第19話

 イヴリースとの戦いからしばらくが経った。

 何もかもが終結した後の街は、それはもう酷い様子で、壊れていない建物を探すほうが難しいほどの荒れ果て具合だった。けれど、人々への被害は驚くほど少なかったという。率先して人々を守り、避難させた神官のおかげだ。

 そんなわけで、騒動後の街の人々は、復興のために今も大忙しだ。あんなに大変なことがあった後だというのに、今のほうが活気に満ちているように見えるのだから、本当に逞しいと思う。

「……そういえば、この前に行った中央通りも、店が再開しつつあるらしいですよ」

 そう気楽に話しかける。今も、背中にぴたりと密着する彼女は、そう、と力なく頷くだけだった。

「ねえ、アルネラさん。たまには外に出てみませんか?お買い物にも、行かなくちゃいけませんし」

 その言葉に、彼女は何も言わない。その言葉に反応して、今より強く肩を抱きしめるだけ。

 あの事件から、彼女は一人になることを極度に嫌うようになった。それはもう、病的とさえ感じるほど。ときには、我を失うほどに取り乱すことだって何度もあった。

「……ねぇ、ユーリ。私のこと、本当に、愛している…?あなたは、私を嫌わない…?私を、もう、一人にしない…?」

 彼女はそれに強く固執するようになった。自分はいつも頷いて答えるけれど、そんなことは気休めにならないかのように、何度も、何度も聞いてきた。どうしたのかと心配して聞けば、彼女は怯えるようにそう答える。

「…怖いのよ。ふと瞼を閉じて、次に開けた瞬間、あなたは消えていなくなってしまうんじゃないか、って。彼らと同じように、いつか私を、愛してくれなくなるんじゃないか、って。…そんなの、絶対に嫌。もう、一人きりになんて、なりたくないの」

 かと思えば、すぐさま彼女は泣きだして、縋るように謝り続ける。

「ごめんなさい…ごめん、なさい……あなたは今も、本当に私のことを愛してくれているはずなのに……それを、私が、信じられないせいで……!」

 震える彼女を抱きしめ、優しく背をさする。その姿は、ひどく儚く、触れれば崩れてしまいそうなほど、小さく見えた。

 自分は、何を勘違いしていたのだろう。どれだけ時間が掛かっても、彼女の呪いを解くだなんて。残された時間は、あまりにも短いというのに。

 彼女は、その呪いを何百年も耐え続けてきたんだ。永劫にも等しいその苦しみは、とっくに彼女を限界まで追い詰めていた。それは、今にも壊れてしまうほどに。


 だから。こんな結末を迎えたのは、当然だったのだろう。


「………ぁ」

 何もかもが休み、静まり返った黒い夜。浅い眠りにあった自分は、唇に柔らかい感触を覚えて、その眼を開く。

 目の前には、アルネラさんがいた。じとりと湿った暗がりのなかで、彼女もまた、ゆっくりとその瞼を上げる。

「アルネラ、さん……?」

 違和感と共に、その名を呼んだ。何か、様子がおかしい。嫌な予感がする。そのとき、彼女は、赤く湿った唇をゆるやかに開いて、言った。

 にやり、と笑みを浮かべる。

「―――あぁ。ようやく、ようやく分かったよ、ユーリ!もう疑うなんてことはしない。なんて素敵な心地。なんて、胸がいっぱいになるくらいの幸せ!」

 どこか、恍惚とした表情で、彼女は言う。

「――私、あなたのことが、とっても大好き!」

 それはまるで、呪われたかのように。


 * * *


 夜は明ける。今も記憶に残るあの出来事は、夢ではない現実なのだと、そう残酷に告げるかのように。

「……あなたは、だれ?」

 ベッドの上。差し込む朝日に照らされて、目を覚ます一人の少女がいた。

 金の髪。華奢な手足。狐の耳が頭から覗いて、翠の瞳がこちらを不思議そうに見つめる。それはまるで、幼いアルネラさんのような姿。面影を感じるその少女は、けれどもあの人ではない。

 アルネラさんは、自分に愛の呪いを託したあと、己にある全ての記憶を封じてしまった。それだけが、彼女を救う最後の方法だったかのように。

 数百年続いた彼女の苦難は、ようやく終結した。それが、本当に彼女が望んだ結果だったのかは、もう誰も分からない。分かっていることは、これでもう、彼女が呪いに苦しむことはないし、過去に囚われることもないということ。

 自分はそれを、裏切りだなんて思わない。愛の呪いを託すということの意味を、自分は知っているのだから。それに、あの時の約束だって、まだ終わっていない。

 そうして、彼女は生まれ変わったのだ。アルネラという名の女は、もうどこにもいない。目の前にいる、満月のような髪をもった少女はもう、あのとき愛した彼女ではないのだから。

「初めまして。僕の名前はユーリ。君は?」

 そう聞くと、少女は困ったように首を横に振った。答えるべき己が名を、持たないように。

「それなら。――ねぇ、可愛いお嬢さん。良ければ、僕が君に名前をつけてもいい?」

 不思議そうにしながらも、こくりと小さく頷く彼女。可愛い、と言った途端に、分かりやすく頬を赤らめているのがなんとも愛らしい。ならば、そんな彼女に相応しい名前にしようと思って、考えを巡らせる。

 イヴリースは一度、彼女を別の名前で呼んでいたことを思い出す。

 アルドネラク・クレイヴィリア。愛を求める悲嘆の金盞花。だけど、今の彼女はもう、別れを悲しまなくてもいいのだ。

 だから。

「カレン、というのはどう?」

 すると彼女は、その響きを確かめるかのように、何度も口のなかで呟いてから頷いた。にこりと笑うのを見て、気に入ってもらえたようだと安心した。

 そのとき、カレンがこちらを控えめに覗き込んでくるのに自分は気付いた。なんだろうかと視線を向けると、彼女は恥ずかしがるように俯いて、

「…ねぇ。おかしなことだと、分かってはいるのだけど。一つだけ、言ってもいい?」

 頷く。すると彼女は、顔を真っ赤にしながら呟いた。

「私、あなたのことが……好き、みたいなの。…おかしいよ、ね。初めて会ったはず、なのに」

 そう言って、じっと見つめる彼女に、自分は静かに微笑んだ。

「それは奇遇だね。実のところ、僕も君のことが大好きなんだ」

 その言葉に、もはや偽りはない。

 たとえ、目の前の少女が、あのときの彼女とは違うものだとしても。

 僕は、その感情を忘れることだけは、決してないのだから。

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偽装感情と呪われた夢 @Ainsworth1450

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