第18話
街は、一瞬にして地獄へと変貌した。
アルネラを手に入れたイヴリースが行った次の行動は、何より先にこの街を制圧することだった。彼は、己が率いる部下、総勢三千人全てに、都市制圧戦の命令を下す。
「街は壊せ。物は全て奪え。抵抗する者がいれば、全員殺せ」
事実、その通りのことが行われた。
燃え上がる火の手。崩落する建物。逃げ惑う人々。そこら中に頻発する、死と悲鳴。
事態はもう、取返しのつかないところまで進行していた。この街に存在していた唯一の戦力である教会でさえ、その勢力の殆どを失い、かろうじて残った僅かな神官たちも、人々を守る盾となって、一人、また一人と倒れていく。
彼にとってそれは、悲願の始まりとも言うべき光景だ。愛の呪いを手に入れ、それを以て人々を支配し、己だけの国をつくる。
これは、かつての夢の続きだ。そして、そんな夢を滅ぼした彼女への復讐でもある。
「ふふ………ははは……!」
堪え、耐え抜き、それでも溢れだす愉悦に、顔が歪むのを止められない。この街の象徴たる大聖堂内部に響き渡るそれは、事実上の勝利宣言だ。もはや、彼を止められる者は存在しないのだから。
「あぁ、あともう少し。それだけの時間で、俺は、この世の全てを支配できる力を手に入れることができる……!」
視線の先。聖堂の最奥に備えられた祭壇の上に横たわる女は、苦悶の表情を浮かべながら、眠り続けている。
彼の愛は、親愛でも情愛でもない。
全てを奪い、そして支配する。
ゆえに、アルネラの呪いが彼を立ち止まらせることはない。殺し、奪い、支配することさえ、彼の愛情に他ならないのだから。
「さぁ、今こそ。あなたの呪いを、我がものに!」
そのとき。突如現れた部下の一人が、すぐさま彼に向って跪く。
「報告します!南部大通りより、こちらに目掛けて一直線に接近する神官部隊を確認!」
そこ報告一つで、イヴリースの興奮は一瞬で冷まされた。無言で瞼を下ろし、しばらくそうしていた彼は、目を開けてつまらないように吐き捨てる。
「…下らん。教会の残党如きが、無駄なことをするものだ。だがまあ、最後の足掻きというならば付き合ってやろう。神官の数と武装を教えろ」
「は。神官は八名ほど、しかしどれも手強く、迎撃する我らが少々苦戦している状況です」
「ほう。玉砕覚悟、ということか。敵からの逃亡を許さない教義とは、奴らも哀れなものだ。報告はそれだけか?」
彼の言葉に、部下は言うべきか迷うようにしてから呟く。
「…意図は不明なのですが、敵のなかに、どう見ても場違いな子供が、一人混ざっていまして………」
その言葉に、イヴリースは目を見張った。
* * *
崩壊する街のなかを、駆け抜ける一人の少年がいる。
その疾駆は、地獄のようなこの状況において哀れなほどに小さく、弱弱しい。ともすれば、すぐさま吹き飛ばされてしまうほどに。
けれども。
「もう少しで大聖堂だ!急ぐぞ、ユーリ!」
小さいその疾走を、守護する者たちがいた。
彼らがそうする理由はそれぞれだ。受けた恩に報いる為。亡き友との約束を果たす為。しかし、何よりも、彼らを繋ぐ一つの信念がある。
正しき者の歩む道を、守り給え。
彼らは知っている。その少年の正しき心を。
愛する者を守りたいという、単純で、それゆえ強く、何にも負けない想いを。
誰もが思った。ならばこそ、神の僕たるこの命、彼の歩みに捧げるに相応しい。
「進め!」
襲い来る敵。
「進めっ!」
一人、また一人と倒れていく神官たち。
「進めぇええ!」
たとえ何があろうと、この少年の歩みだけは、決して止めてはならないのだ。
「っ……!」
失われていく彼らを前に、少年は歯を食いしばる。少し前は、そんなことの意味なんて少しも理解できなかった。誰かの死など、単なる事実でしかなかったのだから。
けれど今は違う。己が命すら顧みない覚悟、その気高さを、――悲しいまでの優しさを、彼は知っている。
「……行け、少年…ッ!」
最後の一人となった神官は、残った僅かな命さえ振り絞り、聖術を祈る。
「お前の、愛する者を、救ってこい!」
今にも泣き崩れそうで、けれども進み続ける彼を、守るための奇跡を。
「―――っ!」
少年は走る。
* * *
目的の場所に辿り着いた自分は、その異様なまでの静けさに、恐ろしい気配を感じた。
正面にそびえる大聖堂。力を貸してくれた神官達は、ここにアルネラさんがいると教えてくれた。だというのに、そんな場所を守るイヴリースの兵士は誰一人として見えない。そこは、不気味なほど静まり返っていた。
とはいえ、そんなことで怖気づいてもいられない。警戒しながら進もうとした、そのとき。
「俺は確かに言ったはずだ。戦う理由もない奴が、俺の前に立つなと」
柱の陰から、こつりこつりと足音がして、声の主である男の姿が現れる。
「だがまあ、来てしまった以上は仕方ない。一応は聞いてやる。お前、何のためにここに来たんだ?」
無表情にこちらを睥睨するイヴリースに、自分は答える。
「彼女を、取り戻すために」
「なぜ?そんなことをする理由がどこにある?」
すっと、彼を見据える。一度瞬きをして、当然のように自分は答えた。
「僕が、あの人を愛しているからだ」
その答えを、彼はすぐさま笑い飛ばそうとした。けれどもすぐに気付く。
「……ハ!そうか、あの少女に押し付けたのか!見直したぞユーリ。あぁ、それならば、俺が相手にしてやるのも良いだろう」
そう言って、彼は大聖堂入口の階段を降り、こちらへと歩み寄る。ゆっくりと足を進める彼を睨みながら、自分は口を開いた。
「アルネラさんを、どうするつもりなのですか」
「当然、彼女の呪いを奪う。そうすれば、人々の心など思うがままだ」
「不可能です…!たとえ呪いを強制的に奪おうとしても、当人が拒絶する限りは、その呪いを誰かに移すことはできないはず…!」
「あぁ。お前の言う通り、強制的に奪うことは不可能だ。彼女が拒絶する限り、は」
そのとき、自分はその言葉の意図を理解した。
「まさか…!」
目を見張る自分の確信を見通すように、彼はにやりと笑う。
「そうだ。彼女の意志が、それを拒絶するのであれば、その心ごと奪えばいい」
彼は言った。平然と、むしろ愉しむように。
「彼女は今、記憶を見せられているのさ。自分のせいで滅び、自分のせいで堕落した人々の記憶を。あの女はな、それを罪だと思い、後悔しているんだよ。ごめんなさい、ごめんなさい、って泣きながらな」
その意図に怖気が走る。彼女の意志を捻じ曲げてまで、己の欲望を叶えようとする様に。
そして彼は、笑って言った。
「なあ、笑い話にもほどがあるだろう?人を喰らう化け物が、ただの人間みたいに、そんなことで悲しむだなんて」
「………ッ!」
ぎり、と歯を食いしばる。悲しいからではない。爆発しそうな何かを、必死に抑えるためにそうした。
だから、代わりに自分は口を開く。
「……お前には、分からないんだろうな。彼女がどうして、一度も呪いを他人に渡そうとしなかったのかを」
今もどこかで泣いている、彼女の代わりに。自分は全力で叫んだ。
「呪いを移すなんてこと、やろうと思えば、いつだってできたんだ。でも彼女は、それだけは絶対にしなかった。その理由が、お前に分かるか…?自分の心を奪われないため?お前みたいな人間に、悪用されないため?あぁ、それもあるだろう。でもな、でも、何よりも、他人に苦しみを押し付けて、自分だけが幸せになるなんてことを、彼女はしたくなかったんだ!」
この男は、何も分かっていない。もしも彼女が泣いているのだとすれば、それは、彼女自身の優しさの証明に他ならないのだ。
「お前程度が、彼女を笑うな……!何もかもを踏みにじって、自分勝手な欲望を叶えるだけのお前が、彼女を化け物と呼ぶな!」
そう叫んだ瞬間、イヴリースはぴくりと眉を動かした。ずっと保っていた余裕そうな笑みはすぐに消え去り、それとはまったく異なる感情が彼の眼に宿った。
「ほう。良い度胸だ。弱者の分際で良く吠えるものだが、どうやら己の立場を弁えていないようだな」
冷たく、凍えるような敵意が、こちらを捉えた瞬間。
「……ッ!?」
彼の背中の向こうから、幾つもの刃物が飛来し、一瞬で身体中に突き刺さる。
いつのまにか、彼の背後には幾つもの人影があった。少し前までは、自分とイヴリース以外の人間は、誰もいなかったはずなのに。
彼らだけではない。身体を刺す鋭い苦痛に、視界を落としたその一瞬で、周囲に変化が起きていた。
イヴリースの兵士たちは、その姿を掠れた黒衣で統一している。ならば今、この目に映る光景の殆どを占める黒が、全て彼の兵士によるものとすれば、いったいどれだけの数がいるのだろう。
圧倒的なその光景は、地を覆う無数の蟻たちを連想させた。自分の全方向を、隙間なく覆い囲む彼らは、今も無感情な視線を向ける。主人からの合図を、待ち侘びるように。
「さあ、先ほどの言葉をもう一度言ってみるがいい。その意味を理解しているならば、な」
彼は、嗜虐的に笑う。
「彼女を愛しているから?ハ、下らん。そんな感情に価値はない。彼女を救いたいのなら、俺を殺してみせろ。力の伴わない意志など、負け犬の遠吠えと変わらない。ただ、他者に守られていただけのお前に、それができるか?」
自分には、それが、ひどく儚いもののように見えた。
あぁ、そうか、と理解する。このとき彼は、正しさの勝負を捨てたのだ。そうではなく、力をもって決着をつけると言った。殺して見せろとも言った。何より、彼女を、傷つけた。
なら、少しも躊躇うことなく、己は奴を殺せる。
「―――――あぁ」
吐息をつく。意識が急速に冷めていく。奴はそれを、怯えていると捉えたようで、
「ハ。感情を取り戻したんだ。なら、恐怖も当然存在する、か。哀れなものだな。だがもう諦めろ。お前はもう逃げられない。ここに来てしまった以上、俺はお前を必ず殺す」
愉悦に喜び歪んだ笑み。己の優位を疑わない、自信に満ちた表情。自分はそれに、毅然と言い放つ。
「――あぁ、確かに恐ろしい。死ぬことではなくて、彼女を救えないことが」
今でさえ、傷口から溢れ出す血が、少しずつ己の命をすり減らしていく。けれどもそんなの、少しも恐ろしくなかった。痛みでさえ、今の己を屈させるには程遠い。
感情とは、苦しいものばかりだ。怒り、悲しみ、憎しみ、そして恐怖。まるで、それ自体が、人間の罪に対する罰であるかのように。
だけど。
「愛する感情に価値はないと、そう言ったな。だがそれは違う。僕は、――俺は、彼女を愛しているからこそ、彼女を救うためなら、どんな苦しみだって耐えられる」
たとえそれが、死より苦しいものだとしても。
「お前、いったいなにを……?」
不審がる彼に、自分は構わず言葉を投げかける。顔を上げ、肩に刺さる短刀を抜き捨て、今から殺す者の姿をこの目に焼き付けた。
「なあ、イヴリース。お前は、死が恐ろしいか」
この身は、既に幾つもの呪いに蝕まれている。その一つ一つが、今も、この命を抹殺せんと胎動している。そんな呪いだらけの自分を生かしているのもまた、一つの呪いだ。
「俺にはそれが、少しだけ羨ましい。だって、死は全てを無に還してくれるのだから」
呪いは、苦しみを与えるもの。けれど、あらゆる苦しみは、命を前提としている。当然だ。死んでしまえば、何もかも消えて無くなるのだから。
死は、どんな苦しみをも帳消しにする最後の救済。だから、この世でもっとも恐ろしい呪いがあるとすれば、それは、死ぬことすら許さないものに違いない。
「…傷が、癒えていく、だと………!?」
信じられないような声が上がる。肩口の傷は、ちょうど今消えて無くなった。
「死ぬことができる分、お前達は救われているのだろう。――だから、安心して苦しんでくれ」
そう言って、自分は瞼を閉じる。
自分には、常時呪いを抑える様々な魔術が掛けられている。苦痛を抑える麻酔のようなものだ。そうしなければ、まともに生きてなどいられない。
だから自分は、その拘束を今、解除した。
「――――ッ!」
瞬間、爆発する極大量の苦痛が、全ての神経を焼き付けた。
頭が沸騰する。身体が引きちぎれる。人間一人の小さい器に、土砂降りの苦痛が降り注ぐ。
まともな思考を保てない。痛くて、怖くて、辛くて、何もかも捨て去って狂いそうになったそのとき、脳裏に一つの光景が思い浮かんだ。
一人の、誰よりも愛おしい、彼女の姿。
あぁ、そうだ。その笑顔のためなら、自分は何だってしてみせるのだ。
「――全呪、解放」
瞼を開ける。己の身は、既に変質を始めていた。
解放を命じた呪いは二つ。一つは、身体を龍へと変貌させる呪い。
そして、
「まさかそれは、本当の、不死の呪い……!?」
否。不死は、あくまで過程に過ぎず。
その本質は、永遠の苦痛。かつて、終焉の日まで彷徨い続けることを運命づけられた男の神罰。死による救済すら許さない、究極の呪い。
死なないというならば、いくらでも無理はできる。その身を竜に変え、人間を超越した力を、この身に宿すことでさえ。
全身を覆う鱗。手足の鉤爪。背中にばさりと広がる、二者一対の翼。それがたとえ、人の道を外れた醜悪な姿だとしても、その力を振るうことに、迷いはない。
「―――いくぞ、イヴリース」
眼前の敵を、その眼で見据え、己はそう言い放つ。
奴は、始めて怯えたような表情を見せて、こちらを強く睨みつけた。
「……ッ!殺せ!我が夢を邪魔する者は、皆全て殺してやるッ!!」
瞬間、彼の叫びに合わせて、全方位三百六十度から、無数の刃が一斉に降り注ぐ。
空を覆い尽くさんばかりの鉄の雨。それに対し、自分は、
「――――」
振るう右腕。たったそれだけで、生じた爆炎が全てを融かし、蒸発させる。残ったものは何もない。ただひたすら、眩しいほどの青空のみ。
「馬鹿、な……!?」
驚愕する時間など与えない。地を砕く勢いで瞬発し、彼との距離を一瞬で縮める。
喉元目掛け、思い切り鉤爪を振り下ろそうとしたそのとき、しかし、割って入ってきた兵士たちが、その身を犠牲とする盾となった。
「―――なに?」
鉤爪が兵士の身体に食い込む瞬間、空洞のように彼らの身体が膨張し、赤い煙を噴出させながら破裂する。
赤く覆い隠される視界。イヴリースの姿は一瞬で見えなくなる。またあの時と同じ目くらましだと察知した自分は、背中の翼をばさりと広げ、天上へと思い切り飛び上がった。
赤い煙を勢いよく突き抜け、空高く舞い上がる。上空から見下ろす街の姿は、見るも無残なものだった。
崩れ落ちる家々。侵食する火の手。そこらじゅうに倒れ伏せる、今はもう事切れた人々の身体。
見渡す先。壊れ果てた街のちょうど中心点となる大広場に、イヴリースの姿を捉える。彼は、
「ふざけるなッ!お前如きに、我が願いをここで、潰されてたまるかぁああ!」
咆哮が轟いた瞬間、彼の周囲にいた兵士たちが、その肉体を弾けさせる。
迸る血煙は、そのまま宙を何度も揺らめき、びしゃりと地に落ちて、幾何学的な円形模様を描いた。
「我、血と臓物の契約により、この地上に破壊と殺戮をもたらさん!」
赤く、煌々と輝くサークル。幾つもの五芒星が織りなされたそれは、まさしく、黒魔術の象徴たる魔法陣。禁断の外法。悪魔召喚の大儀式。
「そのつもりならば、こちらも全力で、お前を叩き潰してやるッ!」
その言葉とともに、街中の血肉が、生きている彼自身の兵士に至るまで全て、イヴリースの肉体を覆うように集結する。
肉は融け、骨は崩れ、互いに圧し潰しながら凝結する一個の肉塊は、血を吹き出しながら、別の形に蠢動していった。
それは、一つの存在を表す象徴の如き姿。
曲がりくねった獣角。蝙蝠のような黒い翼。全身の筋肉は不揃いに隆起し、黒い肌はひび割れ、裂け目からは炎が揺らめき覗く。
『――――ハァ』
閉じられた眼が、ついに開かれた。真っ赤な血よりも濃い、深紅の瞳。完全なる悪魔の姿へと変貌したイヴリースは、口から炎をくゆらせながら、こちらを見て獰猛に笑う。
『さあ、殺し合いを始めようか……!ユーリッ!』
そう言って、遠く離れた彼我の距離など初めから存在しないかのように、踏み出したその一瞬で自分たちは激突する。
「おおおッ!」
『ハハハッ!』
吠える自分。笑い叫ぶ彼。衝突する、力と力。
もはや、互いに人ならざる身。人間らしい理性などかなぐり捨てて、ただ一心に、暴力を振り回すだけの殺戮機械へと成り果てる。
殴り、蹴りつけ、指先の爪を振るい、全力を以て殺し合う。技術ではなく、ただ純粋な、力による原始的な闘争。
「ッ……!」
奴の獣爪は、竜の鱗で覆われた自分の肉体を易々と貫いた。抉れ、苦痛を呼び、すぐさま再生する。それが何度も繰り返された。
『はははは!死なないのならば、その心が壊れるまで殺し続けてやる!』
激突はさらなる勢いへと変わっていく。被弾する間隔も、次第に短くなっていった。
そのとき、致命的な一撃が、自分の身体を直撃する。
『がはッ……!?』
吹き飛び、瓦礫に墜落する。深々と抉り抜かれた右胸は、瞬時に再生を始めた。
『ハ!何が呪いか、何が苦しみか!お前は今、その力で戦っているではないか!ならば、そんなものはもはや呪いではない!神が与えた祝福だ!そのような奇跡、この俺が、全て奪い尽くしてやろう!』
神速で迫り来るイヴリースを、返す一撃で受け止める。
「……!ふざけるな!他人の呪いを、羨むんじゃない!たとえそれが、祝福に見えたとしても、その人にとっては苦しみなんだ!」
叫び、断裂する筋肉など構うことなく、渾身の力をもって奴の身体を吹き飛ばした。
どこか、遠い地平に衝突する音。しかし、すぐさま奴は飛び上がり、こちらに肉薄する。
翼を広げ、街中を縦横無尽に飛び回りながら、それでも激突を止めない。
「お前に、想像できるか!?異常を強制されて、それでも笑い続けなければいけない苦しみを、誰にも理解されない孤独を!」
誰からも愛され、それゆえ誰にも愛されない。その果てに、人々からは化け物と蔑まれ、全てに裏切られる。その苦しみを、自分は想像さえしてやれない。けれど、
「彼女はそれを、何百年も耐え続けてきたんだ!なら、その分救われなければ、そんなの嘘だ!誰も救わないのなら、俺が救う!俺が、彼女を、幸せにしてやるんだ!」
言葉。想い。叫び。あらゆる感情が、心を燃やす薪となって、イヴリースとの衝突を加速させる。この身体を、突き動かし続ける。
一度、大きな交錯を経て、我らは大きく距離を離した。
奴は北、己は南。これが最後の衝突であるように、イヴリースは、決着の一撃をその身に宿す。
それは、燃え滾る業火。街全てを覆うほどの、地獄の爆炎。今も主の敵対者を焼き続ける、罪の炎。
『ならば、この俺を殺してみろ!俺から、彼女を取り戻してみせるがいいッ!ユーリ!』
叫びとともに、放たれる獄炎。全てを灰に還す、絶対の破滅。それに、自分は、
「――――」
躊躇わなかった。避けもせず、守りもせず、死すらも恐れず、ただ正面から突っ込む。
「ッ……!?」
焼ける肌。炭化する指先。溶け落ちる肉。何百、何千と襲いくる死の、その度に、この身体にもう一度灯る、不撓不屈なる命の灯。
「うぉおおおおッ!!」
ただ、己は叫んだ。今この身体を突き動かす、彼女への想いを、そうしてくれた一人の少女の姿を、その心に思い浮かべて。
諦めない。
諦めるものか。
幾万もの終わりを超えて、自分は…!
「絶対に、彼女を、救ってみせるんだぁああ!」
突き抜けた。その先に、硬直する奴の姿を捉える。
突き出す竜の鉤爪。その一撃に、残った力の全てを込める。
「終わりだ、イヴリース!」
こちらを見据える奴の眼が、大きく見開かれた瞬間。
『――――がッ!?」
ぐずり、とイヴリースの心臓を、深く刺し貫いた。
* * *
再び静まり返った瓦礫の地面に、自分はばさりと降り立つ。
決着は付いた。ついに掴んだ勝利の、その余韻に浸る間もなく、自分は歩き出した。
「………、」
一度だけ、後ろを振り向いた。そこには、倒れ伏せ、もう二度と起きることのない男がいる。
それだけだ。再びその光景に背を向けて、自分は向かうべき場所へと歩きだす。目指すのは、彼女のいる大聖堂。
これだけの戦闘を経て、それでも、白亜の偉容には一点の傷も曇りもない。幾つも連なった大理石の巨塔は、それをつくりあげた人々の正しさを誇るように、今も輝きを放っていた。
正面の門をくぐり、聖堂の内部に入る。そこは、夢のなかで一度見たものと全く同じだ。
厳かな雰囲気をまとう空間。その奥に備えられた祭壇の上に、アルネラさんは眠り続けていた。
それを見た瞬間、疲れ果てた身体に生気が戻って、彼女の元へと走り寄る。
「アルネラさん!」
彼女の肩を抱き寄せ、必死に呼びかける。すると、
「………ユー、リ?」
閉じられた瞼が震え、そっと開かれる。戸惑うような目が、こちらを見つけた瞬間。
「……!ユーリ!ユーリ、ユーリ、ユーリ!」
ぎゅっと、飛びつくように抱きしめられて、受け止められずに仰向けになって倒れる。
「よかった…本当に、よかった……!辛くて、怖くて、寂しくて、もう会えないって……私……!」
頬を涙で濡らす彼女を、両手で抱き寄せる。そうすると、温かい感情が、心に満ちていくのを感じた。あぁ、このために、自分は戦ったのだ。
「大丈夫ですよ、アルネラさん。もう、あなたを傷つけようとする者は、いませんから」
泣き続ける彼女を安心させようと、自分はそう言った。
「そんなの、どうでもいい!」
すると、彼女はいきなり顔を上げ、涙の溜まったその眼で、弱々しく自分を覗く。
「……ねぇ。あなたは、もう、私を一人に、しない…?私を、置いていかない…?私を、――憎まない…?」
こちらを見つめるその瞳が、ゆらゆらと、不安そうに揺れる。
「えぇ、はい。もうあなたを、一人にはしません」
それだけ言うと、ようやく落ち着いたように彼女は再び、自分の胸に顔を落とす。
「……よかった…それなら、よかった………」
そう呟きながら、震える彼女の背を撫でる自分は、さきほどの表情を思い浮かべる。
これほど怯えた顔をする彼女を見たのは、初めてだ。それは、本当に彼女のものかと、疑ってしまいそうになるほどに。
そのとき、ふとイヴリースの言葉を思い出す。
いったい、彼女は、どんな記憶を、見せられていたのか。
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