睡眠記録

クライングフリーマン

睡眠記録

 2度目の絶望。それが、キッカケだった。

 1度目の絶望から私を救ったのが彼女だった。

 私は帰郷すべきでは無かった。いや、一時帰郷にして、引っ越しまですることは無かったのだ。何度悔やんでも悔やみ切れない。

 別れの時は、突然来た。

 両親の懇願で、両親と私の3人の名義で建て売り住宅のローンを組んだ。

 ゆくゆくは、彼女を呼び寄せる準備の気持ちもあった。

 彼女は激怒した。7年も待たせていたのだ。

「私より親を取った。もう連絡しないで。引っ越すから。」

 それが最後の言葉だった。私は彼女の住所は知らなかった。

 音信不通になったので、彼女の親友の電話番号にかけた。

 親友は彼女の味方だ。教える訳もなかった。

 私は、いつ眠っているのか分からないようになった。

 体重は、1ヶ月も経たない内に7キロ減った。

 精神科医に付けられた病名は「うつ病症候群」だった。

 軽度の抗うつ剤を処方してくれたが、治る訳もなかった。

 浅はかなことに、全部飲んだ。

 後で知った事だが、昔「睡眠薬自殺」が流行ったので、死に至るような睡眠薬は処方され無くなっていたのだ。無論、薬局・ドラッグストアでも入手出来ない。

 今なら、ネットで入手出来るかも知れないが、まだパソコンも流行り出した頃だった。

 私は、購入した専用ワープロに、「うたた寝」を含む睡眠開始時間と睡眠終了時間を記録した。文字通り夢中で。

 5時間。平均睡眠時間は、思ったより多かった。ふらつく原因はコレだった。

 もう、「抗うつ剤(睡眠導入剤)」は無い。

 私は、目標を立てた。1番目は、朝決まった時間に雨戸を開けることだった。

 天候など関係なく、開けた。眠くなったら我慢せず眠った。

 雨戸開けが習慣になった頃、次の習慣を計画づけた。いや、計画通りの習慣を身につけた。

 もう34歳だった。立ち直った私は、遅すぎる再出発をした。

 プログラマを目指した。

 紆余曲折の末、プログラマになった。10数年続いたが、非正規雇用は甘く無かった。

 政府は、派遣労働者の為だと言って、「2次受け」「3次受け」の会社を閉め出した。

 私たちにとって、「必要悪」だったのに。

 気がつけば、50歳を越えていた。

 プログラマに拘わらず仕事を探した。

 母が病気になり、同居した。

 就職活動は出来なくなった。目を離すと、おかゆに塩をかけたりするからだ。

 後年、脳梗塞の原因になる行動をしていた。

 介護が始まった。

 コ〇ナが収束し始めた頃、母は「寝たきり生活」になった。

 母の介護は、「まだ」終っていない。「介護施設の生活」が終っただけだ。

 今日も厳しい制限の元、病院に会いに行く。

 2年近くの間に、まともに口をきいたのは、たった3回。

 今は、「3回目の大きな絶望」と闘っている。


 あの時、彼女が言った言葉が時折脳を横切る。

「私より親をとったのね。」

 その通りだよ、みちこ。

 今は、今でしかない。彼女のその後は知らない。

 でも、あの頃作った、彼女の印鑑は、机の中にある。

 時間は残酷だ。

 ―完―

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