第30話 安達が原の人食い鬼?

 むかしむかし、あるところに、諸国を旅して修行を積む山伏の一行がおりました。ある時、一行は人里離れた安達が原で夕暮れを迎えてしまいました。このままでは危険な山野で野宿になってしまいます。辺りに人家を探すと、一軒だけあばら家がみつかりました。一行はあばらやに一人で住む老婆に頼み込んで、何とかその晩はそこに泊めてもらえることになりました。


 家の中で、老婆は糸を紡ぎながら浮世の生きづらさや世のはかなさを嘆じます。そんなお年寄りの愚痴を聞くのもまた修行の一環、山伏一行は穏やかにうなずきながら老婆の話を傾聴していました。


 やがて夜になり冷えてくると、老婆は薪を外に取りに行くと言って立ち上がりました。


「私の留守中、決して私の寝室を除いてはいけませんよ。」


 老婆は不気味なほどの真顔でそう念押しして、あばら家の外に出掛けて行きました。


 禁止されると気になるのが人のさが。山伏の一人は老婆の寝室を覗こうとしました。


「やめなさい。」


 先輩がそれを止めます。しかし、後輩は手を止めません。


「でも、気になるじゃないですか。ほら、里で聞いたでしょう、鬼婆の話。」


 山伏たちはここに来る前、近くの人里で、人を獲って食うおそろしい鬼婆がいるという噂を聞いていました。周りに人家のない場所に老婆が一人で暮らしているだなんて、いかにも怪しいというものです。


「そういう話は、この家に入る前に言いなさい。もう手遅れじゃないか。」


 先輩が呆れたように言いました。老婆が鬼だとして、その家に上がり込んでまったりしている時点でもう山伏たちは絶体絶命です。寝室に何があろうと無かろうと、関係ありません。


「もう手遅れなら、冥途の土産に、見たいものを見てから逝きましょう。」


 屁理屈を並べて、後輩は寝室の戸を開けようとしました。しかし、なかなか開きません。片手では足りず、両手で懸命に力を籠めますが、強い力で押さえつけられているかのように動きません。


「くっ、鬼の呪いか。」

「だから、やめろって…」

「負けるものか!」


 渾身の力で後輩は戸をがたがたと揺らしました。その途端、ばあんと戸が外れて吹っ飛びました。戸だけではありません。何かがどさどさと雪崩のように襲い掛かってきます。後輩はわあと叫び声をあげましたが、雪崩に飲まれて埋もれてしまいました。


「これは、何だ…。」


 先輩たちが遠巻きに眺めます。紙くず、ボロ布、木っ端、落ち葉、燃えさし、野菜くず、小動物や魚の骨、虫の死骸、割れた食器類に、正体不明の褐色の塊。どうやら、汚物やゴミが寝室を埋め尽くしており、それが一部、支えを失って流れ出てきたようです。寝室からはものすごい異臭も漂っています。


「ぎゃあ、御器齧り!」


 つやつやとした黒褐色で、平たくて、触覚の長い、やたらと動きの速い、見るだけでも不快になるあの虫までもが大量に出てきました。山伏たちは大わらわで叩き潰したり、逃げ惑ったり。鬼かもしれない老婆のことなんてすっかり忘れて、大騒ぎです。


 するとそこへ、老婆が戻ってきました。


「見ぃ~たぁ~なぁ~…」


 地響きのような低い声で呟き、手近にあった鉈を握りしめます。正に悪鬼そのものです。


 が、山伏たちはそれどころではありません。鬼よりも、黒い小さな悪魔の方が数と機動力で圧倒的に勝っています。老婆鬼に構っている余裕はありません。


「ご、ご主人。この黒い悪魔に効く虫よけは有りませんか。」

「大して効きはしませんが、とりあえずこの草を燻して煙で追い払いましょう。」


 老婆も辺りを這いずり回る黒い悪魔に注意を奪われ、山伏は二の次になったようです。台所の片隅から草の塊を取り出すと、鍋に入れて火を点けて、寝室の近くに置きました。寝室だけでなくて家中がもうもうと煙に燻されるうちに、やがて黒い虫はどこかへ姿を消してくれました。


 やれやれ、と一同は脱力してその場に座り込みました。が、寝室からなだれ込んできたゴミも、寝室の中のゴミ山も丸見えで、問題が解決したわけではないという現実を突きつけてきます。


「ご主人、これは一体…?」


 山伏が遠慮がちに問いかけました。老婆はちらりとゴミを見て、ため息を吐くと、ぼそぼそと小声で答えました。


「子どもは戦に取られ、夫は病で亡くなり、一人暮らしになったら何もかもが面倒になって。色んなことを後回しにしているうちに、こうなってしまいました。」

「このことは、どなたかに相談は?」

「誰も知らないはずです。見られぬようにしてきましたから。」

「まさか、見た者は皆…」


 殺して食ったのではないか、という言葉は飲み込みました。ゴミ山はあまりにも不潔で雑然としていて、人骨があるかどうか一目では全く分かりません。


「これも何かの縁。お部屋の片づけをお手伝いさせてはいただけませぬか。私たちの修行にもなります。」


 先輩山伏が申し出ました。これを断るようなら、黒に近い灰色に違いありません。野宿になってでもこの家を飛び出すが吉でしょう。山伏はドキドキして老婆の反応を伺います。


 老婆はと言うと、しばらくの間ためらってもじもじしていましたが、寝室からはみ出たゴミと屈強な男たちを見比べて、決意したようです。


「では、お言葉に甘えて、お片付けをお願いしましょうかねえ。あの虫はまだいるでしょうけど。」

「…お任せください。」


 ちょっぴり後悔が胸をよぎりましたが、それはおくびにも出さず、山伏は快諾しました。


 そうして、その晩から大掃除が始まりました。山のようなどころか、実際に山を成しているゴミをせっせと運び出し、木っ端は囲炉裏やかまどにくべ、そうできないものは裏庭で燃やしてしまいます。うじ虫や黒い虫はぎゃあぎゃあと騒ぎながらも頑張って戦って処分です。壁などに産み付けられた卵も引っぺがしていきます。


 ゴミをすべて片付け、寝具を川で良く洗って干し、部屋中を古布で綺麗に磨き上げる頃には数日が経過しておりました。黒い虫やハエ、正体のよく分からない虫、ネズミなどの小動物の死骸はたんとありましたが、人間の死体は見つかりませんでした。どうやら、この老婆は噂の人食い鬼ではなかったようです。


 老婆に何度も丁寧にお礼を言われながら、山伏たちは老婆の家を後にしました。


「今回の件は良い勉強になった。」


 山道を行きながら、山伏たちは頷きます。


「もしかしたら、各地で人食い鬼だとか山姥だとか噂されているのは、ああいう孤立したお年寄りなのかもしれないな。」

「そうだな。我々でそういうお年寄りの手助けをしてはどうだろう。」

「我々にとっては修行にもなるし、うまくやれば商売にもなりそうですね。」


 こうして、特殊清掃を請け負う山伏隊が結成されました。山伏隊は各地で調伏という名の特殊清掃を行い、鬼と呼ばれる孤立高齢者などを助けていきました。彼らの名はやがて大和の国中に轟き、全国から仕事の依頼を受けるほどに成長しましたとさ。めでたし、めでたし。

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むかしむかし 思ってたんと違う 菊姫 新政 @def_Hoge

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