10-2 *

 ◇



 タクシーから降りると、すっかり日が暮れて夜になっている。

 ゲームセンターで遊んだ後、近くのファミレスでご飯を食べて、菖のマンションへ移動してきた。

 菖のマンションのエントランスは綺麗にライトアップされ、人口の川が流れている辺りは、特に水の反射が美しい。

 ──なんだか『仕事』っていうか、普通に遊んだ感じになっちゃったな。

 世間ではこういうのを『デート』と言うはずだが、『仕事』もしたのでどうなのだろうか、と四葉はタクシーから降りつつひっそり悩む。

 思いの外大荷物になってしまい、タクシーから荷物をあれこれ降ろしていると、少し先に停まっていたリムジンと思われる高級車が、突然発進していってしまった。

 誰かを乗せた様子はなかったのに、と不思議に思っていると、菖もジィっと遠ざかるリムジンを目で追いかけている。

「……あのリムジン」

「あ、やっぱあれリムジンだよね? この辺で見るの珍しいよね」

 流石の菖もリムジンは珍しいのだろうか、と思っているとタクシーから降ろした荷物を持ちながら菖がボソッと言った。

「たぶんアレ、実家のだな」

「えっ」

 まさかの言葉に四葉は声を上げる。

「んで多分、陽葵のとこに兄貴が来てるな」

 そう言いながら、菖がマンションの上の方を眺めた。

「えっ、なんで? 陽葵くん、しばらくお仕事は……」

 菖の兄である要は、陽葵や菖に『仕事』の依頼をしてくる、謂わば上司のような存在。陽葵自身にも菖とは違う『仕事』を任せたりするとは聞いているが、陽葵は退院したばかりのはず。

 いくらなんでも『仕事』をするには早すぎるのではないだろうか、と四葉が不審に思っていると、菖がそっと耳元に口を寄せて囁いた。

「ここだけの話。あの二人、付き合ってんだよね」

「え、ええ!?」

 予想外すぎて思わず大きな声を出してしまい、四葉は自分の口を両手で塞ぐ。

「え、うそ。ほ、本当に?」

「ほんとホント。どーせ陽葵の様子を見にきただけのつもりが、泊まることにしたから運転手に『帰っていーよ』って連絡したんだろ」

「な、なるほど……」

 だからあのリムジンは、誰かを乗せることなく去ってしまったのだ。

「てことで、お土産もってくの明日にしよーぜ。今行ったら馬に蹴られる」

「……そう、だね」

 大荷物を持って、菖と四葉はエレベーターを二十階まであがり、菖の部屋に移動する。

 洋服の入った複数の紙袋に、ゲームセンターでとった大量のお菓子の入った袋。ひとまずダイニングテーブルの上に乗せようとそちらを見ると、そこには二人分のパジャマがきっちり揃えて置いてあった。

「……アイツ、安静にしてろって言ったのに」

 どうやら四葉が泊まりにくるということで、陽葵が部屋の片付けや着替えの用意などをしてくれたらしい。

「陽葵くんて、菖くんのお母さんみたいだね」

「まぁずっと俺の世話してるからなぁ、アイツ」

 そんな陽葵にも、ちゃんと想い合う人がいて、しかもそれが菖の兄の要だということには、さすがの四葉も少し驚いた。

 陽葵には以前「好きでもない人とキスをするのは嫌じゃないですか?」と聞かれたなぁと思い出す。きっと彼は想う相手がいるからこそ、自分を気遣って聞いてくれたのかもしれない。

 ソファに座り、菖にとってもらったツリ目猫のぬいぐるみを見つめながら、四葉はそんなことを考えた。

「──そんで、どうする?」

 不意に菖がソファの隣に腰をおろして尋ねる。

「へ?」

「そろそろ『非常食』さんのお仕事を、してもらいたいんだけど?」

 菖に耳元で囁かれ、一気に顔が赤くなった。

 今日、菖の家に泊まることにした、その理由。

 チラリと菖の顔を見ると、妙に楽しそうな目で見つめていた。

「そろそろシャワー浴びるか? その服着たまま、も捨てがたいけど……」

 そう言って菖が腰を引き寄せるように手を回し、四葉の耳の縁を甘く噛む。

 もうそれだけで心臓がドクドクとうるさいし、以前泊まった時以上のことをされるのかと思うと、恥ずかしさで顔が熱い。

「よ、汚れちゃう、よ……?」

「へぇ? 汚すようなことすんの?」

「……っ!」

 抱きしめられたまま言われて、それ以上に言い返せなかった。菖がどこか楽しそうな顔で、優しく四葉の頭を撫でる。

「まぁ、確かに汚しちゃうだろうし、先にシャワーにしようか」

 囁く言葉に頷くと、菖が立ち上がって手を差し伸べる。

「んじゃ、しっかり『補給』させてもらうからな」

「……はい」

 四葉はその手をとって立ち上がると、菖に連れられて、廊下の先の、一番奥の部屋へ向かった。



 ◇



 ふと目が覚める。カーテンの隙間から眩しい光が見えて、もう朝だと分かった。

 傍らを見上げると、色素の薄い髪に色白で整った顔立ちの人物が、小さな寝息を立てて眠っている。

 お互いに着ていたはずの、お揃いの紺のパジャマは見当たらず、下着すらつけない裸のままで寝落ちていたらしい。

 ──そうだ、昨日の夜、菖くんと……。

 思い出すだけで顔が一瞬にして赤くなる。

 昨夜のことは、まるで信じられなくて、夢だったのではないかと思うが、腰の周りは鉛のように重くて痛いし、まだ胎の奥が疼くようで、現実にあったことだと思い知らされた。

 自分の身体を見ると、胸の辺りにいくつも痕がついていて、見えない場所を鏡で見るのが今から少し怖い。

 けれどこれは紛れもなく、自分が菖に『食べられた』証拠だ。

 ──これはこれで、ちょっと嬉しくはあるんだけど。

 どうしても、自分なんかでいいのだろうか、と思ってしまうから、好きと言う言葉を見える形にされるのが嬉しいのかもしれない。

 四葉は隣で眠り続ける菖をマジマジと見た。服を着ている時は線の細いイメージがあったが、こうして何も着ていない姿を見ると、筋肉がすごくて随分と鍛えているのが分かる。

 そしてあちこちに残る、小さな傷痕。見えない場所でずっと、戦い続けてきてくれた証だ。

 ──やっぱり、菖くんはカッコいいな。

 自分はこれから、そんなふうに頑張ってくれていた人を、そばで支えることができる。

 四葉はそっと、菖のまだ閉じている瞼に優しくキスを落とした。

 ふっと小さく瞼が震えて、ゆっくりと開く。

 美しい流線を描く、猫のような瞳がこちらを見た。

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

「……四葉?」

 ぼんやりと見つめていたと思ったら、すっと腕が伸びて、身体全体を包むようにぎゅっと抱きしめてくる。

「菖くん?」

「……嬉しいんだ」

 噛み締めるような声だった。

「目が覚めた時に、こうして四葉がいてくれるのが」

「そっか」

 ずっと一人きりで暮らしてきた彼にとって、こうやって側にいる存在は嬉しいのだろう。

「……毎日こうしたい」

「さ、さすがにそれは……」

「じゃあ高校卒業したら、一緒に住も?」

「え、えぇ……」

 まさか早々に先の話をされるとは思わず、四葉はひたすら困惑した。

「あー、でも四葉ん家も近いし。いっそ俺が四葉ん家の子になるのもいいな」

「う、うちは狭いから無理だよ!」

「じゃあお前がうちに来るしかないな?」

「……決定事項、なの?」

「うん」

 相変わらず、こちらの意思などお構いなしで、やはりそこは横暴な王子様とでも言うべきか。

 まさかここまで想われているなんて、全くもって想定外だ。

「誰にも渡す気ないからな、覚悟しとけ」

 絶対に逃さない、という強い意思を綺麗につり上がった瞳の中に見る。

 どうやら自分は、とんでもない人に摘まれてしまったようだ。

 でも、不思議と嫌じゃない。

「……うん、分かった」

 四葉は困ったように笑いながら、そう答えた。



〈了〉

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ツリ目にクローバー 黑野羊 @0151_hitsuji

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