第二章 薫 第10話②

 その後も、事故現場の周りの店を巡ったが、めぼしい成果は得られなかった。

 薫と真子は、駅近くのカフェに入って一休みすることにした。平日の十五時過ぎだが、店内はそれなりに混んでいる。薫は無性に甘い物が飲みたくなったので珍しくチャイティーラテを選んだ。真子もココアを頼んでいたが、こちらはいつものことだ。

「まあ、素人探偵ができることは限られていますよね」

 しかし、席に座った途端、疲れたようにこぼした真子に、薫も苦笑いして頷いた。

「そうね……。事故があったのは夜中で、その時間帯だと普通、お店は閉まっているから難しいよね」

 防犯カメラなどは警察が入手しているので、結局は「深夜に女性が飛び出して事故に遭った」「トラックの運転手がかなり動転して変なことを口走っていた」くらいしかわからなかった。その口走っていた内容は定かではない。

「じゃあ、一休みしたら事故現場からマンションまで行ってみるか」

 薫はタブレットで地図を呼び出した。事前に真子とシミュレーションして、その日に通ったと思われる道を確認してある。


 というのも、マンションから青梅街道までは、真っ直ぐに抜ける道があるのだ。しかし、事故地点の路地に行きつくためには、マンションからは何度か曲がり角を経由する必要がある。このマンションがある地域は道が複雑で、地図を見ると小さな私道や行き止まりの路地などが入り組んでいる。だから、事故があった道に出るためには、マンションのある裏手から何度かジグザグに道を曲がるという、通常では不自然な道を移動したことがわかった。

「でも、何で部屋を出てからマンションの裏手の道に行ったんでしょうね?」

「わからない。真っ直ぐ駅に向かう道で何かがあったのか、裏側に何かあったから行かざるを得なかったか……」

 二人して地図を見て、道をたどっている時、薫はふと気になって通常の地図表示からレイヤを航空写真に切り替えた。そのままマンション周辺をアップにしてみる。

「……ねえ、このマンション、よく見ると三角形なのね」

「ああ、本当ですね」

 周辺の道ばかり見ていたが、マンション正面のすぐ脇から細い道が台形を斜めに切り取っている。マンションの屋上は黒っぽくぼやけて表示されていて見えづらい。

「土地が何だか歪んだ台形みたいですが、裏手の庭は植木と、すぐ脇に小さな建物がありますね。倉庫か何かでしょうか?」

「ぼやけててよくわからないわね。この裏の建物を避けるような造りにしたみたい」

 試しにストリートビューにしてみたが、どうも道が狭いためかストリートビュー対応外で周辺を映すことはできなかった。それどころか、マンション周辺にもやがかったようにぼかしが入っている。これは、権利者がプライバシーの申請をすればぼかしを入れることができるというものだ。

「……何か、見られたくないみたいですね」

 真子が薫の気持ちを代弁するかのように呟いた。

「そうかもね」

 少なくともこのマンションの所有者は、「表示したくない」とした意思を感じた。しかも、この周辺の土地が入り組んでいるためか、細い道があるように見えても、画像で表示できない場所が多い。土地勘のない者では、そもそも私道か公道か分かりづらい。これでは、方向を間違うと迷子になってしまいそうだった。

「……取りあえず、行ってみよう」

 事故現場の路地から地図を片手に、マンションに向かってみることにした。


 駅前から先ほどの事故現場に戻り、今度は青梅街道から住宅街に伸びている路地に入った。やはり、この辺りはかなり道幅が狭い。道の両脇は、一階が運送業らしき商業施設になっているマンションや、隣接する古い一軒家、比較的近代的なマンションから昭和からあるようなレトロな木造アパートなどがひしめいている。

 冬の午後は日が落ちるのが早い。あと一時間もすれば日の入りということもあり、事故現場周辺を回っていた時より、辺りは薄暗さを増していた。ただ、平日の夕方は学校帰りの学生や買い物帰りの自転車に乗った女性、配達らしき軽バンが通るなど、狭い道路はそれなりに人や車が行き交っている。

 タブレットを片手に、薫と真子は道を進んでいった。歩いて数分で突き当りの丁字路を右に曲がる。その先の曲がり角は、カーブミラーが設置されている小さな路地を左へ。少し行くと公共の施設のような建物を迂回するため、道全体が右にゆるくカーブし、また丁字路に突き当たる。そのまま緩い下り坂になった。うねうねと曲がり角を行き、狭い住宅地を歩く。


「何か……、方向感覚が狂いそうですね」

「そうだね」

 普通に歩けば真っ直ぐ進んだ方が歩きやすいと思うが、地図上の地点を最短距離で結ぶと、このルートが算出されるのだ。

(何だか、でたらめに歩いたみたいな)

 もちろん、実際に夕羽がこのルートを進んだとは限らない。しかし、もし自分がこのルートを夜中に走っていたとしたら。

「まるでパニックになって逃げているみたいなルートだわ……」

 真子は薫の顔を見て、不安そうな表情をして頷く。

「そう思います。今の時間でもかなり薄暗く感じるのに、夜の十二時を過ぎていたなら尚更暗いですし」


 この道を、夕羽に何があって夜中に駆け抜けたのだろうか。そんなことを考えていると、目の前が急に拓けたようになった。緩い下り坂は終わり、道を横切る遊歩道と交差した三叉路に出る。この遊歩道は桃田川緑道だ。この三叉路を南に方向転換するとマンションの裏側に出る。遊歩道は暗渠になった川を覆う道だ。杉並区から中野区を東方面から横切り、神田川まで行きつく。レンガで敷き詰められており、道幅はあまり広くない。左右は比較的古い年代のマンションや家屋が連なる。

「ここからこっちに行くのね」

 Y字になった道の左側に進むと、もう少しでくだんのマンション『ヴィレッジ岩屋』だ。

 方向転換し道を左側に進むと、すぐ左手にこんもりとした糸杉のかたまりが道にせり出しているのが見えてきた。庭木でよくあるタイプだが、目隠しの役割で大量に植えているらしく、黒々とした常緑樹は闇をたたえている様な重みがある。道なりに進んでみると、目隠しの塀と糸杉でマンションの裏側がほとんど見えなかった。そこだけ明らかに雰囲気が違うのがわかる。


(なんだろう……暗いだけじゃなくて、静かすぎる)

 薫は、唐突に奇妙な感覚に陥った。まるで神社や仏閣の裏側にある場所のような――

(寺の裏手にあるものは……墓?)

 ――そうだ。ここはまるで、墓場のような静謐さだった。

 妙な連想をしてしまい、薫は唐突に足を止めた。

「薫さん?」

 立ち止まった薫に驚き、真子は振り向く。薫は茂った糸杉の向こうを見透かしながら、その感覚の元を探ろうと目を凝らす。目の前にある『ヴィレッジ岩屋』マンションはなぜか、昔からの葬送の場所のような雰囲気を湛えている。

(――

 周囲は日没に向かい夕闇が近づいていて、人通りが途絶えている。この道に入った時から、不自然なくらいの静けさだった。ざわり、と糸杉が風に揺れて鳴る。

 この塀と糸杉の少し先には、物置のような建物と裏庭があるはずだった。だが、この周辺はまるで人が住めるような状態に感じない。糸杉から染み出るような冷気を警戒しながら、薫はゆっくりと歩き出した。


「……このマンションは変だね」

「変?」

「この場所自体が、まるで墓場みたい」

「ヤなこと言わないでくださいよ……」

 真子は泣きそうな表情になった。夕羽に何か起こったのは確かだと思っていた。でもそれは、夕羽が契約していた部屋が事故物件だとか、何かの障りがあったために、夕羽が影響を受けてしまったと考えていたのだ。

 だから警戒はしていたが、だとは思わないではないか。

 マンション裏側の道を歩き、行きついた丁字路を正面に向かう。真子がゆがんだ台形のようだと言った底辺側に出た。

 『ヴィレッジ岩屋』は、左右を目隠しの木に囲まれ、中央にエントランスがあり、ガラスの扉は閉じている。ガラスを透かした正面奥に階段が見えた。壁はダークグレーを基調としたタイルに、縦に赤のラインがアクセントで塗装されている。全体はおしゃれなデザイナーズマンションの様相だった。

「暗いマンションですね……」

 真子は思わず呟いた。薫の言葉を聞いたことも影響しているかもしれないが、夕闇に浮かぶ建物は、壁の色も相まって暗く沈んでいるようだった。二人でそのマンションを見上げていた、その時。


 ――ビリリリリッ

 大音量で電子音が響いた。薫のスマートフォンの着信音だ。普段はサイレント設定にしているため、驚いて薫がトートバッグから取り出す。すると今度は真子のスマートフォンのバイブレーションが震えた。

 薫と真子は顔を見合わせて二人でスマホを見ると、薫は兄の樹、真子は雄嵩から掛かってきていた。慌てて二人で電話を取る。

「薫! 今どこにいますか?」

「どこって……」

「此花さんが、すぐにそこから離れなさいと言ってます」

 樹が祖母を『此花』と呼ぶ時は、緊急の時と決まっている。思わず真子の方を見ると、真子も雄嵩から何かを言われたらしく、驚いた表情で薫の顔を見ていた。

「とにかく、すぐに戻ってきなさい」

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ヴィレッジIWAYA顛末 榛葉琥珀 @amber-lionking

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