反したことを行うのは××を穢しているようで嫌だった。

だから、死ぬ。死ななければ、いけないんだ。それしか方法がないんだ。


「なぁ、ケン。お願いがあるんだ」

 深夜に起きて、月を見ながら泣くユキノを見て、ずっと思っていたことだった。

「いいんじゃねぇの。協力する。ホタルも呼ぼうか?」

「それがいいな。あと一カ月もあるし、準備できる」

 ××はケンを見つめた。ケンは楽しそうに計画を立てていた。ホタルに電話をしたり、使う部屋の片づけを始めたりと、忙しなく動いていた。

「ケン、変わったな」

「そうだな」

「昔はもっと、自分勝手でガキ大将みたいなやつだった」

「はぁ? そんなことないだろ。××、お前には俺がどう見えてたんだよ」

 呆れたようにケンは言った。その手には沢山の物が入った段ボールがあった。そこから一枚の写真が落ちた。

「落ちたけど、いいのか?」

「あーそれは兄さんの部屋に返すやつだ。受け取れないから段ボールに入れてくれないか」

 その写真は、家族写真だった。ケンは写っていない。ケントがいたころの家族写真。この写真の中のヒロは、幸せそうに笑っていた。ケンが見たことのない表情だった。

「いいのか?」

「あぁ、もういいんだ。手に入れられないものを悔やんで泣くより、手の内にあるものを大事にしたいと思った」

「そうか」

 ケンは笑った。家族写真に写る写真の誰よりも幸せそうに。それは丁度晴れた空の背景と相まって、××には眩しかった。

「……俺には、ケンがずっと遠い存在に思ってたよ」

「はぁ? 近くにいただろ」

「うん、そう。遠くにいるって思うことで、ケンのことをちゃんと見ようとしてなかった」

「……それは俺も同じ。元スペアだとかオリジナルだとか、難しいこと考えて勝手に壁作ってた」

「そうだな、同じだったな」

 そこには仲違いした二人の姿は、もう無かった。


 

 ××の誕生日パーティはケンとホタルとユキノの間で行われた。持ち寄れる食べ物もゲームも限られてはいたものの、本当に特別な一日となった。

 一しきりのパーティが済んだ後、ケンとホタルは静かに姿を消した。ユキノと××は二人きり。ユキノが、折角きれいな夜だからツキミでもしよう、と言い出した。きれいな満月の夜だった。そうして、月の見られるところで二人は座り込んだ。

 外の新鮮な空気が、二人の肺を満たす。気持ちが良かった。どちらが言うでもなく、繋がれた手が温かかった。ユキノは今この瞬間に、短い一生で最高の幸せを感じていた。いっそ、今殺してほしいと思うほどに。それは××も同じだった。

「これは、俺からの一つ目のプレゼント」

「え? なんで?」

「今日は、ユキノの誕生日でもあるだろ」

「……どうして?」

 まったく意味が分からないといったように困惑した表情のユキノが××を見つめた。

「僕、に、明日なんて、ないよ?」

「あるよ」

「やだ、もらいたくない」

「ちゃんと、開けて。結構頑張って買ったんだ。ずっと渡したかった」

 ユキノは納得のいかない顔でもらった包みを開けていく。とても素人がやったとは思えない綺麗な包装を、破らぬように開けるのは時間がかかった。そうして開いた箱の中身は、革の財布だった。確かに、高価そうな見た目の物。きっと手入れして、大切に使えば数十年は持つだろう。

「……まぁ、もう財布なんてあんまり使わないだろうけど。贈り物にも意味があるってケンに教わったから。一番意味に合うものを、って」

「……××はずるい。僕が渡せるものなんて、僕の命しかないのに」

「そうだと思った」

 ユキノは××と同じように、一つの包を差し出した。

「いらないなんて言わないで」

 ユキノの手は微かに震えていた。きっと何も知らない頃の××であれば、気づかないほどに。××が受け取ると、安心したようにユキノは笑った。丁寧に包みを剥がしていく。こちらも高価そうな箱に入っていた。

 箱の中身は、きれいな銀色のカトラリーだった。景色を反射するように磨きこまれているそれは、恐らく本当に手の込んだ贈り物だった。中でも、一際鋭利に輝いていたのは、ナイフだった。

「ナイフで僕を殺して、スプーンとフォークで僕のこと、食べてくれないかなぁ、なんて」

「……カニバリズムには興味ないぞ」

「半分は冗談だよ」

「半分は本気じゃないか」

 ユキノはまだ笑っていた。後ろに浮かぶ大きな月が、ユキノの背中を照らして、ひどく儚く映った。××の顔には怒りが現れていた。

「……ユキノの命なんて欲しくない。そんな風に、ユキノ自身の命を扱ってほしくない。ユキノには生きていてほしい。俺だけじゃない。ケンもホタルも、あの人も、ユキノと関わった人は皆思ってる」

「でも生きていたって、死ぬような生活をするくらいなら、死んだほうがマシだよ」

「嘘つき。本当は死にたくないくせに」

「……ひどい。僕は嘘なんかついてない。死にたいんだ。死にたいんだよ。そうでなきゃいけないの。生まれてこなければよかったの」

「そんなわけないだろ!」

 初めて、ユキノは××と喧嘩した。××は激昂していた。頬は紅潮しているのに、悲しそうな泣きそうな顔をしている。そんな顔をさせてしまった悲しさで、ユキノまで泣きたくなっていく。同じ顔をして、同じ願いで、互いに怒っている。そんな状況に、喧嘩しているのに幸せだと思ってしまう××がいた。

「……死にたいって言わないでくれ」

「じゃあ、なんて言えばいいの? スペアには、生きたいなんて願う資格はないんだよ?」

「お前はスペアじゃないだろ」

「僕はスペアだよ。××のスペアだよ」

「……そうか」

 ××は一枚の封筒をユキノに渡した。封筒には紙が一枚だけ入っていた。それは戸籍謄本だった。

「俺からの、二つ目のプレゼント」

「……?」

 そこには、××の名前はなかった。代わりにユキノの名前が記されていた。それは、××という存在の公的な消失を意味する。

「なんでこんなことしたの? ××の名前は、どこ?」

「もう、どこにもないよ。今頃、全部のデータがユキノの名前に代わってる」

 受け取り拒否のできない贈り物。自分を救うためだけの、手の込んだ、需要のない贈り物。

「もう、××のスペア、なんてどこにも存在しないな」

 今度は××がわらった。

「こんな……ひどい」

 ユキノは泣いていた。確かに××を見ているのに、涙が邪魔して、彼の存在が掠れ滲んでいく。月に照らされた××が、今、どんな表情をしているのかわからない。

「ユキノ、誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう。ずっとずっと、大好きだ」


 ××はユキノから貰った贈り物を広げると、ナイフを自身の身体に打ち込んだ。


 ……。


 さいごに見たのは、月光に光るナイフだった。

 何度も何度も、体に入り込んだ、銀のナイフ。

 さいごに見たのは、月光に光るナイフだった?

 本当に?


 ……。


 目が覚めると白い天井が見えた。次に見えたのは、自分の皮膚を覆う、白い布だった。目を閉じてまた眠りにつこうとする。けれど、眠ることはできなかった。

 話し声が聞こえた。

「患者……ですが、目を覚ますことは……手術は……」

 途切れ途切れで、全部は聞き取れなかった。どこか頭がぼーっとしていた。腕を挙げようと思った。動かなかった。手を握ろうと思った。動かなかった。指を伸ばした。なるほど、身体が思い通りに動かない。しばらくの間は、自分の身に起こったことを思い出す他無いようだ。

 眠る前、最後に見たことを思い出す。

 ナイフ。泣いているだれか。そうだ、おれはナイフを自分に刺した。血が、どんどん出てきて。自分を抱きしめて泣く彼を見た。目を閉じる間際に、彼が幸せであれと、願った。

 けれど、どこかに違和感があった。

「……はやく目を覚ましてくれ」

 顔が見えないけれど、聞き覚えのある声がした。

「ケンちゃん……?」

 声に反応するように、見覚えのある顔が飛び出した。その顔は泣いていた。見たこともないほどに、ひどい表情だった。目元が真っ赤になっていた。

「大丈夫か?」

「……おれ、は?」

「ずっと寝てたんだ。喋りづらいよな。水持ってくる」

「ねぇ、鏡、ちょうだい」

「……わかった」

 彼はそれ以上のことは追求せずに、一度姿を消した。

 彼のいない間、もう一度、最後に見たものを思い出そうとする。

 銀色のナイフが振り上げられた。月光に光って、それが自分の中に何度も入り込んだ。自分で刺した。血が手について刺した場所が熱くなって、体が冷たくなった。いっぱい泣いた。痛みで泣いたのではなくて、誰かを見て泣いた。幸せになってほしいと願った。神様に、願った。そしてその誰かも泣いていた。自分を抱きしめながら、泣いていた。

 それ以上のことは思い出せなかった。思い出そうとすると、頭が酷く傷んだ。なぜだかわからないが、頬に温かいものが伝った。

「入るぞ、水持ってきた。あと、鏡とタオル」

 心配そうに顔を覗き込む彼から、鏡だけを受け取った。恐る恐る、鏡に自分の顔を映した。

「あはっ……そっかぁ、そうなったんだった、おれ」

 いきなり話したことで、喉に痛みが走った。ケンは慌てて自分の手に水の入ったボトルを握らせた。力の入っていない指を見て、一緒にボトルを支えてくれた。

 白い布の隙間から、手術痕が見えた。


 数日後、その病室にはすっかり包帯の外れた患者の姿があった。彼はいつも手元に革の財布と磨かれたカトラリーと小さな鏡を置いていた。それを日に何度も見つめたり触ったりして確認していた。

「……ユキ、ノ、でいいのか?」

 ケンは彼に尋ねた。

「公的には、そうなってる」

「お前は、どっちなんだ?」

「わかんない。どっちの記憶もあるんだよ。不思議な感じ」

 そう言って彼はあの夜を思い浮かべた。

 確かに、ナイフで自分を刺した。一突きだった。死ぬ間際に、ユキノの幸せを願った。けれど一方で、ナイフで彼を刺した記憶がある。何度も何度も。その後で、同じように何度も何度も自分を刺した。××の幸せを願って。××は薄れゆく意識の中で笑っていた。ユキノもまた笑っていた。あの瞬間、幸せだと思った。

「どっちでも、呼びたい方で呼んで」

「じゃあ、ユキノって呼ぶからな」

「……意外。××って呼ぶと思った」

「××はユキノの名前が好きだったし、ユキノもユキノって名前が好きだったからな」

 ケンが二人を尊重してくれているようで、彼は嬉しくなった。

「ねぇ、おれ、あの夜のことをちゃんと覚えてないからさ。教えてよ」

「……俺だって人からの又聞きだぞ」

「それでもいいよ。ちゃんと二人のことを知りたい」

 彼はまっすぐケンを見つめた。その瞳は、かつての彼らを思わせるほどに、まっすぐで純粋で綺麗な海の蒼だった。

「ユキノと××を見つけた時、二人とも抱き合うように倒れてたらしい。同じくらいの切り傷があって、深い傷は内臓まで届いてたって。血塗れで。ここからは兄さんに聞いた話だけど、どっちがどっちか見分けがつかなくて、まだ使える内臓とか腕とか脚とかを繋ぎ合わせたって……」

「ふーん」

「興味無さげにするなよ。お前が聞いたんだろ。俺もホタルも本当に心配したんだからな」

「うん」

「ホタルにはあとでちゃんと説明しとけよ。無事だったって伝えてあるけど、まだ心配してるから」

「うん」

 素直に頷く彼が、ケンは心配になった。

「本当に大丈夫か? まだ頭が痛かったりするのか?」

「違う。二人が死ぬって覚悟した時のことを思い浮かべてた」

「……」

「××のお祖母ちゃんが死んだとき、どうして祈るんだろうって××は不思議に思ってたじゃない?」

「そんなこと思ってたのか?」

「ありゃ、言ってなかったのかな。ほら、ユキノは神様の奇跡が云云かんぬん言ってた」

「そんな話はしたな」

「死ぬって覚悟した時、自分の大事な人の幸せを願うんだね。××はユキノの幸せを。ユキノは××の幸せを。きっとお祖母ちゃんも、家族の幸せを祈ってたんだなぁって」

 ケンは何も言わなかった。

「ねぇ、お願いがあるんだけど」


 珍しいほど雲一つなく晴れた空に火葬場の煙が高く昇る。煙が雲になってしまえばいいのに、とケンと彼は思った。

 今日は、残された身体の葬式だった。実験の協力金と口止め料を、墓を建てるのに使った。

「二人の細胞から、またおれが生まれちゃうようなことは避けたい」

 彼は墓石に花を手向けた。

「置いて行ってごめんね。大丈夫。いつかまた、一緒になれるから。約束」

 今は一緒になれない分、幸せになるという約束。いつか一緒になれた時、幸せになろうという約束。晴れた空は海の色。海は空を映すから、蒼く輝く。いつかの海を彼は思い出した。××とユキノの瞳の色。彼は晴れている間、二人が自分を見ていてくれている気さえした。

 ケンは彼を邪魔しないように、けれど隣で一緒に祈っていた。

「俺も、ホタルも、三人の幸せを願ってるよ」

「うん、ありがとう」

 ケンの言葉に、彼は自分の心と体が喜んでいると感じた。ぽかぽかと温かいものが体内を駆け巡っているのを感じた。

「……ねぇ、ケンちゃんはおれがこうなって何か思ったりしないの?」

 ケンはため息を吐いた。

「何かって?」

「ほら、嫌だとか××とユキノを返せとか」

「思わないな」

 ケンは彼の質問にかぶせるように即答した。

「いや、正確には『思ってない』だな。手術前に、そうなるしかないって聞かされた時は、嫌だって思った」

「そっかぁ」

「本当はお前に会ったときも、××もユキノもいなくなったみたいで悲しかった。けど、お前と話していくうちに、お前の中に××もユキノもいるように感じたから」

 彼は鏡を見つめた。

「おれは××もユキノも大好きだよ。いっぱい悩んで、苦しんで、生きようとして、二人の答えが『おれ』なんだろうし。神様はおれを作るのに、奇跡を使い果たしちゃっただろうけど。きっと二人も、やっと一つに戻れて喜んでる気がする」

「俺はそれが××とユキノ、二人の選んだ答えなら、受け入れようって、思った」

「……わかんないけど」

「わかんないのかよ」

「わかんない、けどわかるような気がする?」

「……」

 ケンは呆れたように笑った。

「まぁいいか。俺の願いは『ユキノと××と生きたい』だったし。お前がいると、ある意味では俺の願いも叶ったことになるな」

「……ケンちゃん、おれのこと『ユキノ』ってまだ呼べない?」

「多分、もう少し時間がかかる。慣れてないから」

「そう」


 彼は笑った。継ぎ接ぎだらけのその顔で。どこがどちらのだったか、もうわからない。わかる必要もない。けれど、彼は自分の顔を愛して、幸せだと笑い続けるだろう。

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継ぎ接ぎナルシシズム 桜木 心都悩 @Sakurabit-cotona

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