文芸と呼ぶ
人の書く文章には、魂が宿る。それは小説だろうが、エッセイだろうが、取材記事だろうが変わらない。歌手が歌声に思いを吹き込むように、文筆家は一文字に思いを吹き込む。
私は、人の書く文章を、芸術と呼んでいる。
文を通して人の心に触れるのは好きだ。
読み終えた後に口角が上がってしまうほどの優しさが含まれている文章は、いつだって私を幸せにしてくれる。明日の朝日に希望を抱く文章は、丸くなった背を気持ち伸ばしてくれる。文章は冷たく見えるというが、その冷静さの奥に見える炎は、いつだって私を魅了する。真に冷たいままなのは、説明書だけだろう。
もっとも、説明書が情熱を持っていたなら、それほどうっとうしいこともないだろうが。感情の乗った説明書を書く人は、西野カナただ一人だけで充分である。
閑話休題。ぬくもりや希望なんていう、人のやさしさに触れる文章が特に好きだが、恨みつらみ、怨念のこもった負の感情がただ綴られた文章も、嫌いではない。好んで読みに行くには心のHPがいささか必要ではあるが。私は常に余裕のある人間ではないから、基本は暖房の前に居座っている。
まあ、なにも私に限った話ではあるまい。もし人の憎悪にばかり触れるようなものを読んでいるのなら、健康のために一度離れた方がいい。痛みにはほどほどに敏感であった方がいい。慣れると後が怖い。
また話がそれた。私は勤勉な読書家でこそなかったが、昔から文章を読むことが好きだった。ハッピーエンドこそ至高で、人の傷つかないギャグマンガが好きだった。
だから私も、そんな文章を書きたいと思うのだ。私がもらった温もりを、読者の皆様にも分けてあげたいと、強く。私の書いた文章を読んで、何か心が動いてくれたらいいと、強く。
大した正義感なんてものは持ち合わせていないし、大層な野心があるわけでもない。そんな私の描く芸術が、どこまで人を動かすのかなんて分からない。私のほんの些細な思いを、文に乗せられるほどの技術があるのかさえ分からない。才能があればいいと思うけれど、きっとそんなものもない。
私は割と純文学が好きだ。厳密に言うと、冬の夜空を綺麗の一言でなんて済ませてやらないとでもいいたげに、長く、美しく描写されている文章を愛している。理解できない感性に感化されて、何度筆を執ったことか。そして、何度諦めたことか。
悔しいと地団太を踏みながらも、結局大まかな文体は五年前と変わらぬままだ。望遠鏡も使わずに、ただぼんやりと、星の瞬くさまを眺めて、綺麗だね、とあなたに語りかけることしかできない。
過去作品を読んでいただければ、おそらく言っていることの意味が分かるだろう。下手ではなかろうが、では特筆すべき美しさがあるかと問われると、口を濁したくなるというものだ。
それでも、私の文章には、いつだって熱は乗っている。文章は多少平坦かもしれないが、情熱はある。楽しさを筆の乗るままに。悩みも、筆を止めながら。感情の乗るままに、書く。文を書く練習なんざしたことがないし、本だって勤勉な読書家ほどは読まない。だから文体変わらんのんやないん、という至極まっとうなツッコミは無視だ。純文学がかけないという悔しさと、己の文章への愛は同居する。
幸いというべきか、不幸にも、というべきか。私は児童文学に導かれたし(それはなにも私の文体が児童文学のそれに近いからという意味ではなく)、承認欲求も人並みには当然あるが、確固たる己を持っている。認められたらうれしいが、認められなかったからと言って過度に落ち込むこともない。
きっと誰か一人には刺さるだろうと信じている。それはあなたかもしれないし、あなた以外の誰かかもしれない。万人受けしない芸術はあっても、万人に刺さらない芸術なんてものは存在しない。たとえ刺さっているのが未来の私、ただ一人であったとしても、それでいい。というか、それはそれで面白い。
名誉のために文を綴るわけではない。書いている瞬間の楽しさのために筆を執るし、自分の持つ楽しみを、誰かと共有するために公開する。
私は、自分の書く文章を、芸術と呼んでいる。
才能のない私へ 干月 @conanodo
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