第4話 終焉
指導教授の恐れていた風聞が伝わってきた。
──画期的な証明によって、幻の5条件問題が解決した。
と言うのだ。
解決するのがもう少し早ければ、裕子の暴走を止められたのにと、指導教授は暗澹たる思いだ。
そんな中、皮肉にも指導教授は、学会からの依頼を受け『幻の5条件解決』の論文を査読することになった。
どういう事情であれ査読は公平でなければならない。
提出された論文を指導教授は舐めるように読み進んだ。
洗練された論文だが、指導教授は異和感を覚えた。
どこかに論理の飛躍があるようなのだ。
その頃、裕子は本多の3条件を満たし、裕子の強3条件を満たさない例を追い求めていた。
──本多の3条件を満たしているが解がない例の探索は困難。
と諦め、迂回作戦を採用することにしたのだ。
視点の変わった探索は急ピッチで進んだ。
探索というよりは、強条件を満たさない例を作る作業だ。
面白いように例が幾つも容易にできた。
出来上がった例は解がない候補だ。
手探り状態が、道標のある状態に激変したのだ。
問題はあっけなく解決した。
査読作業を中断し、裕子から提出された論文を指導教授は読み進めた。
学会論文としては冗長だが、きめの細かいわかりやすい論文だった。
清楚な女性の香りが漂ってくるような柔和な論文だ。
査読中の論文の結論は間違いと指導教授は断定した。
裕子の論文提出のおかげで、査読中の論文の不採録理由が明確に自信を持って書けた。
指導教授の断定時期からかなり遅れて、もう一人の査読者も不採録と判定し、学会レベルで不採録との結論となった。
そして、裕子の研究結果が学会論文に掲載されると、関係者を熱狂させていた『幻の5条件』は忘れられていった。
解が存在するための裕子の強3条件、その条件を少し弱くすると解は必ずしも存在しないという二つの事実のみが人々の記憶に残った。
先輩は、入学したての頃のあどけなかった裕子をよく覚えていた。
その裕子が難問を解決しことを知り大喜びした。
同時に裕子が女神以上の手の届かない存在に成長してしまったことに寂しさを覚えた。
指導教授の研究室のOB・OG会にも顔を出さず、ひたすらに研究に祐子が没頭している間、憧れの先輩は両親の強い勧めでお見合いを嫌々ながら重ねていた。
裕子快挙の報に接し、先輩はついに身を固めた。
人づてにそれを知った時、せめて結婚したとの通知をくれてもよかったのにと、裕子は嘆いた。
しかし時間は戻りようがなかった。
そして、大好きだった先輩の幻影から逃れるように、裕子は研究に没頭した。
次々に成果を発表して裕子は周囲を驚かせた。
だが裕子は幸せではなかった。
やがて「数学しか愛せない女」との噂が裕子にまとわりつくようになった。
一方的に先輩を今も愛し続けている馬鹿と思われたくない裕子はそれを甘受した。
「オールドミス本多」と呼ばれるようになっても、裕子は明るく溌剌した美人だった。
相思相愛に確信を持てなくなった二人は、やがて音信不通となる。
有名進学高に着任した先輩は、受験数学を生徒に教えるのが苦痛になっていった。
あまりにも現代数学を愛し過ぎた反動だ。
先輩は現代数学のおもしろさ美しさを懸命に生徒に伝えようとして挫折したのだ。
生徒も父兄も、関心は入学試験だけだった。
先輩が思い出すのは現代数学を学ぶための専門書を紹介すると、読後の感想を楽しそうに語る裕子の溢れるような笑顔だった。
先輩は教師を捨てた。
優しいけれど愛されてはいないと感じた妻は、先輩を捨てた。
その事実を裕子は知らなかった。
禁断の5条件 ーーー美人数学者誕生悲話ーーー @Kosuge-Yoshio
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