第29話 カチカチ山?

 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんとおばあさんは畑で芋や野菜を作って暮らしていましたが、近所に暮らすタヌキが種芋や種豆、できた野菜を食べてしまうので困っていました。そこで、おじいさんは畑に罠を仕掛けて、見事にタヌキを捕獲しました。おじいさんはタヌキを縛り上げて台所に吊るし、おばあさんにタヌキ汁を作るように頼むと、また畑に出掛けて行きました。


 タヌキ汁なんかになりたくない一心で、タヌキは必死になっておばあさんに助命を嘆願しました。優しいおばあさんはついほだされ、タヌキの縄を解いてしまいます。すると、タヌキは手直にあったバールのようなものでおばあさんを撲殺。その上、おばあさんを解体して、タヌキ自身が入る予定だった鍋の具にして煮込んでしまいました。


 おじいさんが帰ってきたので、タヌキはおばあさんに化けて、婆汁をおじいさんに差し出しました。おじいさんが箸をつけたのを見て、タヌキは意地悪く問いました。


「どうですか、美味しいですか?」


 すると、おじいさんは一口で動きを止めました。黙ってそのまま、お椀の中を見つめています。タヌキは少し不安になって、おじいさんの顔色を窺いました。おじいさんはやがて、ぼそりと呟きました。


「これは人肉の味だ。」

「え、何でそんなことが…」

「ばあさまや、タヌキはどうした。」

「ああ、ええと」

「さては、お前がタヌキか。そして、ばあさまを殺して汁にしたか。」


 タヌキはぐっと唇を噛みました。


「バレちゃあ、しょうがない。何にしても、じいさんは婆汁を食った!ばあさんを食った!流しの下を見てみろ!」


 タヌキは変身を解いて、すたこらと逃げてしまいました。


 おじいさんが台所の流しの下を掘ると、確かに、人骨や使い残しの臓物や皮などが埋められていました。おじいさんはさめざめと涙を流して悲しみました。そうしていると、おじいさんおばあさんと仲良しのウサギがやってきました。おじいさんから事情を聞くや否や、ウサギは復讐のために外に飛び出そうとしました。


 ところが、おじいさんが待ったを掛けました。


「何ですか、おじいさん。おばあさんの仇を討たなきゃ。あのタヌキめ、生まれてきたことを後悔するほどの苦しみを味わわせてやる。」

「いや、タヌキを捕まえたら、そのまま連れてきてくれ。」


 ウサギは出鼻をくじかれましたが、他ならぬおじいさんの頼みです。それに、もしかしたら、おじいさんは自分の手で憎きタヌキを殺したいのかもしれません。血気盛んなウサギにもその気持ちは分かるような気がします。


 そこでウサギは、甘言を弄してタヌキを山へ柴刈りに誘いました。たっぷり柴を拾ったところで、ウサギはタヌキに声を掛けます。


「あ、いけねえや、タヌキさん。背負ってる柴の束が崩れそうだ。おいらが直してあげよう。」

「ありがとう。頼むよ。」


 ウサギはタヌキの背中に回ると、丈夫な縄を使ってあっという間にタヌキを緊縛してしまいました。タヌキはカチカチに固められ、歩くことしかできません。


「ウサギ君、アタシごと縛ってどうするのさ。縄がカチカチじゃないか。」

「へへん、ここはカチカチ山だからな、何でもカチカチになるんだ。」

「そんなバカな話があるかい。ここが烏帽子山って名前なの、知ってるだろ。縄ほどいてよ。」

「冗談じゃねえや。こちとら、お前を生け捕りにして、おじいさんのもとへ届けるってのが端から目的よ。」

「な、何だって…」


 ウサギはタヌキをしょっ引いて、おじいさんの家まで引きずって行きました。途中でついうっかり足を引っ掛けて転ばせたり、手が滑って殴りつけたりしたけれど、大したことではありません。タヌキの顔がボコボコに腫れ上がったというだけの話です。


 おじいさんはお勝手で鍋を掻き回していましたが、タヌキが来ると、黙って大きな木鉢にたっぷりと中身の汁物をよそって出しました。


「じ、じいさん、これは…」

「お前の作った婆汁だ。食べなさい。」


 おじいさんはタヌキの縄を解いて、匙を渡してやりました。タヌキは逃げ出そうかと思いましたが、しっぽをウサギに掴まれているのでそれもできません。しぶしぶ、婆汁を食べ始めました。雑食のタヌキにとっては、ヒトでもウサギでもただのお肉なので、普通に美味しいお汁です。が、目の前で、おじいさんも黙って同じ婆汁を啜っているので、気になって仕方がありません。


「あの、じいさん、これ、ばあさんの肉が…」


 どうしても落ち着かなくて、言い出してみたものの、おじいさんは何も答えてくれません。柴刈りをしておなかも空いていたし、タヌキはもそもそと婆汁を食べ続けました。


 そのうちに、おじいさんが低い声で呟きました。


「わしはかつて、ばあさまと一緒に、親友の肉を食った。」


 タヌキは思わず手を止めて、おじいさんを凝視しました。おじいさんはお椀の中を見つめたまま、ゆっくりと話を続けます。


「あの戦争の末期、わしとばあさまは南の島におった。武器はおろか、薬も包帯も、食べ物すら、補給は無かった。わしも、友も、上官も、皆が飢えていた。敵の攻撃ではなく、飢餓と病で、次々と人が死んでいった。」


 おじいさんは、若い頃の体験をぽつりぽつりと語りました。兵士だったおじいさんは、看護婦だったおばあさんと共に死線を潜り抜け、凄惨な体験をしてきたのです。タヌキは震えあがり、逃げる気もすっかり失って、ただはらはらと涙を落としました。ぽたり、ぽたり、と涙の雫が婆汁に落ちます。


「食べなさい。それが供養になる。」


 おじいさんは静かに言いました。タヌキはもう胸もおなかもいっぱいでしたが、懸命に婆汁を掻き込みます。頑張って、鍋の底まですっかり平らげました。


 それから、タヌキとおじいさんは、流しの下に雑に埋められていたおばあさんの亡骸を掘り起こし、眺めの良い場所へ丁寧に埋葬し直しました。タヌキは心からおばあさんの冥福を祈って手を合わせました。


 それからというもの、タヌキは悔い改め、おじいさんの畑仕事を手伝ったり、山で食べ物を採ってきてあげたり、やがてはおじいさんを介護したり、おじいさんが天寿を全うしておばあさんの隣に眠るまでひたすらにおじいさんに尽くしましたとさ。めでたし、めでたし。

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