ビタースウィート・ラプソディー
如月トニー
第1話
ビタースウィート・ラプソティー
1
二月十四日
私は決めた。チョコを渡す。
名前は相澤直樹。
血液型はA。
私より三つ歳上のさそり座。
現在彼女募集中。
情報は去年の忘年会、ちゃんと祥子に確かめてもらった。二ヶ月やそこいらで新しく彼女が出来るとは思えないし、遠巻きに聞く限り、やっぱり彼女はまだいないみたい。隣の部署で話なんてほとんどしたことがないけど、私は知ってるもん。あの人がとても優しい人だってこと。
だいぶ寒くなり始めていた去年の秋。
会社からの帰り道。
相澤さんが道路の反対側にいた目の不自由なおじさんを助けているのを見た。車の往来が激しい道路の端の方に、砂利が敷き詰められた駐車場のようなスペースがあった。杖を突いている人はそこへ迷い込んでいた。自分がどこにいるか分からなくなって怖がっているのは一目瞭然。だってガードレールがない上に、すぐそばを車がガーガー走ってるんだもん。するとたまたま目の前を歩いていた相澤さんが道路を走って目の不自由な人の所へと渡っていった。目の不自由な人は相澤さんの気配を敏感に察知し、「助けてください!」って大きな声を出してた。溺れるものは藁をも掴むとはまさにこのことよ。よっぽど怖かったんだろうね、でも大丈夫、相澤さんはあなたを助けるために道路を渡ったんだもん、そんなに慌ててしがみつかなくたってって、私は思った。その時点ですでにもうじゅうぶんカッコいいのに、相澤さんは更にスゴイことをやってのけた。相澤さんは目の不自由な人の腕を組むと、その人を連れて一緒に歩き出した。砂利の敷き詰められ駐車場のようなスペースから、歩道の方へと案内すれば、相澤さんの人命救助はおしまい、の、はずだった。なのに、ちょっと待って、相澤さん、私はびっくりしてしまった。目の不自由な人が行きたがってる方向へと、相澤さんは腕を組んでそのまま歩いて行ってしまったの。そっちって、たった今私たちが出てきた会社のビルがある方向じゃない。今さっき来たばかりの道を戻っちゃうの? せっかく週末の仕事帰りなのに!? 相澤さんはそのまま、夕陽の沈む方角へと目の不自由な人を案内して消えていってしまった。
次の週明け。相澤さんとエレベーターで二人きりになった。心臓がドキドキしちゃった。あの後目の不自由な人とどうなったのか知りたくて、思わず話しかけてしまった。
「えっ? 金曜日のこと? ひょっとしてあれを見てたんですか? 恥ずかしいな」
相澤さんは、まるで子どもみたいな笑顔でそう言った。すごく可愛くて胸の奥がムズムズしてきた。
「時間にして五分ぐらいかな、一緒に歩きましたよ。寂しいみたいで色々話しかけてくるんですよ。で、『お仕事は何をされているんですか?』 って聞かれたんで、『◯◯商事で働いてます』って答えたら、『こんな所まで送ってくれなくたって良かったのに』って言うんですよ。僕としてもあの砂利のスペースから歩道へ案内出来たらそれで良かったんですけど、あんまり話しかけて来るんで別れるタイミングを失ってしまったんです。まあ本人にはそんなこと言いませんでしたけど」
歳下の私にていねいな言葉を使ってそう説明してくれた。そのあまりの優しさに、私は頭がクラクラしちゃった。
部署が違うから相澤さんとはそれっきり話をしてない。でも、同期で入社した祥子にそれとなく聞いてみたら「彼女募集中みたいよ」って聞いた。祥子とはいつも一緒に買い物へ行ってるし、口も堅いから信用はできる。でも目の不自由な人を助けた話をしたら、祥子も相澤さんを好きになってしまうかも知れない、考えすぎかも知れないけど、とにかくあの話は黙っていよう。でも、祥子が相澤さんをそういう風に見る可能性は低い。前も言ってた。
「確かにあの人優しいけど、上司からの押しに弱いし、頼れるタイプには見えない。あたしはやっぱりグイグイ引っ張ってくれる
私は優しい
2
二月十五日
昨日は寝坊してしまった。
数日前に発売されたばかりのテレビゲームにすっかりハマってしまい、二時間しか寝なかった。コンビニのおにぎりを買い食いしながらどうにか電車に間に合って、会社のビルに着いたら、全く見覚えのない髪の毛の短い女の子から突然チョコを渡された。入り口にいたんだ。あんなギリギリの時間に一体何をしていたのだろう。いったんタイムカードを切ってから入り口に戻って来たのだろうか。前後の脈略からいって、僕を待ち伏せしていたとしか考えられない。
「あの、これ、良かったらもらって下さい」
いきなりそう言われた。もしそれが派手な包装紙とかに包まれていたなら、一発で分かったはずだった。しかしそれはコンビニでもらう小さなビニール袋に入っていた。遅刻しそうだったんで慌ててて、ついもらってしまってから気がついた。昨日が二月十四日だということに。気づいたときには、その見覚えのない髪の短い女の子は階段を登って行ってしまっていた。
彼女はいったいどういうつもりだったのだろう。袋の中にはチョコがある。明治のチョコ。まったくもって普通の板チョコ。もしバレンタインのチョコならば、何か派手な包装紙とかに包むはずだ、しかしむき出しのままコンビニ袋に入っている。意図が分からない。何か中にメモ紙のような物があるなら少しは分かる、例えば、ケータイの番号が書いてあって、「良かったらお電話してください」とか言うのなら、話をするぐらいは厭わない。かれこれもう、二年ぐらい彼女もいないし、性格が合いそうなら付き合いたい。前の彼女にはひどく傷ついた。もう恋なんてするもんかと思っていたけど、気づけばまた女が恋しくなっていた。
とにかく、どう見てもこれはバレンタインチョコではない。とりあえず貰った物には違いないし、チョコを食いながら光政に電話してみた。コイツはいつも僕の話をよく聞いてくれる。そして的確なアドバイスをくれる。
「怪しいな」
ひと通り話し終えると光政は言った。
「女ってゲーム感覚でチョコを渡す場合もあるし、もしかしたら影で、『アイツチョコもらって喜んでやがる』って女子トイレで冷やかされている可能性もある。下手に動かない方がいいよ。自分から動いて痛い目に遭ったらダメージでかいぜ」
確かにその通りだ。がしかし、よく見てみるとあの女の子、そこそこ可愛いじゃないか。性格の良さがにじみ出てくる感じがする。笑顔も明るい。それにおっぱいもそこそこ大きそう。上司に虐められたときとか、あんな感じの膨よかで優しそうな女と一緒に入られたら癒されるだろうな。まあでも、何度考えてもこれはやはりバレンタインチョコには見えない。好意の表れと解釈するのは性急すぎる。しかし気になる、一度気になるとついまた見たくなってしまう。理性を保て。あまり胸ばかり見てるとイヤラシイと思われるぜ。とりあえず名前が知りたい。おそらく隣の部署のはず。同期の高橋から聞いてみようか。彼氏はいるのだろうか。気になって仕方ない。新発売のゲームなんかもうどうでもよくなってきた。彼女に間抜けなところだけは見られたくない。明日からは初心に戻って仕事に親身に打ち込もう。上司にガミガミ言われてるところをあの
3
二月二十八日
相澤さんから電話が来ない。
いつまで待っても全然来ない。
やっぱりあんなやり方はいけなかったのかしら。普通の板チョコなんかを選んだばかりに、誰彼構わずチョコを渡していると思われたのかも知れない。思えば会社の入り口で待ち伏せして渡すというやり方もまずかったのかも。私は相澤さんだけを待っていた。あの日はかなり早めに出勤した。タイムカードを切ったあと、まだ相澤さんが来ていないのを確認して入り口へ向かった。何人かの男性社員から、「チョコは?」なんて冷やかされたけど、「母が忘れ物を持って来てくれるのを待ってるんです」ってごまかした。
相澤さんはだいぶ遅れてやってきた。もしかしたら今日は休みなのかとさえ思った。コンビニのおにぎりを食べながら歩いていたから寝坊したのかも知れない。そういえば相澤さんって一人暮らしなのかしら。もしそうならご飯はどうしているのだろう。お洗濯とか掃除とか、世話してあげられたらいいんだけど。どっちにしろ、電話が来ないということは、やっぱりフラれたということなのだろうか。
あれ以来、相澤さんが時々こっちを見てくる。「何を考えているのだろう」って目をしている。時々胸を見てくるときもあるけど、別にそれは構わない、男の人はみんなそう、もともと私は大きい方だし、中学のときからもう慣れてる。よっぽどジロジロ見られない限りは気にならない。
部署の高橋さんから「彼氏いたんだっけ?」と聞かれたのは一週間くらい前だった。もしかしたら相澤さんと高橋さんは同期で、私に探りを入れたくて高橋さんを通して来たのかと思った。もちろん私は「いません」と答えた。事実、本当にいないし。もしそうなら、相澤さんには伝わっているはず。それなのに電話がないということは、やはり脈がないということなのかしら。
もう諦めようかな。とりあえず月末だし、たまっていたレシートを計算しなくちゃ。ち、ちょっと待って、これは一体どういうことなの。ケータイの番号を書いたメモ紙が、まさかレシートの中に混じっていたなんて。これじゃあ電話が来るわけないじゃん。相澤さんからしたら、普通のチョコを渡されただけで、どうしたらいいか分からなくて混乱してるのかも知れない。完全に失敗した。バレンタインデーにただの板チョコを渡すなんて、下手したらただの変人だと思われてるかも。恥ずかしい。穴があったら入りたい。この恋は、きっともう終わった。
4
三月十三日
トランプで神経衰弱をやる時のような気分だった。まったく離れている二つのカードが、実はひと組のペアで、たまたまひっくり返したら揃ってしまった、みたいな気分。
会社からの帰り道。コンビニに寄ったら、ずっと前に助けてあげたことのある目の不自由なおじさんがいた。買い物をするときにレジの人に声をかけたら、後ろから話しかけられた。「この前はありがとうございました」と。振り向くと例の目の不自由なおじさんがいた。僕の声を聞いただけで解ったみたいだ。目が見えない分、耳が敏感なのだろう、半年以上前のことなのにまだ僕の声を覚えていたなんてすごいな。
「どうってことないですよ。また」
返事をしたとき、視界の外側から何やら視線を感じて振り向いた。例の板チョコをくれた女の子がいた。少し驚いたような顔をした後、恥ずかしそうに俯いた。その赤い顔を見た瞬間、離れた場所にあったひと組のカードが揃ったのだ。目の不自由なおじさんを助けた次の週明け、そのことについて会社で髪の長い女にエレベーターで話しかけられたことを思い出した。その髪が長い女と、目の前にいる板チョコをくれた髪が短い女は、
部屋に帰ると姉貴が来ていた。月に一度くらいの割合で母親が寄越してくるのだ。自分では部屋の掃除も洗濯もちゃんとやってるつもりなのだが、どうも女の目にはそうは見えないようで、あれやこれやと世話を焼きに来てくれる。有難いやら迷惑やら。姉貴が準備してくれた夕食を二人で一緒に食べながら、今回の板チョコの騒動について話をしてみた。「脈ありじゃない」と姉貴は言った。
「いきなり派手な包装をしたチョコを渡しても引かれると思って遠慮してたのかもよ。明日さっそくホワイトデーのお返しをしなさい」
飯を食い終わったあと、姉貴と二人でアパートの近くのコンビニへ行った。菓子は姉貴が選んだ物を購入。
「包装しますか?」
レジの人に言われると、姉貴はそれを断った。
「自分でやります。包装紙とリボンだけください」
デパートで働く姉貴なら、きっときれいに包装してくれるだろう。しかしなぜ
「アンタはおっちょこちょいなところがあるからね。ちゃんとカードに名前とメッセージ、それからケータイの番号を書いて、箱にテープで貼りなさい。そしたらあたしが包装してあげる」
「カードならコンビニ袋に入れたらいいじゃん」
「だからそれが心配なのよ。もし失くしたらどうするの。せっかくのチャンスを棒にふるかもよ」
仕方がない。姉貴の言う通りにしよう。部屋で姉貴に包装してもらい、鞄の中にしっかりとしまい込んだ。これで忘れることは絶対にない。
「明日どうなったか電話してね。必ずよ」
姉貴はそう言って笑いながら帰っていった。今夜は早く寝ることにしよう。早めに出勤して、会社の入り口で彼女を待つんだ。上手くいくといいな。そう思うとますます寝付けなくなってくる。早く彼女の喜ぶ顔を見たい。離れている場所にあった二つのカードが、実は
ビタースウィート・ラプソディー 如月トニー @kisaragi-tony
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