第12話

最終話



     歌祈へ。



   ☆



 リトルトーキョーでのデートは破局したよ。

 前に歌祈も言ってたように、まだ付き合ってもないのに破局もへったくれもないんだけど、ね。

 リトルトーキョーという街、それ自体はなかなか面白かったよ。「東京」というよりは、どちらかというと横浜の中華街に近い趣の街ではあったけど、久しく見てなかった味噌や醤油や納豆、日清のカップラーメンに永谷園のお茶漬けなんかがあって楽しかった。自分で車を運転するようになったら、きっとここに食べ物を買いに来るだろうなって思った。レストランも和食系のお店が多くて、ファーストフードばかりのアメリカの店とは明らかに味が違って美味しかった(日本ともまた少し違ってはいたけどね)。雑貨屋さんも面白かったし。

 でも、肝心の彼はちっとも面白くなかったんだ。


 あれは彼が好きだっていう照り焼きのお店に寄った時の事だった。

「やっぱりダメだ、あたしは音楽の趣味が合う相手じゃないと」ってつくづく思ったんだよ。それだけじゃなかった。彼、ランチのついでに、

「一杯だけいい?」って言ってビールを頼んだんだ。まだ昼間なのにだよ? その時点でもうゲームオーバーだったね。それから、歌祈の質問にもあったとおり「日本での事」を話したんだ。もちろん、「親父を殺した」とはさすがに言えなかった、「乱暴されそうになったところにたまたま母親が帰ってきて助けてもらった。それが理由であたしはアメリカへ来た。母親と父親はその後別れた。母親は仕事の関係でまだ日本にいる」、みたいなボカした言い方しかできなかった(もし相手が心から信用できる相手なら、きっと本当の事を話すと思う、話すと思うと言うよりは、むしろ本当の事を知ってもらってからでないとキチンとお付き合いできないと思うの。でも、その彼には正直そこまで心を許してなかったし、だから自然とそういう言い方になってしまったんだ)。ただし、ユータの事に関してだけは極力正直に話した。そしたら彼からこう言われちゃったんだ。

「君が父親にされそうになった事に関しては特に言及しない、いかなる理由があろうとも、そればかりは父親が一方的に悪いと思う。日本で一緒に受験勉強をしていたボーイフレンドの両親を、里親のような存在だったと思っている、強く感謝している、という気持ちも理解できる。でも、その日本のボーイフレンドに対する気持ちだけは全く理解できない。女の子って、普通はもっと切り替えが早いと思うんだ。それとも日本の女の子ってみんなそうなのかい?」って。

 きっと、あたしの言い方にも問題はあったんだとは思う。でも、何度も言うようにその彼にはそこまで興味がなかったし、言い方に問題があったせいで誤解されたのだとしても、それならそれでもう構わないと思って正直に言ったんだ。

「分かってくれないならそれでも構わない。あたしとしてもリトルトーキョーに興味があっただけで、あんたに興味があったわけじゃないから。それにたとえ一杯だけだったとしても、昼間から酒を飲むようなヤツはこっちから願い下げだよ」

 その彼、明らかに腹を立てた。一瞬、殴られるかと思って身構えちゃった。でも平気だった。帰りの足は自分の力でなんとかする覚悟でキッパリそう言い放ったんだけど、一応家までキチンと送ってくれたしね。でももうそれきりだった。今ではバイト先で仕事の話しかしない間になっちゃったよ。後腐れもないしサバサバしていて清々しいや、むしろ逆にこの程度で済んで良かったってつくづく思ったよ。


 質問にあったように、今のあたしがユータをどう思っているかについて、これから詳しく書こうと思う。

 正直に言うと、ユータの事は今でも好きなんだ。あれだけ濃厚な時間を共に過ごした相手を、忘れるなんてできるわけがないよ。あの頃のあたしたちを正しく理解してくれている人なら誰にでも分かってもらえる事だと思うんだけど、あたしたちは嫌いで別れたわけじゃないしね。それに、なんと言っても当時のあたしにとって唯一の救いだったお兄ちゃんに、ユータは性格もそっくりだったし。もう、あたしにとってユータは、元カレと言うよりは血の繋がっていない兄のような存在なのよ。


 あたしには確信してる事が一つだけあるの。もしも仮にユータから、

「病弱な俺の母親から何から、日本にある物は全部棄ててロサンゼルスへ移住すると約束する。だからせめて高校を卒業するまで待っててくれないか?」だなんて言われたりしたなら、あたしはきっと抗えないに決まってるって。そして、ユータならそれぐらい言い出しかねないって事も分かってるんだ。なんと言ってもアイツの優しさは底なしだからね。それにもう一つ、もし仮にユータが本気でそう言い出したら、きっとユータのおばさんもおばさんで、

「お母さんの事はもういいから、アメリカでコスモちゃんと幸せに暮らしなさい」、きっとそう言い出すに決まってるって事も分かってるの。あの一家のお人好しっぷりは折り紙つきだからね。頭のいいユータにとって言葉の壁なんて大した問題じゃない事も、ただ単純にアメリカで暮らすだけならどうとでもなるだろう事も分かってる。でも、それで果たしてあたしたちが本当に幸せになれるかどうかに関しては自信がないんだ、むしろ逆に不幸になるだけのような気がしてならないのよ。その事を、何もかも全部、分かっているからこそ、「あたしの事はもう忘れてください」って自分の方からユータを突き放したのよ。そう、歌祈ならもうお見通しだよね? あたしはユータを好きで好きで仕方ないからこそ、不幸になって欲しくなくて突き放したのよ。もしもユータにこんな心の弱気を知られたなら、ユータは間違いなく、あたしを探し求めてなりふり構わずアメリカへやって来るに決まってる。こんな事、信用できる人でなければとてもじゃないけど打ち明けられない。逆に言うなら、つまり、こんな事を打ち明けられるのは世界でただ一人、歌祈だけなんだよ。それに歌祈も知ってのとおり、ただでさえユータには、成績の悪いあたしに合わせてもらって、そして酒癖の悪い親父から避難する意味も込めて、本当なら私立の進学校へ行くはずだったのに毅の家のすぐ近くのM高へと進学先を譲歩してもらっているんだ。そんなユータに、もしも「アメリカで一緒に暮らそう」だなんて言わせてしまったなら、今度は人生までもを譲歩させてしまう事になる。さすがにそればっかりはできない。もう、絶対にできない。つまり、あたしにはもうアメリカで自立して強く生きていくという事以外に、選択肢がないのよ。そしてそれがユータへの何よりの恩返しでもあるのよ。それに何より、ユータはユータで、きっと一生、「三年生お別れ会」の時にMCでお兄ちゃんの話をしてオヤジに火を注いでしまった事を引きずる事になると思うの。それを引きずって気に病んでるユータとヨリを戻しても、あたしもあたしで、きっと心を病むようにになるだけだよ。一体それでどうして、他に頼れる人のいないアメリカであたしたちが幸せになれるというの? 無理に決まってるじゃん。


 でも、でもね、ユータと過ごした時間は、もう完全にあたしの血肉の一部になってしまってもいるのよ。ユータがいなかったら今あたしは生きていないし、存在すらしていない。だってユータは命の恩人のようなものだもの。ユータを思い出さない日はきっと一生訪れないよ。思い出す時間そのものが少なくなる事はあっても、その時間が完全になくなるなんて事は間違いなく永久にないよ。

 例えばの話、どんなロックバンドにだって長いか短いかは別として、旬の時期って必ずあるでしょ? そしてそのバンドのメンバーが、旬だった時期を忘れるなんてあり得るわけがないじゃない。あたしとユータにとっての旬の時期は、ツーショットの写真を撮った「三年生お別れ会」の時だったのよ。バンドの旬の時期なんて華のある話に例えるにはあまりにもはかなすぎて、悲しくなるくらい一瞬の出来事だったけどね。それともう一つ、旬の時期を過ぎて解散したロックバンドの再結成なんて見苦しいだけじゃない、あたしとユータの再結成も、きっと同じように見苦しいだけだよ。でも、「ユータに助けてもらった命をもう二度と粗末に扱わない」、その決意を日々改めて確認するためにも、ユータと過ごした時間を象徴するこの写真だけはいつでも見れるように手元に飾って置きたいの。

 前に何度も話したとおり、あたしは春休みに運良くユータと仲良くなれた。もし始めて知り合ったのがクラスだったなら、あたしたちが付き合うなんて事にはならなかったはずなんだ。そもそもとっくに森戸神社の海に身を投げて死んでいたかも知れないんだし…。

 新学期が始まって、ユータとクラスが同じだって事が分かった時、正直あたし、「あ、終わった」って思ったんだ。「きっとお兄ちゃんの彼女さんと同じように、ユータもあたしを見捨てて離れていくに決まってる」って。でもユータは離れなかった。むしろ逆にあたしが親父に顔を殴られて学校を休んだ時、「一緒に学校へ行こう」って、普通に迎えに来てくれた。あれじゃあまるきり正義のヒーロー、救世主、王子様、ううん、いっそ神様と言っても過言じゃないぐらいだよ。ここまでしてもらって、ユータに惚れない女なんているわけがないよ。もしもいるなら、お金を払ってでもいいから会って顔を拝ませてもらいたいぐらいだね。もし本当にそんな女がいたら頭おかしいよ、絶対どうかしてるって。もちろん、あんな良家のお坊ちゃんみたいなユータと、あたしみたいな自他ともに認めるおてんば娘がつり合うわけがない、身分違いも甚しい、そんな事はもう言われなくたって分かってた。けど、それでももう「好きだ」って気持ちに、まるで海に向かって下り坂を駆け落ちる自転車みたいにブレーキがかけられなくなってた、…まったく、「恋に落ちる」とはよく言ったもんだって、学校サボって一緒に海へ行った時つくづくそう思ったよ。ユータが迎えに来てくれた日の夜、あたしお兄ちゃんがまだ買ったばかりのピカピカの新品だったブラッキーを愛おしそうに抱きしめているこの写真を見ながらガン泣きしたんだ。

「お兄ちゃん、あたし好きな人ができたよ。その人ね、お兄ちゃんに性格がそっくりなんだ。いっそお兄ちゃんの後を追ってあたしもそっちへ行こうかと思ってたんだけど、ああ、生きてて良かった」って。あたしはこの日この時の気持ちを、もう、絶対に忘れたくないの。

 もちろん、あたしだって新しい彼氏ぐらい欲しいよ。でも、それとこれとは問題の次元がまるきり違うの。もしも将来、「この人だ!」と思える彼氏と出逢えたなら、あたしは親父を殺してしまった事と、ユータを今でも好きだって事、それから、たとえどんなに好きだったとしても、復縁したところで幸せにはなれないと分かっているって事、その事をキチンと正直に話そうと思っているの。あたしのこんな気持ちをちゃんと正しく理解してくれる人とでなければ、きっとあたしは男女の交際はできない。今回のリトルトーキョーの件で、あたしにはその事がすごくよく分かったの。彼には悪い事しちゃったなって、正直少しは思ってはいるけど、それが分かっただけでも少なくともあたしにとっては収穫だった。

 …いつか、そんな人が現れてくれるといいんだけど、こればっかりは虫が良すぎかな?

 …まだ新品だったブラッキーを抱いているお兄ちゃんと、そんなお兄ちゃんを真似して形見のブラッキーを同じポーズで抱いてるユータ、この二つの写真を並べて飾っても嫌な顔一つしない人なんて、やっぱり現れそうにはないかな?

 …ユータと笑いあいながら撮ったこのツーショットの写真だけは、やっぱいつか届かない引き出しにしまわなくちゃならない日が来るのかな?


 それから、お兄ちゃんの形見のギターについてなんだけど、これに関してはもう、アメリカに渡った時点で諦めてたんだ。あたしね、実はユータのおばさんから、こんな話を聞かされた事があったの。

「うちの優太、いつか高校になったら自分でバイトして稼いだお金で、あのギターを譲って欲しいってコスモちゃんに伝える気でいるんだって」って。もしもあたしたちが別れる事なく、あのままM高へ行っていたなら、きっとユータは本当にそう言ったんだろうね。でももし仮にそう言われたなら、あたし、こう返事する心算こころづもりでいたんだ。

「お金はいいよ。とにかく、いつかあたしが返してって言う日まで、好きなだけ弾いてな。それに、もし仮にあたしが返してって言う時は、それはもうあたしたちが別れる時だよ」ってね。結果は知ってのとおり、返してと言う間もなく終わっちゃったんだけど、とにかくもう、アメリカに来た時点でブラッキーの事は諦めようと決めたんだ。天国のお兄ちゃんも、ユータが弾くならきっと喜んでくれるだろうし、ね。ま、もっとも、いつか出会うかも知れない素敵な誰かから、「この写真に写っているギターを俺に弾かせろ」って言われたとしたなら話は別かも知れないけど…。事実、あたしはユータにこう言って形見のブラッキーを貸しているのだし。

「あたしがいつか返してっていう日まで、好きなだけ弾いてていいから」ってね。


 そういえば前回の手紙なんだけど、香水変えたでしょ? あたしはカルバン・クラインのエタニティーだと思ってるんだけど。図星でしょ? 当たってるでしょ? 今回はちょっとばかし自信があるんだ。なんといってもロサンゼルスに渡って以来、あたしも色々と香水をチェックするようになったしね。これは、あれかな、あたしたちの文通が永遠エタニティーに続きますようにって願掛けの意味があるのかな? これまた図星かしら? 当たってるといいんだけど、間違いなら間違いでいいからちゃんと教えて。


 最後になるけど、リトルトーキョーへ行った時のお土産、同封しとくね。見てのとおり、風鈴ウインドベルの形をした桃色のピアス。歌祈、「私もピアス開けようかな?」って前に言ってたよね。もし良かったらこれを機に開けてくれないかな? で、ライヴとか人前で演奏する時は必ずこれをつけてくれないかな? 歌祈が音楽を演る時は、可能な限りあたしもそばに居てあげたいの。もし永遠エタニティーの願掛けの話が図星ならば、の話なんだけど、あたしも念を込めてこの桃色の風鈴ウインドベルの形をしたピアスを送る。だからお願い、必ず使ってね。大丈夫、心配しないで、盗んだお金で買ってないから、ちゃんと自分で稼いだお金で買ってるから。三年生お別れ会の時に、歌祈にステージ衣装として貸してあげた水色の生地にピンク色の風鈴が描かれた浴衣には、なぜか決まって酔っ払いから嫌な思いをさせられるというバッドジンクスがあったんだ。それは間違いなく酒乱の親父の財布から盗んだお金で買ったからなんだよ、…少なくともあたしはそう思ってる(あの浴衣、確かめたわけじゃないから多分だけど、きっと火事で親父の嫌な思い出と一緒にぜ〜んぶ燃えちゃったんだろうね)。でも大丈夫、このピアスは正真正銘、あたしがバーガーショップでバイトした給料で買った物だから、絶対に平気。むしろ悪い気を鈴の音がはね返しくれるに違いないとさえ思えてくる。それよかむしろ、身につけたらならたちまち運気が上がってどんな夢でも叶うような気さえしてくるよ。


 それと、今は二年の子たち(もうめんどくさいから、これからあの子たちの事を話題にする時は"一年の子たち"に統一しない? てゆーかこれもう決定ね!)にこのアメリカのお菓子あげといて。全員に返事を書くのはさすがにキツイし(一体これのどこが贅沢な悩みなのよ!)、これをせめて返事の代わりだと思って受け取って欲しいの。だから一年の子たちには必ずそう伝えておいて。てゆーか前よりもファンの人数増えてない? もしあたしのファンクラブがあるって噂が本当だったとしての話なんだけどさ。まさかこんなにどっさり手紙が来るとは思わなかった。おばあちゃんも驚いてたよ。それとさ、あたし明日からハイスクールが始まるんだ。だから次の手紙は少しばかり遅れちゃうかもしれないけど、でも必ず返事は書くから、その代わり、歌祈も永遠エタニティーの願掛けの話が図星かどうか、必ず答えてよね。それと、話が流れちゃったけど、花より男子の続きもちゃんと教えてよね。

 マーガレットよりも楽しみな歌祈からの手紙、待ってるからね。


 Go for it for your dream ! See you later. bye-bye!

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遠い海から来たエア・メール 如月トニー @kisaragi-tony

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