第9話 アップグレード

 司令塔に歪なアラームが響き渡る。『夢の住民トライバー』の襲撃を受けてから立て続けに鳴った警報に誰もが悲報を連想した。そして皮肉にもその予想は的中する。

「仮想都市から高エネルギー反応を感知! 現在も数値を高めています!」

「まだ予定よりかなり早いぞ! どういうことだ⁉」

 急転直下した状況に研究員たちは騒ぎだす。役員たちに至っては口から泡を吹いて卒倒しており、まったく使い物にならない状態だった。

「⁉ 潜入部隊が転送されました! 座標は――ここです!」

 報告されると司令塔中央の転送着地地点にパルスが渦巻く。室内がパルス色に満たされると、閃光に紛れて猪熊と彼方と光が転送された。稲垣は急いで駆けつける。

「っ! おい、なぜ三人だけなんだ⁉ 他の隊員は、アップグレードの阻止は⁉」

「作戦は失敗です! 早くここから逃げて――」

『アップグレードが開始されました。各自衝撃に備えてください』

 猪熊の悲痛の叫びを機械音声が遮る。悲報に稲垣が弾かれたようにスクリーンに振り返ると、そこには限界まで光束を凝縮させた仮想都市が映っていた。

 途端に仮想都市は爆炎のように爆ぜ、前代未聞の光明を放つ。

 激しい閃光にホワイトアウトし、視界から世界が消滅したのも一瞬。更新を開始した仮想都市は物凄い勢いで電子回路を伸ばすと、サイバースペースを拡張した。

 残像は電子回路に沿って音速を超えるスピードで接近すると、刹那にしてバロディナルに直撃し、爆撃音とともに国を覆っていたドームを一瞬で半壊する。

 岩山を砕くような轟音が響くと、崩壊したドームの隙間や細かな亀裂から残像が凄まじい風切り音を立当てて流れ込み、国内に突っ込んでいった。

 それでもドームはなんとか防壁を保ち、間断なく接近する残像を可能な限り弾いた。

 アップグレード開始時にだけ激しく瞬いた第一波の光束が徐々に弱まると、無限の残像が怒涛の如くドームにぶつかる光景がスクリーンに広がる。ドームの外側は閃光と前代未聞の残像に埋め尽くされ、それ以外の風景を映さない。

『うっ――ああああああああああぁっ⁉』

 激痛に呻くような痛々しい悲鳴に一同は震え上がる。誰もが何事かと急いで声の方を見ると、玉座を映すモニターの中に頭を抱えて絶叫する七海を発見した。

 いっそのことドームが相殺されていた方がどれほどよかっただろう。あれほどの威力を中途半端に耐え、目も当てられないほどに破壊されて、バリアを展開している本人にどれほどのダメージを与えたのか。七海はとち狂ったように喚き散らした。

「七海……っ!」

 苦しがる親友の姿に光は青ざめて叫ぶ。しかし見ていることしかできない。

国の各地で待機していた隊員たちはすぐにフィールドを展開し、即座にドームの破損個所を補った。だがそれも気休め程度にしかならず、すぐに相殺されてしまう。

 アップグレード終了まで残り数十秒。ドームは全体に細かな亀裂を走らせると、重圧をかけられたように圧縮されてひしゃげていく。綺麗な曲線を描いたラインは凸凹に陥落し、ひび割れたか個所から一気に崩壊して、瞬く間に押し潰されていった。

 電子回路は亀裂から国内に侵入して残像を発信する。圧縮によって中心へ迫ったドームの壁は都市内の建築物を薙ぎ倒し、『夢の住民トライバー』と隊員たちを呑み込んだ。

 窮地を迎えていたのはバロディナルだけではなかった。今や終焉の光輝は砂漠地帯を超え、空も、大地も、空間も、他国すらも呑み込み、この世のあらゆる存在を抹消する。

「もうダメだ、ドームが収縮していく! みんな消えるぞ!」

 誰かの上げた悲鳴に便乗し、そこかしこから泣き言が相次いだ。稲垣も為す術がなく、壊滅していく国を見ながら悔しげに歯を食いしばる。

『『夢見人ドリーマー』育成施設の天井を開放します』

 騒音に紛れて機械音声が告げると、どこからともなく駆動音が響いた。

 頭上のスクリーンに『夢見人ドリーマー』育成施設の天井が開放される様子が映しだされる。そこにあるのは無数の睡眠装置と、四方の壁に埋め込まれたパルス増大装置。

 そして全方位に視界が霞むほどの眩い情景が広がる中、球状のフィールドに収められた漆黒の小宇宙――《夢境の黎明ヘザルダー》が公衆に晒された。

 それは新『夢見人ドリーマー』候補の入江七海が生みだした、未成熟の新世界の種子。

「やっ……やめろ! なにをするつもりだ入江君⁉」

 稲垣は胸騒ぎを覚えるとすぐに作業を続行する七海に叫んだ。しかし七海は首を振る。

『もう、これ以上フィールドは持ちません……っ。このままだと、みんな消えてしまいます! ――だから、一か八かですが……』

「そんなことを言ってるんじゃない! それは君の魂そのものだ! しかもまだ未成熟。もしそれを起動すれば、君の命の保証も――」

「ダメよ七海、やめて……!」

 稲垣の言葉を遮って光が前に出る。そして七海の視線が光を捉えた直後だった。

 国全体を覆っていたドームが完全に崩落し、夥しい量の残像が内部に侵入する。光彩の大波は次々と崩れた景色やビル群、市街地へと重なり、その存在を葬った。

 無限の残像は異物である『NPC』とは交わらず、幾度も脆い肉体を突き抜けてその存在を消し去りながら対象物へと合する。絶え間ない残像の直撃に『NPC』は瞬く間に色褪せ、泡沫のように消滅した。残像と重なった対象も塵芥を残さず消えていく。

『光――ごめんね』

 申し訳なさそうに顔を歪めた七海の頬を涙が伝った刹那、残像が宮殿に衝突した。

残像は内部を突き抜けると稲垣や隊員ら、研究員たちに幾度も重なる。その横で『NPC』たちは世界から弾かれ、跡形もなく霧散した。

「な、な――み……っ」

 世界とともに消えゆく中、光は七海の名前を呼びかけて息絶える。

 その一方で彼方は、視界が別の景色に塗り潰されるのを見た。


       ◇


『《夢境の黎明ヘザルダー》を起動します』

夢遊牧民ノマド』と『NPC』が次々と消失し、世界までもが消えかけていたとき。疾風怒涛の暴風の中、無機質な機械音声がバロディナル全体へと響き渡った。

駆動音が唸ると《夢境の黎明ヘザルダー》と外界を隔てていた球体が消滅し、小宇宙が露わになる。

 凝縮されていた小宇宙は空間に解き放たれると莫大なエネルギーを解放し、さながらビックバンの如く大爆発を起こした。

 何度も創造と破壊を繰り返し、大地が生まれ、風景が流れ、無限の生物が通り過ぎていく。朝昼晩と春夏秋冬が延々と巡る。そんな森羅万象の情景を孕んだ波動が、残像と衝突する形でバロディナルを中心に世界全体に向けて四散した。

 だがやはり未完成の新世界の種子。途中で情景にノイズが走ると、様々な風景が、昼夜が、なにもかもが混迷し、世界の枠組みから外れる。

 やがて《夢境の黎明ヘザルダー》は全世界を覆いながら、同時に得体の知れない不気味な空間を創造した。漆黒の煙霧は無限に放たれる残像を吸い込んで一気に膨張する。

 闇は仮想都市から伸びた電子回路に乗って地平線を駆け抜けると、世界を呑み、ついには仮想都市の強烈な光輝をも蹂躙した。そして完全なる無の境地を創生する。

 閃光と残像の彩りは消え、世界は一瞬にして暗闇と静寂に包まれた。


       ◇


 終焉後の世界さながらに静まり返った中、各地で人々は意識を取り戻した。

研究員や隊長、役員に一般市民――そして『NPC』たちは各自全身を見回すと、先刻まで消えかけていたはずの肉体が元に戻っていることに気づく。

 周囲は次第にざわつき、誰もがスクリーン、または窓際に寄り、外にいた者たちはその場で周囲を見渡す。そこにはアップグレード前の街並みが広がっていた。

 崩れた建築物は元通りに直り、更新によって消滅したはずの『NPC』たちも放心状態で突っ立っている。だが『夢の住民トライバー』との激戦で破壊された場所だけは修正されておらず、戦死者たちの姿もない。どうやら修正されたのはアップグレード直前までのようだ。

 ただ一つ違うのは取り巻く世界。上空の青空も周辺の砂漠地帯も、すべてが黒紫に染まっていた。全体を包む歪な亜空間は地平の彼方まで続く。上空には黒紫の空が広がり、地上のあらゆる光りを吸い込んだ。いつの間にか仮想都市も消滅し、今や見る影もない。

 生き延びた歓喜と異空間に迷い込んでしまった不安が一同の胸中で渦巻く。

「これは……なんということだ」

 第一声を発したのは稲垣だった。変わり果てた世界を前に、どうリアクションを取ったらいいのかわからないという様子で困惑する。

「……七海は⁉ 七海はどうしたの⁉」

 光は我に返ると半狂乱で親友の名を叫んだ。その叫びに誰もがモニターを見る。

 玉座に七海の姿はなかった。足元には肢体に宛がわれていた装置が散乱している。

「おい、誰か新『夢見人ドリーマー』候補を見た者はいないのか⁉」

 叫んだ光に続いて、稲垣も急いで七海の行方を聞いた。しかし人々は呆然と直立したまま、互いに顔を見合わせて首を捻る。

「育成施設上空にエネルギー反応を探知しました!」

 研究員が声を上げた。一気に緊張感が高まると稲垣は切羽詰まった様子で尋ねる。

「反応だと? まさかまだなにかあるのか⁉」

「いえ、違います。この反応は――新『夢見人ドリーマー』候補の反応です」

 宣言と同時に頭上に巨大なスクリーンが表示される。

 一同は顔を上げると、そこに映っていた光景にショックを受けて息を呑んだ。


       ◇


 育成施設に避難していた『夢見人ドリーマー』たちは外に出ると、一様に頭上を眺めていた。

 駆けつけた彼方たちは人波を掻き分ける。そして周囲の視線を追うと、四方の壁に設置されたパルス増大装置の中央に、あるものが防壁で覆われているのを発見した。

「ああ……なんてことだ――」

 稲垣は落胆して目を伏せる。視線の先にあるフィールドの中、元々|夢境の黎明《ヘザルダー》のあった場所には、アメーバ状の生物――一回り大きな『霊魂タブラ・ラサ』が沈黙していた。

 パルスをまとった『霊魂タブラ・ラサ』は、青い炎の中で延々と燃え続けながら、同色の波紋を静かに大気中に向けて広げている。誰もがそれが元はなんだったのかを察した。

「七……海……?」

 光は現実が受け入れられない様子で譫言のように名を呼んだ。

だがその声を拾う者はない。代りに状況を把握できずにいた彼方が疑問を口にする。

「あれが入江……? どうなってんだ?」

多分|夢境の黎明《ヘザルダー》を起動した際に入江の人格を司る『精神データ・ゴースト』が消えて『霊魂タブラ・ラサ』に変貌したんだろう。あれは入江の魂――そしてこの世界を維持する《夢境の黎明ヘザルダー》だ」

 背後から現れた美月が告げた。その説明にその場にいた全員が納得する。

 それからしばらく誰も言葉を発さなかった。勝ち取った勝利に酔い痴れることも、生存への歓声を上げることもせず、ただ目の前にある不気味な生物をじっと見つめる。

 厳しい激戦の末、不完全ではあるが、世界の生存は、一人の少女の犠牲によって保たれた。今このときをもってすべての作戦は終了する。

 誰も幸福な気持ちになれないまま、この場にいる全員の心に苦い余韻を残して。

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