神の視座ってやつが欲しかった

鮎川 雅

第1話 神の視座ってやつが欲しかった






 タイトルまんまである。


 曲がりなりにもモノを書き始めてある程度たった頃、私は神の視座ってやつが欲しくなった。


 私が自覚する限り、私は自分の文章にのめり込んで(酔って?)しまいがちなため、それが作品の完成度を著しく下げているのではないか、と思ったからである。


「人に読んで頂くことを意識しながら書く」ことの、いかに難しいことか。


「これ、こう展開したら、こういう流れになるよね。そしたら読者に満足してもらえるよね」と言うストーリーのお約束というかお作法というか、そう言ったものを自分の作品に活かせる能力を、残念ながら私は持ち合わせていない。


 私はそんなものとは無縁の孤高な存在なのだ、と開き直る気は毛頭ない。あくまで、私の不徳と不勉強の致すところであると考えている。


 そんな私に、神の視座さえあれば! 神のように高みから全てを見通すことができれば! ……。


 ところで、改めて考えると神の視座って、もっと具体的に言うと、何だろうか。


 何でも先を見通すこと? いかなる謎も解き明かせること?


 そう考えていると、私は思い出したことがあった。




***




 小学校低学年の頃の休み時間の出来事である。私は友達と鬼ごっこに興じて、グラウンドの物陰で息を潜めていた。


 息を潜める以外にやることがないので、私はぼんやりと、近くで遊んでいる高学年くらいの、ボッチの短パン半袖の坊主頭のお兄さんを見ていた。


 すると、その坊主頭が、何かを見つけてかがみ込んだ。見ると、グラウンドに張ってある、徒競走のコースを示すロープの、束が解けて細い糸になった一本か何からしかった。それは、端の一方が切れて、もう一方の端から二メートルくらいを漂っている、テグス(釣り糸)のように丈夫そうで、かつ周りの色に溶け込んで見えにくい色をしていた。


 その時、その坊主頭にひらめきが走った(ように見えた)。


 彼は、そのロープの端を片手に、何食わぬ顔で口笛か何かを吹き出した。


 と、そんな彼の傍を、はしゃぎながら走り過ぎようとしている男の子が通りかかった。


 刹那、坊主頭は、ものすごい勢いでロープを引っ張った。


 結果は言うまでもない。男の子は突如自分の足に作用した外力によって、勢いよくひっくり返ってしまったのである。


 当の坊主頭は、笑いを堪えながら、ひたすらに「?」と頭上に浮かべている、その男の子を見下ろしている。当然、証拠となるロープは地面に放り出して。


 私が見ている前で、坊主頭の「釣り」は次々と獲物に恵まれ、少なくとも四人の男の子や女の子が、その犠牲者となった。


 しかし、五人目は現れなかった。四人目の犠牲者の、スポーツ刈りのお兄さんが、自分が誰のせいで大地とキスする羽目になったかを、刹那のうちに見てとったからである。その意味で、彼はとても優秀だと、見ていた私は思った。


 やがて、坊主頭とスポーツ刈りとの間で、取っ組み合いの喧嘩が始まった。軍鶏のように絡み合う少年たちは、そのうち鼻血を撒き散らしながら地面に転がった。


 白状しよう、私はこのときほど、自分の生を実感したことはない。全てを知っているが故の愉悦! 自分が安全な場所にいることの愉悦! 私はさながら、コロッセオで罪人同士の殺し合いを、酒を片手に愉しんでいるローマの元老か何かの心地だった。


 すぐに教員が飛んできて、このバトルは終焉を迎えた。


 私は泣き喚く二人と教員、そして野次馬を後にして、不思議な高揚感を胸にしつつ去っていったのであった。


「あの坊主のお兄さんすら、私が全てを目撃していたことを知らない。ああ、この私だけが、全てを知っているのだ」と……。





***





 時は経って、高校に進学したとき、私はこのエピソードを友達にしたことがある。


 すると彼は、「ああ、俺も同じさ」と言う。


「どういうことだ?」


「あのさ、夏になると水泳の授業があるだろう?」


「ああ」


「水泳のとき、男どもは女子のスク水姿を、飢えたサルみたいなツラを下げて見ながら、脳裏に焼き付けようとする。だろう?」


「ああ」


「それじゃあダメなんだ。そんなんじゃ、サルはいつまで経っても進化できない」


「お前はサルじゃないと言うのか?」


「ああ。俺の域になると、もはや人を超えて仙人だ」


「お前はスク水を愛でないと言うのか?」


「俺はそんなものには興味がない。俺は、スク水を見て楽しむんじゃなくて、スク水を見て喜んでいる男どもの阿呆ヅラを見て楽しむんだ」


 ……ああ、これこそまさに神の視座だ。きっとこいつは大物になる、と私は率直に思ったのだった(卒業後に彼がどうなったのか、残念ながら私は知らない)。




***




 ちなみに、私は、今は神の視座が欲しくなくなった。


 神の視座が(普遍的な意味で、本当に)あるとすれば、それは、何でもかんでも先を見通せてしまうので、それはそれでつまらないだろうなと、ある日、唐突に気づいてしまったからだ。


 物語とは、ある意味、生きている人間の葛藤である。葛藤は、葛藤の中からでしか生まれない(と、それっぽいことを言ってみたかった)。


 ちなみに、私が本当に欲しかったのは、「自分の作品を冷静に読み返すことができる客観性」である。


 とか言いつつ、やはり私は、水着の美女を見る男などではなく、やはりストレートに水着の美女を見たい人間の部類に属する凡人である。

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神の視座ってやつが欲しかった 鮎川 雅 @masa-miyabi

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