第6話

 

「もう会って貰えないかと思ったんだ」


 彼は床に座ったまま私を包むように後ろから抱きしめて、猫のように頬擦りをする。これが短時間なら良かった。抱きしめられて幸せ、なんて思った。かれこれ、もうこのままの状態で1時間は過ぎている。

 彼がこう言うのも、この状態になるのも無理は無い。おしりは痛いし、足も痺れてきているのに私が悪いとわかっているので強く出れない。


 彼と気まずい別れ方をしてから今日こうして会うまで、4日も経過していた。





 あの日店を出たあと、俺は直ぐに男性と町へ向かった。男性は使い捨ての転移紙を何枚か持っていたので有難く使わせて貰い、店の人と顔合わせをして雇用契約まで終わらせてきた。


 転移紙とは言葉のまま転移の出来る術式を組み込んだ紙で、紙の品質や術式、術式に込める魔力の量によって転移できる距離が決まる。

 やり方としては紙に自分の魔力を入れ込んでいくだけだが、魔力の少ない者はこの作業に相当時間がかかる。俺は魔力が弱っていたこともあって、丸2日もかかってしまった。


 ──そう、丸2日。


 行きは問題なく数時間で終わったため、すっかり油断していたのだ。初日は善意で町を案内して貰い、店の寮に宿泊した。次の日転移紙に触れた時、自分の魔力が殆ど残っていないことに気づいた。そこからが地獄だった。

 転移紙は基本的に使用する人の魔力でしか発動しない。俺は事情を話してそこから2日間は転移紙を手に貼り付けたまま共に生活し、やっとの思いで戻ってきて──魔力切れで1日寝ていた。


 すぐ戻るつもりだったので携帯も家に置いてきたままで、端末を開くと通知がそれはもうすごい数になっていた。

 上手い言い訳も思いつかず風邪を引いて寝込んでいた事にしたら、宿泊先を教えてくれ等言い出したので埒が明かず彼の自宅まで向かった。そこまでは良かった。


 扉を開けた瞬間、ひっつき虫爆誕だ。


「どうしても宿泊先は教えて貰えないの?」

「嫌」

「何かあったら? 君の名前すら教えてもらってないのにどうやって助けたらいい?」

「あと数日の関係よ?」

「君が4日も音信不通だったから、正確にはあと11日……日付超えたからあと10日だね」


 はあ、と大きなため息をつくと、くるりと体を回して彼と向き合う体制になる。


「一つだけお願いを聞いてあげる。宿を教える、名前を聞く、個人情報は教えないけれど」

「それが一番聞きたいんだけどな」

「それ以外、言わないならなしよ」

「1つ……じゃあさ。君と写真が撮りたい」

「写真?」


 彼はやっと私から離れると、端末を持ってきてカメラモードに切替える。


「嫌?」

「それくらいなら、構わないわ」


 彼が内カメラにすると、画面の中にどこからどう見てもお似合いの美男美女が映る。彼は私にしか見せない甘い笑顔で端末の私を見て微笑んでいる。


「はい、笑って」


 愛されているのは『私』なのだからと、釘を刺されたみたいで胸がズキリと痛んだ。






「遅いから近くまで送るよ」


 彼はいつもそう言って宿屋街の入口まで送ってくれる。でもその先は踏み込ませない。乗合場所から、教えたのは、教えるのはここまで。ここが私たちの境界線。当然だ、私はここに宿泊なんてしていない。教えるのは、ではなく教えられるのは、だから。


 今日もじゃあ、と軽く手を振り街の中へと入って行こうとしたけれど、手首を掴まれて阻止された。


「教えて、心配なんだ」

「詮索するならもう会わない」

「でも君が倒れたり……何かあったら?」

「宿の人が対処してくれるわ」

「それじゃ嫌なんだ……」

「ねえ、勘違いしていない? 私は貴方が諦めるっていうから、付き合ってあげているだけ」

「どうして?」


 腕を引かれて体を引き寄せられてぎゅうと抱き締められる。彼の胸元に頬が当たって心臓が痛いくらいに脈打っているのが聞こえた。


「どうして付き合ってくれるの?」


 ごくり、と喉を鳴らす。口の中が乾いていく。ああ、早く返さなければ。否定しなければ。そう思うのに上手くまとまらなくて。


「僕のこと好きなくせに」


 見上げると、当然の如く彼と目が合う。怒っているような、悲しんでいるような、それでいて熱を持ったそんな顔。


「君は何を抱えているの?」

「私は貴方なんか好きじゃないわ」


 その瞳に吸い寄せられて、熱い口付けを交わして、何もかもめちゃくちゃにされたい欲求を抑えて彼の胸板を押す。


「色々貰えるから、付き合っているだけ」

「君はそんな子じゃない!」

「貴方に何がわかるの?」


 私が冷たくそう返せば、彼は何も、君は教えてくれないからと顔を逸らす。この辺りで潮時なのだろうか。そう思って彼に背を向けると、離さないとでも言うかのように彼は再び私を引き寄せて後ろから抱き締める。


「ごめん、僕が悪かった。また……会ってくれる?」

「あと10日でしょう?」

「それでいいから、お願いだ」

「その10日は貴方のためになるの? 期待して、今みたいにぐちゃぐちゃになって、貴方を不幸にしない?」

「それでも僕は君に会いたい。会って不幸になりたい」

「言っていることがめちゃくちゃよ」


 私が苦笑すると、彼は甘えるように首元に顔を埋めて擦り寄る。


「残りの10日間は君を笑顔にしたい。想い出を作ろう。だから、その……」

「元々その約束よ」


 彼の腕の力が弱まったので私はするりと拘束を解いて、彼の方へと振り返る。


「想い出、作りましょ?」


 それが彼にとっての未練になるのか、吹っ切るための良き想い出になるのか今は分からないけれど。彼は私を見つめて眉を下げた情けない顔で笑った。



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