第5話

「あー、会いたかったあ……」


 彼は噛み締めるようにそう言い、家を訪ねた私を扉を開けるなりぎゅううと抱きしめる。


「大袈裟よ」

「一日が長くて長くて……君が居ない夜をどうやって過ごしていたか思い出せなくなってた」

「昨夜は何をしていたの?」

「友達と呑んでたよ」

「女の子?」


 私が揶揄うように言えば、彼はまさか! と体を離してじっと視線を合わせる。


「こんなに一途なのに!」

「ふふっ……今日はね、お酒を持ってきたの」


 私は年代物の酒瓶をいくつか見せる。家の物を処分していたので、折角ならば飲んでしまおうと思って持ってきたのだけれど。彼は見た途端嬉しそうに顔を綻ばせたのでどうやら正解だったらしい。


「これどうしたの!? なかなか手に入らないやつ……高かったでしょ?」

「頂き物よ」

「えーと、男だったりする?」

「ふふっ、依頼主。貴方こそ疑うの?」

「僕は一途だけど、君は?」


 いじけたような、不安気なような顔で彼は私を見つめる。このまま好きだと伝える事が出来たのならどんなに幸せなんだろう。私は微笑みを作って彼を見つめる。


「……ナイショ」


 彼はガックリと肩を落としてキッチンに向かっていってしまった。カチャカチャと食器を出す音がしたので、私もキッチンに入っていく。


「手伝うわ」

「……君が分からない」

「秘密が多い方が魅力的に見えるでしょう?」

「僕は例外みたいだ」

「やめる?」

「やめない」


 甘えるように後ろから抱きつかれて思わず顔が綻ぶ。


 ──なんて可愛くて、なんて愛しいんだろう。


「今日は何を作るの?」

「良い魚が手に入ったから、香草焼き。食べられる?」

「好き嫌いはないの」

「良かった」


 彼はちゅ、と頬に口付けてから君はテーブルの用意をしてねと言って腕をゆるりと解いて離れる。それがなんだか寂しく感じて、思わず彼の腕を掴む。


「どうしたの?」

「あの……」


 掴んだは言いものの言葉が出てこずに言い淀んでいると、彼は頭をあやす様に撫でてくれた。


「……頬、だけ?」


 私がそう言えば彼は目を見開いて、それからゆっくりと距離を縮める。彼は愛おしげに私を見ながら頬を親指で撫でた後、人差し指で顎を支えてと今度は唇を軽く重ねる。やんわりとした感触と彼の体温が心地よくて身を委ねていると、あっさりと唇が離れて彼がはあ、と溜息を着く。


「今のは君が悪い」

「我慢比べでもしているの?」

「誠実さをわかって欲しいだけだよ。始まりがあんな風だったし、体だけの付き合いがしたい訳じゃないからね」

「私は良いのに」

「僕が欲しいのは君の心だ」


 彼は宝石のように美しい翡翠色の瞳で私を真っ直ぐに見つめる。視線だけで溶けてしまいそうで、目を離したくても離せなくて。


「君の心が欲しい」


 彼は念を押すようにもう一度言う。そんなの、とっくの昔に貴方のものよ。私が唇を噛んで言葉を飲み込むと、彼は困ったように笑って頭を撫でてさて支度しようか、と動き出す。


 彼の為に願いを叶えてあげようと、私は俺を犠牲にしたけれど。果たして彼のためになっているのだろうか? 悪戯に彼を苦しめるだけになっていないだろうか?

 彼は楽しそうに笑うようになった。同時に何か言いたげな、悲しげな、我慢するような、そんな表情も見せるようになった。

 残すところあと半月。15日間ほど。果たして毎晩彼と会うことが正解なんだろうか?


「考えすぎてる顔してる」


 ぷに、と指で頬を押されて静止してしまっていたのに気づいてハッとする。


「会ってくれるだけで幸せだから。追い詰めるつもりはなかったんだ、ごめん」


 違う、そうじゃない。悪いのは全て私。言葉が出ずに首を振ると、彼は何も言わずにただ抱き締めてくれた。


「ごめんね」


 謝らなければならないのは、私なのに。


 何も言葉が出てこなかった。









 次の日、何となく会い辛くて体調を崩したから今日は会えないというメッセージを送って彼を遠ざけた。実際に朝から吐血していたし、嘘はついていない。


 俺はブラブラと宛もなく彷徨って──気がつけば歓楽街へと足を踏み入れていた。昼間の歓楽街は静かで営業している店が少ない。昼間から呑む奴なんてほぼ居ないからだ。酒に逃げたいからってバカみたいだと苦笑して来た道を戻ろうとしたその時、看板に女性厳禁の文字が見えて思わず立ち止まる。


 男性歓迎、女性厳禁。昼間も営業、出会いの場。

 看板にはそう書かれていた。









「いらっしゃぁーい」


 昼間なのに薄暗い店内に入ると、男性の作った甲高い声が奥の方から聞こえてきてそちらを凝視する。明るい所から暗いところに入ったせいで薄ぼんやりとしか輪郭が見えなくて目を瞬かせていると、あらやだ新規! と叫ばれてドタドタと前から足音がして──胸を揉まれた。


「ひっ」

「合格ね」

「な、ななっ……」

「座んなさい、1杯奢ったげるわ」


 慣れた目に映ったのは唇を真っ赤に塗って青いシャドー、長いまつ毛を瞬かせる赤いワンピース、赤いハイヒールのだ……いやこの場合は女性なのか? 戸惑いはしたものの彼女に誘われるがままカウンターに座る。


「セクハラ大丈夫だった?」


 カウンターに座っていた男性が苦笑しながらこちらを向き直したので、俺はあー……驚きましたと同じく苦笑する。


「通過儀礼みたいなものでさ。いつか訴えられるよとは注意してるんだけどね」

「通過儀礼……ってことは」

「俺もやられたよ」


 男性は自分の胸をわしわしと揉むフリをしたので、俺は思わずふっと笑ってしまった。


「どうしてここに?」


 男性がグラスを手に取るとカラン、と氷の音がする。中に入った茶色の液体がゆらゆらと揺れて昼間の空気を闇の中へ微睡ませていく。


「看板を見て」

「出会いの場? あれ、昼しか見えない特殊なインクらしいよ。この国は少ないもんね」

「道理で今まで見なかった訳だ……。あの、この国、と言うと他から来たんですか?」

「俺はね。ちょっと特殊な町があってさ。人口がほぼ男なんだ」

「そんな所があるんですか?」


 俺が興味津々になると、男性は彼女がカウンターに置いた酒を俺の方に寄せて、呑みながら話そうかと微笑む。俺は貰った酒を一口含んで、昼間から呑むなんて久々だなと背徳感に酔う。男性はそんな俺を見てクスリと笑ってから話を続ける。


「最初は宗教上の理由だったんだ。その頃は領地争いが頻繁に起きていてね。女性が居ると土地神が穢れる、とか。有り得ない話なんだけど当時村人はみんなそれを信じてた。村人は村の外に家庭を作って、村にいる間は同性で性欲を発散しててさ。それでもウケは少ないから共有しようってことで小さな店を作ったんだ。それが初めての男娼風俗店、俺がいた所は男娼発祥の村だよ」

「初めて、聞きました」

「ある程度閉鎖されてるからね。合併して村から町になっても消えずに残って、今は知る人ぞ知る小さな歓楽街になってるよ。そこで知り合いが店やっててね、今は旅をしつつ働いてくれる人を探してる」

「あの、条件は?」

「暴力は客からも男娼からも禁止、寮つき、病気さえなければ体さえ売れれば良いって」

「正気でなくても、ですか?」

「病気じゃなければね。興味ある?」


 俺はこくりと頷く。正直、正気をどれくらい保てるか分からないので冒険者を続けられる保証は無いし、貯金も一生を凌げるほどは無い。正気を失ってしまえば管理も出来ないだろうし、稼げて尚且つ寮付きは破格の待遇だ。


「てか初対面なのに信用して大丈夫?」


 男性はカラカラと笑って俺を探るように見つめる。俺はふ、と笑って大丈夫ですと答える。


「根拠は?」

「嘘つかれると分かるんですよ、俺。特殊な育ちなので」


 故に、人との接触が苦手だった。人は簡単に嘘をつき、裏切り、欺く。家族ですら例外では無い。生きる為に身につけたこの特技は自慢にはならないけれど、役には立つ。

 彼は、裏表なく正直な人間だから唯一心から信じれただけ。そんな人間だから好きになるまでそれほど時間もかからなかった。それが親愛から恋愛に変わったのがいつかなんて覚えてはいないけれど。


「いつから働く予定? 俺としては大歓迎だけど」

「1ヶ月後に。ただ、俺が正気を保った状態かは分かりません」

「薬でもやってんの?」

「えーと……話せば長くなるんですけど。この国の魔女の秘薬、って知ってますか? 姿を変えられるっていう」

「噂では少しだけね。飲んでるの?」

「その代償です」

「ふーん」


 男性は俺を上から下までジロジロ品定めするように見て、トンじゃってても需要あると思うよ。そう言って笑った。


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