第7話 女と女

 主不在の部屋の中で、ローリエとミントが見つめ合う。

「あれぇ?どうしてローリエが此処に?」

 確か奴隷娼婦見習いの幼女だ。

「あ、えと…」

 なんと答えるべきか。ローリエが迷う。


 ミントは治療師である。闘技場での主な仕事は怪我をした拳闘奴隷の治療と、その他の奴隷達の診察と治療である。

 ほぼ無傷で連戦連勝するパジャオには一番縁遠い存在となってしまっていた。


「パジャオ、元気かしら」

 そう思って久しぶりにパジャオの検診をしようと思い至り、オレガノに居場所を訊く。すると丁度試合があると言う。

 観戦を勧められたが遠慮するミント。ミントは拳闘奴隷の試合を観戦しない。

 そもそも暴力が好きじゃないというのもあるが、治療してやった者達がわざわざ殴り合って怪我をする場面を見たら、仕事の意義を見失いそうだからだ。

 拳闘奴隷は戦うのが仕事であり、怪我をするのは当たり前。

 さらに他の町の闘技場と比べれば、此処はあまり死傷者も出ない良心的な闘技場と言える。

 それでも奴隷同士の戦いで熱狂するのも、それをネタに賭けをして喜ぶ民衆を見るのも、ミントは好まなかった。

 なのでパジャオが戻るまで部屋で待たせて貰う事にした。パジャオが怪我をしたら治療してあげようという気持ちもあった。

 今のパジャオの個室に案内され、初めて会った時の部屋より大きくて驚いた。そして中に入ってまた驚く。

 出会ったからだ。パジャオが手に入れた、初めての女と。






『ミント先生を』


ズキリッ


 ローリエの心に魚の小骨の様な物が突き刺さった気がした。

 ローリエはパジャオに選ばれた。今、不安ながらも安全安心な毎日を過ごせているのはパジャオのお陰である。

 しかし、彼が本当に最初に選んだのはミントである。

 しかしミントは無理だった。ミントはオレガノでも用意出来ない類の女である。

 故に仕方無く、二番目に、代わりとして、ローリエが選ばれたのだ。

 ミントのおこぼれにあずかっただけだ。

 その事実を思い出したローリエが、ミントに告げる。

 

「わ、私、パジャオの、専属になった…の」

「………………………………………………ふぇ?」


 空気が凍った。口下手なローリエの精一杯の牽制である。本人はライオンの咆哮ぐらいのつもりだが、傍目にはせいぜいアライグマの威嚇ポーズであろう。

 しかしこの可愛らしい先制攻撃は、ミント先生にクリティカルヒッした。

 

「ふ、ふ〜ん…」

 ミントが引き攣った笑顔を浮かべた。

 ミントは処女だった。しかし職業柄、乱暴にされた奴隷娼婦の治療等もよく施術した。それが逆に男を遠ざけたのかも知れない。

 ミントは十代半ばである。本来なら結婚妊娠出産していてもおかしくない年頃である。

 それなのに処女…どころかキスもした事が無かった。…人工呼吸は何度かした事があるが、彼女の中ではノーカン扱いである。


(え?ええぇ?専属?専属の女奴隷?え?拳闘奴隷の専属ってアレよね?身の回りの世話とか、着飾ってパートナーの男に寄り添って侍り箔を付けるためとか…その、あの、夜の、相手を――――――――)

「でも、パジャオってまだ…子供…でしょ?貴女だって…」 

 思考がまとまらないまま喋ってしまう。口が勝手に動く。可愛かった。パジャオは可愛かった。むさ苦しい男達の中でまだ幼く女の子みたいな見た目だった。弟の様に…とまでは言わないが気になる存在だった。

 ちなみにパジャオの体を拭き清めた時に彼の可愛らしい性器も掃除している。

 ミントは仕事柄たくさん陰部等を見ているので、その手の知識や見識は広かった。

 それもちくはぐで歪な彼女を形成している要因の一つだった。


(パジャオ、なんで?)

 孤児院や教会にも年下の男の子なぞたくさん居る。しかしパジャオ程に異彩を放つ存在も居なかった。

 ミントが忌避する暴力性の権化の様な拳闘奴隷達の中であって、守ってあげたくなる様な母性をくすぐる少年。

 しかしパジャオは強く、最初の出会い以降ミントが治療する機会はゼロであった。それ即ち…ミントが忌避する暴力のプロと言う事だ。

 矛盾である。

 否定できぬ女の性として、本能的に憧れる強い男である拳闘奴隷と同時に、守ってあげたくなる様な純粋無垢な少年である。 

 それは貴族のボンボン童貞が憧れる様な、性知識に疎いのに性に開放的な処女とかと同じ存在。それは貴族の箱入り令嬢が憧れる様な、女の扱いに長けてるのに自分に一途で浮気をしない男とかと同じ存在。

 有り得ない存在である。

 ただそれはもっと単純な話として、普通に存在していた。純粋無垢であり戦闘のプロ。それ即ち獣也。

 パジャオは狼であり、獣であったのだ。






「パジャオは毎日、私の事抱いて眠ってる、の。優しいのよ、彼」

 ミントが衝撃から立ち直るより早く、ローリエの辿々しい追撃が入る。

 今ミントは、マウントポジションを取られパウンドされているに等しい。

 ある意味性知識だけが肥大化した処女モンスターである妙齢の女子を、年下の女奴隷がフルパワーでボッコボコにしている。

 しかしそこは年の功。経験値の差。ミントはなんとかマウントポジションから脱しようと足掻くっ!


「…なら、診せて、くれる?女奴隷の方々の大事な部分の診察も、私…してるからぁ、ね?」

 それは凄まじいカウターブローであった。

「え?」

 それはまずい。

 ローリエはまだ処女だった。診察されれば一目で解る。

「だ、大丈夫っ!」

 ローリエが腰布を引っ張り後退る。

「いやぁ、初めてなのにそんな毎日してるなら炎症起こしてるかも知れないわ。ちゃんと診察しませんとぉ〜」

 ローリエの態度にピンと来たミントがじりじりと近付いて行く。

 半信半疑。半分は疑い、半分は気遣い。本当に毎日されているなら診察しておいた方が良いのは本当だ。不衛生な奴隷生活では病気になり易い。そこは何処までも優しい女治療師なのであった。


「だ、大丈夫っ!パジャオの、そんな、大きくないからっ!」

(パジャオごめん)

 本人が居ないところで小さい事にされてしまうパジャオ。

 ただパジャオはまだ子供なので小さくともおかしくはない。ミントもそれは知っていた。


「それは知ってるけど。診せて、ね?」

「い、嫌っ」


 広くはあるが追いかけっこするには狭い室内にて、女二人がドタバタと走り回る。

「………何してるんだか…」

 ミントの護衛として就かされていたニゲラが、部屋の前で呆れた声を出す。

「…見たかった…」

 今頃パジャオは戦っているはず、いや…もう勝利している頃だろうか。






 パジャオはトーナメントの出場権を獲得し、専属女奴隷も手に入れた。しかしそれは永遠不変なモノではない。負ければ全て奪われる。それが闘技場の掟。拳闘奴隷達の絶対的なルールであった。


「ぐはははははっ!狼殺しを倒して調子に乗るなよっ!熊殺しパジャオっ!俺は貴様を倒し、トーナメント出場権を得るっ!名乗りが遅くなったなっ!俺の名は虎狩りのぐはぁあああああっ!?」


 虎狩りのなんとかを一撃で返り討ちにしたパジャオが颯爽と踵を返す。


「クソがぁぁああああっ!一撃かよぉぉぉぉっ!」

「もっと粘れやぁぁあああっ!」

 観客席から悲鳴が上がる。

「ぎゃはははははっ!虎が熊に叶うかっ!頂きぃぃぃぃっ!」

「ありがとう熊殺しっ!これで質屋に入れた女房を買い戻せるっ!」

「ひへへっ、悪いなぁ。テメェの嫁は昨日の勝ち分で俺が買っといたわ。ご馳走さん」

「なんだとぉぉぉぉぉっ!?」

「おい、暴れんなら闘技場でやり合えよ。賭けてやっから」

 歓声や怒号が飛び交う観客席。

「ふむ。強いなら強いで遊び方もあるものさ」

 オレガノは観客席からの人々の生きた声を目を瞑って堪能する。

 歯の浮くような世辞や、寄付金を渡した時の権力者達の卑屈な笑いより、この民衆の熱狂こそが彼の求めるものであった。

 パジャオは強いがスタミナは無い。子供だから当然だ。そのため大体の相手は短期で決着が着く。そのためオレガノが発案したのが、何発でパジャオが勝つかどうかを争う勝負だった。


 最早トーナメント本戦に出る選手達の他で、パジャオの相手になる様な戦士がほとんど居なかった。

 苦し紛れに始めたこの賭け事もまぁまぁ評判が良い。


「そろそろトーナメント本戦だ。その前にあともう一仕事、盛り上げてくれ給えよ?パジャオ」


 闘技場の王がほくそ笑む。年に一度、当闘技場の覇者を決めるトーナメントだ。

 一年で一番金が動き、一番人々が熱狂する。興行主としての、オレガノの腕の見せ所である。






「あん?何してんだ?」

 パジャオを連れて帰って来たディルがニゲラに話しかける。

「………」

 ニゲラはなんとも言えない顔をしている。

「ただいま」

 パジャオは二人を廊下に置いて自分の部屋に入る。

「?」

 部屋の中では妙な事になっていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ…」

「ひぃ、ぜぇ、はぁ…」

 そこまで体力に差の無い二人の追いかけっこは、両者スタミナ切れによる引き分けとなっていた。ローリエが壁際に追い込まれてはいるが、床に力尽きへたり込んでいるミントの方が大変そうである。状況的には這いずる様に追いかけて来るミントから逃げ回っていたローリエ、という構図だ。

「あ…」

 パジャオに気付くと、ふらふらとよろめき抱き付いてくるローリエ。

「どうした?ローリエ」

「うぅ…ひっく…うぅ〜…パジャオォ〜…」

 泣いているローリエを優しく抱き締めてやる。

「あ、その…」

 ミントはその光景を見て、冷や水を浴びせられた様に一瞬で血の気が引いた。

(年端もいかぬ子供相手に、私はなんて事を…)

 ただそんな自己嫌悪を上回る勢いで、ローリエを優しく抱き締めるパジャオにショックを受けている自分にさらにショックを受ける。

 年下の男の子に執着し、年下の女の子に嫉妬しているのだ。見苦しいし情けない。大人の女の威厳なんてあったものではない。


ズゥゥゥン…


 …と、拷問用の重しを頭に乗せたみたいにガックリと落ち込むミント先生。すると―――


「ミント先生。久しぶり。元気だった?」

 ローリエを抱き締めたまま近付いてきたパジャオが、へたり込んでいるミントの頭を撫で撫でしてくれていた。

(撫でられるのもいいが、撫でるのも悪くない)

 ローリエを毎日抱いて眠る事で、人肌恋しさは解消されていた。今は与えられる側に回る余裕すらあるパジャオである。


「え、えへへ。元気だよぉ」

 ふにゃっとした顔で笑うミント。

 普段のミントを知る者が見たら驚く程の、蕩けてだらしのない顔をしている。

 パジャオの胸の中で微かに振り返っているローリエが、人殺しの目をしながらその顔を睨め付けている。

「喧嘩良くない。仲直り、な?」

「うん、解ったパジャオ」

 パートナーの言葉に素直に頷き、ギュッと抱きつき頬擦りをするローリエ。

「え?拳闘奴隷の貴方がそれ言いますぅ?確かに試合外の私闘は禁じられてるでしょぉけどぉ…」

 ローリエと場所を交換したいミントが腑に落ちない顔をしている。

 こうしてローリエ対ミントによる異種格闘技戦第一ラウンドは、引き分けに終わった………かに見えた。


「そ、それじゃ、また、ね。パジャオ」

「ん」

 ミントは二人の部屋から名残惜しげに退出する。

 彼女はまだ仕事があるし、そもそもこの部屋に住んでいる訳ではないのだから当然である。

 パジャオの背中から顔を出したローリエが舌をペロッと出している。

 おかしい。彼女とはそんなに仲が悪くはなかったはずなのに。

「ぐぬぬ」

 華奢な指で拳を握り、筋肉量の少ない腕をぷるぷるさせながら、ミントはパジャオとローリエの愛の巣から出て行くしかなかった。


 土壇場の番狂わせ。

 ギリギリで判定勝ちを拾ったのはローリエであった。 





 そして数日後。

「どうしてこうなったの?」

「どうしてこうなったのかしら?」


ワアアアアアアアアアアアアアッ!


 闘技場の特別観覧席。

 そこにはミントとローリエの姿があった。

 隣同士で座る彼女達は、普段より着飾っていた。

 今日の観戦に際しオレガノに衣服や宝飾品を貸し与えられ、都の高級娼婦よろしくキラキラと輝いている。

 今日の戦いは特別であった。


「紳士淑女の皆様方ぁっ!お待たせ致しましたぁっ!本日のメインイベントっ!熊殺しパジャオ対っ!拳闘奴隷十八人っ!さぁ私の手元にご注目下さいねっ!コレは砂時計っ!時間を測る道具ですっ!」


 この町には正確な時間を測れる機械式の時計はまだ普及していない。オレガノのコレクションに懐中時計があるが、それも飾ってあるだけだ。

 教会が鐘を鳴らして時刻を知らせているだけである。

 そのためこういう時には主に砂時計が用いられる。

 砂時計はあまり大きくはなく、時間にして約三分くらいだろう。


「今回の賭けの対象は時間ですっ!熊殺しパジャオがいったい砂時計何回分で全ての相手を倒せるかっ!それとも負けてしまうのかっ!」

 あまりに負け知らずのパジャオ戦はまともな賭けが成り立たなくなってきたため、こういった催しとなるのは必然であった。

「挑戦者が勝てばっ!あちらの観覧席に居る可愛らしい女奴隷はその男のモノとなりますっ!パジャオが負けた時に生き残りが複数いれば、その者達の共有財産となるでしょうっ!」


うおおおおおおおおおおっ!


 闘技場に出揃っている十八人の拳闘奴隷達どころか、観客席の男達からも歓声が上がる。

「ひっ…パ、パジャオ、負けないでっ!」

 純粋に勝って欲しい気持ちも勿論あるが、負けたらたくさんの男達に犯され処女も散らされしまう。ローリエの願いは切実であった。


「そして今回はなななななんとぉっ!我等がオレガノ闘技場に舞い降りし天使っ!降臨せし女神っ!聖獣の御使いっ!治療師ギルドの秘密兵器ミント先生が初観戦だぁっ!」


 その紹介にびっくりする観客とミント先生御本人。ミントが闘技場で働いているのは知られた話だが、試合観戦を固辞してるのも合わせて有名だった。


「我等の敬愛するミント先生もかの熊殺しに夢中のぞっこんと言う極秘情報が入っておりますっ!これはもう熊殺しならぬ女殺しっ!子供のうちからこんな美女美少女二人を侍らせてっ!将来はハーレムでも作る気でしょうかっ!」

「えええええええっ!?違うからっ!違いますからぁっ!」

 ミントが絶叫するが、解説進行役の大声と観客の歓声でかき消される。

「オレガノさんっ!私聞いてませんっ!」

「はっはっはっ」

 上座に居るオレガノが肩を震わせて笑う。

 食事と睡眠をたっぷりと取らせ、少しは見た目がマシになったローリエ。そんな彼女をパジャオの専属女奴隷としてデビューさせるタイミングで、まさかミントが試合観戦を希望するとは思わなかった。

 折角なのでまんまとこれを利用する辣腕興行主。

 解説進行がさらに続ける。

「熊殺しに勝てばっ!可愛らしい奴隷だけでなくっ!ミント先生からの個人的な治療も受けられるっ!」


ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ! 


 空気が震える程の歓声が上がる。

 拳闘奴隷達も目が血走り、唾を飛ばして雄叫びを上げている。


「えぇえっ!?そ、そりゃぁ怪我したら治療はしますけど…え?ち、違う意味に聞こえません?今の?」

 青褪めつつ困惑するミント。

「…私の時より、歓声が…大きい」

 憮然とするローリエ。

「さぁっ!お待たせ致しましたぁっ!人気なら最早ナンバーワンっ!当闘技場の最強ルーキーっ!熊殺しの怪童っ!パジャオォォォォォォォォォォォッ!」


 大歓声の中、扉が開き本日の主役が現れる。パジャオはくいっと顔を巡らせると、ローリエとミントを見つけ、グッと拳を突き上げる。最近覚えたパフォーマンスだった。これをやるとなんだか皆が喜ぶのだ。


「あ、パジャオ…」

 ローリエがホッとした様に微笑む。

「私に向かって手を…」

 ミントの視線に熱が籠もる。

「え?」

「え?」

 見つめ合う女と女。

「今、パジャオは私に勝利を誓ってくれた、の」

「いえいえ、私と目が合いましたぁ。天使と女神と御使いとしてぇ、パジャオを見守りますぅ」

「ナニソレ、業突く張り…」

パジャオを巡り、二人の女が睨み合う。

(ふむ。この二人の戦いで金を取れないものか…)

目の前で火花を散らす女二人を見ながら、真面目に検討しだすオレガノ。

 そんな中遂に…


「それでは最強トーナメントへの出場権を賭けた最後の試合っ!はじめぇぇぇぇぇっ!」

 戦いが、始まる。

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パジャオとスターアニス 猫屋犬彦 @nennekoya777

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