第10話 新世界


新世界


 数日経つと人々は普段の日常に戻った。市街地や宮殿内にもいつもの風景が広がり、破壊された街並みの傷跡は現在進行形で徐々に元の形を取り戻している。

 変化があったとすれば、それは人間ではなく、この世界の方だった。

 以前まで空に広がっていた晴天は消え、地平線の遥か彼方まで黒紫の亜空間が続いている。バグやノイズの出現率も格段に増え、『夢の住民トライバー』の襲撃も頻繁になった。

 研究員たち曰く、この現象は《夢境の黎明ヘザルダー》起動による副作用とのことだ。新世界の種子が未熟であったこと、そして元々移送用のものを応用したために生じた不具合らしい。

 あの日以来、仮想都市は出現せず、アップグレードも起こっていない。役員たちは仮想都市に赴いた彼方たちから話を聞きだしたが、真新しい情報はなく調査は滞っている。

 彼方と光も仮想都市のオブジェの中にいた人物のことを伝えなかったことは大きかっただろう。猪熊は離れた場所にいたのでオブジェのことは知らない。

 彼方はオブジェのことを本部に伝えるのを、光から固く口止めされていた。

 光曰く、アップグレードが危険視されている現状で夢の終わりと『夢見人ドリーマー』が密接に関係していることが知られた場合、今後『夢見人ドリーマー』たち――そして七海であった『霊魂タブラ・ラサ』にどのような対処がなされるかを懸念してのことらしい。

 光が怖かった彼方は即座に了承した。一番の理由は、これ以上光や面倒ごとに関わりたくなかったからであるが。それ以降彼方はなにを聞かれても知らん顔を決めた。

 現在『夢遊牧民ノマド』たちは元の暮らしに戻り、『NPC』たちも相変わらずバグやノイズの消去に『霊魂タブラ・ラサ』の捕獲、ときおり侵入してくる『夢の住民トライバー』の撃退に勤しむ。

 壊れかけた夢の中で違和感を覚えながら、誰もが変わらない日常を過ごしていた。


       ◇


 それはふとした興味だった。きっかけはある日のお昼時。任務終了後、帰宅するときに必ず通過するホールを、彼方が他の隊員たちと一緒に歩いていたときである。

 一人だけルートを外れて別方向に進む光を見た。そのときは偶然と思ったが、気づけばいつも決まって同じ時間にどこかに向かう光が目に入るようになった。

 神妙な面持ちで、それでいて人にぶつかるのも惜しまずズカズカと突き進んでいく質の悪い当たり屋みたいな足取りに、彼方はいつしか興味を覚える。

(あいつ、あの日以来ずっとあの調子だけど……毎日どこへ行ってんだ?)

 あの日というのは無論、先日前代未聞のアップグレードが起こった日だ。一度や二度ならともかく、毎回同じ姿を見るとさすがに不信感を抱く。

 そんな蟠りを解消すべく、彼方は決心すると静かに光のあとをつけてみた。

 辿り着いた先は『夢見人ドリーマー』育成施設。どうやら昼時でも施設の隔壁は開放されているようだ。そこには『夢見人ドリーマー』はもちろん、研究員や隊員たちも出入りしている。

 彼方は廊下を突っ切って奥の実験施設へ出る。今が昼食時間のためか、以前来たときよりも人口が減り、人通りも少なかった。彼方は手すりに近寄って下方を眺める。

中央に『霊魂タブラ・ラサ』――以前七海であったものが、装置の中に厳重に保管されていた。その前で光は装置に臨んでいる。彼方は静かに階段を降りると背中に近寄った。

 警戒心のない哀愁漂う背後に陣取るや、すぐに小さな囁きが聞こえてくる。

「でね、役員がしつこく仮想都市のこと聞いてくるの。ほんとマジウザいのよね。クソの役にも立たないくせに、誰がテメーらなんぞに情報渡すか。あの連中早く死なないかしら」

 光は無機質な機械に向かって物騒な独り言を呟いていた。

 返事がないにもかかわらず、光は一人楽しげに、一生懸命虚空に向かってしゃべり続けている。墓石に向かって語るようなその姿に彼方はショックを受けた。

 普段と比べて頼りない背中を見るのは忍びなく、彼方はそそくさと引き返す。

「用があったからつけて来たんじゃないの? このストーカー」

 不機嫌な声音に彼方は委縮した。振り返ると光がこちらを睨みつけている。しかしその眼光には気力がなく、言葉も辛らつだが声量にも覇気はない。

 かといって光の様子が気になったと言えるはずもなく、彼方は言い訳が思いつかず慌てた。そんな彼方に、光は自分の抱えていた不安がただの思い過ごしだと確信する。

「その様子だと仮想都市でのことは誰にも話してないみたいね。巨漢もあれを見てなかったようだし。……実は私なりにオブジェの中にいたあの女について考えたんだけど。あの凄まじいフィールド――多分あれ、一つ前の世界の新『夢見人ドリーマー』候補よ」

 いきなり話し始める光に戸惑いつつも、彼方はその回答にさほど驚かなかった。

あの強大なフィールドと尋常でない量のパルスから、女性が『夢見人ドリーマー』に匹敵する能力者であることは容易く想像できたからだ。この機会に彼方も私見を述べる。

「俺も……自分が同じ場所から出てきたことが気になってる」

「つまりあれが『夢見人ドリーマー』なら、同じオブジェにいた私たち『NPC』も、前の世界では新『夢見人ドリーマー』候補だったかもしれない……てことかしら?」

 見事に的を射た回答に彼方は首肯した。光は顎に指を添えるとさらに考察する。

「もしあれが本当に新『夢見人ドリーマー』候補なら、いずれこの世界の『夢見人ドリーマー』も同じ目に遭うかもしれないわね。今はまだ人間として扱ってるけど、特に期待してた新『夢見人ドリーマー』候補を失った今、役員どもがそれを知ったら、いつとち狂うか知れたもんじゃないわ」

『予定時刻になりました。リセットを開始します』

 煩わしげに光が親指の爪を噛んだとき放送が流れた。アナウンスが終わると駆動音が轟く。空気を震わせる音波に彼方が眉をひそめると、光は思いだしたように言った。

「ああ、そういえば今日だっけ。『イクリプス』の修理」

「今日……? あのAIになにかあったのか?」

 任務と自分のこと以外に関心がなかった彼方は、知り得ない情報に首を傾げる。

「この前のアップグレード以来調子が悪いみたいで、一旦リセットして修理するらしいわよ。なんでも譫言を言うらしいわ。えっと、なんて言ってたっけ……」

 と、光が記憶を探っていると、不意に奇妙な機械音声が流れた。

『んぁ――た。――か、た――』

「ああ、これよ。タイミングいいわね。なんかずっとこんな調子で同じ言葉を繰り返してるらしいわ。いろいろ調べたみたいだけど、どこが悪いのかわからないって話よ。人工知能搭載の最新機器がこの調子じゃ、先が思いやられるわね」

 呆れた様子で光は言った。確かに機械音声は譫言を繰り返している。

 その一方で彼方は一人凍りつくと、突然近くにあった適当な機械のスピーカー部分に耳を押しつけた。と思いきや、物凄い形相で光に振り返って怒鳴る。

「おい! ここに耳くっつけろ!」

「は? んなことしなくても十分聞こえるでしょ。てかなにしてんの? キモい」

「いいからやれって! 早く! ほら彼方って!」

「痛っ⁉ ――テメェ調子こいてんじゃ!」

 なぜか自己紹介しつつ、彼方がこちらの頭を両手で掴み、叩きつけんばかりにスピーカー部分に押しつけられて光がブチ切れかけたそのとき、光は硬直する。

『な――た。か――た。かな――彼、方――……』

 キンキンの機械音声に混じり、七海の肉声が何度も『彼方』と繰り返していた。

「このしゃべり方、発音……七海の声⁉ でもなんで『イクリプス』から……?」

「え、そこまでわかんの……? 俺はただ、入江の夢の中と、『イクリプス』が夢の終わりを宣言したときに二回、この声を聞いたって言おうとしただけなんだけど……」

 光の気持ち悪い特技に引きつつ、彼方は以前聞いた幻聴が本物だと確信する。初めてアップグレードを目撃したとき、確かに『イクリプス』は『KANATA』と言っていた。

「それが事実だとして、なんで七海があんたを呼ぶの?」

「いや、そこまでは知らないけど……それよりもう一つ気になってたことがある。入江の魂は《夢境の黎明ヘザルダー》になったとして、じゃあ人格はどこ行ったんだって」

 消えたではなく、どこに行ったという彼方の言い方に、光はすべてを悟って驚愕した。

「……まさか、七海が『イクリプス』に乗り移ったなんて言うんじゃ」

「入江が俺のいた世界を創造したとき『イクリプス』と同調してたなら、俺が覚えてる限りこの声を聞いたのは、入江が『イクリプス』と同調してたときだけだ」

「でも今はその七海がいない。なのに声が聞こえてるってことは、まさか……!」

「さっきリセットを開始するって言ってたよな⁉ 場所は――」

 彼方が聞くよりも光は先に走りだす。盲目的に駆けだした光に呆気に取られるも、彼方はすぐにハッとし――邪悪な笑みを浮かべると、急いであとを追った。


       ◇


 普段研究員しかいない『霊魂タブラ・ラサ』保護施設には宮殿直属の作業員がいた。大規模な修理ということで『霊魂タブラ・ラサ』はすべて別の場所に移され、ケースはもぬけの殻である。

 作業員たちは施設内にある固く閉じられた隔壁の向こう、『イクリプス』のコントロールルームで、他の研究員たちの指示のもとリセットの準備を進めていた。

「ちょっと待ちなさい!」

 そこに鋭い叫びとともに光と彼方がコントロールルームに飛び込む。作業員たちは振り返ると、二人の後ろで蹴散らされた隊員たちや他の仲間を見てぎょっとした。

「な、なんだお前ら⁉ ここは関係者以外立ち入り禁――」

「すぐに『霊魂タブラ・ラサ』を機械にセットしなさい!」

 叱咤する作業員を遮ると光は〈波動銃サージブラスター〉を突きつけ、フラスコ型の機械を促した。

 本当は『夢見人ドリーマー』育成施設にある七海の『霊魂タブラ・ラサ』を使いたがったが、準備する猶予がないため光は妥協する。だがその道に精通していた研究員は度肝を抜くと首を振った。

「む、無理だ、今ここには『霊魂タブラ・ラサ』がない! 別の場所に移した!」

「じゃあ今すぐリセットを中止して!」

「全自動なんだぞ、終わるまで停止できるか! さっきからお前らなんなんだよ⁉」

 研究員の問いに光は答えなかった。それよりも八方塞がりの状況に顔を歪ませる。

残された選択肢は一つしかない。短い葛藤の末、光は苦渋の決断を下す。

「ならそれでもいい――機械を『イクリプス』と接続して『霊魂タブラ・ラサ』なしで起動して!」

「繋ぐって――あなたなにをする気なの⁉」

 意味不明な光の指示に研究員たちは混乱する。だが彼方には光の思考が読めた。

(あいつ――『イクリプス』から入江の『精神データ・ゴースト』だけ抜き出そうとしてんのか⁉ でもその状態であの機械を動かすって――ああ、なるほど。そういう方法か)

 本来なら『霊魂タブラ・ラサ』と『精神データ・ゴースト』をかけ合わせることで人間の姿に戻る。

 それを光は、『霊魂タブラ・ラサ』はないままに、七海の『精神データ・ゴースト』のある『イクリプス』ごと機械につないで、普段通り機械を起動させろと言うのだ。それはつまり――

『リセット完了まで残り一分』

「早くやりなさい! もう時間がないのよ!」

 彼方が光のやろうとしていることに気づいて不敵に口角を上げていると、ついに機械音声がカウントダウンを始めた。気が立っていた光はトリガーに指をかけて急かす。

「わ、わかった! わかったから落ち着け、今やるから!」

 今にも〈波動銃サージブラスター〉を撃ちかねない光に研究員たちはすぐに動いた。直後に外から慌ただしい足音が響く。二人が振り返った瞬間、武器を構えた隊員たちが押し入ってきた。

「侵入者はあの二人だ! 捕らえろ!」

 二人を見るなり隊員たちは発砲した。彼方と光が即座にバリアを張ると、束になった光線が防壁に直撃してスパークが爆ぜる。その横で研究員が泣き言を漏らした。

「だ、ダメだ! 繋いだが起動に時間がかかってリセットまでに間に合わない!」

「はあ⁉ テメふっざ……早くなんとかしなさい! それともここで殺されるか⁉」

 次々と食らう足止めに光は憤慨する。だが脅したところで結果は変わらなかった。

「そんなこと言われたって無理なものは無理だ! 一度電源を落としたんだ、どうしても電力が完全に復旧するのに時間がかかる! もう諦めてくれ!」

「電力がないなら作りだすまでよ!」

 もはや逡巡はしなかった。光は即座にデバイスからバッテリーを取り出す。しかし手中に現れた分を見るなり、光はまたもや厳しい顔つきで歯ぎしりした。

「嘘っ、バッテリーもうこれ一個しか残ってないの⁉ しかも残量が――」

 いつもならストックを何個か用意してあるのに。ここ最近任務で消費が多かったことが災いする。また、バッテリーは自身のエネルギーを少しずつ蓄えて充電するため、そう易々とストックが確保できる代物でもない。

 だがここで諦める光ではなかった。バッテリーを機械に向けると意識を集中する。

刹那、莫大なパルスが蟠ると高密度の青い閃光とスパークが迸った。放電はのたうつと火花を散らし、手中に凝縮されたエネルギーの塊が現れる。

 だが機械を動かすにはまだ足りない。光は自身のバリアにも意識を向ける。

 即座に光のフィールドが希薄になった。光は自分の防壁に充てられているエネルギーをも機械に送ろうとしているのだ。今やそれは木漏れ日ほどの淡いベールでしかない。

 光はバッテリーを拳銃の如く構えると、眼前の機械に照準を定めて目を細める。

 瞬間、背後から放たれた野太い光線が光のバリアに被弾した。

「ガッ……!」

 限界まで薄れていた防壁は他愛もなく破れ、がら空きの背中に光線が直撃する。光は短い悲鳴を上げると着弾の衝撃で大きく仰け反り、バッテリーを手離してしまった。

 光は倒れながら後方を見る。そこには〈波動銃サージブラスター〉を構え、一斉射撃をしたと思われる隊員たちが銃口をこちらに向けていた。

 光はバッテリーに手を伸ばす。しかしノイズに侵食されて上手く体が動かない。

「な、な……み……っ!」

 親友の名を呼びながら光は痛恨の痛手に絶望した。リセット開始まですでに一分を切っている。光はあまりのショックに目の前が真っ暗になっていった。

「エネルギーがあればいいんだな⁉」

 暗転しかけた視界に一筋の光明が差す。光は俯きかけていた顔を上げた。

 そこには光が手放したバッテリーを拾う彼方がいた。途絶えたはずの青い閃光は変わらず迸しり、代わりに彼方を防護するバリアが極端に色褪せる。

「あいつも仲間だ! 早く撃て!」

 弾けるスパーク量に尋常でない事態と判断したのか、仲間たちは言われるがまま立て続けに彼方へと光芒をぶっ放す。光はそれを見逃さなかった。

 光はデバイスから球体を出すと彼方に投げる。途端に球体は起動すると疑似フィールドを展開し、束になって放たれた光線から彼方を守った。

 光線は丁度ひし形に展開されたバリアの角に直撃すると、四方に分散して周囲に飛び散り、被弾しそうになった研究員や作業員たちの悲鳴が響く。

 光線は周辺の機器に被弾すると激しく火花を散らした。それが彼方の放出するパルスや放電と交わって特殊なエフェクトがかかり、大袈裟な演出を施す。

 光は致命傷ながらも、隣にいる彼方に猜疑の目を向けた。

「……やけにやる気じゃない。いつもは臆病なくせに。どういう風の吹き回し?」

「俺が落ち込んでたとき、入江はこの世界で夢を見つければいいって教えてくれた。だから今度は――俺が入江を助ける番だろ」

(入江が消えて、もうこの世界に希望はないと思ってたけど……でももし入江が生き返れば、また《夢境の黎明ヘザルダー》を創るはず。そうすれば俺の夢の実現も――)

 そんなことを目論んでいるとも知らず、光は見直した顔で彼方を見つめた。

また彼方も光の心変わりを知る由もなく、先程の光と同様にバッテリーを構えると、全身から湧きだしたパルスごと思いっきりフラスコ型の機械にぶつける。

 室内を青い雷撃が照らし、パルスが機械へと吸収されていく。一同は凄まじい衝撃に吹き飛ばされぬよう、各自で防壁を張って踏ん張った。

 機械はエネルギーが送られたことでようやく稼働する。だがそれだけだった。

 ただ光輝が増してエネルギーを激しく消耗するだけ。すでに彼方はノイズに汚染されて消滅しつつあるというのに、未だにそれらしい反応はない。彼方は歯噛みする。

(クソ! 機械も動いて、力だって限界近くまで放出してんのになにも起こらねぇ! ありったけのパルスを注いでんのに⁉ どうして入江の姿が現れ――……姿?)

『これはデバイス。想像したものの具現化を助けてくれる道具だ』

 胸中で何気なく呟くと、いつしか美月の言った言葉が脳裏を過ぎる。

(足りないのはエネルギーじゃなくて、俺のイメージ――?)

 自覚するや彼方はかつてないほどにデバイスへと意識を集中させる。するとみるみる空間に回路図が伸び、やがて機械に到達すると、侵食するようにまつわりついた。

 全身がノイズに侵されるのも気にせず、一心に脳内で七海の姿を鮮明に思いだす。

(思いだせ、あの顔と姿形を――パルスと一緒にイメージを注ぎ込めッ!)

 彼方の切望と共鳴するように、膨張したパルスが機械全体を駆けずり回る。凝縮したパルスは回路図を高速でなぞると機械へ流れ、凄まじい波動が視界を埋め尽くした。

 淡く濃厚な波動の中心で、誰もが人型の影が構築されていくのを目撃する。

 光は翳していた手を退けると、揺らめく人影を認めるや一心不乱に飛びだした。

「これはいったい――⁉」

 騒ぎを聞きつけた稲垣や美月、多数の部隊と研究員たちはコントロールルームに到着するや、視界を覆う膨大な閃光に目を丸くした。そこに平坦な機械音声が流れる。

『リセットが完了しました。みな様、ご協力ありがとうございました』

『イクリプス』が淡々と完了を告げると閃光は収まり、場が静まり返る。美月は光と彼方を捉えると急いで前方に踏みだし、息を呑んだ。そこにはノイズにまみれて今にも消えそうな彼方と、機械の前で崩れる光――そして純白のドレスを着た少女が一人。

「ん、んっ……あれ……? 私、どうしてここに――光?」

「七海――よかった。七海……っ!」

 意識が戻った七海は薄目を開けると、涙声で小さく震えながらも、しっかりと自身を抱き締める光を見て夢現で呟いた。稲垣は眼前の光景に唖然とする。

「『NPC』が人間を作りだした――信じられん。なにが起きた⁉」

「多分、増大したパルスと入江のイメージを機械に送ったんです……そして『霊魂(タブラ・ラサ)』なしでインプリンティングを――入江を『精神(データ・ゴースト)』として蘇えらせた――」

「なっ……んという、ことだ……。こんな奇跡が起こるなんて――」

 目の前で起こった奇跡に呆然とする稲垣に、光が言う。

「でも七海に『霊魂タブラ・ラサ』は入れられなかった。今の七海に『夢見人ドリーマー』の能力はもうないわ」

 光の衝撃の発言に、稲垣は到底一言では言い表せないほどのショックを受けたが、それ以上に七海が人の姿で生きてそこにいるという事実に喜びを覚えた。

「そうか……もうこの子に苦しい思いをさせずに済むのか。人として生きられるのか」

 稲垣は安堵の息をつくと、そっと静かに呟いた。そのとき美月が叫んだ。

「おい、笠木が消えかけてるぞ! 大丈夫か⁉ すぐに治療室へ運べ!」

 隊員たちは現状を把握すると〈波動銃サージブラスター〉を下ろして成り行きを見守った。

 すぐにその後ろから医療班が現れると消えかけている彼方の方へと駆けつける。

 彼方の全身はノイズに浸食され、少しでもエネルギーを使おうものなら刹那に消滅しそうだった。彼方はその状態のまま、互いに涙を流しながら笑い合う光と七海を見る。

 今まで見たこともなかった幸せそうな光と七海の笑顔を見て、思わず笑みを浮かべた直後、彼方はノイズに飲み込まれていった。彼方の名前を呼ぶ声を遠くに聞きながら。

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The Broken Dream 夢の覚醒 智二香苓 @57pt6mj

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