2024/10/05 飢えとは恐怖である

最近自覚したのだけど、私はどうやら「お腹がすいた」という言葉が苦手だ。

もちろん日常会話で「おなかすいたー」とただぼやくだけなら何も感じない。

だけどSNSなどの文面ベースの交流の中で誰かが「お腹すいた」と呟いているのを見ると、ゾワッとした焦りのような不安のような感情が全身に走る。

何か食べさせたいという衝動に駆られるのだが、もちろんネットの向こう側に居る相手に直接食事を提供する事など出来ない。というか相手もそんな事されたら普通に怖いだろうし。

出来るとしたらせいぜい「何か美味しものでも食べてください!」とクソリプを送るくらいだ。もちろんクソリプなのでやりはしない。


一番苦手なのは子供や動物が飢えているところを見てしまう事だ。この光景が苦手ではない人はあまりいないと思うけれど。

私は例えフィクションであっても子供が「お腹すいた」と言っているシーンが本当に苦手だ。

よく見る野良犬や野良猫がお腹を空かせて街をトボトボと歩いているシーンなんて手で目を覆いたくなる。というか今この文を書いている時も既に泣きそうだ。


これはもうかわいそうだとか哀れみとかの感情ではない。

もちろんそれらもあるのだがもはやそれらを通り越して私は人が飢えているのを見ると不安になるのだ。恐怖を感じるとさえ言える。

昔からそういう傾向はあったが、30代を通り過ぎてからかなり強くなった。

やはり子供を持つくらいの年齢になったのが大きいのかもしれない。私は子供は居ないが。

よく「歳を取ると若者にたくさん食べさせたくなる」という現象が男女問わず起きる。

それらの行動原理は人それぞれだと思う。自分が年取って食べられなくなったから食べさせたい、若者を支援したい、単にいっぱい食べる人を見るのが好きだから、様々な理由がある。

私の場合は恐怖だ。飢えている人を見たくない。飢えている子供や若者や動物を見るのが怖くて仕方がない。もちろん年寄りだって飢えてほしくない。


私はYouTubeをよく見るのだけど、とある韓国のショートムービーを見た。

おばあちゃんの家に遊びに来た孫息子が「お腹すいた」と何とはなしに呟く。

優しくてかわいらしいおばあちゃんはその一言で何かのスイッチが入ったように食事を作り続け孫に食べさせ続ける。

孫が「もうお腹いっぱいだよ」と言っても取り憑かれたように食事を作り続け「食べなさい」攻撃を続けるおばあちゃん。

孫は大食いの友達を呼んだり、果ては大食いYouTuberも呼んだりするのだがおばあちゃんの暴走は止まらない。

最終的に孫は最終兵器を呼ぶ。最終兵器とはおばあちゃんの母(つまりひいおばあちゃん)でおばあちゃんが「お母さん?」と驚いた後に暗転。

おばあちゃんの「お母さんもう食べられないよ~」というセリフで終わる。

食べなさい無双をしていたおばあちゃんもかつては「お母さんの食べなさい攻撃に悩まされていた娘」の一人だったのだ。

と、いうコメディ動画なのだが「おばあちゃん」という生き物の生態をよく表している上オチも秀逸なムービーだった。

YouTubeで見られるのでぜひ見て欲しい。もちろん全編韓国語だが話は大体わかる。


「何かに取り憑かれたように孫に食べさせたがるおばあちゃん」というのはもちろんコメディによる誇張だが、私はおばあちゃんのこの気持ちはよくわかる。

子や孫を飢えさせるのが彼女にとっての恐怖なのだ。

前述の通り私に子はないが出来る事ならこのおばあちゃんのように若い子に際限なく食べさせたい。

だがそんな独りよがりの行為はただのパワハラだ。若者・子供達や動物達の胃袋にも限界がある。それに私はそんなに収入が多い方ではない。むしろこの国では底辺と呼ばれる収入帯に居る方だろう。飢えに対してどれだけ恐怖を抱いていても、それを克服する為に出来る事は限られている。

それでも自分の恐怖症を少しでも和らげるため、月に数千円動物保護団体に寄付している。

これは慈善活動ではない。ただの自分への処方箋なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日記っぽいやつ 八月朔日 @hassaqu839

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ