過去の黒歴史と向き合いながら成長する自分

過去の「黒歴史」ノートを「呪物」と称し、それに対する忌避感と愛着、そして成長への微かな希望をユーモラスに綴ったこのエッセイは、読者に共感と笑いを誘います。著者は中学生の頃に書き溜めた、内容や表現が稚拙な小説ノートに出会い、それを回顧しながら「今の自分」を鏡で見るかのように描写しています。ありのままの筆致は、かつての自分と対峙することへのちょっとした恥ずかしさと、それでも歩んできた自分を認めようとする温かなまなざしに溢れています。

まず、このエッセイの見どころは、自虐と反省を交えながらも、書くことを「楽しみ」としている著者の姿勢です。読書好きな中学生だった著者は、いつしか小説を書き始め、友人に見せることで更にその創作意欲を育んでいました。「魔法」「美形」「痛い台詞」など、誰もが経験する「中二病」の要素を含んだ自作小説は、今となっては「呪物」として封印しておきたい存在。しかし、著者は恥ずかしいと感じつつも、懐かしさや愛着を込めてそのノートを見つめ直しています。

次に、ノートに対する「ダメ出しポイント」が一つひとつ具体的に記されている点も魅力です。「美形キャラの大渋滞」や「キャラの痛々しい台詞」といった、当時の自分が見えてくる表現に、読者は思わず笑みを浮かべずにはいられません。こうしたユーモアたっぷりの批評を通して、自分をありのままに受け入れる姿勢が伝わり、過去と現在が穏やかに繋がっているように感じられます。

エッセイ全体を通して、著者がかつての友人への深い感謝と尊敬を抱いていることも印象的です。自分の作品を一緒に楽しみ、応援してくれた友人がいたからこそ、今も創作活動を続ける自信と喜びが生まれている様子が伝わります。自作小説を「再び読んでもらう」ことを目標にし、成長した自分の作品を友人に見せたいという思いは、創作に対する愛と希望に満ちています。

このエッセイは、過去の自分に向き合う勇気と、現在を生きる自分を支える原点を思い出させてくれる貴重な作品です。著者が「呪物」と揶揄するそのノートは、恥ずかしさだけでなく、創作の原点を象徴する大切な「財産」でもあり、読者にとっても過去の自分を肯定的に見つめ直すきっかけとなるでしょう。