第22話



 髪をそっと撫でると、さらりと指先が通った。


 こうして撫でていても、抱え運んでから一向に起きる気配がないのだから、気が抜けてしまう。


 あんなに警戒してたのに、無防備過ぎないか……?



「……俺のこと、嫌いなんじゃないのかよ」



 気分屋な所はもう既に承知していたが、俺を憎んでいるはずなのに、こうして隙を見せるのだから許されているような気分になってしまう。


 もちろん、そうじゃないってことは分かってる。白眼視されるのは一生変わらないだろう。


 けれど油断するには十分なほど、至って平和な日常が過ぎていっているのだ。



「おやすみ。良い夢を」


 

 囁いて静かに立ち上がると、俺は音を立てないように扉を締めた。


 それから部屋に戻って寝る支度をしたが、ベットに寝転んでもなかなか寝付けず、諦めてリビングで録画したドラマを見ていることにした。


 3話目のエンドロールに入った所で、ガチャッと誰かがドアから入って来た気配に視線を向けた。


 起きて来たのは渚だったらしい。


 ふわぁと大きな欠伸を零してキッチンに向かおうとしている渚はテレビの明かりに振り向いて目が合った。

 


「ゲッ……!」



 心底嫌そうな顔を浮かべる表情は、ついさっきまで寝入っていた幼い顔付きとは全然違った。


 その変貌ぶりに苦笑いが零れると、渚は小さく「佐藤だったのかよ」と呟いているのが聞こえた。


 どうやらテレビの音が漏れていたらしい。誰かがいるのを知った上でリビングに来たようだ。


 それから何も言わずに渚はキッチンに行って冷蔵庫から野菜ジュースを取り出してコップに注ぐと、飲みながらソファへとやって来た。


 いつもは離れた所に座る渚だが、近くまで来て俺は驚いた。



「な、なんだ……?」



 勝手に部屋に入ったことを怒られるのかと思って一挙手一投足を見ていると、二人分の隙間を開けた距離感で腰を下ろした。


 何を言われるのか緊張していると、こっちに目を向けずに渚はドラマのエンディングを見て半分の量を一気に飲んでいた。



「────」



 無愛想な顔で座り直すと、目の前のテーブルへとコップを置いて言う。



「うざい」


「は……!?」


「私に申し訳なくて、ビクついているのを見ると、イライラする」


「は……!?」


「まるで罪滅ぼしみたいに私を立てようとしてる感じ? わざとじゃなくても、遠慮してる佐藤ってヘン」


「おい……」


「それでなに? 反省してますって顔で、私の言いなりになるつもり?」


「ッ……」


 

 それは、図星だった。渚と荒事を起こしたくなくて、揉めるような事にしたくなくて、平和主義者のように渚の言い分を聞いていれば、問題なく過ごせると思ったから。


 向けられる憎しみが薄まって、過去の罪が軽くなるんじゃないと心の何処かで思ってた。



「それは……」

 

「そんな顔されてもさ、許せるわけないじゃん。過去の過ちなんて償いきれっこないよ」


「それは、分かってるつもりだ……」


「つもりね。ならまずさ、その顔やめてよ。ムカつくから」


「それって……?」



 なにが言いたいのか、分からなかった。


 どんな顔なのか自分でも良く分からない。



「だから、罪悪感に苛まれてるような顔だよ!」


「…………」



 そうは言っても、どんな表情に変えれば良いのか分からなくて、渚の言葉だけではどう償えば良いのか検討もつかなくて、目の前の彼女が何を考えているのか全く分からなかった。


 そんな俺の様子に、渚は大きな溜め息をつく。



「大人しくやられてれば良いんだよ。今日みたいに普通にして思う事を言い合って、私が言い返した言葉に落ち込んでれば?」


「……それでお前は気が済むのか?」


「はぁ? 気が済むわけないでしょ。一朝一夕で恨みが晴れないように、憎しみも何をしたって消えないよ」



 そう言う渚は、不思議と俺の心内を見ているような気がした。



 「けど、私はアンタが土下座する姿なんて見たくない。あの時やられたことを同じようにやり返して、アンタを泣かせて、苦しめて。仮にも仲間を追い出すようないじめっ子になるつもりはない」



 これは多分、当て付けなんだろう。クラスメイトだった生徒をいじめて引き篭もりにさせた俺とは“違う”と言いたいのだ。


 前の自分だったら、順調に出世街道を進んでいた前職に勤めていた頃の俺だったら、怒鳴っていたかもしれない。


 けれど、想い合っていたと思っていた彼女や、仲が良かった同僚から、裏切られた時の怖さと哀しさを知った今では、言い返す気にもなれなかった。


 何処か他人事のように感じる。空っぽだなとつくづく思う。

 

 

「それに、繰り返したくないしね」



 その言葉にはふと笑みが零れた。同じ気持ちだったから。


 お互いにやり返せば、一向に良くはならない。むしろ傷が増えて深まるだけだ。


 それを渚はしたくないと言った。優しくて広い心を持ってないと言えない言葉だ。



「だから、佐藤はそのままでいると良いよ」



 含み笑いの渚からは意地悪で出した言葉だったのだろう。


 餓鬼の俺のままで良いとそう言っているのだ。けれど、人間の怖さを知った俺には、まるで全部を受け入れてくれるみたいに聴こえて、ぽっかり空いた心の奥底が温かいものでほんの少しだけ埋ったような気持ちになった。


 目の前が潤んで、涙が目端から落ちそうになるのを瞬きして防ぐ。



「あと……」



 そう言う言って立ち上がる渚はコップを持って部屋から出るのか扉がある方へ足を進める。


 少し離れた所で立ち止まると、言葉の続きを紡いだ。



「ありがとう、送ってくれて。佳穂のことも……」


「────」


「それだけ。じゃ、私は寝るから。いじめっ子さん」



 大きな背中を向けてリビングを後にする渚の後ろに、俺は両親のことを思い出した。


 お陰で何か忘れていたことを思い出せそうだったけれど、フラッシュライトのように断片的で記憶を繋げられなかった。


 急なお礼に呆然としていた俺は何も言えずにその様子を見ているだけで、渚が居なくなった部屋でしばらく固まっていた。



「…………」



 ありがとうの言葉が頭の中で反芻する。



「────ぁぁぁあ……!!」



 真夜中で大声が出せない代わりに掠れた叫び声を吐き出す。


 やっぱり渚は学生の頃と何も変わってない。それが一番、嫌われるよりも反撃されているような効果を発揮する。


 ボスッとソファに倒れると、胸に手を当てる。痛いほど高鳴った鼓動が煩くて、身体中に熱を伝染させていく。



「……クソッ」



 嫌悪に満ちた顔で俺を睨みつける渚。そんな子供みたいな性格をしているのに、肝心な言葉はちゃんと伝えくる。


 敵だと認識している俺にも「ありがとう」と言ってくれる。


 早る鼓動の音が煩い。


 ──この気持ちは知ってる。間違いない。



「好きになってどうすんだよ……」



 渚は俺を敵だと思っているんだぞ。


 苦しめた男を嫌うのは当たり前で、許されるなんて本気で思ったことは一度もない。



「なんで、渚なんだよ」



 学生の時に揶揄った女子生徒に惚れるなんて、一番馬鹿げた話しだ。


 なのに、この感情はとめどなく溢れて胸の置くを締め付けるんだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一万回殺しても足りない 五菜みやみ @ituna383miyami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画