センサーライト

三奈木真沙緒

あら、いたんですか?(笑)

 職場のお手洗いの照明がセンサーライトに替えられてしまって、少しばかり困惑している。

 なぜなら、ささやかな気晴らしができなくなってしまったからだ。



 去年に配属になった部署には、なんだか気の合わない人が3人もいる。ふたりはわたしと同期入社の女性。仕事の合間にふたりで楽しそうに雑談しているのに、わたしが近づくと話が途切れて、よそよそしくなる。もうひとりは、今年新規で入社した若い女性。さきのふたりと仲が良くて、よく一緒に盛り上がっている。面倒見ているのはわたしなのに。

 部署内のほかの人とは、普通にうまくつきあえていると思うけど、よりによってわたしの席の前にはこの3人が並んでいる。いらつく。


 そんな3人の誰かと、偶然、お手洗いのタイミングがかぶることもある。相手が、わたしよりも先を歩いて、お手洗いに入ってくれればラッキー。わたしはそっと、後を追う。相手は先に個室に入っているはず。ほかに誰もいなければチャンスだ。わたしは急いで用をすませ、相手よりも早く出て――手動スイッチで照明を消して立ち去る。少し、溜飲が下がる。わたしの方が後に入ったのだから、誰がやったのかばれてはいないはず。ばれたとしても、こう言えばいいだけだ。「あら、いましたっけ? 気がつかなくて、ごめんなさい」……ちょっと笑って。だって、していたんだもの。


 もちろん、そうそうできることじゃない。あの3人のタイミングをずっと見計らっていられるほど暇じゃないし。自分のタイミングが合わないことも多い。お手洗いに第三者がいるときは絶対にやらない、残念だけど。だから、この半年ほどで、実際にそうしたのは、ほんの4、5回。でも胸がすっとする。どうせ、日ごろからわたしの悪口で盛り上がっているに決まっている。だからこのくらいは、ねぇ? どうせ、誰がやったのかなんて、わかるはずないんだし。



 でも、社内のお手洗いは順次工事が入って、照明はセンサーライトに替わってしまった。人が入って行くとセンサーが感知して、自動的に照明が点灯し、無人になってしばらくすると自動的に消灯するしくみだ。

 わたしのごくささやかな気晴らしは、できなくなってしまった。


 だいたいセンサーライトなんて、気が利いているようで利いてないのよね――わたしはスマホをタップしながら、声に出さないよう気をつけて、心の中でつぶやいた。おかげで勤務中の気晴らしはせいぜい、こうしてお手洗いの個室でスマホをいじるくらいしかなくなってしまった。

 かといって、照明を手動式に戻してほしいって要望出すのも、おかしいわよね――そう思ったとき、突然、あたりが暗くなった。


 照明が落ちたらしい。

 やだ、わたしまだ、中にいるのに。


 以前聞いたことがある。センサーライトは、長時間経つと、中に人がいるのに落ちてしまうことがあると。人の動きを感知できないと、そうなるのかもしれない。

 だから融通が利かないっていうのよ。

 仕方なく、スマホを切り上げて個室を出た。ほかに誰もいないらしい。お手洗いの外からわずかに光が見えるので、真っ暗ではない。スマホのディスプレイもまだ光っている。

 手を洗おうとした。蛇口に手をかざしても水が出ない。ここもセンサーが働いていないらしい。いやだ。もしかして、照明と連動しているのかしら。


 ほかのところで手を洗うことにして、とりあえずお手洗いを出た。部署の前を通りかかって、はっと思った。

 これって――あの3人の嫌がらせでは?

 以前、お手洗いの照明をわざと消していたのはわたしだと、ばれてはいないはずだ。でも、何かのきっかけで気づかれたかもしれない。もしかすると、以前のしかえしのつもりで……?

 なんてずるいんだろう。わたしひとりに、よってたかって。わたしの存在を黙殺するようなことを。ひどい。

 だけど、あの3人という証拠は、何もない。

 ひとまずわたしはカマをかけてみることにした。部屋へ入って、全員に聞こえるように訴える。

「ちょっと聞いてよ、さっきそこのお手洗いに入ってたのに、センサーライトが消えちゃって――」


 ……部屋にいた人たちが、戸惑ったような顔を見合わせた。ほらね、こんなひどい話、誰だって驚くに決まってる。

 と、わたしにそっけない同期女性のひとりが、立ち上がり、よそよそしい笑顔で近づいてきた。

「お客様、当社の設備で、ご迷惑をおかけしましたでしょうか」

 ――お客様?

「は? 何言ってるの。わたしはここの部署の……」

 言おうとして、舌が止まった。


 この人――なんて名前だっけ?


 いえ、よく知ってる。わたしと同期入社で、同じ部署にいるのに、わたしのことだけ雑に扱う人。なのに、名前だけ出てこない。

 いいえ――この部署の人たち。みんな知ってる。顔も肩書も。なのに、誰ひとり、名前を思い出すことができない。わたしを見て軽く困惑しているらしい表情のどれにも、わざとらしい雰囲気はない。


 嘘、でしょ?


「ちょっと、みんな、冗談やめてよ。ほら、わたしは、そこの係にいて……」

 ……思い出せない。

 確かに、毎日勤務しているはずの見慣れた部屋なのに、自分の席がどこなのか、思い出せない。


 わたしって……わたしの名前…………何だっけ……?

 自分の名前が出てこないって、どういうこと……?


 まるで、現実そっくりな別世界に、迷いこんじゃったみたいに……。

 なんで? どうしてこんなことに……?

 ていうか、わたしは、誰なの?


 舌までかたまってしまったわたしの前で、新規採用のあの子が、わたしのもうひとりの同期女性にささやいたのが、聞こえてしまった。

「あの人、うちにいたんですか?」と。

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