第39話 別れ

アイラが行ってしまったあと、リワンとエイジャは 一階の広間で立ち尽くしていた。

リワン「ナザルさんに、報告するべきだよな…」

エイジャ「あー、キュンと逃げようと思ってること?」

リワン「あぁ」

エイジャ「……。」

リワン「……。」

二人は医務室の扉を見たまま、黙り込んだ。


エイジャ「俺はさ、本当はもう死んでっから」

リワン「?」

エイジャ「あいつにさ、何回か助けられてんの。じゃなきゃ、もう死んでる。

死んでなくても、あいつが居なきゃ、俺はここには居ない訳。

あいつが迎えに来たの。しつこく」

リワン「……。」

エイジャ「だから…、俺は何も聞かなかったし、もしあいつが何かやらかして困ってたら、多分助ける」

リワン「……。そうか…」


エイジャ「お前はお前でいーんじゃねーの? 別に…、報告した方があいつの為になると思うんなら、それで」

リワンは、表情を変えず前を見たまま言った。

リワン「……。羨ましいな」

エイジャ「あ?」

リワン「姫は…、俺の事は迎えに来てない」

エイジャ「ハッ! 何お前、そういうのあるんだ? 全部持ってるボンボンのくせに! ウケる!」

エイジャは可笑しそうにククククと笑った。

リワン「……。」

リワンはムスッとして、行ってしまった。


・・・・


捜索隊が帰って来てから、ナザルがアイラに付いても、彼女は目を伏せたようにして、ナザルを見ようとしなかった。

リワンとエイジャは、二人の距離感を、やや気まずい様子で見ていた。

彼女の無言に、ナザルへの非難が多分に含まれていることを、護衛三人は理解していた。

が、ナザルもそれ以上、アイラに何か言い訳する気も無かったし、どうする事もできなかった。

思慮浅いアイラに、王妃と"王の子"を強奪したカルファが、生きていると言う訳にはいかなかった。



ナザルは自嘲するように ため息をついた。

ナザル (姫の非難はもっともだな。命令とあらば友人でも手にかける人間を、信頼できる訳はない)

ナザルは自問自答した。

ナザル (俺は…、もし王様がカルファを殺せと言ったなら、殺したのだろうか…?

何の為に? 仕事だから? いや、正義の為か?

カルファは許されない事をした。罪は相手にある。

もしそうなら、相手が友人でも その命を取るのだろうか…?

いや、まず第一に、友人を殺して来いなんて命令を出す上司が悪い!」

カルファは、一旦は人のせいにしようとした。が、もう一度 核心に向き合ってみた。


ナザル「だが、もしそんな意地の悪い上司だったら?

俺は…、カルファを殺したのだろうか…? 命令だったら、できるのか…?)


ナザルは、カルファと対峙した崖の上を思い出した。

あの時、もしカルファが屈しなかったら、自分は彼と死闘を繰り広げていたのだろうか…?

ナザルは答えが出ず、頭を振った。


横に居たアイラは、ナザルの様子を節目がちに横目でそっと見ていた。

が、ナザルが顔を上げると、またフッと目を逸らした。


・・・・・・・


アイラは自室の寝台の上に座って周りを確認すると、寝台の隙間に隠した果物ナイフを取り出して、そっと鞘(さや)から出してみた。

キラリと歯が光り、アイラの目に鈍く映った。

アイラ (どうやって? 分からない。でも、キュンとここから逃げ出す! その後は…? 分からない…。分からないけど…)

アイラは心が折れそうになって、首を振った。

彼女は寝台から立ち上がると、物入れに入れてあったこの地方独特の刺繍が施してある、小さな平べったいポシェットを取り出した。

ナイフを入れてみると、それは丁度良いサイズだった。


彼女は物入れの中に、翡翠の指輪を二つ見つけた。二つは色が微妙に違った。

アイラは指輪を手に取ると、二つを見つめた。

彼女は唇を噛んだ。

アイラ ( ……。もし失敗したら…? キュンに何か、私と繋がる物を渡したい…!)

アイラは皮の紐を 物入れの中のブーツから抜き取ると、果物ナイフで半分に切った。

そして指輪を通して結ぼうとしたが、結ぶのができなかった。


アイラ (結ぶのは後でリワンに頼もう…)

アイラは寝台の横の机に指輪を置くと、果物ナイフを手に持ち、指輪に"アイラ"と彫ろうとした。

が、砂に書くのも怪しいのに、そのような事は全くもってできなかった。

アイラは不器用に持ったナイフで、指輪を抑える自分の左手の指を切ってしまった。

アイラ「あっ! …うぅ…」


リワン「ん…?」

声を聞きつけたリワンが、すかさず扉を開けた。

リワン「姫?」

見ると、寝台横の机で、アイラが果物ナイフを持って血を滴(したた)らせていた。

リワン「?!」

アイラ「…!」

リワンの対応が早くて、アイラはナイフをどこかに隠す暇が無かった。


リワンは足早に近寄ると、机の上のナイフと、アイラの背中に隠した手を取って、切れた指を見た。

リワン「医務室へ…」

アイラ「い…、いい!」

リワン「なぜ?」

アイラ「どうしてこうなったか聞かれるもん」

リワン「……。」

彼は懐から布切れを取り出して、果物ナイフで細(ほそ)く切り、切れた人差し指に巻いてやった。

アイラ「…ありがとう」


リワンは果物ナイフを見た。

リワン「……。このナイフは? どうしたのですか?」

アイラは、リワンの冷静な緑ががかった瞳を、上目遣いに見た。

アイラ「……。瓜(うり)を切るのは…、果物ナイフが良いんでしょ?」

リワンはそれを聞くと、驚いたような顔をし、大きくため息をついた。

リワン「…そうですね。ですが…」

アイラ「あのね、リワン! この指輪にアイラって彫れる? アイラのアだけでもいいんだけど…」


リワンは黙って指輪を受け取ると、辛うじて読める位に、ナイフで「ア」と傷を付けてくれた。

リワン「すみません、上手くできないです…」

アイラ「いいよ、ありがとう。こっちには"キ"って彫れる?」

リワン「……。」

リワンはアイラの顔を見た。

アイラは俯(うつむ)いて、目を逸らした。

リワンはもう一つの指輪を受け取ると、言われた通りに傷を付けた。こちらも辛うじて読める位だった。


アイラは革紐を指輪に通すと、言った。

アイラ「あとね、これ、結んでくれない?」

リワン「良いですよ。指輪を首飾りにするのですか?」

アイラ「うん…」

リワンは革紐を結んでやった。首飾りが二つできた。

アイラ「ありがとう」

リワン「いえ…」


リワンはまた、アイラの顔をまじまじと見た。

アイラは目を泳がせると、

アイラ「もう、大丈夫。ありがとう」

と言った。

リワンは軽く頭を下げると、部屋を出た。


アイラは果物ナイフを鞘から出すと、もう一度ポシェットに入れた。

そして、二つの指輪を見つめると、一旦は二つとも、物入れに仕舞った。

アイラ (大丈夫、ちゃんと逃げられるもん…!)

しかし、彼女は唇を噛んだ。

どうやって? という言葉が彼女の頭の中に回った。

勝算は一つも無かった。

アイラはもう一度 指輪を取り出すと、"キ"と掘った指輪の首飾りを、ポシェットに入れた。



リワンは部屋の外に出ると、壁に寄りかかって思案顔になった。

リワン (あのナイフ…、指輪に字を彫る為だけに持って来たのかな…? だったら瓜(うり)を切るなんて嘘つかなくていいのに…。

やっぱり江兵と戦う気なのかな? だったら致命的にはならないだろうけど…)


結局 この三日の内に、ナザルは アイラがナイフを隠し持っていることや、その思惑について、報告を受ける事は無かった。


・・・・・・


キュンと王妃が連れ帰られてから三日後、体調もまだ回復していない中で、キュンは江へ出発する事になった。

道中 キュンに乳をあげる為に、城の乳母(うば)も 江の乳母が見繕われるまで、付いて行く事になった。



その日、アイラは朝から何も話さなかった。

朝、母の部屋に行ってみたが、母は熱にうなされて寝ていた。

アイラはそっと扉を閉めた。

エイジャ「……。」

エイジャは、朝から様子のおかしいアイラに、耳をほじりながら付いていった。


キュンは、朝食の後に出発するという話だった。

父も母も居ない一人きりの食卓で、アイラは朝食をモリモリと食べた。

エイジャ「……。」

エイジャは、食堂の出入口辺りに寄りかかって彼女の様子を見ながら、不穏な空気を感じていた。

アイラは、刺繍の入った見慣れない小さなポシェットを斜めがけにしていた。

エイジャ (怪しい…。でもなー、逃げるっつったって、もう当日になっちまったのに逃げようもねーしな…。今回は思ってるだけで終わりか…? あいつにしては珍しいな…)



朝食を食べ終わると、ナザルが迎えに来た。エイジャも続いた。

一階の広間には、王女の見送りに沢山の人が集まっていた。

リワンとリファ、リヤンも医務室から出てきていた。

江(ごう)の特使と、城の常駐役人リュウも居た。


ナザルは人混みで はぐれないよう、アイラの手を繋ごうとした。

アイラ「!」

アイラは咄嗟に、手を引っ込めた。

ナザルは驚いたような顔をしてアイラを見たが、やや俯(うつむ)いて、目を逸らした。

この三日、二人は殆ど何も話していなかった。

リワン/エイジャ「……。」

リワンやエイジャ達も、横目でそれを見ていた。



出発の時、キュンは馬車の前で乳母に抱かれていた。

アイラは、今 ここに居る唯一の肉親として、お別れに前に出た。

アイラは、乳母に抱かれたキュンの小さな小さな手を握った。そして

アイラ「あの…、最後に…キュンを抱っこしたいの」

と言った。

乳母は、横に居る江兵をチラと見た。男は頷いた。

乳母はアイラに憐憫の眼差しを送りながら、キュンを手渡した。

アイラは小さな手で、更に小さなキュンを抱っこした。

キュンはアイラに抱かれると、いつものようにフワァと笑った。

アイラは目がうるうるとして、口を引き結んだ。


アイラは、妹の額に自分の額を付け、瞳を閉じた。

アイラ (キュン、力を貸して! あなたは太陽なんでしょ? アイラを照らして頂戴…!)

アイラはポシェットに手を突っ込むと、鞘に入っていない果物ナイフを取り出した。

それは本当に、何かの贈り物を取り出すような仕草で、全く自然な動きだった。



一同はハッと目を見張った。

アイラは果物ナイフをキュンの胸に突きつけた。

アイラ「みんなどいて!」


エイジャ/リワン「…!」

二人は目を見開いて固まった。

リワン (そっちかぁ…!)

エイジャ (瓜(うり)じゃねーじゃんか!)

リファ「ア…アイちゃん…!?」


側(そば)に居た江兵が動いた瞬間、アイラはナイフをグッと握りしめた。

アイラ「動かないで!」

アイラは切ろうとした訳ではなかったが、キュンの手が動いた為、その小さな左手の甲が切れてしまった。

彼女は真っ赤な血を出してギャン泣きし始めた。

アイラはキュンの泣き声も手伝って、不安に押し潰されそうだった。

刃物も、江兵も、何もかも怖かった。

父も、母も居なかった。アイラは震えていた。

アイラ (今 キュンを守れるのは、アイラだけだよ! しっかりしないと、連れて行かれちゃうよ!)


アイラはキュンを抱っこしたまま、馬車を背にして、ジリジリと進んだ。

江の特使は、馬車の後ろに居る江兵へ目配せをした。

アイラが馬車の陰から前へ出る時、後ろに居た江兵がアイラの果物ナイフを何でもなく取り上げた。

アイラ「あっ!」

そして江兵はアイラをひょいと抱き上げ、キュンを引き離した。

アイラ「キュン!!」

アイラは抱っこしている江兵の腕に思い切り噛みついた。

江兵「っ!」

江兵は抱っこしていたアイラを地面に落とした。

アイラ「わっ」


その時、小さな黒っぽい影が走って来た。エイジャだった。

エイジャは、アイラに気を取られている江兵の片手から、ギャンギャン泣くキュンを、まるでボールを取るみたいにサッと奪い取った。

江兵「!」

アイラは素早く立ち上がると、キュンをエイジャから受け取り、走った。エイジャも続いた。


前に立ちはだかる江兵に

アイラ「どいて!」

と言ったが、彼らはどかなかった。

刃物も無い今、彼らを脅(おど)すものは何一つ無かった。

エイジャ「うわっ」

アイラの後ろで、近付いて来た江兵にエイジャが首根っこを引っ掴まれて、放り投げられた。

アイラ「!」


アイラがエイジャの方を見た隙に、前から来た江兵がアイラからキュンを取り上げようとした。

アイラは、ギャン泣きするキュンに全身で抱きついた。

大人達は、二人がかりで姉妹を引き離そうとした。

そして、江兵がキュンを引き離した時、今度はキュンを取った男の後ろから、金髪の少年が体当たりして、キュンを奪い取った。

江兵「?!」

リファ「に…、兄さま?!」

リヤン「リワン…」

リワン (クソ…、何やってるんだ俺は!? こんな事してどうなるっていうんだ?!)

リワンは理屈と自分の行動が合わないので、頭の中で自分に突っ込んだ。


アイラは江兵の手を逃れると、リワンからキュンを受け取り、また前へ走った。

何だかもう、玉を奪い合う球技のようになっていた。

さっき前方に立ちはだかっていた江兵の間に、隙間ができていた。

エイジャとリワンがアイラを追い抜いて、走りながら道を確保した。

アイラは、その間をキュンを抱いて走った。


リワンとエイジャは、キュンを奪ったからといって、どうにかなる訳ではないと分かっていた。

ただ、主人(あるじ)を助けるというだけだった。



特使の傍(そば)に居たリュウが言った。

リュウ『斬りますか?』

特使『いや、もう刃物も無い。たかが子供、どうなる訳でも無い。余計な仕事が増える』

リュウ『しかし あの金髪の大きい方は、大人を負かす事もあるとか。小さいですが帯刀もしています』

特使『フン。あの金髪、頭もキレるそうじゃないか。馬鹿な真似はしないだろう。

忠義心というやつか? 律儀なもんだ。

あの歳であの能力、こちらが欲しい位だ。あんな浅知恵のじゃじゃ馬娘に付くとは、付く主人(あるじ)を間違えたな。苦労する』

特使は鼻で笑うと、走って行くアイラ達を早足に追いかけた。


アイラ達は、もうすぐ城の正門まで辿り着く所だった。

門は、江兵達によって閉められた。

行手(ゆくて)は遮られた。



アイラ達は門に居た江兵と、追いかけてきた江兵に挟まれた。

彼らはザッザッとあっという間に迫って来た。

アイラは、ギャンギャン泣くキュンに抱きつき、地面に伏せた。

もう他に、どうにもならなかった。

リワンとエイジャは彼女を背にして、その前後に立った。

エイジャが剣に手をかけると、リワンが低い声で言った。

リワン「抜くな」

エイジャは剣から手を離した。


江兵はあっという間にアイラ達を取り囲むと、リワンとエイジャの胸ぐらを掴んで吹っ飛ばそうとした。

リワンは咄嗟に、地面にうずくまるアイラの服を後ろ手に掴み、彼女にしがみついた。

エイジャが掴んだのはアイラの一本結びのお下げだった。

アイラ「痛っ! いたたたたた! いたいって!」

アイラの襟足の毛がブチブチと抜けた。

アイラのお下げを腕に巻き付けて、エイジャもアイラにしがみついた。



江兵は、引き剥がすのが面倒となると、子供二人をゲシゲシと蹴った。

一番内側に居るキュンは、更にギャンギャンと泣いた。

アイラ「! やめてよ! 二人を蹴らないで! 二人とも、もういいよ!」

エイジャ「お前…どうすんだよ?」

アイラ「私は! キュンのお姉さんだから!」


護衛二人は、アイラから離れなかった。

が、次第に二人は消耗し、ついに首根っこを持たれて引っ剥(ぱ)がされてしまった。

地面へ投げ捨てられたリワンとエイジャは、もう立ち上がる事ができなかった。

残るは、キュンを抱いてうずくまっているアイラだけになった。

特使が前へ出て、アイラの首根っこを掴み上げると、アイラからキュンを引き離した。

アイラ「キュン!!」

アイラは空中でジタバタした。



特使「姫、あなたは少し物分かりが悪いようですなぁ?」

特使はそう言ったかと思うと、首根っこを掴んだまま、アイラを地面に叩きつけた。

アイラ「〈悲鳴〉」

リワン/エイジャ「!」


アイラは砂だらけになって立ち上がると、特使に突進して行った。

アイラ「キュンを返して! アイラの妹だよ!」

特使は突進して来るアイラの胸を蹴った。

アイラ「〈悲鳴〉」

彼女は吹っ飛び、仰向けに地面に落ちた。

リワン/エイジャ「!」


アイラは咳き込みながら、どうにか また立ち上がった。

アイラ「返…してよ! 泥棒…さん」

アイラは胸を蹴られたせいで、声が上手く出ていなかった。

アイラは特使に走って行き、特使の腿(もも)に掴みかかり、キュンに手を伸ばした。

特使は、ギャンギャン泣くキュンを アイラから離れた方へ抱(かか)え、空いている左手の甲でアイラを殴った。

アイラ「〈悲鳴〉」

リワン/エイジャ「!」

彼女はズザザザ…と、また地面に叩きつけられた。


アイラ「う…」

アイラはもう一度立ち上がろうとしたが、ガクリと地面に膝をつき、倒れた。ぼやけた視界に、砂に落ちる鼻血が見えた。

エイジャ「!」

エイジャはギリギリと奥歯を噛み、立ちあがろうとしたが、できなかった。


アイラは手を付いて四つん這いになり、もう一度立ち上がろうとした。

リワン「姫! もうやめましょう!」

リワンが叫んだ。

アイラ「い…や…! アイラと…キュンは…姉妹(きょうだい)…なんだよ…! リファが取られて…、黙って…いられるの?」

リワン「!」

リワンは目を見開いた。


リファ「アイちゃん…!」

リファは目をうるうるさせて見ていたが、アイラの方へ飛び出そうとした。

が、彼女の細い腕を、大きな手が掴んで止めた。

リファはその手の主(ぬし)を見上げた。

彼は前へ出て行った。


アイラはヨロヨロと立ち上がると、

アイラ「わぁああああ」

と言いながら、特使に向かって行った。

特使は足を上げた。

アイラは、また蹴られたと思った。

が、衝撃は来なかった。


アイラは、大きな胸に包まれていた。

ナザルがアイラを包んで、特使の蹴りを その背中に受けていた。

アイラ「?!」

特使は、相手が軍人となると、容赦なくナザルの背を蹴った。

特使「随分と威勢の良い王女様ですなぁ? えぇ? ここの国は一体どんな教育をしているんだか! 女なんて、しおらしくしているもんだろが!」

アイラ「なっ…何それ! 男が…しおらしくすれば…いいんだよ! 戦争ばっかり…して! バカ!!」

特使は アイラのかすれた非難の言葉を聞くと、余計に酷くナザルの背を蹴った。

ナザル「あ…ぅ…」

アイラの耳のすぐ近くで、ナザルの呻(うめ)き声が聞こえた。

アイラ (ナザル…!)

アイラの両目から涙が溢れた。

アイラ「もうやめて! ナザルを蹴らないで!」


ナザルはアイラの耳元で、アイラにだけ聞こえる低い声で言った。

ナザル「…姫、気は済みましたか?」

アイラは、ボロボロと泣きながら叫んだ。

アイラ「済む訳…ない…よ! キュンを取られ…て…いい訳…ない…よ!」

ナザル「でも、できませんでしたね。あんなに頑張ったのに、できなかった。

その上、腹心二人には怪我を負わせ、あなたも 私もボロボロです。

良いですか、初めから負けると分かっている戦をする者は、馬鹿です」

アイラ「!! だからって…、黙って…られないよ! だからな…の? 父さまに…は…負けるから…、カルファを…殺し…たの?」

ナザル「……。」

ナザルは唇を噛んだ。

ナザル「姫、私も馬鹿なのですよ。私は、友人を…殺せない」

アイラ「?! じゃあ…カルファは…? 生きてる…の?」

ナザル「谷へ落ちました」

アイラ「!」



馬車が運ばれて来ていた。

特使は、ナザルを蹴る足を止めた。特使もナザルも、やや息が上がっていた。

特使は、ギャンギャン泣くキュンを、乳母に預けた。

アイラ「キュン!!」

アイラはナザルの胸の中から飛び出そうとしたが、ナザルは離してくれなかった。


アイラ「お願…い! ナザル!」

ナザル「姫…。あなたの為に周りがどうなるか、もう分かったのではありませんか?」

アイラは観念したように目を瞑った。

悔しくて悲しくて、両目から熱い涙が溢れた。

アイラ「じゃあ…、じゃあこれ…を…、キュンに…渡し…て」

アイラは肩から掛けていたポシェットを見た。

ナザルはしゃがんでアイラを胸に抱いたままそれを取ると、乳母に渡した。

乳母はその小さな鞄をキュンにかけた。

乳母「姫、キュン姫が受け取りましたよ。きっとまた、妹君様と会えますよ…!」

乳母も泣いていた。

アイラ「またって…い…つ? い…や…! キュン! キュン!! 行かない…で! 離して…ナザル!!」

アイラはバタバタと半狂乱になって叫び立てた。

特使「フン。どこまでも諦めの悪い姫だ。見上げたもんだな」

特使はアイラを見下ろして言い捨てた。



キュンは乳母と共に馬車に乗せられた。左手は、血で赤く染まっていた。

キュンはギャンギャン泣いていた。

アイラ「キュン! キュン!!」

二人の乗った馬車は、再び開けられた正門から出て行った。

アイラ「キュン!!!」

馬車が見えなくなると同時に、アイラの視界も何も見えなくなった。



・・・・・・・・・



気がつくと、医務室の土色の天井が見えた。

エイジャとリワンが両隣の寝台に寝ていた。

エイジャ「ん? お、気付いた。お前さぁ、何かその全力出し切るの、どうにかならねーの?

もう少し力残したら? いっつも最後までわーって使い切って、いきなりぶっ倒れてねぇ?」

アイラ「……。」

アイラは、ぼんやりして天井を見上げた。

身も心も、酷い無力感に溺れそうだった。



ナザルが、リワンの隣の寝台に上半身裸になってうつ伏せで寝ていた。

リファがその逞しい背中に、ペタペタと丁寧に軟膏を塗っていた。

アイラは顔を傾けると、ナザルのその青黒くなった背中を見た。


入口から、随分と太った若い女性が入って来ると、諸々挨拶をしながらナザルの寝台の横に腰掛けた。ナザルの奥さんらしかった。

奥さんが座った椅子は、ミシミシと軋(きし)んで壊れそうだった。

エイジャ「え、太りすぎじゃね?」

エイジャが思わず口にした言葉に、リワンは側(そば)にあった中身を飲み終わったヤシの実を手に取ると、アイラを通り越して思い切り投げつけた。

ヤシの実は、エイジャの頭にスコーンと命中した。

エイジャ「って!?」

ナザル夫妻は、大人だからエイジャの失言を聞こえなかったことにしてくれた。



奥さんは心配そうに、酷い打撲の夫の背中を見ていた。

ナザル「わざわざ来なくて良いのに…。もうすぐ臨月だろ、腹の子に何かあったらどうするんだ」

エイジャ (あ! 子供もいるのか! 丸いから全然分からなかった! おっと!)

エイジャは口の前に手を当てると、今度は口を滑らさないで良かったと思った。

奥さん「えぇ。でも、怪我したって聞いたから…」

ナザル「そういう仕事だから…。死ぬような事はできるだけしないから大丈夫だよ。心配するな」

奥さん「えぇ…」

ナザルの奥さんは、大柄な見た目によらず、控え目で清楚な人柄のようだった。

夫への愛が、そのぷよぷよとした身体から滲(にじ)み出ていた。


アイラは、仲睦まじい夫婦を見た。

アイラ (奥さん、ごめんなさい。アイラ、あなたの大事な人を傷付けてしまったんだね。悪い子だな…。

でも、黙っているなんて、できなかったよ。

どうしたら…良かったの…?)


ナザルを見るアイラの両頬を、静かに、止めどもなく、涙が伝った。

ナザルは、アイラが自分達を見て泣いている事に気付いた。

夫の視線の先を見て、奥さんも気付いた。

ナザル「姫、あなたのせいではありません。庇ったのは、私が決めた事です。仕事ですから」

奥さんも、アイラを見てニッコリと笑った。

その笑顔は豚さんに似ていたが、大変にチャーミングだった。

アイラは、なぜナザルが彼女を好きなのか、この優しい笑顔だけで分かるような気がした。


アイラ「ううっ…、ごめんなさい…。うっ…うっ…、みんな ごめん…ね…」

リファ「アイちゃん…」

敗北感と無力感、挫折と屈服が、七つの彼女に焼き付けられた。

アイラは、毛布を頭まで引っ被ると、声を殺して泣いた。


アイラ (あんなに頑張ったのに、何もできなかった…。

あぁ、力が欲しい…!

あんなやつらの言いなりにならなくて良いだけの、力が…!)


・・・・・・


この日の午後、アイラの父は釈放され、無事に城に帰って来た。

アイラの家族は、また三人になった。


・・・・・


幾月かが経った月の美しいある夜、王は、中庭の東屋に座り ぼんやりと宵の風に吹かれる妻の傍(そば)へ寄った。

王「風が冷えてきた。中へ入れ」

王はそれだけ言うと、立ち去ろうとした。

王妃「あなた…」

夫の背中にかけた言葉に、王は少しだけ振り返った。

王妃「酷い事を申しました。あなたの心を…どれだけ傷付ければ良いのか…。どうか、お許し下さい…」

王妃は目を伏せたまま、魂が抜けたように夫に謝罪した。


王「いや、まぁ良い。愛は…、楽しんだか?」

王妃は僅(わず)かに目を見開いた。

王妃「は…い…」

王妃の双眸(そうぼう)から涙が落ちた。

王「そうか。それなら良かった」

王は、瞳の奥に愛を秘めて、微(かす)かに笑った。

王「カルファもキュンも救えなかった。許せ、それが私の力量だ…」

王妃「滅相も…ございません…」

王は はらはらと落ちる妻の涙を背中に感じると、僅(わず)かに俯(うつむ)き、立ち去った。


<砂漠の月 第一章「幼少」終わり>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砂漠の月 @kohama_minato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ