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落第生でも優等生でもない私が目指すこと

最近、創作意欲が見るからに落ちてきている。

それは単に私の熱しやすく冷めやすいという性質によるもので、外的要因は何もない。たとえば誰かに「才能がない」だとか、そんなことを言われて落ち込んだわけではない。

だからこそ、どうにかしなければならないという焦りがただ背を伝うことがある。
才能なんてないと思いながら、それでも熱量だけは負けぬと、夢を抱いて4、5年ただひたすらに書いてきた。それは一次創作だけに過ぎなくて、本当に些細な、二次創作だったりすることもあった。ひとまず書けたらそれで良かったのだ。書けたらそれで良かったし、どんなに粗末なものであっても(後から見て、苦笑いしか出ないようなものでも)、それはひとつの経験として、喜びとしてそこに存在していた。
1日100字でもいいから書く、ということを目標にずっとやってきた訳だが、この夏、それすらやらない日々が何度かあった。できない、ですらない。1日、ですらない。

継続が苦手な私が、唯一続けていたことが、こうも簡単に瓦解していくところを、私はどこかもどかしさを覚えながら感じていた。
普段プライドなんて欠片もないような私が、唯一持っていた自負が、あまりにも簡単に打ち砕かれた。

私は普段ポジティブでいるように心がけているが(私以外の誰かにとって、私がポジティブであった方が間違いなくいい)、本質的には相当ネガティブである。誰にも話せない焦燥感がある。

私にとってのアイデンティティというものが、きっと小説を書くというこのたった一行為に凝縮されている。読書は人並みに好きだけれど、カクヨムにいる人と同じくらい作品を見ているかと言うと見ていないだろう。好きな作品は多くあるが(名探偵コナンが私にとってのいい例だろうか)、何かに使えるかと言うとまあ使えはしないだろう。コミュニケーションの取っ掛りになるくらいだ。それでも十分だし、私は今後も好きなものは好きだと胸を張り続ける。
私にとって唯一、他人に胸を張って自慢できるものが、執筆行為なのだ。ありがたいもので、ほんの1万字書いただけでもすごいと言われる。いや、まぁ実際すごいことだと思う。書き終えることの大変さは身に染みて実感しているから。

私はあまり、大きな失敗をしない。高校受験は当初の第一志望からはワンランク落としたが、無事に受かった。大学受験は、私学に進むことは決めていたので、国語、数学、英語だけを中心に勉強して、運良く現役で合格した。そこそこいい大学だが、私自身の頭がいいかと言われると、まあ微妙な気はしている。
文系で、数学が出来た。数学は競争率が低いから、点数が低かろうと点数調整で合格できる可能性がある。
そんな小賢しい戦略で、思惑通り点数調整で随分とバフをかけてもらった。とはいえ、受けた日程は4日で、そのうち受かったのは1日だけだ。まあ、最終合格してはいる訳だから、3日は落ちたという部分には目を向けないが。ちなみに、受かった大学のもうワンランク下の大学には普通に落ちている。
得意だった国語も、まあ上位30パーセントには食い込むかもしれない、くらいのものだ。数学に至っては、関数系と数Ⅱの微積分が何故か異常に得意だったと言うだけで、他の分野はボロボロだった。英語は未だに嫌いだ。バイトで塾講師をやっているから、少しは得意にはなったかもしれないが。
頭は悪くは無いと思うし、きっと同年代の人と比べたらいい方には入る。ただそれが私自身の誇りになるかと言われると、別に誇りになるほどでは無い、という話だ。QuizKnock、名探偵コナン、推理小説が好きなやつだとは思えないくらいには、頭はよくないし、勉強にそこまで意欲的、好意的ではない。

運動はてんでダメだ。歩くことは好き。しかし、昨今の夏冬に散歩をするのはある種の自×行為と同等であるから、歩くのはせいぜい気温が20度前後であるときくらいだ。20度後半は決して涼しくはない。
球技なんて興味すらない。せいぜい男子バレーボールの試合をテレビでやっていたら見るくらいだ。オリンピックは見なかったが。ネーションズリーグは、初戦だけ見たかな。
水泳は小学生の時にやっていた。今泳げるかは分からない。もう何年もプールには行っていない。

容姿に自信がある訳でもない。というかまぁ、容姿にはそこまでのこだわりがないと言ってもいい。女性アイドルは好きだが、憧れでは無いのだ。一時期ああなりたいのかと思って頑張ったことがあるが、大して興味が継続せずにやめた。フーディに7分丈の、ラフな格好が好きだった。メイクだって、バイトの時にはベースメイクしかしないし、大学にはしてすら行かない。友人と会う時にだけ、ほんの少し頑張るけれど。

落第生というには落ちぶれてはいないが、優等生と言えるほど優秀な訳でもない。そんな人はおそらく多いだろう、というか、こういう「普通」な人間が全体の7、8割を占めてることだろうと思う。私は別に奇を衒う人間になりたい訳では無いが、やはりそれなりに自己承認欲求というものはあり、なにかの分野で認められたいと思う。そして、私はそのことについてダメだと思ったことは1度もない。

しかしながら、それだけの欲求を持っておきながら、あぐらをかいていることが許せなかったりする。自分のことなのだから、許せないのであればすぐさま行動に移すべきであることも重々承知している。というか、しているからこうして筆をとっている。
結局、何かしらの言い訳を取り付けてしまうのは、私の人間性以外の何物でもない。「人に優しくありたい」「いい人でありたい」と思う反面、どうしようもない他者への攻撃性を思わず表に出してしまいそうになることもある(というか、鍵垢で実際不満をぶちまけている。よくない)。それは生きていく上で重要なストレス発散の方法でもあるから、いい人になれない私にとっては、ある意味正解なのかもしれない。

連続投稿なんか出来やしないし、基本カクヨムに投げている小説は、鈴蘭蕾が落ちる時以外は全て見切り発車ではじめて、プロットさえも書いていない、いわば駄作である。だから終わりなんてないし、終わらせるつもりもない。気が向いた時にちらっとかいて、それで終わりだ。とはいえ、一旦書かなくなった作品を、3ヶ月置いたらもうほとんどの確率で一生書かないが。

まぁ、継続できるものだけしていったらいいかとも思う。一次創作にこだわる必要なんてものはどこにもなく、勉学や運動で結果を残そうなんて微塵も思っていないわけだから。二次創作でも、なんでもいいから、とりあえずまた、1日1歩、毎日なにか文字を書くところから再開したい。ちなみに、8月、9月中は書いていない日はあるとはいえ、普通に内容を練ったりなんだりで、思考自体はあった。だから、及第点だ。とんだ甘ちゃんだが、趣味の範疇の話で自分を甘やかしたって、別に誰にも迷惑はかからないのだから、それでいい。気負いすぎても病む一方だ。

今日の分はこれでおしまい、なんてことはなく、満足できるまで文章を書こうと思う。きっとこの意思が、創作意欲に繋がるだろうから。

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