スピンオフ 令和に降臨した昭和テニスマンとテニスの妖精 もし裕と杏佳が壁で再会しなかったら?
小田島匠
ifその2 もし裕と杏佳が壁で再会できなかったら?
1 令和8年4月6日(月)
穏やかな陽光が木々の間から差し込んでくる春の午後。
私は、テニスサークル「W大レッド」のブースに座っている。今日は、新入生の入学式で、どこのサークルもブースを出して熱心に新メンバーの勧誘をしている。
私は今年3年生で、サークルの女子キャプテン。去年は、同好会連盟の関東選手権シングルスで決勝まで行った。来年からは就活に専念するから、今年こそ優勝して引退に花を添えたいな。
今日は、同好会選抜「オールW」の白いウィンドアップと、下は高校の時から着てたレモンイエローのキュロットスコート。それと短い白のソックスにテニスシューズ。コートじゃないとこで、生足出してちょっと恥ずかしいけど、勧誘なんだからこの位やんないとね。
はす向かいのボディビル同好会なんて、裸のマッチョマンが「クハーッ!」とか言いながらデモンストレーションでベンチプレスやってる。よーやるなあ。寒いだろうに。
2 そうしていたら、
「あ、ここだ。先輩、こっちこっち」「お、雄介ありがとな」って言いながら、小柄な男の子と、なんか、えーっ? デカ、デカイ! すごい長身の男の子がブースにやってきて、小さい方の子が「ええと、レッドのブースはここですよね? 僕たち体験入部したいんですけど」って言ってきた。
私は、「はーい。ありがとうございまーす! じゃ、ここにお名前と住所と電話番号、あとメールかラインのアドレスをお願いしますね。ウチのサークル、なんで知ったの?」って言いながらノートを渡す。
そしたら、小柄な方の子が
「ええと、ネットで調べたら、『レッドはそこそこ強いけど、あんまり体育会系じゃなくて自由な雰囲気で居心地がいい』って評判だったんです。僕たち弱小の都立高校でテニスしてただけなんで、あんまり熱いとこはパスだなって、こちらの先輩と話してたんです。あ、先輩は一浪してるので、どっちも一年なんですけどね。」って、答えてきた。
そうなんだ。‥‥‥ん? でも、なんかこの二人どこかで会ったような気が‥‥‥。特にこの背の高い方の子。
私はジーっとその子を観察して、うーん、この長身、このイケメン、ああっ! そうだ!
「ねえ、君、何年か前のインハイ予選で真司君と当たった‥‥‥だめだ、出てこない。ええと、ええと、そうだ! 奈良君じゃない? そうだ奈良裕君だ! そうよね?」
「はい、そうですが。ええと、先輩は‥‥‥ちょっと待って、うーん、ダメだ出てこない。ごめんなさい、どちらかでお会いしましたでしょうか?」
「な! あんた、まさか私の事忘れたの? ちょっと、あんまりじゃないの!」
「わー、プリプリ怒り出した(怖)。なに、ツンデレ美人なんですかー? えー、うーん、必死に思い出してるんだけどさ。えー、どこで会ったー?」
「ほら、あんたがインハイ予選で真司君に負けて部員に慰められてたっていうか、逆に慰めてたときに、私、手を振ってあげたでしょ?」
そしたら、その子たちは、眼をまん丸にして、
「ああーっ! 思い出した。W実業の美人選手! あんときの?」
「そうよ。やっと思い出したのね。ずいぶんつれないじゃないのよ」
「いやー、そりゃ3年も前のこと覚えてないでしょ? 先輩、あの頃は真っ黒で手足も太かったし」
「うん、まあ、そりゃそうかもね。奈良君は、逆にあの頃よりずいぶんガッシリしたね」
「はい、浪人中も身体なまらないように筋トレしてましたから。だから、ホントはあっちのボディビル部に入ろうかなって思ったんですけど、雄介が『テニスやりましょうよ』って言うので、まずは体験入部しようと思って来てみたんです」
3 「へー、そういうことだったのか。でも、奈良君、すごくテニスの素質あるように見えたから、続けないと勿体ないよ。まだ若いんだしさ、本気で再開しても遅くないよ」
「えー、若いって、俺、もう来週で二十歳(はたち)なんですよ。入学早々に二十歳なんて、ちょっと恥ずかしいんですけどね」
「えーっ? そうなの? 私も先週二十歳になったばっかりだよ。すごい早生まれなの」
「ゲッ、そうなんですか。そんなんで2つも後輩になっちゃうのか‥‥‥」
「ふふ、そうなんだね。だけど2週間しか違わないんだから、敬語じゃなくていいわよ。私はね、『吉崎杏佳』って言うの。だから『杏佳』でいいわよ。君のことは『裕』でいいわね?」
「ゲゲッ。『吉崎』って言ったらあの年の東京女王じゃないですか。あれ、先輩の事だったんですか?」
「だから、敬語でも『先輩』でもなくていいってば(笑)。私、あの年、インハイで16まで残ったんだけど、そこで当たった山本澄香っていう選手が、もう心折れるほど強くてねー。その子、今はヨネックスの契約プロになってるから当然なんだけど。それで、もう私もこの辺が限界だなって、選手は引退したの。裕は次の年どうだったの。インハイは行けたの?」
「ええと、一昨年か。あの年は、結局また手塚に負けたんだよ。俺16番シードだったんで、ベスト16で当たって、前の年より差は縮まってたんだけど、ボールを全部フォアに集められて、攻撃できなくて、7オールで、その試合たった一つのブレークポイントをモノにされて、7-9で負けた。だからインハイは逃したんだ」
「ふーん、そうなんだ。16で真司君に激戦の末敗れたのか。やっぱりワングリップとフラットサーブだけじゃ厳しいわよね。私も裕を見てて、あちこち直したいって思ってたけど、いい指導者がいなかったんだね。仕方ないよ」
「うん、俺も前の年とあんまり変わってなかったから、研究されてた感じがした。それでインハイいけなくて、W大の推薦も取れなくて、一浪したんだ。3年の夏から半年必死に勉強してC大とM大は受かったんだけど、やっぱりW大が面白そうだなって思って。それで浪人して、『あわよくばT大も』って、両にらみだったけど、そっちはダメだった」
「そっか。まあちょっと回り道したけど、ちゃんとW大受かったじゃない。よかったね、裕」って、私は小鼻に皺(しわ)を寄せて、チャーミングに微笑みかけた。
「そうだ、手塚はあの後どうなったの? 気になってたんだけど」
「なんだ知らないのか。真司君、インハイの決勝まで進んで、小武海君に4-8で負けたのよ。小武海君、高校無敗だったけど、一番ゲームを落としたのが真司君だったんだよ」
「えー? 小武海って、あのプロ選手の小武海? 去年19歳で全日本制した小武海明?」
「そうよ。真司君は小武海君に負けて、限界悟って、選手はもうあきらめたんだけど、プロコーチになりたいって言って、米山さんに頼んで‥‥‥って言っても分からないか、ヨネックスの偉い人に頼んで、今はプロコーチの勉強してる。ヨネックスの長岡工場で小武海君に練習付けてるわよ」
「へー、そうなんだ。都ではいい勝負だったのに、なんかずいぶん差がついちゃったな」
「裕も真司君に勝ってインハイ出てたら、相当勝ち進んだだろうにね。相手が悪かったね」
4 私は、そこで、ふと気が付いて、
「あ、ちょっと待ってね、ライン一本打つからね」って、スマホを取り出してラインを打った後、裕と雄介君が書いてくれたノートを受け取ったら、
「あれー? 裕、府中市民だったのね。府中町だから駅の北か。私も府中だよ」
「え? そうだったんだ。府中のどこ?」
「分倍河原。H病院の横の家に住んでる」
「H病院の横って‥‥‥ええ? もしかして、あの大豪邸?」
「えー、そうかな。そんなに大きいかな?」
「そうか、知らなかった‥‥‥。杏佳は大病院の令嬢だったんだ。お嬢様なんだ。姫なんだ」
「えー、なんかそんな目で見ないでよ。親が偉くたって私には関係ないんだから」
「ま、そりゃそうだな。態度変える理由もないよな。それじゃ、入部するか分からないけど、しばらくは宜しく頼むよ」
「そうね。こちらこそ宜しくね」
私はそう言って、ちょっとずるいんだけど、笑顔で小首傾げて、精一杯綺麗に見えるように、光を放ちながら、右手を差し出した。裕も笑顔で握り返してくれたけど、あの夏に見たときよりずっと白い、だけど筋肉のついた逞しいガッシリした手だった。
なんでか、雄介君が私のこと、横目でジトーって睨んでた。
******
と、そこに「杏佳先輩呼んだー? ラインに『大学にいるならすぐ来て! 驚くわよ、ふふ』ってあったけど? 俺、今ちょっと忙しんだけどな」ってブツブツ言いながら、あの人がやってきた。
「あはは、ごめんごめん。真司君。ほら、この人」
真司君は、ジーっと目の前の大男を凝視して、
「あーっ! 奈良! お前、W大に入ってたのか? って、あれ、一年? なんで?」って驚いた。
「うるせーよ(苦笑)。お前に負けたから推薦取れなかったんだろ。一生恨むぜ」
「あー、そうだったのか。ごめんごめん。まあ真剣勝負だからな、勘弁してくれ」
「はは、冗談だよ。当たり前じゃないか」
「いや、俺、お前には感謝してるんだよ。二年連続の接戦を乗り越えて、お前が俺をワンランク押し上げてくれたんだ。とにかくじっと耐え忍んでチャンスをモノにすることを学んだ(笑)。サッカーのカウンターみたいなもんか。ま、小武海には完敗だったけどな」
「へー、そうか。それなら、無名のまま終わった俺の高校テニス人生もちょっとは意味があったのかな」
「そうだよ。お前ならインハイ出ても相当いいとこ行けそうだったけど、勿体なかったなあ。小武海以外じゃ、間違いなく、お前が一番強かったぜ。‥‥‥で、何、お前レッドに入るのか? 確かにここはいいサークルだぞ。レベルも高いからお前でも十分練習になるだろ」
「へー、そうか。それじゃしばらくお世話になろうかな」
「てか、お前、またデカくなっただろ? 今身長いくつあるんだ?」
「恥ずかしながら、ハルク・ホーガンを超えて2m2㎝になっちまった。さすがにもう打ち止めだけどな」
「ああ、その身長、俺に10㎝分けて欲しかったよ。そしたら耐え忍ぶ必要もなかったのに。はは」
******
杏「真司君ね。奈良君‥‥‥じゃなくて裕は、府中に住んでるんだって。今度さ、私たちの平和の森の練習に交じって貰おうよ。いつも真司君と澄香と3人だから、裕が入ったらダブルスもできるし、練習が充実するよ」
真「ああ、それいいな。裕ならすぐに元に戻るよ。てか、いろいろ教え込みたいな。お前、素質は抜群だったのに、ホントに基本的なスキルが身についてなくて、ヘッタクソだったからな」
裕「うるせーよ、って言いたいとこだけど、まあ、自分でも分かってたんだ。やっぱり壁だけだと限界があったな」
杏「えー? 壁って、もしかして総合体育館の壁? 私もよく行ってのに、会わなかったね」
裕「あー、いつも朝5時に起きて、空いてるときに行ってからな。ずっとすれ違ってたんだな」
杏「へー、じゃ、これから格段に練習環境が充実するね。きっと、どんどんうまくなるよ」
裕「そうかな。でも、もうずいぶんやってないから、また壁でちょっと練習しとこうかな。ああ、あと、ラケット、R22がもう一本しか残ってないから、新しいの買わなきゃ。銘柄何がいいかな?」
杏「ああ、それなら私、使ってないブイコア95が2本あるから、あれあげるよ」
真「それいいな。裕にピッタリだろう。それじゃ、裕、ラインのアドレス交換してくれよ。毎週一回平和の森でやってるからな」
杏「裕、そしたらさ、今度予定あわせて新宿のウィンザーにガット張りに行こうよ! また連絡するね!」
******
5 裕と雄介君が帰って行った。
こんなことってあるんだ。今日はいい日だったな。
私、実は、真司君の事、高校の時、ちょっと気になってたんだけど、私が大学に入って少し離れてた夏の終わりに、インハイで澄香と出会ってくっついちゃった。まあ、家も近いしね。しょうがないわよね。こういうのってタイミングだから。
だけど、3年もかかったけど、もう一人、すごく気になってた子がまた私の前に現れた。奇跡みたいに再会できた。
裕は彼女いるのかしら? すごく気になるけど、でも、こういうの、ゆっくりでいいわよね。
どうせまた会えるんだから、少しずつ近づいて、お互いを分かっていけばいいわ。
とりあえず、近いうちに、裕と一緒にウィンザーにガット張りに行こう。
「ラケットとセットでお誕生日のプレゼントだよ!」って言って、私が出してあげよう。絶対、裕はすごく遠慮するだろうから、
「それじゃ、そうだな‥‥‥そのかわりにね」って言って、明月館で焼肉ランチをご馳走して貰おう。カルビとハラミを半分こしよう。
ふふ、ふふふ。楽しそう。お洋服、何を着て行こうかな。おとっときのグレーのミニワンピにしようかな? もう二十歳過ぎちゃったからニーハイはちょっとアレだけど。
隣に座ってる後輩の女の子が、
「なんか、杏佳先輩、嬉しそうじゃないですかー。‥‥‥って、あれー? さてはさっきの子? もしかして、先輩、イケメン好きなんですか?」って、人差し指でツンツンしながら茶化してくる。
私は、「ふん、そのとおりよ。だけど、裕は見た目だけじゃないの。優しくて、楽しくて、誠実な、すごくいい男なのよ。まだ分かんないけど、たぶん‥‥‥」って答えながら、裕のアドレスを入れたスマホを胸に抱きしめて、眼を閉じて、ホーって息を吐いた。
ああ、なんか暖かい気持ちだな。
これは、きっと、恋になる。
大事に、大事に、育てて行こう。
~ あとがき
こうしてみると「運命」って、ホントに人生を左右するんですね。
壁で出会ってなくても、また裕と杏佳が再会できたのはよかったですけど、二人が壁で会えなかっただけで、裕と杏佳も、真司も、澄香も、小武海も、3年間異なる時間を歩むことになったんですね。
案外、このストーリーでも、裕が美人コーチと親友に鍛えられて、遅咲きだけど史上最強選手になるっていう展開になったのかも知れません。全日本決勝に進んで絶対王者小武海に当たっても、裕の所属は「ヨネックス」とかじゃなくて、ノーシードの「W大レッド」で、テニスファンが「な、一体誰だよ? 今までどこに潜んでたんだよ?」って、なんかかっこいいですよね。
本編を読んで下さった皆様も、もうおおかたストーリーをお忘れでしょうけれど、てか、私自身も本オマケ編の存在を忘れてましたが、ついさっき思い出したのでアップさせて頂きました。
それではまた、機会があったらまたお会いしましょう。
小田島 匠
スピンオフ 令和に降臨した昭和テニスマンとテニスの妖精 もし裕と杏佳が壁で再会しなかったら? 小田島匠 @siu113
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